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今俺の手の中には包み紙を纏い、香り高い湯気を放つ焼きたてのメロンパンがある。見るからにサクサクとした食感を生み出すであろうビスケット生地のラスクは程よい黄金色に輝き、中身の詰まったもっちりとしたパンの間に挟まれているのは、ボリューミーな四角いバニラアイスだった。
このハンバーガー然としたものがメロンパンアイスか。意外とボリュームがあるな。
夕食にはまだ早い時間帯のフードコートは閑散としていたが、念のため人目を避けて最奥の角席へと落ち着いた。
「いただきまー……むっ!!」
「いただきます……んっ!!」
メロンパンアイスを視覚的に分析していたところ、先に食べ始めたふたりがほぼ同時に固まっていた。
花ヶ崎はメロンパンアイスにかぶりついたまま目を見開き、水瀬はその逆で目を閉じて静かに味わっているようだった。
そんなふたりを見てメロンパンアイスの店員から「メロンパンは熱々なのでお早めにお召し上がりください」と言われていたことを思い出し、「いただきます」と俺もかぶり付いた。
……これは!
見た目の感じからは甘いもの×甘いものなのでしつこく、重たそうな印象があるが意外なことにアイスの甘みがかなり抑えられていてあっさりとしている。むしろアイスよりもラスクの方が甘い気がする。
そしてこの商品の一番の推しはパンのアツアツ×アイスのヒエヒエを同時に味わえることらしいのだが、これがまた何とも言えない絶妙な感覚だった。俺的にはラスクのザクザク感とパンのモチフワ感、それにアイスのしっとり感の様々な食感が同時に味わえる事の方が、スゴイ気がしたが……。
まぁ、結論は……非常に美味し! だった。
固まっていたふたりも意識を取り戻したのか、一度メロンパンアイスを置くと、
「Buono!」
花ヶ崎は頬っぺたを人差し指でグリグリとつつきながら。
「……Delizioso」
水瀬は紙ナプキンで口を拭いながら。
「…………なんですかそのイタリア語縛りは」
俺はその流れについていけず文句を垂れた。
「ちっちっち~城戸くん! 空気読もうよ! はいテイク2いくよー! Buono!」
おい! またやんのかよ!? イタリア語の美味しいって他に何があったっけ? 確かこの間テレビの雑学番組でやってたような……まさか! またテレビネタか!?
今摂取したばかりの糖分で頭を急回転させ、記憶の発掘作業に取り掛かる。
「……ん。Delizioso」
「えーっと……Ottimo? これでいいですか?」
「へ? エリー、オッティモって何語? そもそもデリツィオーゾも何語? そんでもってボーノってイタリア語だったの?」
「なんじ……」
なんじゃそれ!? ボーノが何語かすらも分かってない状態で言ったのかよ!?
危うくツッコミそうになったが、メロンパンアイスにかぶり付くことでなんとか誤魔化せた。
不審者を見るような目付きを花ヶ崎に向けられた気がするが、きっと気のせいだろう。
一方、花ヶ崎に話し掛けられた水瀬はというと余程メロンパンアイスが気に入ったのか、幸せそうな表情を浮かべながらぱくぱくと手と口を止めることはなかった。
「ちょっとエリー! 無視しないでってば~!」
「……ん? なに?」
水瀬は花ヶ崎に身体を揺すられてやっと手と口を止め、こちらに意識を回帰させたようだ。
ポカンとした間抜けな表情を浮かべる水瀬のある一点を見つめて、俺と花ヶ崎は思わず笑ってしまった。
「エ……リー……あっはっはっは~! どんだけ夢中になってたの!? ウケる~!」
「……どうしてふたりとも笑っているの?」
ツボに入ってしまったのか涙を流しながら笑う花ヶ崎の代わりに、笑いを堪えながら水瀬に伝える
「水瀬さん……アイスが頬っぺたに……付いてま……」
「……どこ? 笑っていないで教えて」
そこまで言って俺も堪え切れずに噴き出してしまった。
ハの字にした眉を気持ちばかり下げると、困惑と含羞が複雑に入り混じった膨れっ面を浮かべる水瀬。その頬にはうっすらと朱が融け、一点の清高な純白を彩るかのような、さながらレッドカーペットと化していた。
「ここ」
笑いを抑えられない俺の代わりに、先に復帰した花ヶ崎が水瀬の問いに答えたが、それは行動を伴ってのことだった。
水瀬の右頬に付いていたアイスクリームを指で拭うと、「美味しい」と呟きながらぺろりと舐め取ったのだ。その姿がなんとも艶めかしく見えてしまうのは俺の心が荒んでいるからなのかもしれないが……。
「ありがとう紗英」
「どういたしまして~。それでそれで、エリーはどうやって城戸くんのこと誘ってきたの?」
「それは……その、もともと城戸くんと出掛ける約束をしていたのよ」
「ふ~ん? エリーってたまに結構大胆なことするよね~」
「……どういうことかしら?」
「え? だって今日って城戸くんの歓迎会に着て行く洋服を、わざわざ、見に来たんだよね?」
俺が一切関知していない会話が始まったため、メロンパンアイスを食べることに専念する。
焼き立てからくる熱気が徐々にアイスを溶かし、パンの表面をしっとりとコーティングしたことによって更なる食感の変化が生まれていた。出来たても充分美味いが少し時間を置くことでまた違った美味さが顔を出すので、よく考えられているなと感心しながら食べ進めた。
「別にわざわざ見に来たわけではないのだけれど?」
「あれれ~? そんなこと言っていいのかな~? “紗英のセンスを全面的に信頼してき――”」
「紗英っ! それ以上喋ったらもう二度と口をきかないわよ!」
以前と力関係が逆転している気がするのは俺の気のせいだろうか?
それにしても水瀬と花ヶ崎の会話が謎だ。
本来は花ヶ崎に対する協議をするためのものだったはずだが、何故かその本人もこの場にいる始末。一先ずこの状況が一切読めないので色々と考える必要がありそうだ。
①ふたりの会話から察するに今回のこの集まりは水瀬が企画したものらしい。
②目的はどうやら歓迎会に着て行く洋服を見に来たとのこと。
③俺……要らなくね?
「ごめんなさい! もう二度と言わないから許して〜!」
「……分かればよろしい」
「あの……花ヶ崎さんにひとつ失礼な質問をしてもいいですか?」
「城戸くん謙虚だねぇ~。バストサイズ以外なら答えてあげるよ~?」
花ヶ崎は笑いながらそう言って横を向き「御嬢さんエエ乳してまんがな~グヘヘ~」と水瀬に対してセクハラ発言をしていた。おい! それでいいのか読者モデル! 水瀬がもの凄い眼力で睨んでるぞ!
色々と考えたところで俺が連れてこられた理由に辿り着ける気がしなかったので、興味本位で下世話な話を持ち出した。正直会話に参加できなくて、俺本当に要らない子なんじゃね? と寂しかっただけなんだが。
「甘いものとか高カロリーなものって摂取していいんですか? モデルさんって食事制限とか厳しく決められてるイメージがあるんですけど?」
そんな世間一般の疑問を現役読者モデルにぶつけてみた。
「ぷっ……あっはははは~! ……もう……今日はよく笑わされてるからお腹痛くなってきちゃったじゃん! 本当に失礼って言うか無遠慮な質問だね~」
そこで一度言葉を切ると笑い過ぎて溜まってしまった薄い涙を拭い、花ヶ崎は居住まいを正して対面からこちらを見据えた。その瞳には真摯で純粋な光が灯っている。
どうやら真面目に返答してくれるようだ。
花ヶ崎の切り替わりに合わせて俺も姿勢を正した。
「厳密に言ったら……確かにあるよ。それは事務所から課されたり、各々で律したりで様々だけどね? モデルの仕事って一般的に見たら華々しいイメージがあるかもしれないけど、実は結構な体力勝負の仕事でね、開始は基本朝からだから早朝にはもう動き出してるし、撮影も一切の妥協が許されないから納得できるものが撮れるまではカメラマンさんも、ウチらも止めないからね。……そうすると大抵の現場は長時間撮影になるんだ。撮影中もただぼーっと立ってるだけじゃなくて、数秒ごとに色んなポージング。……だから事務所から課せられているのは、本当の意味で最低限のライン。過度な食事制限で倒れられたら元も子もないからね」
「……そうなんですか」
「うん……定められた制限内で万全のコンディションにもっていくのもウチら自身の仕事だしね。だからこそ皆、自分には厳しくしてるよ。……けど中には食べないだけの食事制限をしてるモデルさんってのも実際いるんだ。そういう人は増減も激しいし、何しろ健康的なスタイルをしてないから、ウチが言うのもなんだけど、そういう人は二流だと思う。……だってモデルが病的なスタイルだったら読者は……城戸くんだったらどう思う?」
「まぁ、嫌ですね」
「でしょっ? だから大半のモデルさんはちゃんと食べて、運動をして、体力を付けるのと同時にスタイル維持にも気を付けてるんだよ。あっ……けどちゃんと食べるって言ってもメニューはきちんと栄養のバランスと摂取カロリーを考えてあるものだけどね」
軽い気持ちでしてみた質問にガチな答えが返ってきて軽くポカンとしてしまった。
「だとすると花ヶ崎さんも食事制限とかしてるんですか?」
「してるよ? けどウチの場合ちょっぴり変わってるかもだけど」
「変わってる?」
「うん。だって食べたいものは我慢しないで食べるもん! このメロンパンアイスもそうだし……エリーお手製のお菓子とかね!」
そう言って水瀬にたおやかに微笑みかける花ヶ崎。「別に私のなんて単なるお菓子よ」口ではそう言う水瀬だが、顔を明後日の方向に向けたところを見ると嬉しかったようだ。その証拠に長い黒髪が掛けられている耳は仄かに赤らんでいた。
「それって矛盾してませんか?」
「矛盾? 食事制限してるのに好きな物を食べてるのはおかしいってこと?」
「はい」
「確かにね。だからウチのは変わってるんだよ。食べたいものを我慢するっていうのは、凄くストレスだよね? そのストレスで色んなバランスを崩すことになるくらいなら、好きなものを、食べたいものを食べる。もちろん量は抑えるけどね」
「……それぐらいじゃ体型維持は出来ないんじゃないですか?」
「そだよ。だから、食べた分だけ身体を動かすの。これなら自分自身にも言い訳できないでしょ? それに好きなものっていうご褒美をもらえば、その分だけ体型維持っていう義務を果たすために頑張ろう! って思えるじゃん?」
「ストイックなんですね。もし自分だったら、怠けてダイエットサプリとか使っちゃいそうです」
「ご褒美もらってるんだから全然ストイックなんかじゃないよ。……ダイエットサプリね~。使ってるモデルさんも、まぁ~中にはいるだろうけど、それ使って痩せて意味あるの? って思うかな。……だって使う理由って、楽して痩せたい、でしょ? そんな理由で使っちゃうなんて、この仕事に対する熱意って所詮そんなもんなんだ、って感じる。周りの人から見たらどう思われてるかは知らないけど、ウチはちゃんと自分のことをプロだと思ってこの読者モデルって仕事をしてるんだ。だからこそ……手は抜きたくないし、何かを言い訳にしたくない。……えーっと、色々、カッコつけたこと言っちゃったけど、結局はこのお仕事が好きなだけで……“やってみようか悩んでた時にウチの背中を押してくれた人”に下手なカッコは見せられない、っていう自己中な理由なんだけどね」
花ヶ崎の普段とのギャップがあまりにも激しすぎて、今目の前にいるのは別人なのかと思ってしまうほどだった。
花ヶ崎に自覚があるかは分からないが、普段からこのように“仮面”を付け替えて過ごしているのだろう。
お茶の間や皆から親しまれやすい“明るいクラスメイトとしての花ヶ崎紗英”と、仕事にはストイックに、真面目に取り組む“プロの読者モデルとしての花ヶ崎紗英”。
そう考えると仮面を付け替えているというか、普段は上手く猫を被って凛としている水瀬と仲が良いのはなんとなく納得がいく。
『親密化過程』の第1段階の出会いでは互いに『ハロー効果』からくる、プラスなイメージが『初頭効果』によって固定される。水瀬と花ヶ崎の場合は互いの美貌によるものや、校内でのヒエラルキーによるプラス評価だ。
次いで第2段階の親近化では毎日強制的に学校で顔を合わせることによって、ザイアンスの第2法則『単純接触効果』が働き、自然と好意的に思うようになっていく。ふたりの場合は学校でのすれ違いや、昼食時などでも成り立つだろう。
そして第3段階の定着化では『共通項、類似性の原則』により、相手が自分と似ている部分を見つけ出すと価値観が同じであるかのように感じ、次第に深く打ち解けていく。これは今俺が思ったもので、要するに共通するものが多ければ多いほど仲が深まるってやつだな。
……まぁ全ては俺の想像ではあるのだが、水瀬が花ヶ崎に対しては近付かれることを、抱き付かれることを拒絶していないところを見ると、ふたりの『パーソナルスペース』は『密接距離』の、それも0距離である『近接相』なのは確かなのだ。
このことから実際は第4、第5段階まで打ち解けているような気もするが、これ以上は俺がいくら想像しても分かるものではないので何とも言えないが……、
「ごめんごめんっ! 柄にもなく真面目に喋り過ぎちゃったね。それにかなり愚痴みたいになっちゃったし~。恥ずかしいな~……」
思案という大海原に漕ぎ出してしまっていた俺は、花ヶ崎のそんな声に意識を呼び戻した。
照れくさいのか隣に座る水瀬の片腕に寄り縋るようにして花ヶ崎は顔を伏せた。見たところ真面目モードからは既に切り替わっているようだ。
「いえ。素直に尊敬してました。それにまさかこんなにも丁寧に質問に答えてもらえるなんて、とビックリしてただけです」
「そっか。ならいいや~」
「ふたりとも話しに夢中になるのはいいのだけれど、せっかくのメロンパンアイスが融けて大変なことになってるわよ」
「「あぁーっ!」」
自分だけ蚊帳の外扱いだったことに拗ねているのか、ツンと澄ました表情を浮かべた水瀬の残酷な宣告に俺と花ヶ崎は口を揃えて悲鳴を上げたのだった。




