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洪水が起こったときに備えて避難先まで神輿のようなものを運ぶのはどうだろうか

 さて、洪水が起きたときに備えて、死海の北側にある居住や逗留ができそうな場所については目星がついた。


 そして、石板や粘土板、いわゆるタブレットを用い、地図や文字を使ってその場所を皆にしらせることはできると思う。


 しかしながら、いつ起こるかわからない大洪水がくるからと、大きな舟を作っておくように言っても頭がおかしいのではと思われてしまうだけだろう。


 俺はともかくアイシャがそういった目に合うのは避けたいしな。


 そもそも、エリコにおいては街の周りが浸水する洪水は毎年起こるものだ。


 だとすると、言葉や文字などで伝えるだけでは誰も本気にしないで100年後には忘れられてしまう可能性が高い。


 トルコのギョベクリ・テペ同様にエリコには12000年ほど前から人間はいたようだが、居住地として定住が始まったのは紀元前8350年頃すなわちおよそ1万350年前ほどから、エリコが水の下に沈むようなことはなかった可能性が高い。


 しかしながら大洪水の神話自体はヨーロッから中近東、南アジア、東南アジア、東アジアや南北アメリカまでの広い地域に加え、ポリネシアやミクロネシア、オーストラリアなどにも存在する。


 ユーラシア大陸やアメリカ大陸の洪水は川の氾濫だが、南洋諸島民などは台風や高潮等による海水の氾濫や地球が温暖化することによる海面上昇によるものが多いようだ。


 なんせ地球は2万年前の極大氷河期からみれば、海面は130メートルも上昇していたりするのだから、昔は陸地だったところでも海に沈んでしまった場所は多いのだろう。


 ただアフリカにはマダガスカルのマンジャ族などを除けば、あまりそういった伝説は存在しないようだけどな。


 その理由はアフリカは氷河期においてほとんど雨が降らない大規模な旱魃に襲われていたため氷河の形成が殆どなかったと考えられているからのようだ。


 まあそもそもからして人類がゴリラと分岐した原因そのものがアフリカの乾燥によりサバンナが増えて木から降りなければいけなかったからだった気がするしな。


 神が堕落した人間を罰するために洪水を起こしたという形式のものはヨーロッパからメソポタミアのあたりに集中していて、神が大洪水を起こす予言をするものの、人間の堕落に対しての懲罰要素を含まないものとしてはインドやペルシアなどがそうらしい。


 東南アジアからオセアニアにかけての洪水神話は宇宙の二大原理あるいはその代表者が相争う過程において洪水が生じ、兄妹2人だけが洪水から生きのび、結婚して先祖となったという形式が広く分布していたりもする。


 日本のイザナギとイザナミの国生み神話にもその痕跡はあるな。


 ちなみに洪水を逃れる方法としては、大きな船を作る以外はひょうたんやかぼちゃなどに入るという水に浮かぶものを利用するものと、高い山や木にのぼる例も多い。


 余談ではあるが水ではなく火により人類が滅ぼされるという形式の大火神話や氷によって滅びる神話もあり、北アメリカのホピの予言は最初は火、次は氷、その次は水によって文明が滅びたとされているな。


 なお中国の古代神話にある、禹が氾濫した水を流して洪水を治めたという話は洪水というよりは治水神話の部類に入る珍しいものだ。


 そして、高い山に登るというのは高潮や津波対策でも用いられているな。


 ただ、津波に対して船で逃げてはいけないらしいけども、まあ普通に飲み込まれるだろうからな。


 一時的に数名が避難するだけならばエリコの塔は高さ約8.5メートル、地面に接する部分の直径はおよそ9メートルで、頂上は7メートルあるので、それでもなんとかなるだろうけどもエリコの人間が多く避難するのは不十分だろう。


 とはいえ塔の最上階に救命ボートのようなものを設置できれば多少はましになるかもな。


 しかしそれはそれでボートに乗れる乗れないで争いが起きそうでもあるので、そうならないためには何らかの祭事として毎年行うイベントして生活に組み込んでおいたほうがいいのだろう。


 その祭事として毎年行うイベントというのは、日本の神社で行う神輿を担いで神社まで向かうというやつだな。


 東日本大震災で有名になったが、日本の太平洋側では東海地震や南海地震などでおよそ100年に一度ほどは津波による被害を受けていることもあり、津波が到達した浸水線の際に神社が建っていることは非常に多い。


 逃げるのに不便なほど高すぎもせず、また津波に呑みこまれることもないギリギリの場所に、神社が建っていることが多いのだ。


 それは、神社がひとたび津波の大きな被害を受けると、より安全な被害を受けなかったところに移動して再建されてきたからということが多かったかららしい。


 そもそも寺や神社は、江戸時代から地震や台風などの災害時に避難所として使われ、人命を守ってきた歴史もある。


 まあ、その前の戦国時代以前などは寺や神社はもっと血なまぐさい場所だったんだけどな。


 まあそれははともかく戦後になると、災害時の対応が主として地方自治体によるものになり、避難先は学校の体育館や公民館といった公的な建物が避難場所になっていった結果、宗教施設が緊急時の避難先として使われなくなったのではあるが。


 でなぜ、お祭りで重い神輿をかついで一定の経路を練り歩くのかということだが、神輿を担いで移動するという行為が、安全な場所である神社につながる経路への移動を覚えさせつつ、地域住人と協力しながら緊急の避難物資を運ぶ訓練にもなるからだったりもする。


 もともと神輿は狩猟と採集による移住を繰り返した時代に行われた収穫祭の祭壇が起源で、このときは祭りが終わると祭壇は取り壊され、毎年新たな祭壇を作って天上の神を招いていたが、農耕が始まり人々が定住するようになると、神に対しても定住が求められるようになり、居所としての神社が誕生し、神の乗り物として神輿が利用されるようになったらしい。


 まあ、東京や神奈川では山車がほとんど使われなくなったのは、単純に道が狭い上に電線が張られた都合などからで、山車の代わりに町神輿が使われるようになったっていうのもあるみたいだけどな。


 ただまあ、日本人などのモンゴロイドは、体幹に比して四肢が相対的に短いため、腕より腰を使い、肩で重心を支える棒運搬や、重心の低い背負い運搬は得意なんだがエリコの人間にも向いているかどうかは微妙かもしれない。


 アフリカやインドでは、頭の上に水瓶や土を乗せて運ぶ頭上運搬が著しく発達していて、これは四肢、特に前腕と下腿が体幹に比して長く、骨盤が前傾していることなどによるんだよな。


 まあ、運んでいく先や運ぶ方法については村長のマリアと相談したほうがいい気はするが、基本的に避難先の第一候補はキルベト・クムランでいいと思う。


 エリコからキルベト・クムランは13キロほどで、いつもは船で移動しているが徒歩でも移動できる程度には遠いわけでもないしな。


 で、祭りは春の麦の収穫が終わったあとに収穫のまつりとして、エリコの村のみな総出で避難先になるキルベト・クムランまで、神輿となる箱、いわゆる聖櫃アローン・コーデーシュに収穫物入れたりして運ぶということをやればいい気がする。


 まあ、家族に生まれたばかりの乳幼児がいると難しいかもしれないがそういったお祭りを定着させる意義はたぶんあるんじゃないかな。

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