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影のためのレクイエム  作者:


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Ep1.とあるバレリーナの死

 バレエ界を激震させるニュースが、世界を駆け巡った。


 現代バレエの至宝、エレーヌ・ベルナールの急逝。死因は不運な自動車事故――当局は即座に「事件性なし」と結論づけたが、真の嵐はその後に巻き起こった。


 彼女の死後、公証人であるエマ・ロランから発表された、エレーヌの遺志。そこには、芸術家が最期に残した言葉としてはあまりに挑戦的で、血の匂いのする条件が記されていた。


 『私の未発表作品である「影のためのレクイエム(Requiem pour une Ombre)」を、正しい振付で踊り切った者を私の正当な後継者とみなす。その者には、私の全ての作品の権利を譲渡する。挑戦は一人につき一度。詳細は私の公証人、エマに一任する』


 この「影のためのレクイエム」は、エレーヌが晩年になって書き上げた、狂気的なまでに隠匿し続けた禁断の演目だった。


 ――先鋭バレエ団・レペルトワール。主宰・マスターDは、劇団の頂点に君臨する三人のプリマドンナを招集した。会議室には、張り詰めた沈黙と、高級な香水の香りが漂っている。


 「……エレーヌ・ベルナールが亡くなった。そして彼女は未発表作を一つ、遺した」


 マスターDの声が低く響く。


 「作品名は『Requiem pour une Ombre(影のためのレクイエム)』。公証人の発表によれば、これを“正しく”踊りきった者を後継者とし、彼女の全作品の権利を譲渡する……これだけ聞けば簡単だと思うだろう? だが、問題はこの一節だ」


 スクリーンに投影された、舞踏譜の最後の一小節。そこには、何も書かれておらず、音符さえも拒絶されたような空白が横たわっていた。


 「最後の跳躍。ここだけが、どうとでも解釈できてしまう。正解を外せば、後継者とは認められない」


 マスターDの問いに、二人のプリマが迷いを見せながらも、各々の解釈を展開する。


 三人目のプリマ、白坂玲香は微笑んだ。

 「……解釈に委ねるのは、美学かもしれませんが、非効率です」


 二人の視線が玲香に集まる。


 「彼女の全経歴、筋肉の癖、過去のインタビュー、そして思考のパターン。すべてを多角的にシミュレーションすれば、“正解”は確率論的に確定できます」


 玲香は、楽しそうに瞳を輝かせた。


 「ちょうど、それを可能にする天才的なブレインを擁する組織に知り合いがいます――私に、依頼を出す許可をいただけませんか?」

 (まあ、玲子()に丸投げするだけなんだけどね……)


 マスターDは、玲香の瞳の奥に潜む狂気を認め、嗜虐的な笑みを漏らした。


 「ほう……死者の過去を科学的に暴き、シミュレーションで魂を解析しようというのか。面白い。渉外担当から依頼を出させよう。連絡先を渡しておけ」


 即断だった。


 同時に、マスターDは残る二人のプリマを、品定めするような目で見つめた。


 「さて……お前たちはどうする? エレーヌの挑戦を受けるか。成功すれば、富と名声、そして後継者の称号は独占だ。だが、失敗すれば――」


 彼はゆっくりと唇を吊り上げた。


 「プリマドンナの座から、降りてもらう」


 それは、栄誉を極めたバレリーナにとって、キャリアの終わりを意味するものだった。


 玲香以外の二人は、まるで答えを探すように沈黙した。


 マスターDはそれに満足したように頷く。

 「……賢明だ。才能は刃だ。折られた刃は二度と同じように振るえないからな」


 最後に一言だけ付け足した。

 「結論は急がなくていいし、どうしても挑戦したくなったときは止めはしない」

 そう言うと、静かに立ち上がり部屋から出て行った。


 *


 依頼の中間報告が届いた。


 ――レペルトワールの主宰室。

 玲香はマスターDと共に、中間報告書を開いていた。


 マスターDはモノクルを指先で直すと、研ぎ澄まされたナイフのような目つきで報告書をめくっていく。


 「……40万通りの候補から、1023通りにまで絞り込んだか」


 玲香はその横から、まるで宝の地図を見つけた子供のように、楽しげに報告書を覗き込んだ。


 「あら……あてずっぽうに踊り続けるよりは、随分とマシになりましたね」


 彼女の指先が、羅列された数値や振付のシミュレーション図を愛おしそうになぞる。その瞳には、すでに自分が舞台で跳躍する姿が映っているかのようだった。


 「マスター、私にもこれのコピーをくださらないかしら? じっくりと『考察』したいの。エレーヌがどの影に潜んでいるのかを」


 「わかった。後で秘書に届けさせよう」


 玲香は弾けるような笑顔を見せ、両手を胸の前で組むと、いたずらっぽく上目遣いでマスターDを見つめた。


 「ありがとうございます! ……ねえ、マスター。しばらく大きな公演の予定もありませんし、私、一週間ほどお暇を頂いてもいいかしら?」


 マスターDは、玲香の無邪気な微笑みの裏にある、一度食らいついたら離さない「芸術への執着」を察し、短く頷いた。


 「……よかろう。だが、独断で動くなよ。何かあれば必ず報告しろ」

 「ええ、もちろん……うふふ、楽しみ。1023個の正解なんて、贅沢すぎて迷ってしまうわ」


 玲香は軽やかな足取りで主宰室を後にした。

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