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春宵一刻 暁桜 (前)

※注意※

ところどころ心臓に悪い描写があります。

心臓が弱い方はかなりドキドキします。

なるべく明るい部屋で。

出来れば日中、人の多い場所でどうぞ!

本当に心臓の弱い方はお気をつけ下さい。




サクラちゃん視点Ⅵ


「……も……しかして、アザレア……?」

「えっ」


 シオン様のか細い声に、魔女が劇的に反応した。

 彼と私には殺意を剥き出しだったというのに……。


 ――もしかして、シオン様には気付いてなかった? どうして……?

 けれど、おかげで少しだけ息が吸えるようになった。


「ま、さか……!」


 不意に、横から伸びて来た強い力に引っ張られて足元が宙に浮いた。あっ、と思った時には景色は塞がり、私の身体は誰かの支えで立っていた。


「まさかまさかまさか!」

「きゃっ」

「――ッ! 私としたことが! 失礼しましたわ!」


 後ろのほうでシオン様の悲鳴と先程とは雰囲気がまるで別人のような魔女のやり取りが聞こえていた。

 同時にどくどくと、思い出したように活き活きと心臓が脈打ち始める。まるで私を支え包む腕の暖かな体温に思わず安心して、動きを触発されたようだった。


「――大丈夫か」

「は、はい……」


 シオン様に聞かれない為なのか、顔の間近で囁くように聞かれ言葉に詰まった。……彼とこれほど顔を近付けて会話することなど今まで無かったからだろう。

 それと顔が妙に火照っている気がするのは、直前のこともあってまだ緊張しているせいかもしれない。


「助けて頂き、あ、ありがとうございました……」

「――気を付けろ。ノヴァが近くに居る限り殺されることはないだろうが、だからといって何も手出しされないというわけではない。決して油断するな」

「はい……面目もございません……」


 警戒したように魔女から私を庇う彼に、命の危険を感じ取って凌いだという急激な感覚の上下のせいか、今はうるさく脈打っていた心臓を落ち着けるために深呼吸をして気持ちを切り替えた。

 ――大丈夫。最期までシオン様を近くでお守りするって決めたのだから。


 毎回彼やシオン様に頼って庇われて、それで安心していてはただの足手まとい。

 それではこの先、シオン様をお守りするだなんて到底出来はしない。


「――では、ご友人と共に()()()()屋敷へご案内しますわ。シオン様」

「ええ、頼みます。アザレア」


 シオン様にアザレアと呼ばれた魔女は、彼に一瞥をくれることもなく最初とは打って変わって非常ににこやかな笑みで私とシオン様を屋敷へと案内をした。

 彼もシオン様も特にそのことに何かを言うわけでもなく、その場であっさりと彼を置いて別れてしまった。


 別れ際、振り返ってみた彼の視線は静かに真っ直ぐ私とシオン様を捉えて何かを確認しているようだった――。


 そうして案内された屋敷で、まるで殺意を向けていた事など初めから無かったかのように敵意も何も向けられることはなく、むしろ出迎えた魔女たちがあからさまに好意的な雰囲気を纏うその姿に薄ら寒いものを感じてシオン様の近くを出来るだけ離れないように気を付けた。

 ――確かに笑っているのに、その笑みがどれも不気味で恐ろしいものに見えてしまうのは目の錯覚か、はたまた先入観のせいなのか。


 案内された部屋は、見た事がないほど多くの美しいドレスが置かれており、そのどれもが私の為に急遽用意されたものだという。

 ……心の底から素直に喜べないのは、先程からシオン様を引き合いに出して牽制をされていると感じるからかもしれない。


 あからさまに「シオン様が居なければお前など」と言われている気がするのはきっと気のせいではない。それと彼の存在も抑止力になっているのが魔女の言葉の端々から感じ取れた。

 長い空の旅でお疲れのせいなのか、幸いシオン様はうつらうつらして聞き流しているようだったが、こうも堂々と殺気の無い殺意をほのめかされるとは思っていなかった。

 ごくり、と自然と喉は渇いていた。


「はい! 是非、アザレア様にお願いしたいです! それに、こんなことを言っていいか分かりませんが、あんなに素敵なドレスや宝石で着飾って頂けるなんて、夢みたいです!」


 うつらうつらとしながらも、気遣うように私を見つめるシオン様をこれ以上心配させない為に、本心を混ぜて笑顔で答えた。

 ……私の声は、震えて聞こえてなかっただろうか。


「あら。嬉しいことを言ってくれますわね。――ならばその分、一層力を入れて仕立てましょう。こちらへ」

「よろしくお願いします!」


 私の全てを観察するように目を眇めた魔女に、震える身体を悟られぬように笑顔で手を差し出した。

 ――後ろでシオン様がぐらり、と身体を傾け意識を落とした音がした。


「魔女を信用するなとでも言われた?」

「何のことでしょうか?」


 途端、魔女は薄っすらと浮かべていた不気味な笑みを引っ込めて無表情で私を見下ろした。

 その瞳の奥は、先程の笑み以上に不気味なほど恐ろしくも何の感情も浮かんではいなかった。


「そうね。それが正解よ。――あなたの死に様なんて、どうでもいいことだもの」

「――――」


 まるで脈略の無い会話。自問自答のようで。

 ……けれど、言いたいことは伝わっていた。


「――けれど、理解していて? 陛下を封じた魔女も魔女。所詮、どこまでいっても奥底の本質は全くの同類そのものなのよ」

「……どういう意味でしょうか?」


 ……確かにミル様は修行の過程で情け容赦なかったけれど、とても根がお優しい方なのは短い間でも一緒に過ごして分かっていた。

 それをまるでミル様が私を殺そうとする魔女たちと同じ、みたいに言うなんて――。


「勘違いしないでほしいのだけど――」

「ガッ……」


 細い腕のどこにそんな力があるのか、私は気付けば片手で首ごと身体を宙へ軽々と持ち上げられていた。

 反射的に首を掴まれた手を外そうと全身で必死に足掻いても、まるでびくともしなかった。私はずっと油断していたわけではなかった。

 それなのに――何も、見えなかった……ッ!


「察しの悪い子に私はそれほど親切ではないの。――特に。たかが陛下に偶然選ばれた器というだけの分際で、与えられるのを待つばかりで己の分を弁えない無知蒙昧な愚民に施す慈悲は持ち合わせてはいないのよ」


 的確に私の首の急所を掴む手に、伸びる腕に両手で縋り付いて剥がそうと必死で足掻く。

 その間も、淡々と魔女が私に聞かせるつもりなのか定かでない言葉を紡いでいた。


「それに、確かに私は陛下に縛られているのよ。きっと、煩わしいだけの鎖を引きちぎれるだけの力もない私は、鎖を裂けた者以下なのでしょうね――けれど、だからそれがどうだというの?」


 少しづつ、少しづつ。じっくりと首が締め上げられていく。


「檻から逃げた出した獣は結局、得たかったものを得ることはまかりならず無為に失うだけ。その上、滑稽にも背を向けた主の慈悲に縋って零落し、浅ましくも生き永らえようと醜く足掻くしか出来ることはない。だから結局は飼い慣らされ躾られた家畜以下の獣の軟弱な牙にも劣る、という結末がこの世の理の全てなのよ」

「ッハ……」


 口の端から零れる涎を気にすることも、魔女の言葉の意味を考える余裕も芽生えない。

 ただただ苦しい。瞬間的な痛みよりも、持続的な痛みのほうがより苦しみを深めるだけだと、身をもって感じていた。


「――苦しい? 痛い? この程度で全くもって軟弱な器ね。まったく、恥を知らないのかしら」


 ゴリゴリと爪が首の脈に食い込んで、一気に思考が回らなくなる。

 意識が、遠のく――。


「――お前如きがシオン様の寵愛を受けるなど、甚だ図々しいとは思わない?」

「――ゴハ、ァッ」


 唐突に始まった苦しみは、突如として苦しみを与えていたはずの魔女自身が理由もなく解放してくれたことによって生理的な涙を残し、終わった。

 途絶えていた息を精一杯に吸い込んで、すぐにどうして助かったのかと疑問が浮かんだ。


「――シオン様の慈愛を享受出来る、お前の幸運を感謝なさい」

「は、ぁ、はぁ……」


 それだけを言い残し、魔女はシオン様をどこかへ運んで消えてしまった。……なんだったんだろう、今のは。お説教……?

 だって、最初から殺すつもりだったならきっと私は魔女の動きが見えてなかった時点で死んでいたはずだから。


 ――なのに、私は生きている。絶好の機会だったはずなのに。


 易々と死ぬつもりはなかったし、油断もしていなかった。――けれど、そんな決意など考慮に値しないほどの格差が、確かに存在していた。

 飛び飛びの意識で聞き取った言葉を思い返して、どうにも言葉だけなら始終お説教をされて終わっただけだったような……それにしては半殺しと言えないまでもかなり本気の殺意で首を締められた感覚もあった。

 ……とりあえず言動の意味や意図、その真意はまるで分からなくとも、私がまだ()()()()殺されないということだけは身をもって理解出来た。


 ◇◆◇◆◇


 カチ、カチ、カチ、カチ、――。


 柱時計の針の音が規則正しく響く豪奢な部屋の、天蓋付きの寝台で私は仰向けに眠りについていた。

 ここは屋敷にある客室のひとつで、今夜はここに泊るようにと案内された部屋であった。


 カチ、カチ、カチ、カチ、――。


 緊張の連続で固まっていた身体も、寝台の上でまではいつまでも続かない。ひとまず安心というほどではなくとも、ここではまだ殺されないということが実感として湧いて来て、ようやく眠気も訪れていた頃。


 カチ、カチ、カチ、カチ、――。


 ――ふと。何かの気配を感じたような気がして、重くなり始めていた瞼に逆らうように薄目を開けて周囲の様子を窺った。

 けれど、どれだけ探そうとどこにも何も見つからなかった。


 カチ、カチ、カチ、カチ、――。


 ……気のせいだった? 本当に?


 カチ、カチ、カチ、カチ、――ガバッ!


「……だれかいるの?」


 カチ、カチ、カチ、カチ、――。


 自分で考えていたよりもまだ神経質になっていたのか、もしかしたらと思って声を掛け、それに反応しないかともう一度部屋の中や出来る限りの範囲で周辺の気配を探った。


 カチ、カチ、カチ、カチ、――。


 ……けれど、やはり薄っすらと月明かりだけが差し込む仄暗い部屋の中には、怪しい気配も影も見当たらなかった。


 カチ、カチ、カチ、カチ、――。


「…………」


 カチ、カチ、カチ、カチ、――。


 ……やはり、ただ神経質になっていただけ?

 妙な胸騒ぎを覚えつつも、疲れた身体を今度こそ休めるために寝台に戻し、布団を被って寝る態勢に戻った。


 カチ、カチ、カチ、カチ、――。


 ……そういえば、妙に針の音が耳に付く。

 今は何時になった頃合いだろうか。


 カチ、カチ、カチ、カチ、ゴーン、ゴ――。


 ちょうど針が重なったのか、時計の鐘が暗闇に厳かに鳴り響いた。

 私は時間を確認しようと時計のある方向に顔を向け――。


「――ひッ」


 ――目が合った。


 カチ、カチ、カチ、カチ、――。


 寝台に()()()を乗せ、瞳孔を完全に開ききった目と間近で目と目が合った。


「――――」


 カチ、カチ、カチ、カチ、――。


 まるで全身が痺れてしまったかのように、動いて視線を逸らすことも、悲鳴で大声を出すことすらままならない。


 カチ、カチ、カチ、カチ、――。


 唯一どくどくと動くのは早鐘のように鳴り響く心臓の音だけで、それ以外は時が止まってしまったかのように動かない。


 カチ、カチ、カチ、カチ、――。


「ぁ、――」


 やがて短い呼吸だけが戻ってきて、忘れていた瞬きが恋しいように瞳は潤んで視界を歪ませた。

 ――私だ。()()頭だった。


 カチ、カチ、カチ、カチ、――。


 規則正しい針の音。それだけが現実みを帯びていて、より目の前の非現実を強調させていた。


 カチ、カチ、カチ、カチ、――。


 これは夢現に見てる悪夢だと、途中で気付いた。けれど、果たしてこんなに生々しい悪夢があるのだろうか。


 カチ、カチ、カチ、カチ、――。


 既に生気の無い顔はまるで、この先の私に何が起こるかの暗示のようで。

 ……とてもただの悪夢として片付けるにはあまりに生々しかった。


 カチ、カチ、カチ、カチ、――。


 それに何故だか感覚までも共有しているかのように息苦しくて仕方がない。

 激しく鳴る鼓動だけが唯一生きているという実感で――。


 カチ、カチ、カチ、カチ、――。


 無言の私と見つめ合ったままでいると、だんだん思考はぼんやりしてきて私は――。


「――ハァッ!」


 カチ、カチ、カチ、カチ、――。


 夢の中では開いていたはずの目を現実で強引にこじ開けて、私は生々しいほどに恐ろしい悪夢から無理やり逃れた。


 カチ、カチ、カチ、カチ、――。


 起きてすぐに思わず周囲を見回して確認したが、――何者の気配も、悪夢で見た私の頭らしき物体も、何も見当たらなかった。


「……はぁはぁ」


 カチ、カチ、カチ、カチ、――。


 ……ただの夢のはずなのに、悪夢の中で視界が暗闇に染まっていく感覚は本物のそれそのものであった。

 そのせいなのか、乱れた息と鼓動がいつまでも落ち着かない。


 カチ、カチ、カチ、カチ、――。


 額から頬を流れるように伝った汗に気付いて、今しがた見た悪夢の恐ろしさを思い出して身震いした。


 カチ、カチ、カチ、カチ、――。


 そろそろ夏がやってくる影響で夜も温暖になりつつあるのに、まるで真逆の極寒の只中にいたかのように身体の芯から底知れないほどの寒さを感じていた。


 カチ、カチ、カチ、カチ、――。


 ……いつの間にか全身に汗をかいてしまったせいで、単純に冷えてしまっただけなのかもしれないけれど。


 カチ、カチ、カチ、カチ、――。


 それこそ身体の無意識の反応が自然とそうなるほど生々しく、あまりに恐ろしい悪夢だったからなのだろう。


 カチ、カチ、カチ、カチ、――。


「――――」


 ちらり、と。今度こそ何事もなく確認出来た時計の針は、まだ深夜を指し示していた。

 寝台の横に備え付けてあった机の上から水差しを取り、カップに水を注いで喉を潤す。


 カチ、カチ、カチ、カチ、――。


 常温の水を飲んだおかげなのか、未だに五月蠅く鳴り続けていた鼓動の音は多少治まってくれた。

 ……きっと緊張で張り詰めていた影響で悪夢を見てしまったのだろう。


 カチ、カチ、カチ、カチ、――。


 息と鼓動が落ち着いて思考がだんだんと冷静になってくると、そういう結論に至った。


 カチ、カチ、カチ、カチ、――。


 悪夢を見た直後のせいなのか、どうにも再び眠るのにはわずかながら心の抵抗があった。


 カチ、カチ、カチ、カチ、――。


 それでも身体だけでも休めなければならないと水差しを元の場所に戻し、改めて寝台に無理やり横になる。


 カチ、カチ、カチ、カチ、――。


 そうして気休めの為に比較的明るい、薄闇に月明かりが差し込むバルコニーのほうへ身体を向けて――固まった。


 カチ、カチ、カチ、カチ、――カチャリ。


『起こしてしまったようですね』


 彼女が、そこに居た。


『私は()()封じられています』


 バルコニーに設置されているお茶会用だろう場所に、先程までは何もなかったはずなのに優雅に菓子をつまみ、薄闇に昇る茶の香りを楽しむように過ごす彼女の――ディアスキアの姿があった。


「――――」


 カチ、カチ、カチ、カチ、――。


 私が咄嗟に浮かんでしまった疑問が出てしまう前に先に答えてしまった彼女は、当然のことのように会話を続けた。


『あなたの知りたかったことは、もうすぐ分かることでしょう』

「――――」


 カチ、カチ、カチ、カチ、――。


『――悪夢に取り憑かれる代わりに』


 瞬きの間に、それだけを言い残して彼女の姿は消えた。


 ◇◆◇◆◇


 ……あまり眠れなかった。


 悪夢を見たこともそうだったけれど、その前に聞いたミル様のこと、なにより――わざわざ彼女が昨夜現れ、私に残した言葉が気になってとても眠りにつける状態ではなかったのだ。


「――私も最初は付き添いましょう」

「かしこまりました」


 用意されていた薄紫色のドレスに袖を通し、最後の微調整を終わらせていく。

 ここは魔女の巣窟。昨日のこともあって触れられるたび、近寄られるたびに反射的に身体を強張らせてしまう。

 けれど、どれほど薄ら寒い雰囲気であっても表面上は誰も私を気にしていないように振る舞っていた。


 ――まるで私の存在そのものを無視しようとするように。

 シオン様がお傍に居た時とは打って変わって、誰も彼もが無感情な顔で無言の作業を続けていた。


「――それで充分よ」


 ある程度調整が終わったと判断したのか、その声に作業の手を止めた魔女達が裁縫道具の片づけと同時に仮面の準備を始めた。


「必要なら貸すけれど」


 ――あなたには必要なさそうね。


 という続きの声が眇めた眼差しの奥から聞こえた気がした。

 ……ミル様に持たされた仮面、バレてるみたい。


「……お心遣いに感謝致します」

「そう」


 それだけで、一瞬の間に何かの魔法を発動させたのか用意された仮面が一斉に塵に返ってどこかへと舞い散ってしまった。


「――それも正解よ」


 それ()……?


 満足そうに言い添え、そのまま魔女たちは去って行ってしまった。

 残された私はその後すぐにシオン様と合流し、会場へ向かう時間が来るまでの全てを傍で準備に費やした――。


 ◇◆◇◆◇


「あら? ついたようですわね。では手筈通りに」

「はい!」


 先に降りた彼の手を借りて、夜闇に輝く美麗な城の前に足を踏み入れた。

 彼の美しさにどよめく周囲を気にする余裕は無く、あるのは今更ながら貴族の世界にまで踏み込んでしまったという実感と緊張だけであった。


 勿論。孤児院に居た時よりもいつどこで命の危機があるか予想が付かない緊張、というのもあるけれど……そもそもそれは私が自ら今回の同行を志願したから命を狙われるわけではなく、元から命を狙われているのだから回避出来ないこと。

 むしろ、おかげで実際に魔女達と間近で接することで自分がいかに甘く考えていたかを認識出来た。


 どれほどの薄氷の上で私の小さな命が存在しているのかを、これでもかと身をもって理解することが出来たのだ。

 ――だからこそ、悔いの無いようにシオン様の為に何かしたい、お役に立ちたい、という想いが日に日に増していく。

 ……私が望むことは、愚かな選択なのかもしれない。


 たとえ、ずっとミル様の傍でただ守られていたほうが遥かに生き永らえられる賢い選択なのだとしても。

 たとえ、自ら率先して寿命を縮める危険に無意味に身を晒すだけの身勝手で愚かな望みを優先しただけの、ただの自己満足の愚行であろうとも――この選択自体に悔いはまるで無い。


 それにシオン様のお役に立ちたいという想いと同じくらい、危険を冒してでも彼女の真実を知る機会を逃したくないという気持ちに変わりはないのだから、――まずは、果たすべき役割を果たす。

 私は女避け。私は女避け。私は女避け。私は女避――。


「――案ずるな。俺がお前を守る」

「はいっ……? い、いえ! 私こそお役に立つように努めます!」

「……そうか」


 私が緊張していることを気遣ってくれたのか、彼が珍しく気安い冗談の言葉を掛けてくれた。

 最初の出会いから一方的な関係で、監視されて都合よく利用されるだけの、いざとなればあっさり殺されるだろう程度の身で烏滸がましいのかもしれないけれど……。

 ……今回のことで少しだけ彼と仲良くなれたようでほのかに嬉しくなった。


「まあまあまあ!」

「そこをお退きなさいな!」


 ――なんて。どこか妙にくすぐったい気持ちになれたのも束の間、一歩進むたびに私と彼の周囲がとんでもない人混みの波で埋もれていく。

 すごーい……。


「臭い……」


 片手は私の手を掴み、もう片手を私の腰に回してエスコトートしながら、今にも鼻を摘まみたそうに鼻に皺を寄せる彼の不機嫌な顔に仮面の下で苦笑が漏れた。

 ……確かに、仮面越しでも分かるほどに酷い香水の匂いだ。


 ひとつひとつはさほど気にならなくとも、こうも密集してしまうと多種多様な匂いが混じり合っていてはどんな匂いも香しく感じなくなる。

 ……もしかして私も匂ってて臭い?


「――デルカンダシア辺境伯家御長子、アスター・ソル=デルカンダシア殿。およびご婚約者殿、入場!」


 すんすん、とさりげなく自身に漂う香りを確認しようとしたものの、こんな煌びやかな場所で庶民丸出しの大胆さで腕を動かしてまで匂いを嗅いで確認する勇気はなく――。

 結局、中途半端に顎を引いて胸元を見下ろしただけに動きは留まってしまい……周囲の強烈な香りの混ざり合いのせいでイマイチ自身が臭いかどうかは分からなかった。


 ――と、私の様子に目敏く気付いたのか。

 彼は私の露わになっている鎖骨の辺りへとさりげなく顔を寄せると、これぞまさに貴族らしいと誰もが納得するだろう上品な動作で匂いを嗅ぎ、かと思えばそのまま私の耳元に顔を寄せて小声で囁いた。


「……お前は洗い立てに香る、陽だまりの匂いがする」


 陽だまりの匂い。

 ……とりあえず、そこまで悪い表現ではない気がする。


 仮面越しに近寄られると細かい表情まではよく見えないから、その解釈が合っているかの自信はないけれど。

 ……そんなに臭わない、もしくは気にならない、ということで良いのだろうか?


「……ありがとうございます?」


 貴族の言葉の表現は難しくてまだよく分からないから、返す反応に困ってとりあえずのお礼を述べるに留めた。

 特に間違ってはいなかったようで、彼はそのまま頷いて歩みを進めたけれど、歩けば歩くほどに周囲の人波はむしろ増える一方であった。


「――踊るぞ」

「えっ、」


 そうして会場に入ってからというもの、一体どこへ向かっているのかも分からないまま歩き続けていたのに、唐突に立ち止まった彼の言葉に驚く間もなく、気付けば自然と向かい合って踊る体勢に動かされていた。

 内心焦る私をよそに、あからさまに私たちがお互いに向かい合ったことで踊ろうとしていることを察したのか、いつまでもしつこく追いかけて周囲でこちらを伺っていた大波が途端、一様に引くように離れる気配がした。

 引き際が鮮やかで……す、すごい!


「始まるぞ」

「あっ……」


 などと、貴族たちの優雅で美麗な所作にいちいち感心している場合ではなかった。私は貴族の出ではないから、もちろん踊りなどの教育は受けていない。つまり、いきなり優雅に踊れるわけがない。

 ……横で立っているだけ、という言葉の意味をそのまま受け取ってしまった自身の浅はかさが呪わしい。考えればすぐ分かることだったのに。


「……ぅっ」


 私が踊れないだけならまだしも、こんなところで私の見様見真似で明らかに稚拙で無様な踊りのせいで彼にまで恥をかかせるようなことになれば役立つどころかただの足手まといである。

 なんとか周囲の動きを盗み見て合わせようと必死に足を動かすけれど、少しでも大きな動きでドレスが翻れば拙い足取りは丸分かりであった。


「――俺を見ろ」

「でっ、ですがっ!」


 見かねたのか呆れたのか、彼がふらふら視線をみっともなく周囲に彷徨わせる私を注意した。けれど、それに従ったのでは私の変な動きで彼に恥をかかせてしまうかもしれない。

 ――と。彼が急に私の腰を強引に引き寄せた。


「――俺だけ見てろ」


 腰を引かれた拍子に密着し、仮面越しに重なってしまった視線が彼の命令する言葉に反射的に従って離せなくなった。

 ……不思議なことに、彼を見上げ続けているというのに無様に足がもつれる気配がない。


「俺に身を委ね、全てを任せろ」

「……はい」


 周囲に合わせようと強張っていた身体の緊張を解いて、言われた通りに全身を彼に委ねるように力を抜いた。

 すると、どうだろう。まるで魔法でも使ってるかのように彼にされるがままに私は誰よりも華麗に踊れていた。

 ……楽しい。


「楽しいか?」

「はい! ……あっ」


 ふ、と彼が今日初めて淡い笑みを浮かべた。


「……これは、どうやってるんですか?」

「力の流れを正しい位置へ導くのに余計な力みは要らない」


 と、言葉と共に彼が視線や手で分かりやすく次の足の移動先へと誘導する仕草を私へ見せて、思わずそれに反応して動いてしまった身体をまるで私の意思かのように自然と誘導して動かしてみせる。

 そのままくるり、くるり、と私を回しながら「戦闘での駆け引きと同じだ」と言いながら一度彼の腕の外側、遠くのほうにやって、次の瞬間には魔法のように私を正面で向かい合う体勢へと無理なく自然に戻して見せた。


「相手の流れを誘導出来れば、容易く望む通りに動かせる」

「ほえぇ……」


 すごーい……。

 何をどうやってるのかは、正直あまりよく分からなかったけれど。

 ごくごく自然に凄いことをしているのだということだけは分かった。


「……すまなかった」

「えっ、何がですかっ?」


 途切れた会話も気にならず、彼に動かされるまま初めての踊りを大いに楽しんでいると、何故か彼から突然謝られてしまった。

 ……咄嗟に思い当たることが多すぎて、まるで分からないけれど。


「何度も殺そうとした」

「あ、あぁ……いえ」


 あまりに言葉が直球だったために、またしても反応に困ってしまった。

 真っ直ぐに飾らない言葉だからこそ、本心であると分かるけれど。


「すまなかった」

「…………」


 ちょうど曲が終わり、お互いに礼をとったことにホッとしてしまった。

 ……こんな時に言わなくても。


「――楽しんでいますか」


 礼をとったままの態勢で私たちの間に漂う気まずい雰囲気を気にしてか気にせずか、不意に不躾な声が掛けられた。

 すぐに付け焼刃である最上の貴族の礼をとったのは、明らかに相手がやんごとなく高貴な身分を隠そうともしていないからであった。


「――踊り終わったところだ」

「無礼なのは相変わらずのようですね」

「本日は仮面舞踏会なので」

「屁理屈ですか。ルドベキアにもそのくらいの知恵を使ってくれると良かったのですけれど」


 クスクスクス、と。上品に手を口元に添えて笑う少女は美しい金の髪を複雑に結い上げ編み込んでいて、目元を隠す薄い白の紗をひらひらと揺らめかせていた。

 礼で頭を下げる直前に、紗の向こうに薄っすらと見えた瞼は完全に閉じていて、杖を持っていることからも彼女が盲目かもしれないということを自然と推測した。


 その美しい立ち姿は仮面舞踏会で美しく派手に着飾った貴婦人たちをものともせず、全身を白で統一した皺ひとつ見当たらないドレスは浮世離れした近づきがたく高貴な雰囲気を著しく後押ししていた。

 ……なんて神秘的で綺麗なひとだろう。


「――その子があなたの婚約者ですか」


 不意に、降り注ぐ視線を感じて思わず縮こまった。

 ……彼女に見られているというだけで、不思議な圧迫感があった。


『――――』

「えっ」


 聞こえた言葉に思わず許しを待たずに顔を上げ、彼女を見た時にはすでにこの場から歩き去ろうとしているところで――。


「待っ――」


 ふら、と足元が崩れるような錯覚にあっ、と思う間もなく彼の腕の中に倒れ込んでいた。


「大丈夫か!?」

「は、い……」


 ぐらぐらぐら。

 天地が揺らいで、上下が分からなくなる。


「突然どうしたんだ」

「め、まいが……」


 急に、どうして……。


「……近くに休憩室がある。そこまで辛抱しろ」

「は、い……おてす、う、おかけ……」

「喋るな、俺に掴まってろ」


 彼の言葉に甘え、ふらつく身体を支えてもらいながら会場に隣接されている休憩室を目指して二人で移動した。

 休憩室に到着して、それから朧気に誰かと言い争うような彼の声が聞こえたものの、それから暫くして気付けば休憩室の中には私だけになって、それで――いつの間にか完全な静寂に包まれてしまっていた。

 徐々に意識が朦朧とし始めているせいで、全ての感覚が曖昧になっていく。


 カチ、カチ、カチ、カチ、――。


 ……ああ、休憩の為に用意された部屋にも柱時計があったんだ。


 カチ、カチ、カチ、カチ、――。


 似たような針の音に触発されたのか、否が応でも直近に見た悪夢の記憶が想い出された。

 嫌な記憶。早く忘れたい……。


 カチ、カチ、カチ、カチ、――。


 それにしても、どうして時計の針の音だけが鮮明に聞こえて……。


「いたっ」


 浮かんだ疑問を考える隙を与えないようにか、ちり、とした感覚を首筋に感じた。

 鈍くなった感覚の中で虫にでも刺されたのか、と不思議に思ってうなじをそっと撫で――。


 カチ、カチ、カチ、カチ、――ミチ。


「あ゛」


 ミチミチミチミチミチミチミチミチミチミチ――。


「ああああああああああああああああああ゛ッッッ」


 ミチミチミチミチミチミチミチミチミチミチ――。


 窮屈な中から何かが這い出ようとするかのように、背中が不吉な軋みの音を上げた。

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