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慶長の雷鳴 〜日輪を継ぐ者たち〜  作者: 暁野 標
第1章:博多の異端児と黒田の怪物

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【戦国転生】博多の浪人は「コンサルタント」の夢を見るか

「現代の合理主義」と「戦国武将の情熱・矜持」の融合による、運命(史実)への反逆。

家や血筋といった過去の呪縛を断ち切り、自らの手で新しい時代(未来)を創り出す群像劇。

 「――斬るな。そこで刀を振り下ろすのは、あまりにも『費用対効果コストパフォーマンス』が悪すぎる」

 初夏の陽光が照りつける博多のみなとに、乾いた、しかし妙によく通る声が響き渡った。

 潮の香りと、荷揚げされる干魚の匂い、そして行き交う人々の汗の匂いが混じり合う喧騒の中。今まさに、一触即発の刃傷沙汰が起きようとしていた唐物問屋『筑前屋』の店先に、ひょうひょうとした足取りで歩み寄る男がいた。

 神波亮介かみなみりょうすけ、二十五歳。

 色褪せた浅葱色の単衣ひとえをだらしなく着崩し、腰には一応大小の刀を差しているものの、柄糸は擦り切れ、およそ武士らしい威厳というものがない。

 だが、その右の掌には、奇妙なものが握られていた。

 艶やかな黒檀の枠に、珠が綺麗に並んだ算盤そろばんである。

「ああん? 何だ貴様は。すっこんでろ、浪人風情が!」

 怒声を上げたのは、大坂から来たとおぼしき借金取りの男だった。丸太のような腕で抜き身の打刀を上段に構え、足元に這いつくばる筑前屋の老主人を睨み下ろしている。老主人の背後では、まだ十にも満たない娘が震えながら泣いていた。

「期日までに銭を揃えられなかったのはこの爺だ。上方の大店おおだなを舐めた落とし前、その命と娘を身売りさせて払ってもらうぞ!」

 男の言葉に、遠巻きに見ていた町人たちが息を呑む。

 時は慶長五年。太閤秀吉が没してより二年、天下の情勢はきな臭さを増し、ここ博多の町でも力こそが法という空気が再び色濃くなっていた。

「だから、計算が合わねえと言っているんだ」

 亮介は全く物怖じする様子もなく、凶刃の間合いへと踏み込んだ。

 そして、傍らに置かれていた荷車の平らな木板の上に、懐から取り出した矢立の筆で、サッと一本の横線を引いた。

「いいか、大柄な旦那。あんたの目的は『債権の回収』……要するに、貸した銭を取り立てることだろう? 貸付金はざっと三十貫といったところか」

「知った口を利くな! そうだ、三十貫だ。耳を揃えて返せば命は助けてやる」

「無理だな。この筑前屋の帳簿キャッシュフローは今、完全に底をついている」

 亮介は木板の横線の上に、右肩上がりの斜めの線を引き、さらに別の線を交差させた。現代の人間が見れば一目でわかる『損益分岐点』を示す略図だ。

「ここでこの爺さんを斬り殺し、店を潰して娘を遊郭に売ったとしよう。娘の身売りでせいぜい五貫。店の在庫を叩き売って三貫。合計八貫だ。残りの二十二貫は丸損。あんたの抱える不良債権こげつきは確定する」

 亮介の口から飛び出す「さいけん」だの「ふりょうさいけん」だのという耳慣れない言葉に、借金取りは顔をしかめた。だが、具体的な金額を提示されたことで、振り上げていた刀の刃先がわずかにブレる。

「逆に、だ」

 亮介は算盤を左手に構え、右手の指先でパチリ、と珠を弾いた。

 小気味よい音が、緊迫した空気を切り裂く。

「この店の裏の蔵には、明国から仕入れた極上の生糸が眠っている。ただ、今は畿内の情勢不安で買い手が買い渋っている状態だ。だが、来月には石田治部少輔(三成)が動くという噂で、軍需物資としての絹の需要が急騰する。相場は確実に上がる」

 パチ、パチ、パチチチッ。

 亮介の指が踊るように算盤の珠を弾く。その動きは、流派を極めた剣客の太刀筋のように無駄がなく、流麗ですらあった。

「返済期日を二ヶ月延ばせ。その代わり、金利りそくを二割上乗せした新しい証文を巻く。これは『リスケジュール』という、立派な金融の手段だ」

「り、りすけ……?」

「そうすれば、二ヶ月後には元本三十貫に利息六貫を乗せた、三十六貫があんたの懐に入る。生糸の売却益で十分に払える額だ」

 亮介は木板の交差した点――損益分岐点をトントンと筆の尻で叩いた。

「今、感情に任せて爺さんを斬り、八貫で妥協して二十二貫の損を被るか。それとも、二ヶ月待って三十六貫の利益を確定させるか。……算盤の弾ける商人なら、どちらが得か、馬鹿でもわかるよな?」

 湊の風が吹き抜け、男の上段に構えられた刀を揺らした。

 借金取りの男は、板に書かれた奇妙な図と、亮介の手にある算盤、そして泣き崩れる老人を交互に見た。

 やがて、舌打ちを一つして、チャキリと刀を鞘に納めた。

「……二ヶ月だ。二ヶ月待って、三十六貫返せ。一日でも遅れたら、次こそ本当に店に火を放つからな」

 捨て台詞を吐いて、男は足早に去っていった。

 その背中を見送ると、周囲を取り囲んでいた野次馬たちから、ほっとしたような安堵の溜息が漏れる。

「あ、ありがとうございまする……。何とお礼を申し上げたらよいか」

 老主人が土下座をして涙を流す。

 だが、亮介の瞳に情けの色は浮かばなかった。ただ、冷徹に「仕事」を終えたプロフェッショナルの顔があるだけだ。

「礼なら銭で頼む。俺はボランティアでやってるわけじゃないんでね。……経営再建リストラのコンサルタント料として、手付の一貫をもらおうか。残りは二ヶ月後、無事に三十六貫を返せた時でいい」

 亮介が右手を差し出すと、老主人は慌てて懐から銭を包んだ布を取り出し、震える手で渡した。

 重みを確認し、亮介は懐にそれを放り込むと、振り返ることもなく湊の雑踏へと歩き出した。

(やれやれ。戦国の世だろうが、平成の世だろうが、金と欲の理屈は変わらねえな)

 照りつける太陽から逃れるように、路地の影へと入る。

 神波亮介には、誰にも言えない秘密があった。

 彼には「前世」の記憶があるのだ。

 二十一世紀の日本。彼は『企業再生コンサルタント』という、聞こえはいいが実態は地獄のようなブラック企業で働いていた。

 倒産寸前の会社に乗り込み、冷酷に資産を切り売りし、社員の首を切り、債権者と罵倒し合う日々。来る日も来る日も、胃をすり減らし、睡眠時間を削り、数字の辻褄を合わせるためだけに生きる。

 結果として、彼は二十代半ばにして会社のデスクで心臓発作を起こし、あっけなく過労死した。

 そして目を覚ました時、彼は戦国時代の赤ん坊になっていたのだ。

(しかも、よりによってあの『黒田如水』の隠し子ときたもんだ)

 亮介は、路地に漂うえた匂いに鼻をしかめながら、自らの不運を呪った。

 播磨の地で、如水が何らかの理由で手を出した女の子供。正室のてるを重んじ、嫡男・長政の立場を盤石にするため、如水は亮介の存在を黒田家の歴史から抹消し、ここ博多の豪商に預けて養育させた。

 「忌み子」として日陰を歩く人生。

 だが、前世の記憶を持つ亮介にとって、それはむしろ好都合だった。

 武士としての名誉や、天下国家の行方など知ったことではない。二度目の人生の目標はただ一つ。

『徹底的なワーク・ライフ・バランスの確保』である。

(今は慶長五年。もう数ヶ月もすれば、美濃の関ヶ原で天下分け目の大戦が起こる。石田三成が負け、徳川家康が勝つ。歴史の教科書通りの確定事項だ)

 亮介は薄暗い路地を歩きながら、頭の中で未来の年表をめくる。

(家康が勝てば、その後二百六十年は泰平の世が続く。俺はどっちにもつかない。適当に博多でコンサルタントもどきの商売をして小銭を稼ぎ、ほとぼりが冷めたらルソンかシャムにでも渡って、悠々自適に暮らす。それが一番の『勝ち組』のルートだ)

 歴史ネタバレを知っている強み。

 大名たちが血眼になって領地を奪い合っている様は、亮介から見れば、沈みゆく泥船の特等席を争っているようにしか見えなかった。

 俺は俺の人生を、静かに、誰にも干渉されずに生きる。

 そう固く誓っていたのだ。

 しかし。

 路地を抜け、海沿いの開けた道に出ようとした亮介の足が、ピタリと止まった。

 前方から、異常なまでの圧を伴った風が吹いてきたのだ。

 初夏だというのに、肌を刺すような冷気。否、それは殺気と血の匂いが混じった、本物の『戦場の空気』だった。

 ズン、ズン、ズン。

 地響きのような重い足音が近づいてくる。

 夕陽を背にして、巨大な影が路地を塞いだ。

 身の丈六尺(約百八十センチ)を優に超える巨漢。筋骨隆々とした肉体の上には、歴戦の刀傷が刻まれた具足が鈍く光っている。

 そして、その右手には、身の丈の倍はあろうかという朱塗りの大身槍おおみやりが握られていた。

「――見つけたぞ、算盤侍」

 低く、地の底から響くような声。

 亮介の背筋に、氷柱を叩き込まれたような悪寒が走った。

(げっ……。よりによって、一番関わりたくない厄介なオッサンが来やがった)

 黒田家きっての猛将であり、民謡『黒田節』にも歌われる天下無双の豪傑。

 母里太兵衛もりたへえ

 太兵衛は、その獰猛な獣のような双眸で、真っ直ぐに亮介を射抜いていた。逃げ道はない。相手は熊をも素手で殺せそうな武勇の持ち主だ。

「おや、これは太兵衛殿。俺のような貧乏浪人に、天下の黒田家筆頭家老が何の御用で?」

 亮介は努めて軽薄な笑みを浮かべ、へらへらと両手を広げてみせた。

「白々しいぞ、神波亮介。……いや、御屋形様の血を引く者よ」

「……」

 亮介の顔から、笑みが消えた。

 隠していたはずの出自。なぜ、今になって黒田家の重鎮がそれを口にするのか。

 コンサルタントとしての直感が、けたたましい警鐘を鳴らしている。これは、致命的な『案件トラブル』の前兆だ。

 太兵衛は、ドスン、と朱槍の石突を地面に突き立てた。

 足元の石畳が砕ける音がする。

「隠居様が、お呼びだ」

 隠居様。

 その三文字を聞いた瞬間、亮介の心臓が不快なリズムを刻み始めた。

 豊臣秀吉の天下取りを裏で操り、その冷徹なまでの計算高さゆえに、秀吉自身から最も恐れられた男。

 そして、亮介を日陰に捨て置いた実の父親。

 黒田如水じょすい

「……断ると言ったら?」

 亮介は乾いた唇を舐め、声音を低くして尋ねた。

 太兵衛の表情はピクリとも動かない。ただ、大木のような腕がわずかに動き、長大な朱槍の切っ先が、音もなく亮介の喉元、指一本の隙間まで迫った。

 冷たい鋼の感触が、喉仏にチリチリと伝わってくる。

「『連れて来い』との仰せだ。生死は問われておらん」

 圧倒的な暴力の宣告。

 これは「依頼オファー」ではない。拒否権の一切ない「強制執行エンフォースメント」だ。

(クソッ、何だってんだ。歴史の教科書じゃ、黒田如水は関ヶ原のどさくさに紛れて九州で暴れるだけのはずだろ? なんで今になって、俺みたいなイレギュラーを引っぱり出す?)

 嫌な予感しかしない。

 前世で、絶対に手を出してはいけない反社会的勢力のフロント企業を審査した時よりも、はるかに濃密な死の気配。

 この誘いに乗れば、間違いなく歴史という巨大な奔流に飲み込まれる。

「……分かりましたよ。お供します」

 亮介は両手を上げ、降参のポーズをとった。

 太兵衛が満足げに鼻を鳴らし、朱槍を下ろす。

 平穏な日常が終わる音がした。

 博多の海風が、不吉な潮騒の音を運んでくる。

 黒田の屋敷の奥深く、底知れぬ暗闇の中で、あの「戦国の怪物」が口を開けて待っているのだ。

 神波亮介の「二度目の人生」の歯車が、本来の歴史軌道を外れ、大きく軋み音を立てて回り始めていた。


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