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半透明のケット・シー  作者: 七瀬渚
第8章/猫の目覚め(Juri/Ray)
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9.目指していけるもの



ーー祝い事の度にお世話になった木梨花店からあの花が消えたと聞きました。


私が目覚めるそのときはまではしゃんと背を伸ばしていたそうです。決して大ぶりではなく慎ましげな佇まい、それでありながらもまるで寄り添うように付き添うように、花瓶の中から私を見下ろす姿は頼もしげでさえあったとのこと。



兼ねてより風情を好み、俳句やら短歌やら詩やらを嗜んできた祖母が語ってくれたことです。


彼女は言っておりました。




ーーあの花は何処から来たのでしょうーー



ーー誰が持ち寄り、生けてくれたのでしょうーー




不思議ですね、と微笑むしわだらけの表情は柔らかく。私の知るどれよりも穏やかな声色だった祖母は、私の手の中でしおれかけているそれを受け取って、後日また持ってきてくれました。



そして今、再び私の手元に在る。



ごく自然に思いました。形ある限り生涯を共にしようと。宝物として守り続けよう、と。




心安らぐ優しい青色



【勿忘草】のしおりです。








ーー6月中旬。




新しい病室の窓からはほんの端っこばかりの濡れた新緑が目に映ります。



まだ思うようには動けないので、お気に入りの詩集や小説を読んで過ごす日々。物語の途中には宝物を挟みます。大切に大切に、見失わないように、頼んで付けてもらった情熱のあかの紐を垂らします。



わかりやすくていいんです。まるでここだよ、と言ってくれているみたい。教えてくれているみたいでほのかな力が沸いてくるのです。



ここに居るよ。繋がっているよ、って。呼んでくれている先へ。



“私”は歩いていけそうな気がするのです。




そう、きっと歩いていける。



木梨花店から勿忘草が消えた意味ならもう知っています。簡単です。



季節は移り変わったんですもの。そしてもう少し、あともう少し…



梅雨空のもとへと出られた暁には




ーー辛抱強い愛情ーー




もう満開になっているはず。寄り添うあの姿にも会うことができるのでしょう。





こんな風に密やかな想いを馳せているうちに



ガラッ



いつの間に。




「気分はどうだ?磐座」




こうしてまた来てくれた。



何だか懐かしい顔をしている。巻き上げ奪う激しい嵐なんて嘘みたいに、徐々に確かに優しいそよ風をその身に取り戻していくこの人に。



今日は彼に



一つお願いをしてみるつもりです。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



たった独り冬の海に紛れて、意識から躍動まで止まってしまった。約半年と一ヶ月、眠り姫で居続けた磐座樹里が目覚めた日から数日後。移り変わったばかりの月の上旬。日曜日。




「で、この間は榊先輩にこき使われてさぁ〜」


「ヤバイね!懲りないねぇ、桑田先輩も」





今日はクラスメイトの女子が二人やってきた。童顔ながらも愛らしい笑顔、二年に上がったら主役抜擢間違いなしと言われてきた演劇部の水原さん。それから年相応らしからぬ大人びた表情と仕草がクールな印象の三枝さえぐささんだ。



この情報だけでもきっと誰でも察しがつく。小さな町の公立高校ではとりわけ目立っている存在なのだが…



「でも桑田先輩、榊姐さんが好きなんでしょ?ありゃ完全にマゾだね」


「ホントホント〜…って、茜ちゃん!これ内緒だかんね。私が言ったとか言わないでよぉ!」




何のことはない。三度の飯より恋バナとやらが好きな好奇心溢れる女子高生そのものだ。それまで恐れ多いとさえ思っていた彼女たちの素顔。わかってくるとじわじわとくすぐったく、可愛らしく感じてしまって、思わずくすっと微笑む樹里に



「磐座さんもだよ!」



思いがけないタイミングで振ってきた。凛とした漆黒をぱっちり見開いているところへ更に、人差し指を唇へ宛てがった水原さんが「ナ・イ・シ・ョ」と念を押した。だったら言うな、と冷ややかに突っ込む三枝さん。ごもっともだ。



「本当、人の好みってそれぞれだよねぇ。茜ちゃんはたくまっちでしょ?」



弱り顔の水原さんは元々こんな調子なのか、それとも単に忘れていたのか、こんな風にさらっと口にした。遮るという程の早さではなかったけれど、しっ!と息で叫ぶ隣の彼女の顔色が変わるの本当に一瞬だった。



あ……っ。



厳しい大人顔を捉えるなり凍り付いた水原さん。彼女の視線がきごちなく向かった先で否が応でも察してしまう。やっぱり何か伝わっているのね…自然とわかって少しばかりうつむいてしまった。それでも樹里は



「…大丈夫ですよ」



気遣う視線を向けられた樹里は微笑んでみせた。わずかに開いた唇の隙間から長いため息をこぼした方、三枝さんはしっかりとぶれない眼差しで言った。



「わかってるよ。想いって簡単じゃないんだ。すれ違うこともある」



ちょっぴり不器用な形の笑みを作りながら言ってくれた。



「たくまっちは…ちょっと未練がましいとは思うけど、元々どっちも悪くなかったんだよ。たくまっちの気持ちも磐座さんの気持ちも嘘じゃないんだって、今は思う」



「ありがとう…三枝さん」




正直、何処まで知っているのかわからない。彼から何を聞いたのか、どう伝わったのか、直接耳にしていない以上、できることと言ったらせいぜい根拠のない推測くらいだ。



だけどこうして彼女なりに辿り着いてくれた。わからない部分はある。それでも確かに感じ取れるところを信じてる。


一方的な決め付けとはまた違った受け止め方を知った、更に大人に近付いた彼女を見習わなくては…そう思ううちに溢れてきてしまった。



「やだっ、泣かないでよ、磐座さん!」


水原さんの方は慌てふためいているけれど


「ううん、いいんだ。泣いていいよ」



ゆっくり首を横に振る、三枝さんの方はやっぱり落ち着いている。それから彼女は言った。ぎこちなく、でもはっきりと。



「悪いことしたよ、私も。この際だからぶっちゃけるけど…私、磐座さんが気に入らなかったんだ。理由なんて一つしかなかったのに無理矢理こじつけて、自分まで騙してさぁ…」



綺麗に手入れされているセンターパートの髪を掻き上げた。さすがに苦しかったのか、視線はそらしていたけれど。




「好きな男の肩を持ちたくなったんだ…カッコ悪いよね」



自己嫌悪に満たされた詫びが告げられる。ゆっくり目を細めていった樹里は動いた。気が付くと、小さくかぶりを振っていた。



「…ううん」




ううん。




もういいの。そんなに自分を責めないで、三枝さん。



だってそんなの私も同じだもの。あなたを責める資格なんて私にはないの。




ーー優しいんだもん!ーー



ーー悪くないもん…!ーー




好きな人を守りたいって、思うもの。





ーーしばらくしん、としていた。言うまでもない、例えお互い気遣い合ってはいても張り詰めてしまう。いたたまれない気まずさが部屋いっぱいを占めていた頃。




「ねね、それよりさ!磐座さんの理想の男性像ってどんなん?」



身を乗り出した水原さんが不自然ってくらいに強引に切り替えようとする。すっごい気になる〜!なんて。甘える目をしているこれだって彼女なりの気遣いだとわかって笑みで返した。



ありがとう。


乗らせてもらう、ね。



微笑ましい思いで樹里はそっと口を開いた。まだ上手く呂律が回らないながらも確かに紡いだ言葉は、その先は、きっと意外なものだった違いない。





ーー青い目の人。




えっ、と返ってくる声が届いても、驚きの表情を目の当たりにしてもなお。




「背がすっごく高くて、目つきは鋭いの。奥まってて渋い感じで…うんと近付かないと色も表情もわからない…」




閉じたままの引き戸を見つめていた。あのドアよりも高い…そう呟くと、ええっ!と更に大音量の驚きが後ろから響いた。



だけど実際はもっともっと遥か彼方へ向けるような眼差しをしている、樹里自身の瞳もまた驚きに満ちいくようで。




「それって外人さん?」


「いや、むしろ俳優だよ。レベルたっか!」


「うん、意外〜!じゅりたん理想高いんだぁ!」




やっぱり、と思った。そうよね、やっぱり意外…よね、って。自分で言って自分で頷いてしまう樹里は、たった今新たな名称で呼ばれたことにさえ気付かない。



「じゅりたんって…馴れ馴れしいわよ、水原」


「えぇ〜、いいじゃん。可愛いじゃ〜ん!」



くすくす笑う声が徐々にはっきりしていった。同時に確かになった。樹里はゆっくり振り向いた。




でも…ね。




いつの間にか自身の口調も砕けていると気付かない。だけど気付いた。



今、更にはっきりした理想像。その決定打を教えてあげようと再び口を開いた。頰を染め、いっぱいに口角を上げて伝えた。



「すっごく優しいの。誰にも負けないくらい一途で真っ直ぐで、ちょっぴり鈍感なんだけど…放っておけないの」



すごくしっくりきた。しばらくぽかんと見入っていた二人もやがて笑った。納得、そんな表情を作って。



「うん…いいね、それ」


「いかついのに中身は純朴…!じゅりたん、ギャップ萌えわかってる〜ぅ!!」



「…いや、違うでしょ」



目をキラキラさせて鼻息荒く詰め寄る水原さんと冷ややかに突っ込む三枝さんとのコントラストが鮮やかで、可笑しい。


ギャップ…そうね。確かにそれも…?



ちょっと納得しかけてしまった。自分自身にも笑ってしまう樹里に。




ーー樹里。




新たな響きでまた届く。




「中身が大事ってことだよね」



うん…



「それって最っっ高に、理想高いよ?樹里」




ーーうん。



私も…そう思うわ。




どうしようもなく広がっていく想いに胸がいっぱいに詰まって、声にはならなかった。


じゃあ演劇部に入る?女優目指す?なんて言ってる水原さんと、お腹を抱えて笑っている三枝さんへ。きっと新たな関係へ変わりつつある二人へ、指先で目元を拭う樹里は強い頷きと満面の笑みで返すのが精一杯だった。








「じゃあまた来るね、じゅりたん」



「風邪引かないように。ゆっくり休むんだよ」




空が恋慕の如く色付く夕方、終始賑やかなエンターティナーのようだった二人が個室の病室を後にした。




「案外面白いよね、じゅりたん。天然で可愛いっていうかぁ〜…」


「見た目は大人っぽいけど箱入りのお嬢様だもんね。きっとまだ知らないことも…」



いっぱい……




密やかに楽しげに笑い合っていた二人の会話は途中で止まる。正直からやってきた覚えのある姿を捉えて、とりわけ片方は遠慮がちながらも抑えが効かずに明るんでいく。



「たくまっち!」


「今日も来たんだ?」




ーーああ、と答えた彼。



葛城拓真は素早く自身の片手を後方へ追いやって隠す。何、何?と言わんばかりに覗き込もうとする好奇心旺盛少女・水原に対して、早熟系少女・三枝茜は特に何もしようとはしなかった。ただ見つめていた。静かに。




やがてごく自然に交差して、それぞれの方向へ進んだ。



「…たくまっちも辛いよね」



ついさっき目にした、残り香のような哀愁の表情を自身の中で確かめている、そんな面持ちの茜は続けた。そういえばさ、と。何処かでふと思い出したように。不意に。




「ドアよりも背の高い人…私、何か見たことある気がするんだよね」


「ええっ、本当?どんな?」



「……よく思い出せない、けど」




指先で顎を摘んで。うーん、と小さく唸って難しい表情をうつむかせている彼女に向かって、まるでわからないといった風のもう片方は笑った。もっともな突っ込みが今度はこちらから放たれた。



「夢でも見たんじゃない?あのドアより大きいって言ったら180センチなんてゆうに超えてるよ!そんな目立つ人がいたら忘れられないはずでしょ」



顔も名前も。




「ーーうん」




……そうだよね。





自分でも可笑しくなったのか、ふっと微笑む茜も元に戻っていった。それでも




「………」




きっと確かに届いた。




『磐座樹里』の名が記された病室の前で振り向いている彼には、きっと。







ーーそれから面会時間終了まで、静寂の病室にはただ二人だけ在り続けた。会話という会話もほとんど無い中、かつての柔らかい面持ちを取り戻しつつある彼は、手の中ですっかりあったまってしまったものを樹里に見せてくれた。




「少しは上手くなっただろ」


「うん…綺麗」



「確か誰かに言われたんだ。笑われたんだ、下手だって。悔しくてさ…だから練習した」



「ありがとう」




何枚かの青い欠片をテーブルの上で集めて寄せる。寄り添う形ができていくと樹里は満たされていくみたいに笑った。おんなじように変わりゆく、まだ哀愁の余韻を漂わせた葛城は言った。



「今度は本物見にいこうな。俺、車椅子押すから」



「うん、葛城君。連れて行って」




情熱のあかに満たされていく窓の外に目をやった。また遠く先を見ている、惚ける眼差しの樹里がやがてぽつりと呟いた。




ーーカシワの木。




「……!」




「あの神社の…」



「磐座?」




やがてぽつりと落ちた、雨だれ。すっかり表情を変え、何か確かめようとばかりを身を乗り出した葛城に振り向いた樹里は言った。まず一つの願いを。




「行ってみたいです。あそこもきっと…綺麗だから」




決して見えはしない。至って自然に微笑むその姿は彼に何も解き明かしはしなかっただろう。



だけどきっと、この瞬間に決まった。まだ上手くは動かせないけれどやってみようと思った。



動きを取り戻したばかりの指先で、これで綴ろうと決めた。歩けなくても進めなくても



確かに残り続けているこの想いはきっと進むんだって、信じて。




――未来へ――



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