庶民の結婚のこと
「靴屋のアンが神殿に入るって話だべ」
「へー」
いつもの噂話でメグがそんなことを言った。
この世界の神様──というか聖女に力を与えている神様って、どうも豊穣神っぽいのよね。聖女がいると豊作が約束されたりするし。
産めよ増やせよあまねく満ちよ、が教義みたいなものだから、聖女だって生涯独身で神に仕えるなんてことはなくて、普通に結婚して子供を産む。私の義妹はもちろんだし、宗教国家で神殿にいる場合でも結婚するそうだ。
聞くところによれば聖女パワーでポコポコ産むらしい。あの腰の細さで本当にそんなに産めるんだろうかと思うけど。メグなら十人くらいは平気そうだけど。
そういう神様だから、年頃で結婚したいけど相手がいない、という女性は行儀見習いという名目で神殿に入る。そうすると神殿がちょうど釣り合いがとれるくらいの相手を見繕ってくれて、お見合いになる。
神殿に勤めるのは婚活みたいなものだ。
少なくともこの国では同じ村の中で結婚することは、思ったより少ない。いいところ半分くらいじゃないだろうか。
というのは神殿に行った女はそのように縁組されるからだ。周辺の村々であっちに行ったりこっちに来たり、なるべく遠いところと縁づかせている。血が近くならないように、ということなのだろう。
庶民の女性は二十歳前後で結婚することが多い(貴族の方が若干早い)。アンはそろそろ二十歳も終わりそうということで結婚する気分になったそうだ。
ただ、この小さな村には神殿がない。隣村のカルカン郷にこの辺りの信仰を統括する神殿があるので、アンはそこに行くのだろう。
暇だったのでついていってみた。
私とアン、アンの弟のトム、アレク、それからメグの兄の五人連れだ。メグの兄は護衛として雇った。
ここからカルカンへの道は貧乏村と貧乏村の間の山道で、山賊なんてやっていても生計が立てられないから、そういうものはいない。出るのは獣だ。そこでイノシシ狩りの名人に同行願ったというわけだ。
私は久しぶりに馬に乗った。駄馬だけど。
男たちは徒歩で、アンが乗る馬の鼻をトムが引いて道を行く。アンのふくらはぎは丸出しだ。
そう、スカートで馬にまたがると裾がまくれ上がって足があらわになる。これはあまりにもはしたないということで、貴族の女性は普通自分では馬に乗らない。乗る時は男性の後ろで横座りだ。危なくて山道なんて歩けないので平地でしか乗らない。
私は実家にいた頃に仕立てた乗馬用のスカンツとブーツを引っ張り出してきた。対策はばっちりだ。上着は久しぶりにボタンのついたシャツを着て、ベストとセンターベントのジャケットを合わせた。プラスして小さな帽子も。
馬に乗るので動きやすい服で、でも神官と会う予定なので多少は貴族らしく見える装いにした。
私の村は東組、中組、西組の三つの集落に分かれている。私が住んでいるのは西の外れなので、当然西組だ。
その西の果てからぽっくりぽっくりと一時間、中組の真ん中あたりで橋を渡って北岸に抜けると、畑の中を縫って一本のつづら道が山の上へと続いている。
カルカン村はこの峠道の向こう側だ。
山道をえっちらおっちらまた一時間。ようやくカルカン村の入り口に着いた。神殿は村の真ん中辺りということでてくてく三十分、木造二階建ての建物群が見えた。
ここが神殿だ。
建物は高さはないけれど横に広いし、いくつもある。思ったよりも規模が大きい。孤児院も兼ねていて子供が走り回っているし、神官たちが掃除しているし、参拝客はいるしで結構にぎやかだ。
お祈りから戸籍の管理まで神殿の機能も多岐にわたるけど、婚活神殿は女性専用だ。男性が女神殿に入るのは変質者のそしりを免れない。アレクたちは外でブラブラしていた。
アンが手続きをしている間に私は責任者にあいさつに行った。
「わたくしはイナカン領主マドリガル侯爵の娘、セシリアと申します。以後お見知りおきを」
私が名乗るとこの女神殿の責任者だという太っちょのおばさんも女神官長だと名乗って、深々と頭を下げた。
それで私は隠居して隣のイナカン村に住んでいるのだとか女神官長は若い頃から神殿勤めでご主人も神官をしているのだとか、お互い前置きの身の上話をしたところでとっておきの情報を話した。
「実はわたくし、聖女の義姉ですの」
自己紹介すると女神官長は驚きに目も口もまん丸にしていた。
「まあ」
「ですからわたくしも常々神様を篤く敬っておりますのよ? ええ。今日はこちらに神殿があるとお伺いしたもので、ご一緒させていただきましたの」
なんて言いながら寄進の入った袋を差し出すと、女神官はその確かな重みに恵比寿様のような顔になっていた。
「まあ、まあ」
「いえね、わたくしって領主の代わりのようなものでしょう? 領民たちにも心を配っておりますのよ」
「まあまあ、まあ! それは素晴らしいお心がけでいらっしゃいますわ!」
「それで実は、わたくしの村にベンという若者がおりますの。焼き物屋を営んでいるのですけれど、近頃にわかに忙しくなりましたの。ところが一人っ子でしてねぇ、ご両親には畑もございますし、なかなか手が回りませんの。ならもういっそ家族を増やしてはどうか、と──わたくしこう考えたのですわ」
ベンにはお世話になったしね。ちょっとお礼をしようと思ったのだ。お礼にお嫁さんの紹介を、ね。
「──まあ! それは素晴らしいお考えですわ! ええ、それでしたらちょうどいい子がおりますのよ。アンナ、メイを呼んでちょうだい」
「へえ」
女神官長の隣の女性が部屋から出て行った。少し待つと彼女は小柄な少女を連れて帰ってきた。
「メイ、侯爵家のお嬢様よ。ごあいさつなさい」
「へへえ!」
少女は慌てて跪いて、大げさなほど頭を下げた。
そのメイという子はこの村の焼き物屋さんの娘だと言った。
「まあ」
それは確かにちょうどいい。でも、ずいぶん若いわね……。どう見たって二十歳には見えない。
聞けば十六歳になったばかりということで、学年で言えば私より一個下だ。若すぎない?
「へえ、おらんちは貧乏なもんで……」
メイはしきりに頭を下げながらそう言った。
素焼きの焼き物は食器には不向きだ。主な用途はお酒や油を入れる壷になる。だからお酒や油の生産が盛んなところでは窯業も盛んだけど、私の村もこの村も地場消費分が精々だしねえ……。
「兄さはおらよか十歳も上なんだべが、いつまでたっても独り者なんだぁ。おらがさっさと片付いちまえば、兄さのところも嫁さ迎えられるんでねえかと思って」
「まあ、お兄様想いなのね。心配しないで、焼き物屋はこれからは繁盛するお仕事になりますのよ? ──ところで貴女、何ができるのかしら? わたくしはろくろが引けてよ」
「へええ! そいつはすげえべな。おらはろくろの他にも粘土をこねたり窯を焚いたり、大抵のことはできるだ」
「素敵ね」
そういうことになったので神殿からベンのところに使いが来た。降って湧いた縁談にベンはフワフワしていた。
ベンがあっちに行ったりメイがこっちに来たりお互いの家が顔見せしたり、とんとん拍子に話が進んでメイは三か月後にはお嫁さんになった。
若すぎる二人だけど、どうやら上手くいっているようだ。前を通りかかると仲良く粘土をこねたりしているのが見える。
結婚祝いを持って行ったらご両親も感謝することしきりだった。いいことをしたわ。
新婚さんのところに入り浸るのを遠慮して足を運ばなくなったアレクだけは、少し寂しそうだった。




