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半透明のケット・シー  作者: 七瀬渚
第8章/猫の目覚め(Juri/Ray)
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11.甘いあなたが……旦那さん(前編)



幽体で生きるか肉体を纏うか。



輪廻転生の記憶を持つ方と封じられている方。



妖精の住む方と存在すらしない方。




『運命』…それが



確かめられる方と絵空事でしかない方。




魂が形を持って生きる世界は大きく分けて二つ。


【アストラル】と【フィジカル】



形を成す魂はこの二つを交互に転生する。しかし、その事実を知る者は通常前者にしか存在しないのだ。後者は魂の記憶を持たない。いや、正確には肉体によって遮られ自覚するに至らない為だ。



こうも異なる二つの世界にはしばしば不思議な現象が起こるらしい。その一つが




ーー季節。




フィジカルに生きる人間たちは国、地域ごとの季節の違いを知っている。当たり前のように。



子どもたちだって知っている。北は寒い、南は暑い。が、南の極みまで行けば転じて極寒の地となる。


そしてある国の者たちは知っている。春夏秋冬。綺麗な四つに区切れる季節を実感できるのはちょうどこの位置に存在する島国であるからこそ。何処も一緒という訳ではない。そして、この先も永遠に四つであり続けることはきっと…ないのだ。



ところが肉体から解き放たれ新たな幽体を得た魂は、新たな世界でまた出会うのだ。国境なるものも人種なる区切りも存在しない世界で再会を果たす者は実に多いそうだ。全て、ではないが。




ーー私はこの風を知っている。



この匂いを、湿度を、暖かさを覚えている。




その感覚はカルマと向き合う役目を持つ世界に於いて、かつての記憶を取り戻す為の後押しとなる。季節は巡る。かつて生きた物質の世界とよく似た場所へ導かれた魂は、やがて知ることになるのだ。



ーーあの肉体は尊かったと。



どんな色、どんな形、どんな姿であったとしても、これ程奥深くへ染み渡る世界の息吹を伝えてくれた。時に痛みや悲しみをもって。



覚えさせてくれた。




中身タマシイだけでも外側カラダだけでも叶わない。双方が共に在って初めて『命』と称することができるのだ。



そしてこれもまた……永遠ではない。




永遠となるそのときには……









ゴロゴロと喉を鳴らしては時折正反対の色の頰を擦り合わせている。微睡みの差中も飽き足らず寄り添い続けている二匹の獣を眺める草原の彼女がぽつりとこぼす。



「本当に仲良しね、アンタたちは…」



ミク、レサト。




ーー昼下がり。頰を染めて苦笑する。何処か羨望の色を帯びたグリーンの瞳にはまだ弱々しいながらも確かに戻りつつある気配が伺える。


実際、いくらか身も取り戻した。相変わらずのスレンダー体型ではあるけれど、一時期のように骨の浮いた見るからに危うい質感ではなく、今は…柔らかく。



そんな彼女へ




「サシャさん!」




恐る恐る、だけど確実に距離を縮めつつあった者がいた。背後の上ずった声…むしろ叫びを捉えて振り返る彼女。見開かれた瞳へは間髪入れずに鮮やかな色の数々が飛び込んで。



そして告げられる。



「あっ…あっ、あの…っ!」


「これ、は…?」



「サシャさんっ!おっ、俺と…っ、おおおお付き合いしてくだしぁッ!!」



決まっていない。実に決まっていない決め台詞と、勢いより振り下げられて向いたつむじ。突き出されたままふるふる震えている花束を前に完全に動きを封じられていたサシャが、だいぶ遅れて開いた唇から漏らした。




デイビッド……




それからぐっ、と力を込めた。握り締めた拳にも、結んだ唇にも、真っ直ぐな眼差しから全身に至るまで。




「ごめんなさいっ!!」




真っ赤な顔でやっと告げた答えだった。




はぁーっ…と長くこぼれる野太いため息と共に瑞々しい花束もこうべを垂れるが如く足元まで沈んだ。まさに意気消沈。しかし、予感はあったと言ったところか。探るような上目遣いのデイビッドの言葉が示していった。



「やっぱり……アイツじゃなきゃ駄目っスか?」


「………」


「確かにいいと思います。背も高いし仕事できるし男だって憧れます。だけどアイツは一途過ぎますよ。きっと今だって、まだ…」



「デイビッド」



気まずさからなのかもはや視線も合わせられなくなった彼へサシャはゆっくり首を振った。横に。違う、そうじゃないの、と言いながら笑った。



「私にはまだやりたいことがあるの。今はあなたの方を振り向けない」



はぁーーっ、と更に長く伸びたため息はまるで、そっちかぁー、と嘆いているかのよう。



『稀少生物研究所』…この中でも特に高い身体能力と判断力、回転の早い頭脳、至るところに於いての高いスキルが必要とされる生物保護班で更に操縦士パイロットを務めている女性。そこらの男にも決して劣らぬキャリア志向。


誰もが知るこの事実は、彼が当初に投げかけた推測よりも遥かに説得力を感じさせると言っていいだろう。そんなところなのだが。



ーーねぇ、デイビッド。



サシャは問う。



「私の何処を好きになってくれたの?」



そのままでいい。カッコ悪いそのままで教えて、とでも言うように、見守る柔らかな眼差しをして。おずおずと顔を上げた彼へ想いはきっと届いた。だからこそ。



「……すみません。実は割と最近なんです」



こんな形で返ったのだろう。




「まだ回復してない身体でレイさんを追いかけていったサシャさんを見て…でした。気持ちは前から気付いてました。だけど…わかった気がしたんです」


「…うん」



「失礼ですけど、不器用な人だなって。こんなに美人で引く手数多あまたなのになりふり構わずただ一人を追いかける姿が…ちょっとカッコ悪くて」



ふふ、と笑う声がした直後、すみません!と慌てて頭を下げたデイビッド。服の裾を握り締めて、たまらないいたたまれなさに何とか耐えている様子だった。



そしてやがて。



「そういうの似てるなって…レイさんと。だからこのままじゃあいつかこの人も何処へ行ってしまうかも知れないって。そうなる前に…支えられないかなぁ、とか」


「それを聞いて安心したわ」



「え?」



新たな流れで動き出した。



「美化されたままじゃ困るもの」




最初の動きは白金プラチナなびきだった。肉付きも血色もだいぶ本来に戻った頰を覆ってくる長い髪、それをしなやかに左右へ掻き分けたサシャが言った。少し苦味のある笑みで。



「あなたの言う通りよ。私、カッコ悪いの。だからこそ放っておけなかったのかも知れないわね。もうどうやったって一番になれないのはわかってるのに、今でも…彼を見てる」



今でも



レイが好きよ。




「…やっぱり、ですか」



肩を落とすデイビッドが呟くとサシャは、ええ、と頷いてまた笑う。ねぇ、デイビッド。そう切り出すとまた変わる。澄んだ二つのグリーンが好戦的な強い光を帯びて。



「彼の悪口を言いふらしてるって聞いたときはどうしてやろうかと思ったけど?」


「すっ…すみません…っ!」



「ううん、言ってしまったものはもう仕方ないわ。それにあなたはちゃんと見てくれた。ちゃんと彼を探してくれたから、許してあげるわ」



「ありがとうございます…」



いたたまれずうつむくデイビッドの息遣いはもはや霞の如く消えてしまいそう。そんな彼の前、ひらりときびすを返したサシャは




ーーさぁ、行かなきゃ。




何処か晴れやかな声色で呟くのだ。夏に近付いた晴れの天を見上げているとわかる後ろ姿。サラサラたなびくプラチナはあまりに眩く、見上げたデイビッドの目細めさせた。



サシャさん…



やがて蘇った確かな息遣い。当初のものとはまた違う想いがすぐ後に告げられた。



「そのカッコ悪さ、俺には凄く眩しいです。やっぱり俺じゃ釣り合わないってわかりました。だから…ファンでいてもいいですか?」



ふふっ。苦笑に苦笑が被さる。ゆっくり振り向いたサシャは言う。その表情は更に輪郭を強めて。




「歓迎するわ。見ていてちょうだい。あなたのヒーローでいられるように頑張るわ!」



ありがとね、デイブ。




流れを変えた、風は彼女を後押しする。緊張が解けたのか力なくその場にへたり込んだデイビッドは遠く先へ行く彼女を見つめていた。やがて呟いた。



「ーーヒロインにはなりたがらないんですね、あなたは」



失恋特有の眼差しの中に確かに生まれていた。風に奪われて舞い散る花弁の鮮やかな群れがすっかり小さくなった彼女の後ろ姿を彩った。




眩さを前にした、羨望。





それは今、去りゆく彼女の中にも在る。いや、実際はもう何処かの時点で得ていたのか、後方に残された彼のものよりも確かだ。



緑の地の中心で足を止めて再び見上げた。煌めく蒼の機体が彼方にあった。



ーーレイ。



その名を呼んだ。馳せる想いが登っていく。



「私は私なりの形であなたを支えるわ。傍に居るわ。だけど…困ったわね。まだやり方がよくわからないの」



でもね。



「見つけてみせるわ。今世、私に託してくれた…あの子の願いだもの」




ーーしばらく後。



うん、と強く頷いた。強く確実な足取りで歩き出した新しい彼女は、新しい決意を強い声で。



「それが私のやりたいこと!」



己に刻み込むかのように言い切って進んだ。前へ。













「よっ、デイビッド」



バシッ、と強く叩かれる衝撃を肩に受けたデイビッドが振り返った。背後から見下ろす逞しげな姿二つを捉えるなり、情けなくすがるように呼んだ。



「エドさん、マーガレットぉ~」



うんうん、と頷いている二人にわずかな救いを得ているようだった。ところが。



「失恋お疲れさん!!」


「あんな高嶺の花に挑むなんて、アンタもなかなかの勇者だね~ぇ!」




「うっっぜぇぇぇえ!!!」




うんうん、と頷く動きはそのまま。揃って腰に手を当て顎を上げ、見下ろすニヤニヤ顔は逆光の効果に後押しされて更にサディスティックな雰囲気を醸し出している。傷心癒えぬデイビッドが青筋を浮かせるのも無理はない。



「そっちはそっちでデキてるからって上から目線かよ。何だよ、ちくしょう」


「な…っ!別にデキてなんか…!」


「ん?何がデキてるんだ?」



「あー、はいはい!図体も態度もデカイもの同士よくお似合いだよ、もう」



ご馳走様!と吐き捨てるとガサガサ包みの音を立てて立ち去るデイビッドは途中、頬擦りし合っているミクとレサトに気付いてなおさらげんなりとため息をついた。不憫だ。



「ちょいと言い過ぎちまったか?」



太い指先で頰を掻いているエドは相変わらず気付かない。隣の彼女の赤らんだ色合いに気付かないまま、新たに切り出した。



「サシャもそろそろ他の男を知ってもいい頃なのにな」



苦笑いを浮かべている。そこへ



「惚れた相手が魅力的過ぎたんですよ。そう簡単には割り切れない…わかります?」



冷ややかに述べてみせるマギー。至って通常のやりとりのようだった。しかし流れはまた変わる。穏やかであっても確実に方向を変えている。それ程に…




ーーなぁ、マギー。




「ぶっちゃけお前も狙ってただろ?レイのこと」



「…バレました?」




灼熱の夏に至らない風は気まぐれだ。




「だってお前すげぇわかりやすいじゃん。あんなモロに色目使ってたら誰でも気付くっつーの」


「これからもっと増えますよ、そういうの」


「マジか」



「だってレイさん男っぷり上げたじゃないですか。こんな不器用だったの?って目を疑う程…だけどちゃんとあの子の願いも叶えたんです。当然、株価急上昇。女の子殺到は間違いなしでしょう」



「…どんだけスペック高けぇんだよ、俺の部下」




ですね。そう言って笑った、マギーが見上げた先もまたあの方向だった。




「だけどあの人はぶれない。それこそがサシャさんが離れられない理由だと思います」


「そうか」


「だけど私には無理ですね。そんな人は御免です」



「お、おう…?」



マギーは、空を見上げてふっとこぼした。蒼を見つめて目を細めた、眩しそうに。



「流れは私が作りたいんですよ。乗ってくれる人じゃないと嫌です」


我儘わがままだな」


「知ってます」



エドも見上げた。ほんの少し、低く唸った。



「アイツは元々、人に合わせるタイプだったんだ。ストライクゾーンも意外と広い。マギー、お前とだって上手くいってた可能性は十分にある」


「…さりげなく馬鹿にしてません?」



蒼から視線をそらすとじとっ、と隣を睨み付けるマギー。わかってますよ、可愛くないし…なんてぼやき出した彼女に反してエドは遠くを眺めたまま。



ーーだけどアイツは選んじまった。



むしろ微笑んで。




「もう戻れはしないだろう。他の選択肢もあっただろうにな。ツインレイ…だっけか?あの方向へ進んじまった以上、アイツの孤独はこれからも…続くよ」



「孤独…」



「ーーそうだ。どれだけの人間と関わっても、例えいつか新しい恋をしたとしても。アイツのことだ。真剣にぶつかるし真剣に愛すると思うよ?だけど、な」




ーーそこに片割れが居ない以上ーー




「アイツの中には孤独が残り続けるんだろうさ。きっとうんと先までだ。再会できるトキが訪れるまで、な」





蒼の機体はもう見えない。不穏な入道雲も降らすことなく去った。



微睡みから覚めたミクとレサトも何処ぞへ去った。暑苦しいまでに寄り添ったまま



何処かへ。





【孤独】




それは再び響いた。凄く小さく、小さく繰り返された。




「孤独…だけど、孤独じゃないですよ」



ん、と見下ろした哀しげなブラウンの瞳に答えた。優しく、でも強く光を宿した同色が見上げた。



「私、思うんです。孤独を知っているのは孤独を打ち消してくれる存在を知っているからだって」


「マギー…」



「…繋がってるって、知ってるからですよ。だから逢いたいと思うんです。何処までも、飛んでいけるんですよ」




がらんと空いた緑の空間の中、眩い陽が降りる中、二人は飽き足らずに見上げた。どちらからともなく呟いた。



「…馬鹿だな」



「馬鹿、ですね」




くすぐったげに笑いだした。どちらからともなく手を重ねていた。



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