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第30話 一つの見立て

 大陸歴一四〇七年四月二十四日


 夜の宿屋の一室には、共にバウムゼンを訪れた全員が集まっていた。


 机の上には灯りが一つだけ置かれ、その揺れる火が室内へ淡い陰影を落としている。昼間は人で賑わっていた街も、この部屋にまで喧騒を届けることはなく、外の音は扉の向こうへ押し留められているかのようだった。


 全員が揃ったことを確認すると、アルスは軽く頷きながら口を開く。


「さあ皆集まったことだし、どうマティアス。朝言っていた件は整理できたかな」


 問い掛けられたマティアスは、すぐには答えず懐から一枚の紙片を取り出した。


 指先で軽く折れ目を整え、内容を確かめるように視線を落とす。その仕草は、頭の中で纏めた考えを順序立てて説明するための準備にも見えた。


「はい。ある程度の推測が混じっていることはご容赦いただきたいのですが、それなりには纏められたかと思います」


 そう前置きしてから、静かに説明を始める。


「まず、拠点へ向かう道中で確認した点についてです」


 室内の視線が自然と集まる中、マティアスは紙片へ目を落としたまま続けた。


「街道から外れた森の中に、人が何度も通ったと思われる踏み跡が複数見受けられました。獣道のように一本へ繋がっている訳ではなく、あちらこちらへ点在する形で残されており、その残り方も不自然でした」


 マティアスは紙片を持つ手を少し動かす。


「また、そのうちの一つは、以前この地で遭遇した燃やされた馬車の現場とも比較的近い位置にありました。無論、それだけで両者を結び付けることは出来ませんが、偶然にしては少々出来過ぎているように感じられます」


 そこで一度紙片を持ち直した。


「次に、バウムゼンで得られた情報についてです」


 今日一日街を歩いて得た印象を整理するように言葉を続ける。


「この街は生産と流通の仕組みが非常によく整っております。農産物も工芸品も集まり、それらを各地へ送り出す仕組みも確立されている。外から見れば非常に豊かな街と言って差し支えないでしょう」


 そして少しだけ声を落とした。


「しかし、その豊かさを支える農民や職人たちの暮らしが、決して楽そうには見えませんでした」


 誰かが口を挟むことはない。


 今日見聞きしたものを思い返せば、その言葉に思い当たる節はあった。


「そして、人の踏み跡と、この街へ集まる生産物。その二つを繋げて考えた結果、一つの可能性が浮かびました」


 マティアスはそこで僅かに間を置く。


「――あの踏み跡の先には、寒村が存在している可能性が高い」


 部屋の空気が少し変わる。


 マティアスは構わず説明を続けた。


「そして、その寒村で暮らしが立ち行かなくなっているのであれば、人が外へ流れること自体は自然な流れです。仕事を求めて街へ向かう者も居るでしょうし、親類や知人を頼る者も居るでしょう」


 そこまでは誰もが想像出来る話だった。


 だが、その先が問題だった。


「しかし、それでも生きられない者が出た場合、食を得るための手段として旅人や荷馬車を襲う者が現れることも十分考えられます」


 それは断定ではない。


 あくまで推測である。


 だが、筋の通った推測だった。


「つまり――」


 そこで初めて紙片から目を離し、集まった全員を見回す。


「我々が山賊と呼んでいる者たちは、最初から山賊だったのではなく、食えなくなった村人たちなのかもしれません」


 その言葉が静かに落ちる。


 部屋の中にはすぐに返答が生まれなかった。


 誰もが今聞いた話を頭の中で組み立て直し、自分の知る情報と照らし合わせている。


 短い沈黙ではあったが、その沈黙には確かな重みがあった。


 そして最初に口を開いたのはアルスだった。


「普通の村人が、山賊稼ぎをする……そんなことがあり得るのか」


 疑問というより、自分の理解の外にあるものを確かめようとする声音だった。


 マティアスはすぐには答えず、紙片を指先で軽く押さえながら視線だけを僅かに上げる。


 その表情は、どこから説明すれば最も伝わるかを考えているようにも見えた。


 代わりに、横からクラウスが口を開いた。


「……この町のやり方であれば、起きても不思議ではありません」


 低く抑えた声だった。


 感情を交えることなく言い切られたその言葉には、長く現場を見てきた者特有の確信が滲んでいる。


「この町では、生産された物は基本的にすべて一度領主側へ集められ、市場を通して売られます。農民や職人が自分で売るのではなく、領地側がまとめて扱う仕組みです」


 クラウスはそう説明すると、一度言葉を区切った。


「そして、その売った量に対して販売手数料が差し引かれます。加えて税は収穫量ではなく、耕している土地に対して課せられる仕組みになっていました」


 部屋の者たちが黙って聞いていることを確認しながら、さらに続ける。


「例えば豊作の年であれば収穫量は増えます。しかし市場に物が溢れれば値段は下がる。収穫量が増えた分だけ売上が増えるとは限りません。その一方で、販売手数料は扱う量に応じて増えていくため、思ったほど手元には残らないでしょう」


 クラウスは指先で机を軽く叩きながら話を続けた。


「逆に不作の年は作物の値段こそ上がりますが、今度は売る物そのものが少ない。手数料は減るかもしれませんが、税は豊作時と同額を納めなければならないため、やはり苦しくなる」


 そして少しだけ眉を寄せる。


「ですが、本当に厄介なのはそこではありません」


 その言葉に、自然と皆の視線が集まった。


「バウム領では収穫物や生産物を手元へ残すことが、基本的に認められていないのです」


 静かな声だったが、その一言には重みがあった。


「麦を育てても、野菜を作っても、魚を獲っても、まずは全て回収される。自分や家族が食べる分であっても例外ではありません」


 クラウスはそこで一度言葉を切る。


「食べるためには、市場で買い戻さなければならない」


 説明を終えたクラウスは、それ以上余計な言葉を付け加えることなく口を閉じた。


 しかし、その一言だけで十分だった。


 部屋の中には、何とも言えない空気が広がっていた。


 アルスは視線を落としながら、今聞いた話を頭の中で組み立て直していく。


 畑を耕し、作物を育て、収穫する。


 だが収穫した物は全て持っていかれる。


 そして食べるためには、自分で作った物を改めて買い戻さなければならない。


 その仕組みを思い描いたところで、ようやく口を開いた。


「……なるほど」


 小さく呟いた後、さらに続ける。


「つまり、生産地であるにもかかわらず、食べる物が無いという状況が起こり得るわけか」


 その言葉には、これまで見えていなかったものが少しずつ形を持ち始めた感覚が滲んでいた。


 すると、ヴァルターが静かに口を開く。


「昔、そのような領地があるという話を聞いたことがあります」


 どこか遠い記憶を辿るような声音だった。


「収穫物を一括して管理することで、領地全体としては安定するのだと」


 そこで一度言葉を区切る。


「飢えた村が出れば買えば良い、不作の地域で有っても買えば良い。そうやって領地全体を維持するための仕組みだと聞きました。実際買う金が有るかどうかは知りませんが」


 ヴァルターは少し考えるように視線を伏せた。


「ミュラー領では違いましたからな」


 その言葉は静かだった。


「税は納めますが、収穫した物まで全て持っていかれることはありませんでした。だから当時は、そういうやり方もあるのだろうとしか思っていなかったのです」


 否定でも批判でもない。


 ただ、自分が知るやり方との違いを述べただけだった。


 ヴァルターはそれ以上語ることなく口を閉じる。


 部屋には再び沈黙が落ちた。


 ただし先ほどとは少し違う。


 最初の沈黙が「山賊の正体」という話の重さから生まれたものだとすれば、今の沈黙は、その正体へ至る理由が少しずつ見え始めたことで生まれたものだった。


 誰もまだ断言は出来ない。


 だが、街道の外に続いていた人の痕跡と、この町の仕組みとを並べてみれば、マティアスの見立てが単なる思いつきではないことだけは、皆にも分かり始めていた。


 その少し重くなりかけていた空気を崩したのはティムだった。


「……まぁ、そういうこともあるだろうな」


 どこか気の抜けた調子でそう言うと、椅子の背へ身体を預ける。


「飯が食えなくなりゃ、手段なんて選んでられねぇ奴も出てくる」


 そう言って肩を竦めた。


「綺麗事だけで腹は膨れねぇからな」


 身も蓋もない言葉だった。


 だが、それだけに妙な説得力がある。


 先程まで皆が考えていたのは制度の話だった。


 税の仕組み、市場の仕組み、生産物の流れ。


 ティムの言葉はそれらを一気に人の暮らしへと引き戻した。


 結局のところ、飯が食えなければ人は困る。


 困った人間が何をするかという話なのだ。


 その一言によって、張り詰めていた空気も少しだけ和らいだ。


 ティムはそのままアルスへ視線を向ける。


「で、どうするよ若」


 軽い調子のまま続けた。


「どうせ帰り道だ。途中でいくつか覗いてみるか?」


 提案というよりは、選択肢を一つ増やしただけのような言い方だった。


 アルスはすぐには答えなかった。


 一度だけ視線を落とし、先程から聞いていた話を頭の中で整理する。


 街道の外に残されていた人の痕跡。


 焼かれた馬車。


 山賊の可能性。


 そして、バウム領の仕組み。


 今までは別々の話だったものが、少しずつ一本の線で繋がり始めている。


 だが、それでもまだ分からないことの方が多かった。


 実際に寒村があるのか。


 そこにどのような人々が暮らしているのか。


 本当に生活に困った者たちが賊働きをしているのか。


 それとも別の理由があるのか。


 話を聞いただけでは、その先までは見えてこない。


 だからこそ、自分の目で見てみたいと思った。


「……そうだね」


 アルスは顔を上げる。


 そして、その場にいる皆の顔を見回した。


「話だけで決めつけるより、一度見てみた方が良さそうだ」


 それは大きな決断ではない。


 だが、知らないものを知ろうとする一歩ではあった。


 少なくともアルスの視線は、もう街の中だけではなく、その外へと向き始めていた。




 大陸歴一四〇七年四月二十五日


 昼の時間帯に差し掛かる頃、アルスとティムは再び酒場の前へと立っていた。


 昨日と同じ店であり、訪れた時間もほとんど変わらない。


 それにもかかわらず、扉の前に立った時に感じる空気はどこか違っていた。


 昨日は予定にない訪問だったため、相手がどのような反応を示すのかも分からず、何を話すことになるのかも見えないまま足を運んでいる。


 だが今日は違う。


 ディー自身が時間を空けておくと言い、こちらが来ることも承知した上で待っている。


 それだけの違いでしかないのだが、人というものは不思議なもので、分からないというだけで感じる重さは随分と変わるらしい。


 足を止める理由はどこにもなく、アルスは短く扉へ視線を向けると、そのまま迷うことなく手を掛けて押し開けた。


 軋む音と共に開いた店内には、昨日と同じく昼の静けさが広がっている。


 客の姿はなく、整えられた机と椅子が規則正しく並び、夜になれば賑わうであろう店も、今はその準備の時間を迎えているらしく、人の気配はありながらも落ち着いた空気に包まれていた。


 カウンターの奥では、ディーがすでに手を動かしている。


 磨いたグラスを棚へ戻し、酒樽の様子を確かめ、必要な道具を元の位置へ整えていくその動きには無駄がなく、長年同じ仕事を続けてきた者らしい手慣れた雰囲気があった。


 当然、二人が入ってきたことに気付いていないはずはない。


 それでもわざわざ手を止めることはせず、そのまま作業を続けながら視線だけをこちらへ向ける。


 そこに昨日のような警戒は見られなかった。


 何事かと様子を窺う目ではなく、来ると分かっていた相手を迎える側の余裕を含んだ視線である。


「来たか」


 短くそう言うと、ディーは最後にグラスを一つ磨き終え、それを棚へ戻してからようやく身体ごと二人へ向き直った。


「たまに表へ出てくると忙しいだろう。無駄話は無しにするか」


 そう言って肩を軽く回しながら続ける。


「話は一通りしておいた。俺の知る限りだがな」


 そこで小さく肩を竦めた。


「まずは会ってみろ。どう使うかは、その後で決めりゃいい」


 必要なことだけを伝える。


 昨日の話を繰り返すこともなければ、余計な前置きもない。


 ディーらしいと言えば、それまでだった。


「奥に揃ってる」


 口元にわずかな笑みを浮かべる。


「お行儀良く待ってるぜ」


 そう言って店の奥へ顎を向けるが、それ以上の説明は無かった。


 誰がいるのか。


 何人いるのか。


 どのような人間なのか。


 そういった情報を話す気は最初から無いらしい。


 アルスもそれ以上は聞かなかった。


 どうせ会えば分かる話であり、むしろここで先入観を持つ方が良くないようにも思えたからだ。


「……分かりました」


 短く返事をすると、アルスはディーが示した扉へと視線を向ける。


 その向こうには、これから話すことになる人々が待っている。


 ディーが自ら声を掛けた以上、少なくとも拠点に害を及ぼすような人物ではないのだろう。


 その点について疑ってはいない。


 だが、それだけだった。


 どのような人間なのか。


 何をしていた者たちなのか。


 なぜディーが声を掛けたのか。


 まだ何も知らない。


 期待はあった。


 同時に不安もあった。


 だが今ここで考えたところで答えが出る話ではなく、結局のところ会って話してみなければ何も始まらない。


 アルスは小さく息を吐くと、胸の内に残る曖昧な感情を一度脇へ押しやった。


 今考えるべきことは、その扉の向こう側にある。


 視線を上げる。


 そして迷うことなく奥へ歩き出した。


 扉の前で立ち止まり、取っ手へ手を掛ける。


 ディーが見繕った人間とは、一体どのような者たちなのだろうか。


 そんなことを考えながら、アルスは静かに扉を開いた。

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