閑話 アスター・ソル=デルカンダシアの妹
主人公の兄視点。
俺が俺として意識を持つ前から、俺の周りにはいつも何かが存在していた。その何かは俺に危害を加えるモノではなかった為、日常で気にすることは無く、当たり前に常に傍に在った。
……それが当たり前ではなくなったのはいつだったか。確か妹が産まれてからだった。――そうだ、妹だ。俺の妹。
シオン・ノヴァ=デルカンダシア
そう名付けられた我が妹の誕生は忘れもしない、俺にとっての初めての衝撃であった。その衝撃に名前を付けるとするならば感動、と言うのだろうか。
俺は初めて出来た妹という存在に感動を覚えたのだ――。
「ぉんぎゃああ、んぎゃああ、ぎゃああ」
『こわい、こわい――』
『けして、けして!』
「うるさい」
一言。たったそれだけで煩わしい存在は一時この世から消えてなくなった。自我を失くしたままどこぞで新たに生まれるかもしれないが、俺にとってはどうでもいいことだ。
それより今は赤子の妹のことだ。ハイハイに失敗したのか、すってんころりんと転び泣く様をあまりの可愛さに見過ごしてしまった。
俺としたことが、不覚だ。
妹はどうやら最近動き回れるようになったようで、目が全く離せない。母は親族の締め上げに、父は魔獣狩りに出掛けて今は家にはいない為、特にだ。
妹の目指す先を見れば玄関があった。……外に出たいのだろうか?
「俺が運んで……」
「ぎゃああああああああッッ!!」
「…………」
それが妹の――ノヴァの望みならばと両手を差し出した途端に盛大に泣かれてしまった。むむむ。
引っ込めれば泣き止んだ。自力で辿り着きたいのか……。俺はノヴァの真意を理解し見守ることにした。
「んだ! だぁ、だ!」
誰ともなく何やら会話をしながらノヴァは進む。本人は気付いていないようだが、ただでさえ亀の歩みなのに尻が重いせいか重心がブレて度々絶妙に後退してしまっていた。……ふむ。辿り着く前に力尽きそうだ。
冷静に分析を終えた俺は目と耳が届き素早く反応出来る位置を意識しつつノヴァのお昼寝用のベッドを準備した。
暫くすると虫の息となってノヴァが行き倒れたので回収し寝かしつける。実にどんくさい。
ノヴァではなく他の赤子であれば見捨てていたかもしれないほどに。俺は面倒なモノが嫌いなのだ。
――だが何故だろう。ノヴァは特別だった。
特に特別な理由と言える理由はない。妹でなかったとしても特別だったはずだ。そう断言出来るほど、本能が抗えないほどの何かが特別なのがノヴァなのだ。
俺に常に纏わりついていた何かは俺の特別なノヴァを嫌った。だから直接危害を加えようとしたモノをその度に俺は残らず消し去った。
そうするとソレらは学習したのか、危害ではなく口を度々出すようになってきた。全く聞かなかったし煩いソレらは同じく消し飛ばしたが。
そうしてすくすくと育ったノヴァはやはり俺の特別であった。容姿は平凡、能力も平凡。むしろどんくさい。だが、俺にとっては唯一無二で特別な存在であった。
諦めたのか、いつの間にかソレらが口出しする回数は減っていた。俺が魔獣狩りに外へ出ている時間が増えたことも原因だろう。
つまらん任務だが、ノヴァはか弱い。雑魚とはいえ駆除したほうがノヴァも安心して成長出来るだろう。
希少な果物を見つければ土産に持ち帰り、熱が出たと聞けば伝説の霊草を摘んで食べさせてやったりと、俺は甲斐甲斐しく時間ある限りノヴァに構った。
楽しく充実した日々を過ごしていたと今ならば断言出来る。
――だが、そうした日々の中で突如予期せぬ大きな変化が訪れた。
「シィが結婚しちゃったわ」
悪びれることなくそう告げた母の言葉を理解するのに、俺としたことがその一瞬が数万年もの時間を要したような錯覚を得た。産まれてこの方初めての隙という醜態を晒してしまったのだ。
「……相手は勿論殺しましたか」
「まああの人もあなたも物騒ね。そんなことするわけないじゃない」
どうやらこの問答は既に父ともやり終えた後だったらしい。
「どのみち出来ないわよ? ――神に攫われてしまったもの」
「チッ」
厄介な。
「まあまあ、仕方ないことよ」
「……そうですか」
母の口ぶりから既にこの事態が決められていた運命であったのは察した。だが、察しただけで納得したわけではない。
俺は決められた運命だとか、変えられない予言だとかは嫌いだ。
実行前に俺が察すれば全てぶち壊すだろうと分かっている母の計略にハマるのはいつものことだ。
だが、今回はノヴァのことだ。母なりに最善手なのかもしれないが、俺にも譲れないことはある。
「――ノヴァ」
すやすやと疲れからか眠りこける幼い顔を見て顔が綻ぶ。
――そしてすぐに違和感に気付いた。
「髪色が……変わってるだと?」
明るい茶髪だ。違和感はない。まるでいままでそうであったように。
――だが、違う。髪色が違うのだ。
そして前は何色であったか……思い出せない。想い出せるのは全て明るい茶髪だった。
――俺の勘が警告する。記憶が改竄されている、と。
「――あら。やっぱりアスターだけは気付いちゃった?」
後ろから声がした。老練な魔女の声だ。
「……母上。これはどういうことですか」
「そうねぇ。どういうことかしらねぇ」
それだけで俺は察した。
「言えない、ということですか」
「ふふふ」
――魔女の制約。厄介な……。
こうなった母の口から真実を聞くのは至難の業だ。不可能と言って良い。これは別に母の意地悪というわけではない。母とて言えるなら言っているだろう。
魔女の制約に命の危険こそは無いが、守らねばならぬ項目を守らねば命に代わるほどの代償を伴う場合もあるのだ。――魔女本人ではなく、他人が。それも赤の他人ではない。
大体にして家族が対象になることが殆どだ。家族がいなければ友人。それもいなければ知人、とどんどん範囲は広がっていく。ある意味災害だ。
……魔女の強力な力は孤独の享受との兼ね合いなのだ。
それを一番知っている俺が安易に口を閉ざした母に真意を尋ねることは出来ない。俺はともかくノヴァを危険に晒す可能性が非常に高いからだ。
そんな母の口ぶりからは精いっぱいの情報を得られている。それだけ分かれば充分だ。
「分かりました。後は制約を受け付けない存在に聞いてきます」
俺がそう言い切ると、母は一瞬ぽかんと驚いた顔をしたが、すぐに面白そうな表情を浮かべ、「お土産はお花がいいわ」と告げて見送ってくれた。
――その存在を一言で表すなら巨大。そうとしか言えなかった。単純な目測の大きさではない。威圧感や存在感。全てにおいての表現だ。
『――よくぞ参った、勇気ある人の子よ。そなたは、』
「聞きたいことがある」
さすがの俺でも目の前の存在に前置きなしで話を遮る無礼には冷汗をかくこととなった。だが、それ以上にこの異空間に長く居るのは良くないと勘が告げるのだ。
どこもかしこも非常に時空間の在り方が不安定な場所だ。気付けばノヴァの成長を見逃すことになりかねない。
『……よかろう。ここに至った褒美にその問いに可能な限り答えようぞ』
俺の意図を察したのか、その存在はどこから発しているのかようと知れない声で発言を促した。
長居は出来ない。必要な回答を得るには端的で抽象的でありながら同時に正確でもある質問が一番だ。具体的な質問は避けるべきだろう。永遠に語られそうだ。
俺が去れば再びここに至るには別の道を探さねばならない。
言葉ひとつ無駄には出来ない。……考えるのは苦手だ。俺はもとより疑問であったことを素直に問うことにした。
「俺の妹は、――何だ?」
『ほう。それを聞くということはもう理解しているのではないか?』
「理解している。だが、分からん。何故妹なんだ」
『……その問いに答えるには幾星霜と掛かるが』
「ならどうすれば助かるか教えろ」
『ふむ。それなら簡単だ――』
その存在が語ったのは実に単純な方法であった。胸糞悪い。
「――分かった。方法は気に食わないが、妹には代えられない」
『ふむ。他に聞きたいことは?』
「ある。あるが……時間切れだ。俺は行かねばならない。だから覚えておけ――いつか必ず斬り捨てる」
『物騒なことだ』
こうして俺はその空間を脱した。俺が見つけた出入口はすぐに閉じてこの世から消えてしまった。他に見つけ出せなければ二度とアレと邂逅することはないだろう。
それからというもの、ノヴァの周りでは当てつけのように度々異常が起こることとなった。アレらの仕業だ。
……そういえばノヴァが呪われてから俺の周りでぎゃあぎゃあと騒がなくなったな。分かりやすい奴らだ。
「――アスター。今日は森の北部を頼んだ」
「はい、父上」
気付けばノヴァは学園とやらに通うために母と共に王都へと旅立ってしまった。家に居ても母たちが居なければ手持無沙汰な俺と父は結局外へと狩りに出てしまっていた。
……ノヴァにはこの機に休めと言われたが、じっとしててもやることがないしな。
――そうして日々の探索の途中、邪神と名乗る多少歯ごたえのある相手の排除の後にノヴァへと繋がる展開になるとは思いもよらなかった。
久々に会ったノヴァはやはり特別な俺の妹であった。とくに最近はお兄様と澄ました顔で話しかけられていたので、お兄ちゃんと呼ばれるのは久々で嬉しいものであった。
嬉しさに思わず再びお兄ちゃんと呼んでくれるようお願いしてしまったが、ノヴァは照れ隠しか可愛く怒りを露わにして言ってはくれなかった。
気付けばチャラチャラした男たちがぎゃあぎゃあと周囲で騒いでいた。殺しはしないまでも服だけ切り刻んで黙らせてやろうかと思ったが、ノヴァに制止されたため留めた。
他よりは平凡なりに能力があるにも関わらず、あんな雑魚相手に無駄が多い。そのせいで俺が登場するまで苦戦し、ノヴァを危険に晒した輩だ。ノヴァが敬意を払う必要性は感じない。
己の力を過信する軟弱者の凡愚でしかない輩を何故庇うのか。
そんなことを思いつつ、気付けば話は大陸に散った魔獣駆除へと流れていた。ノヴァが母を尊敬しているためか、会話の誘導の仕方は似ているのだが……そこに母みたいな残酷さなどはない。甘いな。
こっそりと笑みを浮かべつつ、会話の主導権を握ろうとするノヴァを見守った。後は決まり文句で出ていけばいい。
――そろそろ頃合いだろう。ノヴァが限界だ。俺がいつまでもここで会話の足を引っ張ているとノヴァの負担になる。
「後始末は――」
「――残らず完遂」
ノヴァが嬉しそうにニヤけた口元を抑えた。自分が求めた会話まで誘導出来て実に嬉しそうだ。俺も口元を綻ばせながらその場を後にした。
「――あの!」
「…………」
「あの! すみません! シオン様のお兄様!」
「――お前、人だったのか?」
俺は思わず足を止め、まじまじと声を掛けてきた存在を見た。
……そういえば先程ノヴァの横にいたな。確か。
「なっ! 失礼な! れっきとした人です!」
「そうか……すまない」
――どうしてそう思ったのか。俺は首を傾げつつ謝った。どう見ても人だ。ノヴァの存在に隠れて認識を誤った、か?
「あ、いえ、そうじゃなくて! 先程はお邪魔してしまいこちらこそ申し訳ありませんでした!」
「…………」
一体何のことだ。分からない。
「……なんのことだ?」
「えっ、えっと……えっ? あれ?」
ノヴァに呼ばれてから今まで、何のことを言っているのかと本気で思い返してみたが、やはり分からない。
分からないなら素直に聞くしかないため尋ね返したが、どうやら俺の返しに向こうは何やら更に困惑したらしい。
「……その、貴族の会話を遮るように会話に割り入ってしまった、こと?」
自信無さそうで不安な物言いだが、言われて思い出した。……ああ、そういえば俺とノヴァの会話が途中で途切れたな、と。雰囲気や仕草からして民の出だろう。
元々俺は貴族という柄ではないからそこまで気にする必要はないが、そうでないものは言わなければ気にする、か――。
「――気にするな。ノヴァがお前との会話を優先したんだ。俺にとってはノヴァが優先だ。全く気にしてない」
「そ、そうですか。ありがとうございます」
複雑そうな顔だが、俺の言い分には何故か納得したようだ。
……俺が言うのもなんだが、素直な子だ。
「話はそれだけか? なら、俺は行く」
「あ、待って下さい!」
「なんだ?」
まだ何かあっただろうか。
「お、お手伝いしていいですか!」
「は?」
「お詫びに!」
「……は?」
俺はそこで初めてしっかりと彼女を認識した。なんだこいつは、と。
そして、彼女を上から下まで見た後ですぐに結論は出た。
「ひ弱なお前に出来ることはない」
「うっ……」
悔しそうにしているところ悪いが、そこそこ戦えるノヴァやそれなりに強い母や父であっても断る話だ。俺と同じ働きが出来る人間などこの大陸には今存在しないだろうからな。時間の無駄だ。
「た、戦いではそうかもしれませんけど! それ以外で何か! 何かありませんか!?」
「……戦い以外?」
やけくそ気味に投げやりに言われ、少し考える。戦い以外での手伝い。考えたこともないな。……いや、考える以前に当たり前に母やノヴァがやってくれていたことだ。盲点だったな。
「なら、書類仕事だな」
「しょ、書類仕事っ?」
「ああ、これからすぐに必要になる。ついてこい」
「えっ、どういう――ちょ、ちょっと! 待って下さい!」
――こうして俺は彼女の善意の協力のもと、神龍の子と彼女を引き換えにし、面倒事も少なく学園を悠々と後に出来たのであった。
なお、アスターは彼女の名前を聞くことも無く、知らないままにそのまま置いてけぼりにし飛び去ったのであった――。




