侯爵家の掃除屋さん
翌日早朝から私たちは都へ向かって出発した。アレクとエド王子はお留守番だ。
弟は馬に乗せて私は母の馬車に同乗したんだけど、乗り心地が悪すぎた。
「ストーップ!」
走り出してすぐに私が叫ぶと軋みを上げて車輪が止まった。
「お母様、私の馬車に移りましょう」
「あら、何か違うのかしら?」
「全然違うの」
私たちは後ろについてきていた私の馬車に乗り換えた。
「あら──これはいいわね。全然揺れないわ。内装はないけど」
「間に合わなかったの」
母は興味津々で馬車の内壁を撫でて、窓を開けて外を見た。
「それに何だか馬車が軽いみたい。ずいぶんと速いようだわ」
「車軸に工夫があるの」
「工夫?」
「えーっと……。何て説明したらいいのかな……? その、滑りが良くしてあるの」
「よくわからないけれど、変わったことがしてあるのね。貴女の村にそんな技術があったかしら」
「アレクが設計したの」
「あら、貴女、お名前で呼ぶなんて……。それにしても公爵家のご子息が馬車を? 不思議ね。どうしてそんなことをご存知なのかしら」
「こういうことだけは得意なのよ。女心は庶民の子供よりわからないけどね」
「女心ねえ……」
母は意味深な目つきで私を見た。
いやそういうのではないのよ、まったく。兄はきっと母に似たのね。
都にはなかなか入れなかった。大通りは先日にもましてごった返しているようで──いや、そこまでたどり着けていない。城門の外からずっと車列が並んで大渋滞だ。
荷馬車に混じって見慣れない紋章を掲げた馬車がいくつも見える。普段は都まで来ないような地方領主も乗り込んでいるようだ。御者が道に慣れていなくて迂回路を知らないのだろう。だからと言って貴族が馬車を降りるわけにもいかないし。あれでは夜までかかりそうだ。トイレが大変ね。
私たちは思いっきり大回りして通用口のようなところから町に入った。結局その方が速かった。
「奥様、お帰りなさいませ」
私たちの馬車が連なって侯爵邸に入ると、門番の知らせで飛んで出てきた執事とメイド長は並んで頭を下げた。さすがのメイド長も母の前では借りてきた猫のようだ。
まあ昔からこうだったわ、このメイドは。母の前でだけいい顔をしていた。
──さーて、それじゃいろいろと片付けてしまいましょうか。
着替えた私は父の執務室を借りて執事を呼びつけた。父は少し遅れて来ると連絡があった。
「お呼びでございましょうか」
執事は硬い表情で執務室に入ってきた。全身を緊張させて身構えているようだ。
「単刀直入に聞くわ。貴方、秘密の家庭を持っていたのね」
「……はい」
執事はぎゅっと目を閉じて、観念した顔を作った。
「まあ、それはおめでとうございます!」
「……は?」
「セシリア、呼んだかね?」
ちょうど父がやってきた。私は父のもとへ近寄ってその手を取った。
「ええ、お父様。実は一つ、お願いしたいことがございますの」
「何だね?」
「あちらの彼なのですけれど」
「執事がどうかしたかね?」
「わたくし、こちらに戻って来てからというもの、彼にはとても良くしていただいたのですわ。それでわたくし思いましたの。彼にホテルを一つ任せてみてはいかがかと」
「……は!」
執事はまたも硬直した。今度は驚愕でだけど。
「ね、お父様、よろしいでしょう? 彼の長年の忠勤を称えて、ご褒美をあげたいのです。彼ならきっと立派に経営してくれますわ」
「まあ、そのくらいは容易いことだが……」
突然の話に父はやや戸惑いつつもうなずいた。
父の了承を得たので私は執事の方を向いて微笑んだ。
「ねえ、資金は出してあげますから、貴方、自分のホテルを持つとよろしいわ。そうしたら自分の家庭も作れるでしょう?」
「……はっ、ははあっ!」
執事は腰を直角に曲げて全身で頭を下げた。
執事は顔を真っ赤に紅潮させて、視点も足元も定まらない様子だった。生涯を独身で終える者も多い中、家庭を持って自分のお店を構えるというのは執事のゴールとしては考えられる限り最上級のルートだものね。絞首台の十三段目から天国へとジャンプした気分に違いない。
まあ、あれよ。いわゆる口止め料ってやつよ。私もとんでもない姿を見られちゃってるしね。
「そうですわ、ちょっと尋ねたいことがあるのですけれど」
次の用事があると父が慌ただしく出て行った後、私は執事に質問した。質問というか誘導尋問だけど。ちゃんと私の望む答えを返してよね?
「何なりとお申し付けくださいませ、お嬢様」
執事はまた深々と頭を下げた。
「貴方、何故あの忙しい時にあんなところにおりましたの?」
「それは……その、気晴らしと申しますか……。あまりにも忙しく、妻子の顔もしばらく見ておりませんでしたもので。女性使用人との連携も上手くいっておりませんで、何とも気詰まりで……」
「あら、どの使用人かしら? お兄様の奥様の侍女ですの?」
「とんでもございません! 奥方様のメイドたちでございます。どうも若奥様が気に入らないようでして……。表立って反抗するというのではございませんが、仕事をなるべくゆっくりとしたり、若奥様のメイドに押し付けたり、命令をわざと取り違えたりするのでございます」
「あら、それは良くありませんわね。そのメイドたちの名前を教えて頂戴」
「はい──」
私は執事に重ねて質問してメイド長派のメイドの名前を挙げさせた。
ところで、この元執事のホテルはなかなかに繁盛した。侯爵家の執事として養った技術と酒の目利き、行き届いたサービス、コネクションで、都に用事はあるけれど邸宅までは構えていないという下級貴族、あるいは騎士といった上流の顧客がついた。
そして私も都に来た時に気兼ねなくお風呂に入れる部屋を確保できたというわけなのだけど、それはまた別の話。
さて、これで心配事が一つ片付いたわ。もう一個の方もやってしまいましょうか。エリザが来る前に掃除しておいてあげないとね。
私はホールに全使用人を集めた。
執事の後ろには庭師から馬丁まで男性使用人たちが整列している。メグの兄もおまけでいた。
メイド長の後ろには女性使用人たちがいる。ただし古くからのメイドたちと後から入ったメイドたちの間には隔意があるようで、少し離れて。
エリザの侍女たちはもっとで、明確に違う列を作って並んでいた。
私は彼ら、彼女らの前に、母は私の隣に。メグは私の後ろに置いた。
「よろしいですわね、お母様」
「好きになさい」
確認すると母は半ば呆れたように権限を投げよこしたので、好きにさせてもらうことにした。
「さて、マーサ」
私がメイド長の名前を呼ぶと、彼女はやや訝しみつつも「はい」と答えた。
「それからケイト、ジェニー、ハンナ、エラ、ダナ、コリー、アニ。前に出なさい」
「はい……」
名前を呼ばれた八人が不思議そうにしながら、それでも言われた通りに前に出た。母が見ているからね。彼女たちは母が実家から連れてきた古株だ。
私は彼女たちに言い渡した。
「貴女たちを解雇します」
ホールが静まり返った。やや遅れて、前に出たメイドたちが悲鳴を上げた。他の使用人たちは状況が理解できないようで無言で、しかし不安そうに顔を見合わせている。
メイドたちを代表して、というわけでもないだろうけど、メイド長が絞り出すように声を上げた。
「ど、どうしてですか?」
「職務怠慢、それから命令不服従のためよ。私の部屋の掃除すらまともにしないでおいて、まさか心当たりがないとは言わないでしょうね?」
「わ、私どもの主人はお嬢様では──」
「お母様の承諾は得ております。今を限りに貴女たちは我が家の使用人ではありません。どこへなりと行くといいわ」
「そんな、酷い……」
「ふ、不当だわ!」
「誤解です、お嬢様!」
「黙れ!」
口々に騒ぐメイドたちを執事が一喝した。
「何も違わない、セシリア様は間違えない」
執事は私の味方だ。その執事の配下の男たちも目と歯を剥いて一斉に睨みつけた。命令もあるのだろうけど、彼女たちはここのところの勤務態度が悪かったから、実際に怒りが溜まっていたのだろう。男たちの剣幕にメイドたちは委縮した。
メイド長はそれでもまだ抗議してきた。
「だ、誰がこの家の中を差配するのですか」
「お兄様の奥様になられる方が連れていらしてよ。貴女と同じようにね」
「わ、私はこの家に移ってから二十年も務めてきたのです! その私を、こんな簡単に……」
「その二十年間で得たものが主人の家族を軽んじることというのだから、大したものね」
「……うわああああ!」
メイド長は逆上してつかみかかってきた。そうしたらメグが間にスッと割って入って、袖と襟を取って腰に乗せて投げた。メイド長の重そうな体が大回転、床板をズダンと大きく鳴らした。さすがあの兄の妹ね。
さらにメグは追撃で頭に一撃入れようと足を上げたので、さすがに止めた。
「メグ、そこまでしなくてもいいわ」
「へえ」
メグは足を元に戻した。
「ハッ、ハッ……」
背中を強く打った元メイド長は上手く息ができないようで、身動きもしないで浅く息を漏らしていた。
「他の者たちも、まだ何か言いたいことはあるかしら? あるなら発言を許します」
と言ったんだけど誰も手を挙げなかった。残りのメイドたちはすっかり怯えてしまっていた。




