神話 『記憶』
――くの……――はゆ――。あ――?
揺蕩うような微睡みに身を任せていた。懐かしい、記憶。
ぱちり。
覚醒した意識の手前、暗い紫の宝石が二つ。不思議そうにソレを見つめていた。
「これが鏡、ですか。なんと珍妙な……」
「僕からすれば君たちの存在のほうがよっぽど珍妙なんだけどね……」
「そうですか」
「特にそういう素っ気ないところとか特にね!」
「そうですか」
「……まあいいや。それで、これなら足りる?」
なにやら含むものがあるのか、声を荒げる男性の声に振り向く。ハッと息を呑むほどの造形を目の前にしても彼女に動揺は全くもって見られない。
「……献上品としては足りますが、謁見までには足りえませんね」
「だあああ! くっそ! 要求レベル高すぎだろ!?」
「そうでしょうか」
「そこに疑問持たないとかアリエナイ……この原始的な世界じゃ初物のとんでもなく高価な品なのに……苦労したのに……」
しくしくくどくどと、明らかに演技と分かる大げさな仕草で感情を表現する美貌の男を前に、闇より深い黒髪を揺らすことも無く、彼女はひとかけらの動揺もしなかった。
「それよりユスト、献儀の時期にはいささか早い奉迎だと思いますが」
「それよりとは失礼だなぁ。僕は正直、時期とかどうでもいいんだ。むしろ足かせでしかない。もう君との約束から何年経ったと思ってるんだ?」
彼女の言葉に男――ユストは大げさな演技をやめ、ため息とともに常からの愚痴を溢した。
先程の演技とは比べるべくもない偽らざる本心であった。
「……さて。私たちの司源を思えば微々たる推移でしかありませんので」
「だからあんたらが嫌いなんだ……性悪魔女どもが」
「誉め言葉と受け取ります」
彼女を見つめる異彩の瞳が忌々し気だと焦る内心を隠すことはなく、その雪より白く輝く白髪を、負けないほどに白皙であるユストの手がくしゃくしゃにかき乱していた。
しかし彼女にとってはユストの恨み言も、その美しい容貌も、交わしたという約束も、全てが些末なことなのかやはり動揺は微塵もおきない。
だが、――。
「――ひとつだけ」
彼女にも理由は知れなかったが、男を憐れに思ったのか、それとも約束がいつまでも果たされないことに本能が忌避を感じ取ったのか、もしくは――。
永劫の時を生きる彼女にとって、それは確かに気の迷ったありえない戯言であった。
「ひとつだけ……ありますよ、あなたとの約束をすぐに果たせる方法が」
「――なんだって?」
それまでの刺々しい態度が嘘のように、ユストの声に確かに悦びが混じった。
爛爛と輝く金と蒼の瞳のその奥に、どろりと潜む粘着質な闇を見つけて彼女は――魔女はほくそ笑んだ。
「魔女に――いえ。正確には違いますが。あなたが魔女と同じ存在へと昇格すれば、謁見など望めばいくらでも出来るものですから」
「魔女と同じ存在……? 忘れてるかもしれないけど、僕は――俺は男なんだ。ハッ、まさか魂ごと性転換でもしろって? ふざけやがって」
魔女の言葉を鼻で嘲笑ったユストの瞳の奥、確かな闇が濃度を増した。
「いえ。別に魔女になれとは言ってません」
「じゃあなんだ、死ねってか」
「そうですね。そういうことです」
「……イカれた提案だな。意味が分かってるのか?」
「勿論です。私はただ、可能性の話をしているに過ぎません」
どんなに怒りの籠った言葉を浴びせられようと、魔女は歯牙にもかけない。何故なら、最終的に魔女の言葉は受け入れられると知っているから。
「ああそうだろう。魔女になれないってんなら残された道はひとつだけだ。――死んで神になれってことだろ」
「その通りです」
――よく出来ました。
言葉にせずとも、その日初めて見せた魔女の歪んだ笑みが全ての答えを物語っていた。
「くっそくだらねぇ提案だな。呆れるほどに分かりきった失策甚だしい。例え成功したとして、その先に希望なんて微塵も無い。たかだか謁見する為だけに選ぶ行動としてあり得ない」
「されどその謁見がお望みなのでは?」
「――そうだよ。馬鹿だよ。呆れるほどの馬鹿だ。救いようのない馬鹿だ。一度死んでもそれは変わらない。会って……会いたい。それだけの為に死んで、生き返って、また死のうとしてるなんて、愚か者以外の何ものでもない。面白いか? 誘惑して弄んで、高みの見物と洒落込んで」
「おっと。失礼しました」
「――だから嫌いなんだ。お前たち魔女も人間も神も、全てが嫌いだ」
片手で上品に口元を隠した魔女の仕草に、吐き捨てるようにユストが言葉を紡ぐ。
とめどなく溢れる言葉はこの世の全てを憎む怨嗟と成り果て止まることなどない。
「嫌いだ。嫌いだ、大嫌いだ。こんな世界――」
「滅びを望みますか」
「なんでちょっと嬉しそうなんだよ。ふざけやがって……」
魔女の言葉に虚を突かれたのか、ユストの言葉は中途半端に留まった。
「滅びたいなら俺が――僕が目的を達成してから勝手にしてくれないかな。その前に勝手に滅ぶとか絶対無しだから」
「難しい約束ですね。滅びとは準備する暇もなく、あっさり訪れるものですから」
「――知ってるよ。だからこうしてせっせと足を運んで確実な方法を取ってるんじゃないか」
「なるほど。それは失礼しました。てっきり、方法を知らないのかと」
「誰が騙されると思ってるの? そんな安易な方法で簡単に出来るならとっくの昔に僕の目的は達成されてるよ」
「それもそうですね。では、今回はこれまでということで」
「君と話すのは僕の目的への再確認にはなるけど、どっと疲れる」
「そうですか」
「興味のある話が終わった途端に素っ気なくなれる才能なら君が隋一だろうね、ディアスキア!」
「そうですか」
「…………」
「お帰りはあちらからどうぞ」
――反転。
巨大な水晶。
滝のように流れる炎。
荒れ狂う雷雲。
踊る砂の竜巻。
割れる空と大地。
寄せては返る波間のように、全ての天災が降臨する。
『裏切ったなァ、ディアスキアアアアアアア……!!』
恐ろしいまでの咆哮を轟かせ、空間の狭間に蠢く強大な闇の気配。
『裏切りとは、なんでしょうか。私は最初から約束を守っていましたよ。……まあ、守ったのはその約束だけでしたので、なにやら勘違いをさせてしまったようですが』
淡々と、何の感情も抱かせない声で告げたのは魔女。
『楽しかったですよ。あなたは確かに世界にとって大切な方でしたから。その存在を、意思を踏み躙る感覚は筆舌に尽くしがたいものでした。おかげで私も眠りにつかなくてはならなくなりましたから』
ゆっくりと、魔女が闇へ近付く。
『――流石は世界に愛されし者。実に妬ましいことです。そのまま存在ごと消えてくれるのが一番でしたが、まさか適合してしまうとは。私の力では消滅はとても無理だったようですね』
『フザ、ケルナァァァァアアアアアアアアーーッッ!!』
『これも世界の意思です。受け入れ、果てなさい』
――世界が、割れる。
大地が、空が、人が、魔が、神が、めちゃくちゃに千切れていく。
その時、世界は――。
――逆転。
「――げっ。まーたそんなくそゲープレイしてるとか女として終わってんな」
「なにをー!? 最近発表された衝撃の事実を知らないの!? 今時の若い子にも流行ってるでしょうに……とにかく今いいとこなんだから邪魔しないでよ!」
「あっそ。興味ないし知らねー。じゃあ晩御飯はいらない、と」
「何言ってんの。食べるに決まってるでしょう」
「ふ、そうかよ。ちなみに今日はサンマ」
「うふふ。流石はうちの子。分かってるじゃん」
「誰があんたの子だ、誰が。母さんに失礼だ」
「うぐっ。可愛くないやつ……」
「へいへーい」
――再転。
「なんだよ、それ、なんで、どうしてッ」
「……必要な犠牲なの。代々我が家に与えられた使命として、これだけは変えられない」
「じゃああんたじゃなくてもいいだろうがッ! 他にもッ」
「他って、……傍系なんて論外。直系は私とあなたの妹しかいないのよ。私の半分も生きてない子に、二人目は無理だと言われたあなたの母が授かった尊い子に、女の子だと知って絶望していたあなたの母に、子どもを犠牲にしろだなんて言える? 私は口が裂けても言えない」
「――ッ!」
「いいの、――くん。ありがとう。私はもう、充分に生きたから。お母さんが――あなたの祖母も果たした使命なの。大丈夫。最初から、分かってたことだから。今まで何不自由なくだらだら好き勝手に生きて来れたのはこの時のためだったし、ちょっと出番が早いなぁって思わなくもないけどね」
「何言ってんだよ! 迷信もいいとこだろ! いつの時代の話だよ!」
「そうだよねぇ。びっくりしちゃうよねぇ。――でも、迷信じゃないの。嘘だと思うかもしれない。でも、その目で結果を確かめれば理解出来るよ、私みたいに」
「――ッありえない! こんなのバカげてる! しかも国も昔から承知してるとかそんな妄想もいいとこの与太話、意味わかんねぇって!」
「ごめんね。でも決まってることだから。たった一人の犠牲で世界がまだ息をしてくれるなら私は……犠牲になっても構わない」
「……新作、発売するって喜んでたくせに」
「そうだね。主人公の幸せが見届けられないのは凄く残念だよ」
「自分の幸せは? 行き遅れでも、生きてれば相手くらい……!」
「あはは、痛いとこつくよね。……言い訳に聞こえるかもしれないけど、ある年齢までお役目を務められたら結婚してもいい、予定だったの。まあ、今となってはしなくて良かったって心底思ってる」
「なんでだよ……しろよ……まだ遅くねぇって……俺が――」
「――ねぇ、いいこと教えてあげよっか? 私が清い身でいたからこそ、あなたの妹は寿命を全う出来るはずなの。生きて、私の分まで恋して、愛し、て……しあわせな……しあわせなじんせ、を……」
「――――」
「いきて、わたしのぶんまでいきてよ、……――くん……」
――流転。
『私の愛した世界は、もうどこにもない』
「ありますよ、ここに」
『私の全てだった。もう、いらない。何もいらない。どうでもいいの』
「大丈夫ですよ。全てを愛さなくても、在るだけでいいのです」
『懐かしい、世界。大好きな、綺麗で美しい世界。もう、戻れない。だから大切だったもの全部、忘れたいの。――そうしたら、もう痛くない?』
「……承知、致しました」
『ありがとう。……あなたたちを愛せなくって、ごめんね』
「――夢、を。幸せな夢を、望むままに捧げましょう」
『……ああそれは、なんて楽しそう。お願いしていい?』
「! 勿論です。目覚めを――いつまでもお待ちしております」
――化転。
『ァァァァアアアアオオオオォォォァァァアアアアアッッ』
『……ね、久しぶり』
『アァアアアアア゛ア゛ア゛』
『そんな姿になっちゃっても、生意気なのは相変わらずだね』
『オオオオオォォォンンンンンッッ』
『うん。ありがとう。ちゃんと約束守ってくれて。だから――』
『ジオ――』
『――おやすみ、ゆずとくん』
――あなたが安らかに眠れるまで、今度は私が――から。
「――お目覚めですか。シオン」
ぴたり。視線が合った。
「ここは世界の『記憶』の中です」
走馬灯のように途切れ途切れに浮かび上がっては消える、数々の光景。まるで目の前で体験した出来事のように、全てが生々しい。
「戸惑っていますね。ですが、世界の『記憶』は未だ微々たるもの。全てを取り戻すにはまだ、時間が掛かります」
何も無い空間に、声が響く。視線は合っているはずなのに、その姿はどこにもない。
「残念ながら邪魔も入りました。今回はここまでにするしかないでしょう」
すぅっと何かから抜ける感覚と共に、急激に全身が圧迫されて息苦しくなる。
まるで氷の中に閉じ込められたかのようにガチガチに固められて身動きひとつとれない。
「……私はどのような形であれ、世界の味方であり、守護者。努々お忘れなきように――」
遠ざかるように去って行く声に手を伸ばそうとして、動かない身体を煩わしく思う。
こんなもの、壊れてしまえばいいのに。
バリーン。
どこか場違いな軽やかな音と、まるで呼吸を思い出したかのように一気に襲い掛かる清涼な空気の奔流。
目を白黒させている暇もなく目前に広がる死屍累々の光景に瞠目した。
「――ノヴァッ!」
「シオン!」
「え――」
何がどうなっているのか。状況など確認する間もなく、それは起こった。
「いきます! ――『精霊王、降臨』!」
闇夜を切り裂くオーロラが、大地に降り注いだ。




