20 山田和男 ※後書きあり第12回心理学用語解説コーナー『同調行動・効果(ペーシング)』
後書きに解説コーナーあります。
「――すみません、本日パーティールームを利用している者ですが」
そんな声に事務作業の手を止めて振り返ると、ふたりの若者が出入り口の横に立っていた。
内線を使わずにフロントではなく、わざわざスタッフルームに訪ねてくるということは……何かあったのか? と嫌な予感を感じながらも、即座に営業スマイルを張り付けて口を開いた。
「本日は当店をご利用いただきまして誠にありがとうございます。お客様、いかがなさいましたか?」
「いえ、少し責任者の方とお話がしたいと思って勝手ながらこちらを訪ねさせていただいたのですが……」
シルバーフレームのメガネを掛けた若者の言葉に棘はなかった。むしろ若者にしては好感を覚えるほどの丁寧な物言いだった。
度々あることなのだが、直接スタッフルームにクレームを入れにくる客の大半は敵意むき出しで食って掛かってくるため、ますますこの若者が何をしようとしているのかがわからなくなり、嫌な予感は徐々に恐怖心へと変わっていった。
「それはわざわざご足労いただきありがとうございます。私が当店の責任者であります店長の山田和男と申します」
「そうですか……それならばお話は早く済みそうです」
若者は目を細めると無機質な笑みを浮かべ、手に持っていた電目をこちらに向けた。
画面には【学割ソフトドリンク飲み放題コース】の文字が表示されている。
一体なんだ? ミスオーダーか? それともバイトが何かやらかしたのか?
その行動の意図が読めず私が考えあぐねていたら、若者が落ち着き払った声音で語り始めた。
「このお店では学割を適用するには事前に学生証の提示が必要だそうですね?」
「はい。その通りです」
「そこでタロ……彼が代表者として学生証の提示を行ったそうです」
隣に立つタロと呼ばれた若者が「こ、これがそん時に提示した俺の学生証です」そう言って私に手渡してきた。
受け取り中身を確認すると何度か目にしたことのある近郊の高校の学生証だった。
これを私にわざわざ見せる意味か。コースも適正で問題はない……ダメだ。やはり意図が読めん。
「確かに学生証ですね」
何を問題にされているのかすらわからない恐怖は募る一方で、いい加減答えを教えてほしいと若者に目で訴えかけた。
一切の意図を読ませない若者は私の機微を感じ取ったのか、ゆっくりと頷くと話しを再開した。
「えぇ。学生証です。学生であること……そして我々が“未成年”であることを証明する物でもあります」
確かに生年月日からするに未成年であることは間違いなかった。
……だがそれを私に再度見せる理由がてんで思い当たらないのだ。
彼らが未成年であるからこそ困ること……門限、というにはまだ時刻は早い気がする……そうなると飲酒か? いや、だがソフトドリンク飲み放題のコースであることは今し方確認したばかりだ。わざわざ追加料金を払ってアルコール飲料を頼むとは考えにくい。それに万が一、オーダーしたとしても未成年の学割が適用されている彼らにアルコール飲料が提供されることはない。……ホールとキッチンのダブルチェックが漏れ、“ミスオーダーでもしない限り”。
私が何も言わず考え込んでいると若者の言葉は続いた。
「次にこのドリンクのオーダー履歴を見て下さい」
「レモンソーダにオレンジジュース、サイダーに緑茶……」
当たり前のことだが画面にはソフトドリンクの注文だけが並ぶ。
……なんだ、何もないじゃないか! 脅かしやがって!
私が懸念していたアルコール飲料の提供はどうやらなかったようだ。それ故に内心で安堵すると同時に当然の疑問が浮かぶ。
……若者がここに来た理由、それ以前に何が問題なのかすらも。
だからこそ私は一番安易な選択をしてしまった。
安堵による油断、それと子供にいいように翻弄される自分への苛立ちから……。
「このオーダーに何か問題でもありましたか?」
「……なければ来ませんよ? まだ分かりませんか?」
「……人が下出に出てるからって調子に乗るなよガキ? 何が問題なのか知らんが、大人をバカにするのも大概にしろ」
思考を停止して感情に身を任せた結果はこの通りだった。
一回り以上も年下の若者にこの様である。
我ながら情けないと思いつつも一度湧き上がってしまった憤怒を自制することはできず、心火は勢いを増す。
「おぉ~恐い。客相手に恫喝するのか? ……まぁ、話しが進まなくなるから今のは聞き流してやるよ」
私の変化に合わせて若者の態度もシフトした。
この状況を楽しんでいるかのような微塵も恐れを感じさせない深い笑みを湛えた若者はそのまま話を続ける。
「っんだとぉクソガキィ!? テメェは何様だ!?」
「はぁ? ……お客様ですが何か?」
「ふざけてんじゃねぇぞ!? ……営業妨害で警察呼ぶぞ、警察?」
「いいことを教えてやろうか? 営業妨害ってのは一般的な解釈であって、こういう場合は業務妨害って言うんだぞ? 分かっ――」
「クソガキが能書き垂れるのもいい加減に――」
私という烈火に注ぎ込まれていたガソリンの影響で、今にも若者に掴みかからんとした時だった……、
「ちょっ、ふたりともその辺にして一回落ち着きましょう?」
これまで主人に付き従う忠犬が如く静観していた若者が慌てたように間に飛び込んできたのだ。
――その瞬間、私の中で燃え盛っていた火が突如として消えた。
私はこんな若者相手に何をしていたんだと、他人に宥められて情けなさが怒りを上回ったからだ。完全な自己嫌悪である。
「さて、本題に入るとするか」
「……すまない。そうしてもらえると助かる」
「俺らのドリンク類には全て、アルコールが入っていた。と言えば分かるか?」
「どういうことだ? オーダー履歴はソフトドリンクだったはずだが?」
……まさか。いや、そんなことはないはずだ。
「あぁ、そうだな“オーダー履歴は”だけどな」
「……何が言いたい?」
「物事に絶対はない。それに人は勘違いをする生き物だ」
神妙な面持ちで若者は言った。
どうか、どうか誤解であってくれ。
そんな希望的観測を唱える私の耳に若者の言葉が届いた。
「ホールとキッチンのやつを呼んでみたらどうだ?」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
それから先はあっという間の出来事だった。
事の重大さから場所をセキュリティールームに移し、内線で呼び出したキッチン担当とホール担当のふたりのバイトに尋ねてみたところ、悪びれた様子もなくアルコール類を提供したことを認めたからだ。
何故だ? と問いただしたところ、もう一室のパーティールームに入っていた大学生の団体と勘違いをして提供したとのことだった。
先程若者が言った「物事に絶対はない。それに人は勘違いをする生き物だ」という言葉通りの事態だ。
「さて、これからどうするよ店長さん? これが公になったらあんたはどうなると思う?」
背筋に悪寒が走り大粒の冷や汗が頬を伝い、若者の言葉に胃が締め付けられて声にならない悲鳴を上げた。
若者に言われずともどうなるかは理解している。何故ならばアルコールを扱うための関係法令の教育は本部から徹底的に受けているからだ。
未成年者飲酒禁止法――その名が示す通り未成年者の飲酒を禁止する法である。
「未成年者飲酒禁止法、第1条、第3項“営業者ニシテ其ノ業態上酒類ヲ販売又ハ供与スル者ハ満20年ニ至ラサル者ノ飲用ニ供スルコトヲ知リテ酒類ヲ販売又ハ供与スルコトヲ得ス”。それと第3条、第1項“第1条第3項ノ規定ニ違反シタル者ハ50万円以下ノ罰金ニ処ス”。後は第4条、“法人ノ代表者又ハ法人若ハ人ノ代理人、使用人其ノ他ノ従業者ガ其ノ法人又ハ人ノ業務ニ関シ前条第1項ノ違反行為ヲ為シタルトキハ行為者ヲ罰スルノ外其ノ法人又ハ人ニ対シ同項ノ刑ヲ科ス”。……まぁ、分かってると思うが法律違反だな」
私が言葉を発せずにいるとスマホを操作していた若者がそう続けた。
第1条第3項は簡単に言ってしまえば、満20歳未満の者が飲酒してしまうことを知りながらアルコール類を販売、提供することを禁止しているものだ。
提供は営業者としての責任が問われているため、当然店舗責任者の私が対象者となる。
第3条第1項は、第1条第3項を違反した者に対して50万円以下の罰金を科すことを定めている。
……そして一番の問題は第4条だ。これは法人の代表者……要するに会社の責任者と実際の違反者の両者が処罰されることを言っているのだ。
そうなれば私は確実に解雇されるうえに次の職へ就くことは事実上不可能だろう。
――もしそんなことになってしまったらどうなる?
私には愛すべき妻がいる。守るべき子供もいる。
ならば私が取るべき対応は……、
「この度は誠に申し訳ありませんでした」
これしかないのだ。
恐怖、怒り、羞恥、罪悪感、加えて己への情けなさ。
複雑に絡まった感情を全て飲み込んで私は額を床へと押し付けた。
「謝って済めば警察はいらないよな?」
「返す言葉もございません」
「知ってるとは思うが飲酒をした未成年の俺らは処罰されない。まぁ、今回の場合はそちら側が100%悪いから当たり前だけどな」
この若者の言う通り、実際に違反した未成年者への処分は規定がないため行われることはない。
あくまで未成年者の飲酒を禁止するための法であり、取り締まるものではないからだ。
そもそも今回のケースは若者達に一切の非はない。勝手にアルコールを提供した我々にすべての責任がある。
「その通りです」
私が頭を下げ続けていたら静寂に包まれた室内に、パンッ、と乾いた音が響いた。
何の音だ? と恐る恐る顔を上げてみると、両手を合わせ初めに見せた無機質な笑みとは違う年相応でいたずらっ子のような微笑を浮かべた若者が口を開いた。
「よし、なら手打ちにしよう」と。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「はぁ~」
極度の緊張や恐怖から解放され、長いため息の後私は椅子に倒れるようにへたり込んだ。
この数十分で一気に老け込んだ気がする。
「大丈夫っすか店長?」
「ほんと、すいませんでした。俺らが勘違いしたばっかりに……」
ふたりのバイトが私を心配するように声を掛けてきた。
本当ならば叱りつけなければならないが、今はその気力も体力もなかった。
「ふたりとも自分の将来が大事なら、この事は絶対に誰にも喋るなよ。死ぬまで……墓場まで持っていくべき秘密だ。以降は話題にすることも禁止にする」
「う、うす」
「わかりました」
「よし、ならすぐに持ち場に戻ってくれ……皆手一杯のようだからな。それと最後に、オーダーは必ず確認してくれ」
真剣な顔つきで頷くふたりをセキュリティールームから送り出し、煙草に火をつけ紫煙をくゆらせた。
「さすがは刑事さんの息子ってところか……」
若者から最後に渡された名刺を眺めながら思う。
――始めから私は城戸という若者の掌の上で踊らされていたのかと……。
第12回心理学用語解説コーナー『同調行動・効果』
『同調行動・効果』について
“赤信号みんなで渡れば怖くない”。
1980年に流行したこの言葉。みなさんもどこかで一度耳にしているかもしれませんが、『同調行動・効果』はまさにこれのことなんです。
赤信号だけど、あの人が渡っているなら自分も、私も、俺も、僕も、といった具合に同調して行動してしまうことです。
このイメージですとなんだか悪いことのように思えますが、裏を返せば人を操るには最適な心理効果なんです。……あれ? 結果的に悪いような……。
さて、なぜ人を操れるのか? ですが、とても簡単なことです。
あなたが一番始めに赤信号を渡ってしまえばいいからです。
(注意※例を挙げているだけであなた自身に赤信号を実際に横断させようとするものではありません。交通ルールはきちんとお守り下さい)
例えばあなたが飲食店店主だとします。
味には絶対の自身があるが、全然人が集まらない。
そんな場合どうしますか?
真っ当な手段としては、認知してもらうためにビラを配り雑誌やネットに広告を打つ、割引やランチなどのキャンペーンをする、だと思います。
実に当たり前なことです。間違いではありません。
けれどそれでもまだ足りません。
あなたのお店と繁盛店の違いは何ですか?
お店の活気? いいえ、そこに差はありません。店主のあなたは十二分に精一杯働いているはずです。
やはり味のさ? いいえ、それも違います。個人の差はあれ、あなたの味は確実に大半の好みです。
決定的に違うこと……それは――お客様が集まっているか、です。
いやいや、そのまんまじゃねぇか! とお思いの方、まさにそれです。
お客が集まる→繁盛する、ではこの先は?
答えは、お客様が捌けなくなる。そして“行列が生まれる”です。
もうここまで来れば私の言いたいことが分かるかと思います。
繁盛している店はやがて行列店となります。
店の外にお客様が延々と並ぶ様を見て大抵の方は興味をひかれるはずです。
そうなるともう止められません。
空腹時に食欲をそそるにおいがかおり、顔を向けると大行列。一体どれだけ美味いのか? と気になったら最後、空腹に耐えながらあなたは列に並んでいるでしょう。
長々と例を挙げましたが、要するに人を並ばせればいいのです。
親戚でも家族でもサクラでもいいです。
後はあなたの味に間違いがなければ同調効果で徐々に人が集まります。特に日本人は行列が好きです。
脱線しかけましたが『同調行動・効果』とはこのように人を操るのに適しています。
始めに挙げましたが“流行”のことです。皆が言い始めれば、使い始めれば流行るのと一緒です。
そしてこの効果は個人にも使えます。
『ミラーリング効果』という心理効果です。
この『ミラーリング効果』は本編では出していないのですが、次回番外編として解説させていただきます。
それと今回で3章は完結となります。




