「死に神」のル・ルー
鳩の血社の一日は長い。
朝八時に出社し、まずはル・ルーさんとライラさんにお茶を出す。大抵、ル・ルーさんは株式新聞を読み、ライラさんは会計簿とにらみあっている。病院や遺族から電話が入るまで、これといった仕事はない。
一般に、病院で息を引き取ったあとの屍体は、移送業者によって国から定められた屍体安置所(大抵は教会の地下)に移される。葬儀社に連絡がくるのはこの段階だ。すぐさま駆けつけ、遺族と面会して今後の方針を話し合う。埋葬までの平均日数は一週間。懇意にしている教会で司祭による病者の塗油を受けることと棺に収めて埋葬すること以外は追加料金扱いとなる。
鳩の血社は貴族や富豪を相手にした葬儀を挙げるので、病院で待ち構えて営業活動をすることはない。じっと連絡を待つだけだ。ずいぶん消極的な企業運営だが、ル・ルーさんは毎週欠かさず貴族や病院関係者の集まりに参加してコネを作ってあるので、病院で待機し、ハイエナのように群がる必要はないのだという。
「葬儀は一生に一度きりだもの。お客様は葬儀に不慣れということも手伝って「花は見た目が美しい高価なものにしましょう、棺はより立派なものにしましょう、だって最後の孝行ですから」と囁けば、とても素直に頷くわ。料金に上限なんてないもの」
と、得意げに語ったル・ルーさんだけど、どう考えても悪徳業者の手口だ。
「云っておくけど、ちゃんとお客様の立場や収入をわきまえた額を提示しているわ。葬儀の豪華さと悲しみの度合いは比例しない。ささやかでも、真心を込めた葬儀にはそれだけの価値がある。だからうちは安易な値下げもしないし、不当に値をつり上げることもしない。葬儀屋は信頼第一のサービス業だもの」
相手の状況に見合った的確な料金提示と心を込めた葬儀。それが鳩の血社が支持される理由だろう。あと、ル・ルーさんの歯に衣着せぬ人柄も。
ぼくの仕事と云えば、新聞の記事をスクラップしたり、十時と三時のティータイムのためにお茶菓子(主にドーナツ)を買いに行ったり、屋敷の掃除や庭の手入れをしたりと……要は雑用係だ。だが社員であることに変わりはなく、給料も支給される。
そしてきょうは待ちに待った給料日。約束通り五ヶ月分を前借りし、百万ペルカを手に入れたぼくは、ル・ルーさんが留守なのを好機と捉え、買い出しついでに中央礼拝堂に寄った。
中央礼拝堂は国の中心にある、もっとも規模の大きな教会集合施設だ。広大な敷地の中に、それぞれ名前の違う礼拝堂が点在する。国葬や戴冠式があるときは、一万人を収容できる大聖堂が用いられるのだが、きょう訪れるのはどちらかと云えば小さい礼拝堂だ。
アルカナは月に一度、ここで順番にミサを行う。そこに百万ペルカを持参し、祝福を授かるのだ。
今月担当するアルカナがだれなのかは教会側に聞けばわかる。必ずしもアルカナの順番で行われるわけではなく、『皇帝』や『女帝』など、王位継承者しか受けられない祝福もあるので二十二人全員が現れるわけでもない。
だけどぼくは、敢えて今月担当するアルカナを確認しなかった。きょうはあくまでも様子見なのだ。ぼくが欲しいのは『星』であるアイリッシュちゃんの血だけ。アイリッシュちゃんがミサを行うのは再来月だ。その情報さえ知っていれば、他はどうでもいい。
正午の鐘の音を待って入場したぼくは、想像していたよりも少ない参列者に驚きながら通路を進んだ。柱のないアーチ状の教会に響く讃美歌。腰の曲がった老人や、体に異様な染みが浮き出た病者が、祭壇に向かって手を合わせていた。
祭壇には薄いカーテンが幾重にも敷かれ、奥に座るアルカナの姿を隠している。神聖で気高い存在なのだ。
「次の方、どうぞ」
列席者の椅子に座っていたぼくと、案内する司祭の目が合った。ぼくは見学に来ただけで、きょう祝福を受けるつもりはない。
他に待っている人がいるはずだからと視線を巡らせてみたものの、教会内にはすでにぼくだけになっていた。
「ち、ちがうんです。ぼくは見学で」
「つづいての信者さま、はい、こちらです」
待てというのに聞き入れてもらえず、ぼくは腕を引かれて祭壇へのあげられた。
「次の方、入ります」
ぼくひとりが入るためにカーテンが開けられた。背中を押され、もう逃げ道はない。
どうしよう。この際アルカナに謝って帰るしかない。
お金の問題もあるが、アルカナの祝福を二度受けることは忌避されている。罰則があるわけではないが、アルカナの象徴であるタロットは、ふたつやそれ以上になると意味が変化することから、ふたつ以上の祝福を受けると魂が捻じ曲がると信じられているのだ。それ以前に、アルカナに対して失礼な行為でもある。
ただし例外的に重複が許されるアルカナもあると聞いたことがある。
「どうぞこちらへ。信者さま」
複数のカーテンで閉めきられた中にさらに一枚、極薄の布が垂れ下げられていた。凛とした声はそこから聞こえる。アルカナの声だ。
そう思うと急に心臓がドキドキしてきた。荘厳な空気の中に、甘くしびれるような香り。
あぁこれが、アルカナの祝福なのか。
ぼくは飛び出しそうになる心臓をおさえながら、最後の布を払った。
「買い出しをサボるなんて、いい度胸ね」
唐突に投げかけられる、蔑みの声。うつむいていたぼくは反射的に顔を上げ、アルカナを直視してしまった。
金色の玉座で足を組んでいた少女は、癖のある黒髪を指先で撫でた。紫の瞳が、燃えるように輝いている。
「――――なんでここに、ル・ルーさんが?」
つい漏れた、本音。
「ばかね、なにを云っているの」
ふっと息が吐き出される。ル・ルーさんのように上品な人は、鼻で笑うのではなく肩で笑うのだ。ただ、ぼくを見下ろす眼差しは悪魔のようだ。
「わたしは『死に神』のアルカナだもの。ここにいるのは当然でしょう?」
「死に神の?」
「そうよ。知っていると思うけれど、二十二人の初代アルカナは、建国に際してそれぞれ異なる職業に就き、国を発展させたの。彼らにちなみ、アルカナは代々同じ職業を継承している。だから『死に神』のわたしは葬儀屋なのよ」
はぁ、と云ったきりぼくは言葉を失った。いろんな思いが脳裏に浮かぶ。ル・ルーさんは身を乗り出してぼくをにらんだ。
「……いま、なにか失礼なことを考えたでしょう?」
「いえ、そんなことないです、断じてないです」
我に返ったぼくは必死に頭を振った。なだらかな胸元やほっそりしたふくらはぎを見ながら「こんなに色気がないのにアルカナとして信仰を集められるのだろうか」と思っていたと気づかれてはならない。
決して。断じて。
ぼくの努力が功を奏したのか、ル・ルーさんは体を引いて背もたれに体重を預けた。戦闘態勢解除だ。ふぅ、危なかった。
「それで、なにしに来たの? まさか『死に神』の祝福が欲しいとでも?」
見学のため、とは口が裂けても云えない。
「えっと……鳩の血社の社員として職務をまっとうするための、後学として」
とっさの思いつきにしては及第点。だと思った。
「まぁ、すてきな心意気ね」
そう告げた瞬間のル・ルーさんの笑顔といったら。
悪女として名高いかの血の伯爵夫人さえすくみ上がるような壮絶な笑みだった。ぼくはたったいま、地雷の上でジャンプしたのだ。
「そんな勉強熱心な社員が買い物をサボるわけがないわね。疑ってごめんなさい。帰ったら、たーーっぷり勉強させてあげるわ。うふふ、覚悟しなさい」
ぼくの手の中から、百万ペルカの紙幣が滑り落ちていった。
なんていうかもう、泣きたかった。




