春爛漫 桜小紋
サクラちゃん視点
「――勘違い、ではなかったようだ」
冷徹なまでに冷え冷えと見下し怒り狂う赤を見上げ、淡々と答えた。
「『――やはり誤魔化されてくれませんでしたか。非常に残念です』」
微塵も残念、とは思っていないというのは声音から感じ取れた。
むしろ想定内であったかのようにどこまでいっても平坦な声だった。
それは聞いたことのある、聞いたことの無い声、だった。
「『激憤のところ恐縮ですが、私と取引しませんか――』」
恐縮……?
それは、一見して命がけとは思えない程に静かな交渉の始まりだった。
私は他人事のように、それを眺めているだけだった。
◇◆◇◆◇
――あっちへ行ってはいけない。
――ここは右へ行ったほうがいいよ。
――あの子が隠し持っていたみたいだ。
いつからだったのか、物心つく幼い頃から見えない声が私には聞こえていた。
その声に従うと、私にとっては大抵良い事や都合の良い事が起きた。
たまに厄介な事物に巻き込まれることもあったけど、殆どは最も危険から遠ざかる行動に繋がっていた。
ある時、ふと声に逆らってみようと思った。気まぐれだった。
――だめだ。
――ちゃんと聞かないと。
――従ったほうがいい。
途端、息苦しいまでの圧迫が全身を襲い、思考が強烈な痛みで吹っ飛んだ。
方々から批難するけたたましい群声に、感覚器官が激しく乱れた。
立っているのか座っているのか倒れているのか、急に全てから放り出されてしまったように悍ましいまでの虚無。
無我夢中で声に従う素振りを見せようと苦心すると、永遠とも言える恐怖が唐突に終わり、何かに満足したように身体の自由を取り戻した。
――二度と、声に逆らおうと考えることは無かった。
「――君、大丈夫?」
――そのまま、有り難く手を貸してもらおう。
――ううん、大丈夫ですってだけお礼言えばいいよ。
――違う違う、何も言わずに逃げたほうがいい。
ああ、どうしてこんなことに。
魔法に関しては世界一と憚らない、おとぎの魔女が住まうとまことしやかに囁かれる、シネラリア王国の王立シネラリア学園に通えるように頑張った甲斐があったと、校門で感慨にふけっていたところをどこから現れたのか、急に勢いよく通りがかった女子生徒達の群衆に押し出されて派手に転んだのはつい、先程。
転ばされたのはこちらなのに、何故か睨まれている状況の元凶と思われるきらきらしい集団の先頭にいた、明らかに貴族、それも高位のと思われる華麗な男子生徒に穏やかに心配の声を掛けられた。
――選択の時だった。
「だ、大丈夫です! あ、ありがとうございますっ」
一番マシだと思われる行動を取るべく、慌てて立ち上がってお礼を言った。
そのまま、まだ何か強制されるかとビクビク怯えていたものの、周囲を要塞のように陣取っていた女子生徒達がすぐさま割り込んで来てくれたので、思ったよりも呆気なく集団から押し出されて難を逃れた。
たまに、助言するような声ではなく強制する声を聞くことがある。
その場合、全ての選択が終わるまでは自由意志では動けない。今回は一回だけで終わったから良かったけど、多い時は連続で休む間もなく短時間での選択を何度も迫られることがあった。
この選択の時以上の苦痛を感じることは、ない。
「きゃっ!」
苦痛からくる疲れと、幸先の悪いはじまりに足元を疎かにしていると、目前へ急にいくつもの足元が見えて慌てて立ち止まって顔を上げることとなった。
こちらが何をしたというのか、物凄い目つきでこちらを睨むさまは、まるで親の仇かのようであった。
――マズイ。と、声ではなく持ち前の直感が囁く。
先程は在校生集団のようだったけど、こちらは同じ新入生の女子生徒たちのようだった。
しかも、おそらくまたしても貴族の――。
「おまえ、下民、待ちなさいな」
マズイ、また来る!
――無視でいい、無視で。
――下民として、優雅に挨拶してあげなよ。
――いやいや、もっかい逃げれば?
「その所作、まるでなってない」
――無視でいい、無視で。
――はやく、名前を教えてあげないとね。
――もう逃げちゃ、……。
「わ、私――?」
「……どうやら下民には意味が通じないようね」
……?
唐突に、声は止んだ。
「あなた、どこの出身かしら?」
……。選択が、来ない――ッ!?
先程の選択肢のおかげでもあるけど、どうやら、遠回しに名前を聞かれているのだと言葉の意味を察することが出来た。
けれど、蔑んだ目で見られたところで今はそれどころではなかった。
う、動ける!
選択肢は聞こえ無いけど、まだどれにも従っていないのに何故か直感的に自分の意思で動けそうだと分かったのは予想外だった。
初めての現象に、思わず目を白黒させて無難な答えを咄嗟にはじき出そうと久々に頭を使う。
「く、クローバー、です」
「「「クローバー?」」」
ま、まだ動ける! なんで!?
おそらく、今までに求められてきている選択とは違うだろう答えをしてしまい、言った後で身構えた。
のに、未だに身体の自由意志は奪われることなく存在していた。
よく分からないけど、この場から無難に立ち去れるのは今しかないとは理解出来た。
いつまた意思を奪われるか分からない焦りからか、上ずった声で口早で久しぶりの意思を伝える。
「あ、あの。失礼しますっ」
「「「あ!」」」
入学式の最中でも、おかしなことが起きていた。
「あなたたち名前は? わたしミーナ。一応、今は男爵令嬢だけど、正式な貴族には最近成ったばかりで元々庶民出身なの。周りは貴族ばかりで気後れしていたから、良かったら仲良くしてくれない?」
入学式の会場へ案内され、見たことも無い豪華絢爛な場所で所在無く美味しそうなお菓子を食べていいのかダメなのか分からずに眺めていると、ピシッとした高そうな服を着こなした綺麗な男の人に優雅に案内されて座った少女、ミーナが朗らかに話しかけてくれる。
同じく所在なさげに座っていた新入生の少女たちと顔を見合わせて、様子を伺う。
それを見ていたミーナは苦笑いでもって言葉を続けた。
「お菓子、気にせず食べていいのよ? 貴族ばかりで粗相しないか緊張してるんだろうけど、大丈夫。この学園ではそうして縮こまってるほうが貴族の目につくのよ」
「え! そ、そんなっ」
「た、食べていいの? ほんとに?」
それぞれに声を上げて、それが良かったのか、堰を切ったように会話が止まらなくなる。
私もお菓子を美味しくいただきながら、ミーナから色々と学園についてや、貴族について聞く。
ミーナの家は着実に功績を上げていき騎士、準爵から始まり、この度準男爵から正式な男爵へと成り上がったのだという。
貴族は皆同じに見えていたけれど、爵位にも偉さの順番があると初めて知って驚きでいっぱいだった。
そんなミーナの為になる話に耳を傾けながらも、ずっと違和感を覚えてどことなく居心地が悪かった。
なにせ、聞こえない。
常にあれほど聞こえていた声が、先程貴族がぞろぞろゆっくりと入り始めて暫くしてから前触れもなく唐突に止んだのだ。
――まただ。また声が止まった。なんで?
結局、退場する時まで声は止んだまま。原因は分からなかった。
貴族というものは何でも優雅に行うよう教育されているのだという。
そのせいか、動きもどこかゆったりゆっくりしたもので、見惚れて綺麗だとは思う反面、先に会場から出ていた私たち庶民学生はとっくの昔に着席していたのに、彼らは悪びれもせず当然だとでも言うように何かの作法なのか、とても遅い動きで着席していくから面倒な人たちだなと思った。
声は、相変わらずアレコレどうでもいい情報を言ってきていて、うんざりしつつもしっかり聞いてしまっていた。
……あの男の子、お尻の病気だっていうけど、それって痛いのかな。
「――あら。ごきげんよう」
なんて、心底どうでもいい事を考えていたら煩かった声が急に、澄んだ声がしたと思ったらまた、止まった。
どうやら貴族らしい女の子は知り合いなのか、他の貴族の女の子に話しかけていた。
……とても、きれいな瞳の女の子だった。
一目見て分かった。
……というより、声が止んで分かった。
あの女の子が私たちの救世主だと。
目が離せずにいると、女の子は私の遠い反対側の後ろに座ってしまった。
少しだけ、私の近くや前の席ではないのが残念に思った。
「――今から紅薔薇クラス内での自己紹介を始めたい。だが知っての通り、ここでは庶民貴族入り乱れて勉学に研鑽と励むことになる。各々、貴族と庶民では教養差があることを考慮して行動して欲しい。先んじて、今回の席順は生徒会のほうで無作為に決めさせてもらったから、特に貴族であれば了承するように。では、始めよう。ひとまず名前と目標――」
全ての生徒が着席し、先生がそのように始めた。
先生に対してどこかムッとしていた顔の貴族もいたけれど、何故か生徒会と出た途端にその表情を引っ込めてしまった。
……生徒会って学園の組織は、貴族の人のまとめ役ってミーナが言ってたけど、こんなに効果があるものなんだ――。
「――シオン・ノヴァ=デルカンダシアと申します。シネラリア王の慈悲に感謝し――」
シオン様……。
名乗りの後に、長々と意味のよく分からないことを言っているのは他の高慢ちきな貴族と同じだったけれど、何故か他の貴族とは違ってとても好ましく見えた。
意味はよく分からなかったけれど、シオン様の言葉ならばいつまでも真剣に聞ける気がした。
「よーし。全員自己紹介が終わったな。ご苦労。それじゃ、次はクラス委員長と副委員長を決めようと思うが、それぞれ貴族と庶民で組むことになることを念頭に、立候補はいるか」
しーん、と静まり返る教室内で誰も声を上げることは無かった。
先生の言葉に一瞬、声や手を上げようとした貴族は大勢いたけれど、庶民と組むと聞いてすぐに顔を顰めて拒否するように背けた。
庶民が立候補しないのはもっと簡単な理由だ。
貴族と組むなどと、何が粗相なのか分からないのにもし何かを間違えてしまったら色々な意味で終わりだからだ。
せっかく入学出来たのに、そんなことで台無しとなるのは誰もが避けたい様子だった。
こうなると、裕福そうな他とは違っておそらく一番身分が下っ端だろう私あたりが生贄として務めさせられるのは目に見えていた。
「……ま、こうなるよな。この中だとエリカ・ラディ=ラノヴェール嬢……は、忙しいだろうから、次点のデイジー・ロア=マクガベズ嬢……は病欠。そうなると次は――シオン・ノヴァ=デルカンダシア嬢。済まないが頼めるだろうか」
「……承りましたわ」
一瞬、シオン様が言葉に詰まったような様子を見せたものの、快く了承の意を示した。
最初に候補に挙がったラノヴェール様は、名前を呼ばれても窓の外をぼんやりと焦点の合わない片目で見ていて、教室内の事など些事とばかりに歯牙にもかけない様子であった。
それを見てもとても忙しそうには見えなかったのに、そのように断定した先生はさっさと次の候補を見繕うため、手元の資料を確認するように視線をすいっと気まずそうに逸らした。
まるで触れてはいけないものへ触れてしまったかのような反応に、ちょっと不思議に思う。
ラノヴェール様には何かあるのだろうか。
次に上がった候補であるマクガベズ様は、先生の視線を辿ると隅にあった無人の席へとたどり着いた。全く気付かなかった。
そうしてシオン様の名が挙がる前に、先生はあちこち視線を彷徨わせたものの、何らかの拒絶の意思疎通でもあったのか、最終的にシオン様に視線が落ち着き、申し訳なさそうにシオン様へお願いしていた。
シオン様が委員長なら――。
「助かる。次は副委員長だが、これはクローバー嬢に頼みたい」
立候補してみようかな? なんて考えていた私の気持ちがバレたのかと少しドキッとしたものの、それは違ったのだと次の言葉で納得する。
「確か、寮住まいだったな? 副委員長としての仕事で遅くなることも多い。夜遅くに制服でうろうろされるのは困るからな、基本的に副委員長には寮住まいが選ばれるんだ。どうしても嫌なら他のやつにも聞くが――」
――ここで断るとクラス内での心証は著しく悪くなるだろう。
という、先生の裏の声が眉間に皺を寄せた若干険しそうな表情から聞こえてきたような気がした。
貴族からは断るだなんて生意気だとかいう理由で、同じ庶民からも貴族と組むような仕事を拒否して押し付けようとするなんて、という理由でだろう。
他にも言わないだけで、いずれバレるだろう孤児院出身であるという私への配慮もあることは多くを語られなくとも察するにあまりあった。
「……は、はい! 分かりましたっ!」
そんなことを考えながらも、返答を求められているのだと思考の途中で理解し、一拍を置いて慌てて了承を返した。
声が聞こえない、選択肢が聞こえない、ただそれだけなのにどうにも言葉がすぐに出てこずに声を待ってしまう。
いつか聞こえなくなってしまえばいいと願ったことはあるけれど、いざ叶ってしまうと意外にもとても慣れない。
もしかしてずっとこの状態なのだろうか。想像していたよりも声に頼りきりだったと理解してひっそりと情けなくも衝撃を受ける。
そこからも殆ど先生が指名していく形でそれぞれの委員が淡々と決まっていったけれど、私は私で呆然自失に近い形で意識が飛んでいたため誰がどの委員なのか、後日改めてこっそりシオン様に教えてもらう事態になってしまい、情けなさに泣きそうになってしまったのは私とシオン様だけの秘密である。
ちなみに、マクガベズ様とラノヴェール様の委員については思わずシオン様に三度も確認で聞き直してしまうほどにとても予想外な委員であったこともあり、学園入学から始めた日記は早々に大変面白い内容てんこ盛りとなった。
学園の休みに帰省するのは難しいだろうから、せめて孤児院の皆に面白くて楽しいお土産話がたくさん出来るように頑張ろうと思った初日だった。




