3. 陰の実力者になりたくて!
アニメ化も進行中とのことですので、楽しみですね!!
[作者]
逢沢大介 様
[あらすじ]
重度の中二病を患っている主人公は、「陰の実力者」に憧れ、力を求め奔走した。
ついに魔力を手にしたと確信したその時、彼は”シド”として新たな生へと導かれた。
新たな世界で魔力という希望を得た主人公は、「陰の実力者」を一心不乱に追い求める。
中二病と心酔エリートが交わるボーイミーツガール? な物語。
理想へと駆ける彼らを待ち受けるのは、果たして正義か悪か……
[ネタバレありな感想&考察]※204話時点
ストーリー や表現 などはバランスがよく、コメディ要素も豊富なため読みやすい。
主に話の大まかな流れ(起承転結)のこと
主に一人称、三人称、セリフのバランス
しかし、ステレオタイプであった「旧来の中二病」を理解しているかによって、本作の評価は大きく別れると感じた。
本作の最大の魅力は、旧来の中二病という概念をありのままに、まっすぐ表現できている事である。
なぜ旧来と表現するかというと、中二病をネット検索してでてくる定義は、
――
中学2年生ぐらいの子供にありがちな、自分をよくみせるための背伸びや、自己顕示欲と劣等感を交錯させたひねくれた物言いなどが典型。
2000年代半ばに、インターネット上では、自己中心的な発言や幼稚な言動を揶揄する表現として使われていた。(コトバンク,中二病より)
――
とあるためだ。
これらは広義な意味合いであって、今もあまり変化はない。
しかし、旧来のコテコテの中二病という概念は、恥も外聞も気にせず本人にとっての「かっこいいや最強」を追い求め浸るさま、であると私は認識している。
仮にクラスメイトにいたなら……などと考える事も難しい、嫌悪であり憧れの様な存在なのだ。
そして、その実際にはありえない主人公像を違和感なく落としこめているのが、本作なのである。
一方で、「それは(中二病という)ガワであって、キャラの中身がない」という意見もあるだろう。
それも一理あるだろうし、私も中身のあるキャラは大好物である。
しかし、中身を作りこむ作業と同様に、既存のガワを違和感なく表現しきる事は難しい。
前述した様に、煮詰められ固定化されたガワというのは、一般化させづらく現実味のある共感や理解を得ることが難しいからだ。
例えば「なろう」でも、いわゆるテンプレとなったキャラ像は本来は人気であった為にテンプレになったはずが、「暗黙の了解で固定化されていたテンプレ像」から外れてしまう事で、「ご都合」や「テンプレ作品」として酷評されるのである。
最後に、本作が具体的にどのような手法で中二病を成立させているかを紹介する。
この物語は、「オレかっこいい」をただ表現する主人公と、「勘違いで主人公に心酔する」エリート集団によって進行する。
この構図自体はありふれたもので、宗教団体(某真理教)をイメージすると理解しやすいだろう。
エリートも隔離された集団によって信者となり、時として盲目的になるのだ。
しかしここで問題になってくるのは、宗教団体でいう教祖側の人間というのは言葉を巧みに使うが故に合理的であり、中二病患者にはどうしてもなれない点である。
片方だけの「勘違い」では、会話で齟齬が生じ、中二病という夢から覚めさせてしまう。
いわゆる、「そうはならんだろ」を引き起こすのだ。
そのため、大事になってくるのは主人公からみたエリート集団への心象である。
作中の主人公は、「自分の中二RPG思想に理解を示し、お遊びに付き合ってくれる友達」「優秀だから自分の適当な発言も拾ってくれる」という様な、「勘違い」の認識を仲間にもつ。
つまり、双方向における矛盾のない「勘違い」が存在するのだ。
これにより、主人公の「それっぽいけど中身はない」発言が、「よい結果に結びつく」という、ある種、矛盾のある結果を読者のみならず主人公に示し、肯定させる。
また、会話表現での主人公の返答を相槌メインにする事で、違和感の払拭とテンポの軽さを実現している。
話が少し重くなってしまったが、以上が本作品で注目した要素である。
今回は作品全体から感じ取れる要素を書いたため、文章の抜粋はしなかった。
しかし、少し読めば雰囲気を感じとる事はできるので、気になった方は是非みてみると良いだろう。
作品URL:https://ncode.syosetu.com/n0611em/
感想かいてクレメンス?(╯°□°)╯
アデレイド・クレメンス
オーストラリア出身の現役女優。日本にも馴染みがあり邦画にも出演。青い瞳がふつくしい……




