第1話 今日も残業,お菓子が癒し
第1話 今日も残業、お菓子だけが癒やし
令和8年。
東京都内。
午後十時四十五分。
オフィスには、キーボードを叩く音だけが静かに響いていた。
「甘城さん、この資料も今日中にお願い。」
「……はい。」
返事をしながら、甘城萌香は小さくため息をつく。
今年二十四歳。
食品メーカーの営業部で事務として働いている、ごく普通の会社員だ。
朝八時に出社し、帰宅するのは夜十時を過ぎるのが当たり前。
残業続きの毎日で、休日出勤も珍しくない。
ブラック企業というほどではない。
給料もそれなりにもらえているし、上司も理不尽な人ではない。
ただ、人手が圧倒的に足りなかった。
そのしわ寄せが、若手社員である萌香たちに降りかかっていた。
「終わった……。」
パソコンの電源を落とす。
肩は重く、首は痛い。
目の奥もじんじんと熱を持っている。
勤怠アプリを確認すると、今月の残業時間は九十時間を超えていた。
「もう笑うしかないよね……。」
苦笑しながら会社を出る。
夜風が火照った身体を優しく冷やしてくれた。
スマートフォンを見る。
午後十一時十分。
終電まではまだ少し時間がある。
「スーパー寄って帰ろ。」
それが萌香の一日の締めくくりだった。
駅前にある二十四時間営業のスーパーへ入る。
店内を歩き、お菓子売り場へ向かった瞬間、疲れた表情がぱっと明るくなった。
「わぁ、新作チョコだ!」
期間限定の濃厚チョコレート。
塩キャラメル味のポテトチップス。
果汁たっぷりのグミ。
クッキー。
ビスケット。
ラムネ。
キャンディ。
気付けば買い物かごは、お菓子でいっぱいになっていた。
「今日は頑張ったし、ちょっと奮発しちゃお。」
飲み物も選ぶ。
カフェラテ。
ミルクティー。
炭酸水。
スポーツドリンク。
さらに保存食売り場では、レトルトカレーやカップ麺が特売になっていた。
「これは買っておこう。」
会計を済ませると、大きなリュックへ荷物を詰め込む。
ずっしりと重くなったリュックを背負い、思わず笑みがこぼれた。
「重い……でも幸せ。」
家に帰って、お風呂に入り、お菓子を食べながら動画を見る。
それだけが、毎日を頑張れる理由だった。
駅へ続く地下通路。
終電へ急ぐ人々が足早に階段を行き交う。
萌香も人の流れに合わせて階段を降り始めた。
その時だった。
コツッ――。
ヒールの先が階段の角に引っ掛かる。
「あっ……!」
身体が大きく前へ傾く。
とっさに手すりへ手を伸ばす。
しかし、指先は空を切った。
重いリュックが背中を引っ張り、身体は階段を転がり落ちる。
世界がぐるりと回転した。
「いやっ――!」
ガンッ!!
後頭部に強烈な衝撃が走る。
遠ざかる意識の中で、リュックから転がり出たチョコレートの箱が目に映った。
(せっかく買ったのになぁ……。)
そんなことを考えたのが最後だった。
視界は白く染まり、音も、痛みも、すべて消えていく。
こうして――
甘城萌香の、令和八年の人生は幕を閉じた。
しかし彼女はまだ知らない。
この死が、新たな人生の始まりであることを。
そして、降魔戦争終結から六年後の、もう一つの日本で目を覚ますことになるとは。




