兄が来た
再開しました。
不定期更新になりますがよろしくお願いします。
三か月に一度、侯爵家の使者が様子を伺いがてら仕送りを持ってくる。今日はその日だ。
まあこの世界って交通事情もよろしくないから、期日通りに到着するとは限らないんだけどね。
「今日も隠れていてよ」
「心得てるよ」
もうアレクも慣れたものだ。これで三回目だものね。
彼には前回と同じようにゲストルームに引っ込んでいてもらうことにした。これまでは本当にゲストルームだったけど、今は自分の部屋だからいくらでも時間を潰せるだろう。
ガラガラと馬車の車輪の音が近づいてきた。窓から外を見たら遠くに馬車と、騎乗する護衛の姿が二人分見えた。
「あ、来た」
それにしても、ずいぶんと立派な馬車ね……? もちろん侯爵家の馬車なんだけど、いつもは執事が荷物を持ってくるから、荷馬車に近いものだった。それが今日の馬車は貴族用の、つまり私の家族が乗るためのものだ。
おかしいなと思いながら見ていたら、門の前で馬車を降りた人影は──私の兄だった。
げっ! 何でこんなところに?
「ちょっと、隠れて!」
私は慌ててアレクをゲストルームに押し込んだ。
兄は次期マドリガル侯爵、つまり私の次代のスポンサー様だ。無下にはできない。いつもの使者と違って応接室を使う必要がある。
「しゃべらないでよ、ここ壁が薄いんだから」
「大人しくしているよ」
私はゲストルームのドアを閉じた。
スカートをつまんで慌てて走る。玄関に取って返したところでちょうどドアノッカーが鳴った。私は淑女の礼で兄を迎えた。
「お兄様、本日はご多忙の中を遠路はるばるこのような賤が家まで足をお運びくださりましたこと、心よりお礼申し上げます」
「うむ。息災のようで何よりだ」
何しに来たのよー、早く帰ってよー。
私は兄を応接室に通した。出迎えも案内も本来は使用人の仕事だけど、メグにできるとは思えないから自分でやった。
使ったことのない無駄な部屋を初めて本来の用途で使うことになった。秘書が奥側の椅子を引くと兄はそこに腰かけた。
兄の後ろには護衛と秘書が一人ずつ控えている。もう一人の護衛は馬車から荷物を下ろしているようだ。
私が向かいの椅子に座ると、兄は私の服を見て言った。
「随分と簡素な服を着ているな。仕送りが足りていないのか?」
まさか兄が来るなんて思ってもみなかったから庶民風の普段着のままで迎えてしまった。私は澄まして答えた。
「町には町の、隠居の身にはそれにふさわしい装いがあるのですわ」
ドレスなんて着ていたら料理も掃除もできないじゃない。すると今度は私の顔を見て言った。
「少し痩せたか? 仕送りを増やそうか?」
「ご心配いただきありがとうございます。でも、ご支援のおかげで不自由なく暮らしておりますわ。食事に限らず、何につけても」
食事量自体は都にいた頃より増えている。何を食べても美味しくて。野菜中心の食生活のせいで贅肉が減っただけだ。
「茶ぁだべ。飲め」
メグがお茶を持ってきて、ゴトッと音を立てて茶器を置いた。
兄と秘書たちはぎょっとしてその顔を見た。ああ、メグの動作や言葉遣いは侯爵家のメイドとしてはちょっと雑かもね。忘れていたわ。
「メグ、下がっていて」
「へえ」
メグは私の顔を変な目で見ながら出て行った。「まーたご主人が変なごっこ遊びを始めたべ」と呟いているのが聞こえた。お貴族ごっこだけど遊びじゃないの。
「今のは……?」
「我が家のメイドですわ」
「あれが……? お前、少し教育がなっていないんじゃないか?」
「そんなことより、よろしければお召し上がりくださいませ。この辺りのハーブティーですの」
「うむ……」
不承不承口をつぐんだ兄はお茶を飲もうと器を見て、またぎょっとした。何よ。
「これは、何だ?」
「──え?」
「この器だ」
こんもり丸い空色の、青磁の汲出しだ。傷でもあったかしら。
「何かご不審でも?」
「こんなものは見たことがない。これは何だ?」
「この辺りの焼き物ですけれど」
「焼き物だと?」
兄が爪の先で弾くと汲出しはキーンと高く鳴った。
私たちの技術もずいぶんと上がって、最近では狙ってこの色を出せるようになった。
調子に乗ったベンは「一度に焼いた方が効率がいいべ」と大量に焼きまくったので、今ではこの村のどこの家の戸棚を覗いてもひとつやふたつやみっつやよっつは青磁の皿や湯呑みがある。私の家には数十個もある。器どころかトイレに使っているくらいだし。
……あら、そういえば都にはこんなものはなかったかしら。
「お気に召したなら差し上げますわ。どうぞお持ちあそばせ」
「いいのか?」
「お気になさらないでくださいませ。ここでは珍しいものではございませんので」
「そうか……。ではありがたく頂こう」
と言って兄はお茶を口に含んで、またもぎょっとした。あー、そう言えばこれも都にはなかったっけ。話が進まないからもう無視して続けよう。
「それで、お兄様のようにお忙しいお方が、今日はどのようなご用件でいらっしゃいましたの?」
実際、兄がわざわざ来るからにはそれなりの難題を持ってきたことだろう。
「ああ、これは人任せにできなくてね。私自身が直接に頼まれたものも多いんだ」
そう言って兄が合図すると秘書はテーブルにどさっと荷物を置いた。
山積みの書類だ──と言ってもこの世界には紙がないから革製で、縁取りもしっかり糸でかがられたりしている。ずいぶんと立派な装丁ね……?
「あら。これは何ですの?」
「身上書だ。お前にお見合いの話が来ているんだ。いくつもな」
「……は?」
「何しろお前は将来の王妃候補にもなったほどの女だからな。その上あの身の引き方の見事さ……進退をわきまえた素晴らしい女性、淑女の中の淑女として評判になっているのだよ」
やめてよ! 絶叫したい気分だったけど、口に出しては穏やかに、こう言った。
「お兄様、わたくしはもう結婚するつもりはございませんわ」
いや本当に。せっかく価値観が中世で停滞している男たちから逃れられたのに、何でまたあんなところに戻らなければならないというのだろう。
「そうは言うが、お前だって女ざかりをこんなところで無駄に送るのは無念だろう」
いやいやいやいや本望ですわ、本当に。我が家の改修も順調だというのに、何でまたあんなところに戻らなければならないというのだろう。この世界にここより文明の香りの濃いところがあるなら教えてほしい。
「お気持ちだけで望外の喜びですわ。でも、わたくしもうここで余生を送るつもりですの」
私はまた丁重にお断りを入れた。でも兄はしつこかった。
「そう言わずに目を通しておいてくれ。気が変わることもあるかもしれないぞ。──ああ、それとな。殿下のご結婚が前倒しになってな」
「あら」
聖女と王子様の婚約は前世の暦で言えば十二月のことだった。何しろ聖女と次期国王との結婚式だ。国内外から貴族を招いて盛大に行われることになっている。
招待される方もお偉方が多いから、スケジュール調整も大変だ。結婚式は一年後の十二月と、ずっと前から決まっていたはずだ。まだ十月なんだけど?
「これは招待状だ」
兄は封書──と言っても紙はない、羊皮紙の文書を差し出した。クルクル巻いてリボンと封蝋で閉じられた正式なものだ。
「お開けしても?」
「是非確認してくれ」
日取りを見ると一か月後だった。だいたいひと月ほど早くなっている。
「もちろん私たちもな。招待状だ」
「それはおめでとうございます」
兄の結婚は前から決まっていたけど、臣下の身で王太子より先には結婚できないと日延べしていた。まあ実際には王子様のところの招待客を自分の結婚式へとそのまま招こうという目論見だろうけど。
日取りを見ると案の定聖女の結婚式の翌日だった。
それから兄の従者たちは私の指示に従って仕送りを旧メイド部屋に運び込んだ。
兄はそれでようやく帰って行った。
疲れた……。
ため息をついたら奥の部屋からクックッと抑えた笑い声が聞こえてきた。何だろう。私はゲストルームに入った。
「何か面白い事でもあったの?」
「いや、君がお嬢様らしくしてるのがおかしくて」
顔がサッと赤くなったのが自分でもわかった。淑女を辱めるとは紳士の風上にもおけない理系だ。
「……覗き見とはいい趣味ね」
「聞こえたんだよ。ここ壁が薄いから」
「セシリア、ちょっといいか?」
その薄い壁の向こうから兄の声が聞こえた。ゲッ、何で?
「はーい、今参りますわ! ──ちょっと、隠れて!」
「待ってくれよ」
「そちらか。荷物の中に一通紛れ込んでいた。これは特別なものだから別にしておいたんだ──」
アレクをクローゼットに押し込んで扉を閉じようとしたところで兄が入ってきた。
兄は身上書を掲げて、私は扉に手を掛けて、アレクは長い足を窮屈そうに折りたたんで……私たちは三人ともその姿勢のまま固まった。
アレクはクローゼットに押し込められたまま、何だか照れくさそうに右手を掲げた。
「……やあ」
「君は……」
「違うの!」
「……なるほど、そういうことだったか」
「そういうのじゃなくて!」
「隠すことはない。そういうことなら仕方あるまい。お見合いの話はこちらで断っておこう」
「ですから本当に違うのですわお兄様!」
「僕のことは秘密にしておいてくれると助かる」
「我らの仲だ。上手くやるよ」
「すべて誤解なのですお兄様!」
そのニヤニヤ笑いはおやめくださいませお兄様、紳士のなさる態度とは思えませんわ!
「なるほどなあ……」
「お待ちくださいませお兄様あああ!」
兄は一人で納得しながら身上書の山を回収して帰っていった。
本当に違うのに!




