第84話 喫茶店「カルカナ」
そのうちに馬車の速度がゆっくりとなり、次第に止まる。ロバートは持参したつばのある帽子を深く被り、兄の後に馬車を下りた。
夏の風がふわりと顔に当たるのを感じる。暑くて、湿っぽい。
目の前には、こじんまりとした赤い煉瓦で造られた二階建ての店があり、その左側には大きな落葉樹が植えてあった。葉が鬱蒼としており、大地から店にかけて大きな影を作っている。
「じゃあ、カイン。一時間後に迎えに来てくれる?」
コンラートが頼むと、カインは少し心配そうな表情を浮かべた。
「……本当にお傍にいなくて大丈夫ですか? 初めてのお店ですし、一応近くにいたほうが……」
「気持ちは分かるけど、一緒の席に座るつもりはないんだろう?」
「そのようなことはできません。外で待っております」
「外にいたら店に迷惑がかかるだろう。他の貴族たちのフットマンたちが外にいないってことは、店に気遣っているんだと思うよ」
(そっか。お店に入るときは、フットマンも一緒なんだっけ)
ティナと古物商の「ハリル」に行ったときも、フットマンのレイモンドが付いて来ていた。
あのときのこと思い出すと、今でもちょっとレイモンドの態度にむっとした気持ちになる。
(……レイモンドは一緒に行ったことをいいことに、俺に文句を言いたかっただけだったんだろうけど、カインは違う。本当にコンラートのことを心配しているんだろうな……)
「大丈夫だって。もし、何かあったら店の電話を借りて別荘に連絡するから」
コンラートが念を押して言って、ようやくカインは引き下がった。
「……かしこまりました。その代わり、本当に必要なときは電話をしてくださいね」
兄は「分かっているよ」と答えると、カインが馭者台に乗ってその場を去るまで見送った。もしかすると、そうでもしないと居続ける可能性があったのかもしれない。
一方で、ロバートは別のことが気になっていた。
「お店に電話があるの?」
スイングラー家にもあるが、使ったことはない。高級そうで手は出せないというのもあるが、そもそもどうやって使ったらいいのかも分からないというのもある。
ただ、メイド長が「電話を使うと遠くの人ともお話できるのですよ」と言っていたことだけが頭に残っていて、すごいことができる機械なんだなとだけは思っていた。
「うん。最近は少しずつ電話線が通っていて、お店なんかには付いているところも出てきているんだよ」
「へぇ……」
「ロバートは使ったことはある?」
「ううん、ない。掛ける相手がいないし」
「だったら、今度は僕にかけてみてよ」
兄の要望に、ロバートは面倒くさそうに「えー……」と返事する。
「何、その嫌そうな顔」
「別に話すこともないし」
「なくてもいいんだよ。掛けてくれたら、僕が色々尋ねるから」
「だったら、コンラートから掛ければいいじゃないか。別荘にもあるんでしょう? それって本邸に電話を掛けられるってことじゃないの?」
「できるけど、クイーズリーとかが電話に出たら嫌なんだよ」
もしかすると、電話をしてクイーズリーが出ると、日常生活のことを根掘り葉掘り聞かれるのかと思った。それは嫌である。
しかし、コンラートには共感したことを言うつもりはない。
「よく分からないけど……、電話はしない」
「うーん……。まあ、しょうがないか」
二人は会話をしながら、店の中に入る。すると、若い女性が近づいて来て「いらっしゃいませ。二名さまですか?」と声を掛けてきた。
ロバートは慣れていないので、コンラートの背中に隠れながらやり取りを聞く。
「はい」
「では、席にご案内いたします。どうぞ」
「ロバート、行くよ」
「……うん」
店員の女性が「こちらにどうぞ」と案内してくれたのは、西側に窓がある場所だった。ちょうど外にあった木が影を作っていて程よく日よけになっている。
店員が一旦いなくなり、コンラートが出入り口が見えるほうに座ったため、ロバートはテーブルを挟んで向かい側に座った。
すると店の奥の様子が目に入った。そこでは小さなテーブルを挟んで向かい合って若い男たちが何かをやっている。
(何だろう?)
気になって見ていると、テーブルの上にあるものと男たちの手の動きで何をしているのかがはっきりと分かった。
(奥でやっているのって、もしかして……リブーム?)
するとそのとき、ロバートの視界を誰かが遮る。はっとして手前に視線を合わせると、店員の女性が戻ってきて水が入ったコップとメニュー表を持ってきてくれたようだった。
「何になさいますか?」
店員の問いに、コンラートがメニューを見ながら質問をする。
「ここでは、レイティルというお茶を扱っていると聞いたんだけど……」
「ございますよ」
「では、それを二つ。あと、フォルドレーネも二つお願いできるかな?」
「はい、大丈夫ですよ。では、準備でき次第、お持ちいたしますね」
「よろしく」
女性店員が手にしていた紙にメモをしたのち、メニューを回収して店のカウンターのほうへと移動する。
ロバートはそれを確認したあと、またすぐに店の奥に視線を戻した。




