魔の花園にてお茶会・続
――カトレア・ラス=エーデルワイス公爵令嬢。御年17歳。
燃えるような赤い髪は癖毛なのか腰まで優雅に波打っており、肢体に絡みつくさまは色気が目に毒であるほどだ。そしてつり目の左瞳の下には泣き黒子があり、碧眼の輝きにさらなる色気を纏う――いかにも王道悪役たらんド迫力系美少女……いや、美女である。
上から数えたほうが早い権力者であり、未来では権力の頂点である国母だ。ゲームの彼女は常に真正面から殺りに来るタイプで、少しでも選択をミスるとどこからともなくナイフが出現し、容赦なく刺殺というエンドが最も多かった。
――いわゆる直情型である。
普段は理性的に会話が成立していることを思えば、「理由は分かれど理不尽」というのがプレイヤーたちの間でよく愚痴られていた文言である。急に衝動的になって理性を失ってしまうため、死へのブレーキが出来ないのだ。
ただ本来の遊び方である出歯亀に徹する際もそうだが、サイコパス王子への関わり方を気を付ければ特に刺殺事件が発生することは無い。故にカトレアは王道の悪役らしく初心者や乙ゲー新規勢に優しい設定なのか、そこまで攻略が難しいわけではない。
――真の遊び方では、だが。
予備知識も何もなく普通にストーリーを進めれば、主人公視点では普通に会話している場面で急に理不尽に殺される、という展開が殆どであった。それがカトレアとルドベキア王子ルートでの主な死亡エンドである。そしてどちらもが主人公の画面が暗転する前に嫉妬による犯行であると理由を述べてくれるわけだが……殺ル事が似た者同士過ぎて、こちらは何度コントローラーを投げたことか。……まあそれも今はもういい。
そんなカトレアには、ひとつ見逃せない未確認の設定がある。私は買っていないが、実は後日発売された設定資料集なるものに載っていた情報で、ネットのネタバレサイトで考察が盛り上がっていたのでよく覚えている。
それは――
「――はじめまして、デルカンダシア嬢。私はナズナ・イア=ナスタチウム。子爵令嬢だが、将来の騎士候補生でもある。普段はカトレア様の専属護衛任務にあたっている」
「まあナズナ、堅苦しいわ。もっと楽に、いつものように気安くなさい」
「承知しましたカトレア様。……だがすまない、どうにも癖でな」
「ふふ、混ざっているのも面白いからそれもいいわ」
「む……わかった」
――聞きましたか、皆さん。騎士候補生ですよ、騎士候補生! しかも、女性の!
――そう。ナズナ・イア=ナスタチウムはお察しの通り、ロミオである!
……あ、間違えた。悪役令嬢である!
彼女は真の遊び方が広がる前、唯一好評だった悲恋シナリオの悪役令嬢だ。そして盛り上がってたネットの考察というのは――彼女がカトレアの友人ではないか? というものである。
ゲームを知らない、遊んだことが無い人には実にどうでもいい考察かもしれないが、当時本編をプレイしていたファンにとっては二人が友人か友人でないかだけでシナリオの大部分の解釈が変わってしまうため、結構な重要考察ポイントだったのだ。
もともと本編では悪役令嬢同士の絡みというのはほぼ皆無同然に存在しない。主人公だけは自由気ままに誰のストーリーでも進められるし、進捗も樹形図のようにそれぞれの世界線として細かく無数に分けられていた。そして共通イベントのようなものは最初以外なく、キャラそれぞれのペアの存在だけで話が進行して進むのだ。
肝心のカトレアの設定資料集には、忠義ゆえに最も親しかった友人と距離が出来たことを憂いていたと簡易的な記載しかない。そもそもナズナはゲームでも孤独、孤高、といった環境に置かれていた。男性騎士の中で唯一の女騎士だったからだ。そしてカトレアは常に有力者の令嬢らに囲まれて、二人の状況は対極だった。
恋愛相談出来るような女性の友人もなく、いつもたった一人で悩み苦しんだナズナ。周囲からの女性とはこうあるべきだ、という価値観に押しつぶされそうになりながらも、最後まで自分を貫くナズナの姿にはプレイヤーも思わずきゅん、と心を射抜かれたものだ。……こほん。
とにかく、二人の本編での接点は全くと言っていいほど無い。――だがもしも実はカトレアの友人だった、と仮定すると?
色々と不可解の多い本編シナリオの解釈が大幅に変わるのだ。――例えば、たった今分かったことがある。カトレアの護衛任務に就いていると先程自己紹介したナズナだが、本編のカトレアやナズナの話でも一切そういう話は出て来なかった。
もしも本編で実は壁の花よろしく画面外でカトレアの護衛として存在していたのなら、どこからともなく出現した凶器の説明は簡単に付くものである。なるほど。突然の刺殺はそういうことだったのか、と。
貴族令嬢が普段着よろしくナイフを常に持ち歩くとはなんてヤバい世界だ、と当時の私は心底戦慄したものだが、蓋を開けてみればなんてことはない。おそらくナズナのサブ武器がナイフで、普段から護衛をしていたナズナから惨劇の瞬間だけ借りたのだろう。……どこでも刺殺事件の真相を知ってなんだか余計に闇が深くなった気がする。
「――すまない、デルカンダシア嬢。改めて、今はカトレアの良き友人であるナズナとして挨拶しておこう。年上だが、気にせずナズナと呼んでくれて構わない」
「私の最も親しい唯一無二の友人よ」
ひゃあああ……!
答え! 欲しかった答え! やっぱり友人、いや親友だったのか! ……おほん。
「……いえいえ、お構いなく。私のことは是非シオンとお呼びください、ナズナ様」
興奮してしまいそうな動悸を治めるべく、微笑みの仮面をフル回転させる。
――ナズナ・イア=ナスタチウム。18歳。
ナズナ様は飾り気のないシンプルな美人である。彼女の硬質な色合いの銀髪は殆ど後頭部にアップで複雑に編み込んでいるが、揃えられた前髪の左横にだけ三つ編みを控えめにひとつ垂らしており、切れ長なグレーの瞳は鋭く細められていてまさに男装の麗人……じゃなくて、いかにも女性騎士の佇まい、風貌である。
設定資料集にも載っていなかった情報が次々目の前で解禁されていく現象は、実に心臓に悪い。興奮で寿命が縮んだかもしれない。それほどの衝撃を内に秘めながらも談笑に入った二人を観察する。
二人が友人であるか友人でないかで本編の解釈が変わると言ったが、気にしなければ実に些細なもので、悪役令嬢である二人が死んでしまうシナリオの際、最期の言葉でそれぞれが「姫」と「騎士」というワードを残すのだ。
カトレアはよく王子に殺される場合のバッドエンドが多く、その際によく「私の騎士――ごめんなさい」と言っていたため、最初は単純に王子に向けた言葉かとも考えられたが、違和感が残った。
そしてナズナに関しては討伐任務や強力な魔獣の襲撃などで敗北し死亡というパターンが多かったが、その最期の言葉には「姫に――なりたかった」という言葉が残される。が、ナズナは確かに可愛いに対してコンプレックスはあったが、常に凛々しい騎士を目指しており、これも違和感が残った。
――そうして後に設定資料集が出てきて実はお互い宛のセリフではないか、と考察班が盛り上がったのだ。
そうなると解釈も変わるわけで――。公女はほぼほぼ姫ともいえる存在だ。そうすると、例えばナズナの「姫に――なりたかった」が実は「姫にふさわしい騎士になりたかった」とかで、カトレアの「私の騎士――ごめんなさい」が「私の騎士にしてあげられなくてごめんなさい」のようなセリフだったのでは……? という見方も出来るのだ。
まさに王道の姫と騎士の裏話、ということでネット界隈がとても盛り上がったのは良い思い出である。セリフに関しては内容が変われば解釈も見方も変わる。
と、いうわけで。転生してやっと判明した真相は「お互い宛の尊いセリフだった説」がほぼ確となり、ファンとしては絶賛興奮するしかない状況に陥っていていたりする。現在進行形で。
こちらを気にせず談笑する二人の姿は眺めているだけで癒される。バイオレンスのバの字も見当たらない、実に素晴らしい光景だ。
……誰か早くデジカメ的な魔道具を開発してくれないものか。
「――そうだったわシオン。ナズナの親戚は外国にも多くいて、似たような容貌の者が多いのだけど……例の探し人の事を聞いてみてはどうかしら」
「探し人?」
興味深そうな目を向けられ、カトレア様の「さあ話たもれ」と言わんばかりの圧を感じ、仕方なく……本当に仕方なく信用してナズナ様にも事の経緯を説明することにした。……出来ればあまりこの話は広めたくないのだが。
カトレアに話をしてもいいと判断したのは彼女が為政者でもあるからで、情報の取り扱いに慎重だからだ。ナズナもカトレアからの圧はあれど、最終的には攻略対象として生真面目な彼女を知っているから話すことにしたのだ。
……知っている二人でなければ誰であろうと話そうとは思わないが。
「――白い髪に金と蒼の異彩の瞳。そして名がバリー・アリウム……」
――スッ、とナズナの目が細められる。……まさか何か分かったのだろうか。
「――何か、心当たりはあったかしら」
こちらの考えを読んだかのようにカトレア様が片眉を上げて聞きたかったことを代わりに問うた。その問いに、ナズナ様はしばし瞑目してから物凄く申し訳なさそうな頼りない表情で口を開いた。
「……いや、すまんが心当たりはないな」
「そ――」
「――そう。期待させたようでごめんなさいね、シオン」
……ほんの一瞬だが、まるで何か不可解な難問を呑み込んだような表情をしていたナズナ様が気になり、本当に何も思い当たることが無いのか問おうとしたところでカトレア様が割り込む。
……被るようなタイミングに思うところがないではないが、相手は格上。それにゲームのナズナ様は誠実で素直なキャラだったことを思い出して口を閉じた。……いまはその設定を信じて、心当たりがないと言った言葉を信用したほうがよさそうだ。
「いえ……お気遣いありがたく存じます……」
……それに冷静に考えれば、カトレア様が知らないことをナズナ様が知っているはずもなかった。……この世界は現実なのだから、いいかげん攻略対象だからと警戒するのはやめよう。
「――あら、もうこんな時間。長々とごめんなさいね、シオン」
――ああ、もう帰れってことか。
いつの間にか空は夕焼けから宵闇に変わり始めていた。公爵家の庭は魔法で夜のライトアップがされるので見られないのが名残惜しいが、年若い令嬢が暗い中をぶらぶらするのは世間体がよろしくないので帰るしかない。
「……いえ、大変貴重で楽しいお時間を頂けましたこと、望外の喜びと存じます、カトレア様」
一旦、席を立ってからカーテシ―をして帰途の挨拶を行う。
「そう、それなら良かったわ。――カールソン、シオンを外までエスコートなさい」
「――かしこまりました」
何も気配を感じないところへ唐突に話しかけたカトレア様の声に、思わず首を傾げそうになっていると――スッ、とどこからともなく騎士っぽいお兄さんが出現して心底ビビった。
……もしや、公爵家に存在するとゲームでほのめかされていた裏専門の特殊部隊の方ですか……?!
またしても、ファンなら発狂ものの特典を見つけたハイテンションに陥った私は、しかし特殊部隊(仮)のお兄さんが腕を差し出しても条件反射で手を乗せられた。……母よありがとう、淑女教育をスパルタ指導してくれて!
外は澄ました顔で、しかし中では興奮で狂喜乱舞している私のギャップによる心身のストレス値はおそらくすでに天元突破済みだ。……ほんの数時間だけで寿命が数十年くらいは縮んだような気がする。
◇◆◇◆◇
儚げな容貌に平凡な茶の髪、遠ざかる後姿に目を眇め、先程までこちらを見つめていた珍しいアメジストの色に思い馳せる。……どうやら次代の東の魔女は社交界に実しやかに囁かれ蔓延る噂とは違う存在のようだった。
広大な東の森林地帯には無数の魔獣が日々蔓延っている。それを少人数で食い止められる辺境伯の一族は、権力においても地理においても、なにより和平を保つためには国が最も尊重すべき存在のひとつだ。
……ひとまず表面上の友好関係を築けそうで安心した。だが――
「――ナズナ・イア=ナスタチウム。嘘偽りなく答えなさい」
「――ハッ!」
「……あなたは先程の問いに何を思い浮かべ、迷ったのかしら」
――いくつかの想定外があった。
ひとつは、シオン・ノヴァ=デルカンダシアが噂と違って凡庸なだけの木偶ではなかったこと。
ふたつに、シオン・ノヴァ=デルカンダシアが既婚であったことを次代の上層部が知らされていなかったこと。
みっつに、シオン・ノヴァ=デルカンダシアが古代の婚姻方法によって最も難儀な誓いを行っていたこと。
そしてその相手が――
「――白い髪に金と蒼の異彩の瞳。そして名がバリー・アリウム。……名は今の今まで不明でしたが、十年ほど前に同様の容姿をした皇子が神隠しに遭っていると、記憶しております」
「……そう。やはり、そういうことになるのね。なんと厄介なことに――」
神隠しに遭った皇子は確か、公には病死となっていたはず。神に愛された人間は強力な加護を頂き、さらに気に入られれば召し上げられてしまうのは常だった。皇子は大層美しいと評判であった為、またか、と暗黙の了解で茶飯事な事件など特に誰も気にしていなかったが……。
当時は政権争いによって裏で激しい戦争が起きており、醜い血みどろの戦いの上に今はようやく落ち着いたところだった。……それが、急に有力な継承者が実は生きていたなどと知られればどうなるか――想像に易い。
「……この事実、いかがいたしますか」
「――上が、……いえ。東の魔女が黙認しているのなら口を閉じるしかないわ」
「承知いたしました」
――シオンの知らないところで世界は大きな転換を迎え、否応が無くシオンもそれに巻き込まれようとしていた。




