第35話 ピンクの中華料理人と八王子の狂犬ゾンビ
鑓水帝国閣。
ロータスクラブが終わった後の駐車場では、張社長の部下の運転手が慌ただしく動いていた。
「それ、トランクへ!」
「割れ物だから気をつけて!」
「調理器具はこっちだ!」
高級食材。
調理器具。
今日のロータスクラブで使用した中華料理用の道具。
それらが次々と黒いセンチュリーへ積み込まれていく。
その横で、腕を組んで不機嫌そうに立っている女性がいた。
ピンク色の髪。
赤い皮膚。
若く、美しい大陸系半魚人。
名前は――。
茉莉。
張社長の姪であり、若くして一流の腕を持つ凄腕の中華料理人だった。
やがて荷物の積み込みが終わる。
「終わりました!」
「よし。」
張が後部座席へ乗り込む。
茉莉も続いて乗り込むが――。
「……。」
明らかに機嫌が悪い。
眉間にしわ。口はへの字。
不機嫌そうな空気を出している。
張は苦笑した。
「まだ怒っているのか?」
「怒ってない。」
「怒ってる顔だぞ。」
「怒ってない!」
「はいはい。」
センチュリーのドアが閉まる。
運転手がエンジンをかける。
ゆっくりと車が動き出した。
茉莉は窓の外を見ながら、ぶつぶつと呟く。
「……料理で負けるなら、まだ分かる。」
「私は全力を尽くした。」
「エビも最高の物を用意した。」
「エビチリだって完璧だった。」
張は頷く。
「実際、大好評だったじゃないか。」
「名士たちからも名刺をたくさん貰った。」
「仕事の話も来ただろう?」
「それはそうだけど……。」
茉莉は頬を膨らませる。
「最後のアレ。」
「ウイスキーとチーズ。」
「あんなのズルい!」
張は思わず笑った。
「ズルいって……。」
「響二十一年。」
「竹鶴二十一年。」
「白州十八年。」
「余市まで。」
「しかも、あんなチーズまで出してくるなんて!」
「料理人の私にどうしろっていうのよ!」
「料理では勝てても、幻みたいな酒とチーズを出されたら勝負にならないじゃない!」
張は苦笑しながら宥める。
「だから、お前のメンツは潰れてない。」
「今日の料理は十分に評価された。」
「むしろ、かなり名前を売ったじゃないか。」
「……本当?」
「本当だ。」
茉莉は少しだけ機嫌を直す。
――が、その直後。
張の表情がわずかに曇る。
「それに。」
「今日のことを、お前の母親に報告されると面倒だろ?」
「……。」
「その後、一族の長であるお前の祖母にまで話が行ったら――。」
「……やめて。」
茉莉の顔が一瞬で引きつる。
さっきまでの不機嫌とは別種の恐怖が走る。
目が泳ぎ、口が半開きになり、肩がぴくっと跳ねる。
「それだけは本当に嫌。」
「だろ?」
「だから、今日は十分に頑張った。」
「うん……。」
茉莉は小さくうなずくが、まだどこか遠い目をしている。
張は小さく笑った。
「それでいい。」
センチュリーは鑓水帝国閣の駐車場を出る。
八王子の街へ向かって走り始めた。
しばらくして。
前方に一台のシルバーのジャガーが見えた。
ジャガーSタイプ。
運転席には恭子。
助手席には萌香。
後部座席には琥珀が乗っている。
茉莉が窓越しにジャガーを見る。
「あ。」
「叔父さん。」
「何だ?」
「あの人たち。」
「気に入らない。」
張は苦笑する。
「まだ言ってるのか。」
茉莉は少し考えてから言った。
「叔父さん。」
「前に話してた、あのS級のヤバい大陸の魚人剣士。」
「いたでしょ?」
「あいつにやっつけさせてよ。」
「……。」
「だって、あいつら。」
「いつか、うちらの一族の邪魔になるよ。」
張は少し考えた。
「そのS級のワンな。」
「うーん……。」
「この間、死んだみたいだぞ。」
「え?」
茉莉が振り向く。
一瞬、理解が追いつかず固まる。
「死んだの?」
「たぶん。」
「ええっ!?」
今度は椅子に沈み込む勢いでのけぞる。
目が見開かれ、口が完全に開く。
「本国の公安も手に負えなかった、あのS級でしょ?」
「八王子が金になるからって、こっちへ飛ばされたヤバいやつ!」
「護衛もAランクで、そこらのマフィアなら皆殺しにするような連中だったじゃん!」
「誰が倒したの!?」
声が一段ずつ上がっていき、最後はほぼ悲鳴。
張は少しだけ考える。
「八王子軍警の……。」
「何とかいう人だったな。」
「狂犬ゾンビとか呼ばれている奴だ。」
「狂犬ゾンビ?」
茉莉は首を傾げる。
「なにそれ?」
「詳しいデータがある。」
張は携帯端末を取り出した。
「見るか?」
「うん。」
張がデータを送信する。
「ただし。」
「読んだら消してくれ。」
「分かった。」
茉莉は端末を受け取る。
――そして。
画面を見た瞬間、表情が止まった。
「……え?」
一拍。
「……は?」
二拍目。
「ちょ、ちょっと待って。」
眉が上がる。
「え、これ顔どうなってるの?」
「事故?事故なのこれ?」
さらにスクロール。
「装甲強化服……2mの斧……?」
「え、武器のサイズおかしくない?」
「え、待って、これ人間サイズの設計じゃないよね?」
声がだんだん裏返る。
そして戦歴の一覧に目が落ちた瞬間――。
「……。」
完全に固まった。
大阪防衛戦。
広島解放作戦。
四国解放作戦。
福岡解放作戦。
熊本奪還作戦。
沖縄上陸作戦。
台湾上陸作戦。
上海解放作戦。
韓国解放作戦。
茉莉の顔から、じわじわと血の気が引いていく。
「……え、え、え?」
「ちょっと待って、これ全部同一人物?」
「引っ越し感覚で戦場移動してない?」
張は淡々と続ける。
「上海解放作戦では、日本軍の支援部隊として大規模な市街戦にも参加している。」
「海外まで転戦してる。」
「今は八王子軍警で、ゲートや市街地の警備をやっているらしい。」
茉莉は黙って画面をスクロールする。
指が少し震えている。
そして戦果の欄を見た。
ディープワン 4,500体
「…………っ」
息が止まる。
一瞬、画面を閉じかけてまた開く。
「いやいやいやいや……」
「4,500って何?単位バグってない?」
さらに下。
大型ディープワン 800体
「…………っ!!」
肩が跳ねる。
「増えてる増えてる増えてる!」
さらに。
邪神眷族 25体
大型邪神眷族 6体
超大型邪神眷族 1体
「………………」
茉莉の動きが完全停止。
目が虚ろになり、口元だけが小さく震える。
「え、え、え……」
「邪神って、あの邪神?」
「え、倒せるの?」
「え、無理じゃない?」
そして最後。
総撃破数 5,332体。
「………………」
茉莉の目が完全に死んだ。
魂が一度、窓の外へ逃げたような顔になる。
張は横から画面を覗き込む。
「どうだ?」
「……」
返事がない。
「茉莉?」
「……叔父さん。」
「ん?」
「これ。」
「人間?」
間。
張は吹き出す。
「一応な。」
茉莉は画面を見つめたまま、ゆっくり呟く。
「ディープワン五千体以上……」
「邪神眷族まで……」
「しかも海外まで行ってる……」
「大阪から韓国まで……」
途中で一度、深呼吸をするが失敗する。
「……無理。」
「情報量が多すぎる。」
張は頷く。
「そういうことだ。」
茉莉はしばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと端末を閉じる。
その動作がやけに丁寧だった。
「……ごめんなさい。」
「何が?」
「八王子。」
「怖い。」
声が小さく、素直すぎる。
張が吹き出す。
「はっはっは!」
「大人しくします。」
「それがいい。」
張は笑いながら言った。
「本国のノリで、こっちで好き勝手やると。」
「こういうのが出てくるからな。」
茉莉は真顔で頷く。
さっきまでの不機嫌は完全に消え、代わりに“生存本能”だけが残っている。
「もう絶対に余計なことしない。」
「分かればいい。お前の料理は一流だから、料理で戦え。つまらない小手先では、お前の格が落ちる。」
張は端末を受け取った。
「データは消しておけよ。」
「うん。」
茉莉は素直に操作する。
その顔には、先ほどまでの不機嫌さはもうなかった。
ただ一つ。
八王子を甘く見てはいけない。
そのことだけが、しっかりと頭に刻み込まれていた。
前方では、シルバーのジャガーが八王子の街を走っている。
その車内では、今日の商売を終えた三人が何も知らずに談笑していた。
そして後方では――。
黒いセンチュリーが、少し距離を取って走っている。
「叔父さん。」
「なんだ?」
「私、料理であいつらを,倒す。」
「それが一番だ。」
張は満足そうに笑った。
センチュリーは夕暮れの八王子を、静かに走り去っていった。
ワンさんと柏木少佐は深淵の符呪師 ヨグソトースの息子の閑話にでてかますので
良かったら読んでください。




