表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
40/42

救済者と始まりの被害者 二


 朝ごはんを食べた。普通の朝ごはんをとんでもないご馳走を食べるように食べていた。父親と姉が、何事かと心配するくらいには異常な振る舞いであった。ほとんどおかしな光景であったが、やはりおかしいと思われても仕方がないほど錬太郎は飢えていたのである。この光景と、記憶にしか残せなかったものをもう一度手にできている。頭には、できるだけいつもどおりにしなくてはならないという気持ちがあるが、それを超えるだけの喜びが沸いてきてしまっていた。

 朝の時間をすごした父親が、出勤した。出て行く時間になるとさっさと立ち上がって、しまった。そしていつもどおりにリビングから出て行った。自分の息子錬太郎が、少し様子がおかしいというのは気になっていたが、錬太郎がうれしそうにしているのだから問題はないとそのままにしておいたのだ。錬太郎も高校生であるから、何かいいことでもあったのだろうと考えて、あえて触れなかったのだ。たとえば女性関係だとかであったら、自分が聞いてしまってもごもごとさせてしまうかもしれない。そう思ったので、あえて何もきかなかった。そしてなんとなく頼もしくなっているのにも気がついたが、それもまた、男にはよくある何かがあったのだろうとして喜ばしく思っていた。いろいろとあったが、それを流して父親は出て行った。

 父が立ち上がるのと同時、母が見送りに向かった。これもまた当たり前の動作だった。毎日の変わらない当たり前の動作があった。錬太郎のことはずいぶん気になっていた。何せとんでもなく楽しそうなのだから、おかしいとは思う。いつもどおりの表情を何とか保とうとしているが、それができないくらいにニコニコしているのがわかるのだから、おかしいとは思っていた。しかし、うれしそうなのだからいいだろうという気になっていた。もしかしたら何かあったのかもしれないという気はあったが、やはりそれでもそのくらいの変化ならば特に突っつく必要はないと判断したのである。そうして、いつもどおりの生活に戻っていった。

 父と母がリビングから出て言ってすぐ、姉が錬太郎に話しかけてきた。姉はこういった。

「お願いがあるの。私の後輩にさ池淵頼子って子がいるの、覚えているでしょ? その子をさ、つれてきてくれないかな」

伺うような調子が合った。錬太郎よりも身長が低いので錬太郎を見上げていた。もともと錬太郎に自分の後輩を連れてきてほしいというお願いをするつもりだった。しかし、伺うようなところがあったのは、錬太郎の様子がおかしかったからである。錬太郎がここまでニコニコして嬉しそうにしていることというのは、今までなかったことであった。そのため、姉は何かとんでもないことが錬太郎に起きたのではないかと心配になっていた。いつもどおりではない弟を見てしまって、大丈夫だろうかと思ったのだ。

 姉のお願いを受けると錬太郎は、うなずいた。

「いいよ」

まったく考えるところがなかった。お願いを受けるとすぐにうなずいていた。自分に任せて置けよという頼もしさがある。錬太郎はこの質問が飛んでくるということがわかっていた。錬太郎の見ていた悪い夢も、同じように始まっていたからである。お願いを聞いたのは、そうしなければ恐ろしい結末を迎えてしまうだろう人がいるとわかっていたからである。錬太郎は池淵頼子に会いたいと思っていた。錬太郎の表情に怒りや憎しみというのはまったくなかった。

 即答した錬太郎を見て姉は不思議そうな顔をした。まったく理解できないという顔である。目を大きく開いて、あごに手を当てていた。姉は錬太郎がまさか自分のお願いをストレートに聞いてくれるとは思っていなかったのである。

 少なくとも姉は錬太郎が自分の後輩のところにいちいち足を運びたいなどと思うタイプではないと知っていた。特に自分の見た目というのをそこそこ気にしている錬太郎を知っている。同年代の女性のところにふらふらとで歩くというのが、心理的につらいというのも知っていた。だからこそお願いをしたときには断られると思っていたのだ。もちろん押し切るつもりだったが。それが、あっという間にうなずいたのだからこれはおかしい。それで奇妙なものを見るような目を弟に向けたのである。こいつは本当に自分の弟かと。

 不審に思っている姉が聞いてきた。

「あれ、いいの? 絶対にいやって言うと思ってた」

錬太郎の内面を探るような質問だった。錬太郎のことを目を細めて探るように見ていた。目の前でニコニコして、しかも苦手な場所に簡単に言ってやるといってうなずいている弟がいるのだ。これくらいおかしなものはない。弟であるということは疑うところではないけれども、昨日と今日でいったい何が起こったのかというのが、姉にはまったくわからないのである。ここまで激変していると何かとんでもないことがあったのではないかと思わずにはいられない。それを探り当ててやろうとしたのだ。

 姉の質問に少し考えてから錬太郎が笑った。失敗したなという感じで笑った。苦笑いという感じであった。錬太郎は姉の気持ちがわかったから笑ったのだ。錬太郎は自分というのがずいぶんおかしなことをやっているというのに気がついたのである。何せ錬太郎にとっては昨日と今日は続いているものであるけれども、姉にとっては違うのだ。錬太郎が歩いてきた悪夢の道は錬太郎しか、知らない。だから、錬太郎が目の前にあるものをどれだけ求めていたのか、手に入れたいと思っていたのかというのも姉は知らないのだ。

 見た目こそ同じだが錬太郎は中身が違う。錬太郎もできるだけ普通に振舞おうとしていた。そうしないと、おかしいと思われるからだ。説明も難しい。しかしそうなって振る舞いというのをできるだけおかしくないようにしていたが、それもうまくいっていないのを姉の言葉で気がついたのだ。やはり失敗してしまったかと。そう思ったとき、自然と笑ってしまっていた。しかし悪い気持ちはなかった。うれしいという気持ちが、前に出るのだ。

 そして錬太郎はこういった。

「今日はちょっと気分がいいから」

まだ少し笑っているようだった。何とかごまかそうとしているようだったが、うまくできていなかった。しかし夢を見たという話をするつもりはまったくなかった。信じてもらえるとはまったく思わなかったからだ。そもそも錬太郎自身、超能力が使えなければあれは完全な夢であったのだといって笑っていたくらいの出来事で、冒険だった。目の前の姉に話してみて、最後まで聞いてもらったとしてもまったく理解されるとは思えなかった。だから話さなかった。ごまかして、それで終わりにするつもりだった。

 錬太郎の答えを聞いて姉がうなずいた。まったく納得していないようであった。気になることはまだあるぞという気持ちが、目に表れていた。姉はこれ以上聞かなかったのは錬太郎の機嫌を損ねないためである。姉にしてみれば、錬太郎は自分のお願いを聞いてくれるといっている人間である。もしもここで突っ込んだ話を聞いて錬太郎が気分を悪くしたら、お願いというのを切り捨てられる可能性がある。それはとても困ることだった。なんとしても姉は池淵頼子を連れてきてほしかったのである。だから、今はいいだろうと引き下がったのだ。後で隙を見てきけばいいと、そう思っていた。

 そしてこ姉はこういった。

「まあ。そういう日もあるか。きちっとつれてきてくれたら、いいものあげるから。期待しておいて。夏休みが楽しくなるよ、きっと」

姉は楽しそうに言っていた。いいことがあるから楽しみにしていなさいという気持ちが本当にあるのだ。姉がこういったのは錬太郎にやる気を出してほしかったからである。目の前にいる錬太郎は機嫌がいいので、おそらく間違いなくお願いをやり遂げてくれるだろうという気がある。しかし、よりつよく自分のお願いをやってやるぞという気持ちになってもらえているほうがいいだろうという気がある。成功率を上げたいという気持ちというのは姉にもあるのだ。そしてほんの少しだけお願いを聞いてもらえるのだからそれに対する見返りというのがあって当然だろうという気持ちがあった。だから本当にお願いをやり遂げてくれたのならば、お礼を錬太郎にするつもりである。

 錬太郎は少し微妙な顔をした。ニコニコとしていた顔が微妙にゆがんでいた。錬太郎は姉の言ういいものというのが本当にいいものなのだろうかという気がしていたのである。特によくあることなのだが、錬太郎の姉というのは姉の基準でいい物を持ってくる。そうするとまったく錬太郎が興味のないものが自分の手元に来るということがあるのだ。つまり趣味が違っているのである。そのため、やはり贈り物があるといわれても、趣味が違っているだろうからいまいち喜べないのだ。




 

 姉のお願いを聞いた後、錬太郎は学校へ向かっていた。少しも急いでいるところはなかった。通いなれた道を、初めて歩く道を歩くような気持ちで進んでいた。錬太郎は、何もかもかもが消えうせてしまった町を見ていた。そのため、こういう当たり前の道を歩くというのが、ずいぶんと気持ちがよかった。まったく何もなくなっていたのが、ようやく戻ってきた。その気持ちが、当たり前の道を、とんでもなく素晴らしいものへと変えていた。

 少し時間をかけて錬太郎は学校に到着した。普段よりも時間がかかっているようだった。錬太郎は周りの風景というのを見ていたのだ。普段ならばどうでもいいと思い、視界の端にしか入れないのだが、今日は違っていた。じっくりと景色を見ながら学校への道を進んできた。そのため、いつもよりもずっと時間がかかってしまった。

 学校にたどり着くと自分の教室に向かった。足取りはずいぶん軽かった。これから授業が始まるのだから、面倒くさいなという気持ちになるものだが、やはり今日は違っていた。錬太郎はいつもどおりの授業が始まること、友達といつもどおりに話をするだろうということが、とても楽しみであったのだ。

 教室に入るときに錬太郎は挨拶をした。普段と変わらないような音量である。いつもどおりに振舞ったのである。しかし声の調子がいつもよりもうきうきしていた。自分の家族に、自分の様子がおかしいということを見破られていることに気がついていたので、錬太郎はできるだけいつもどおりに振舞おうとしていたのだ。流石に不振がられて、どうしてそんなに楽しそうにしているのかといろいろな人にたずねられるのはいやだった。

 クラスメイトたちから挨拶が返ってきた。少し対応が遅かった。どよめいているようでもあった。奇妙なものを見たという目をしているものもいた。ずいぶんと錬太郎が楽しそうだったからである。できる限り抑えて振舞っているというのが、余計に目に付いて、どうしても気になってしまっていた。かといって、返事をしないというのもおかしいだろうということで、微妙に送れて挨拶をしたのであった。

 挨拶を済ませた錬太郎は自分の席に座った。てきぱきとした動きであった。入り口から自分の席に向かうまでというのがずいぶんすばやくて、何がそんなに楽しいのかというくらいに思うほどである。できるだけ抑えよう、抑えようとしているけれども、失われていたものが、間違いなく戻ってきたということが確信に変わりつつあるという実感というのがある。その実感というのが、言いようのない喜びになっていくのだ。客観的に見れば、明らかにおかしい振る舞いであっても、生活を重ねれば重ねるほど間違いないという気持ちがわくので、どうにも抑えきれないのだ。

 錬太郎が席に着くと友達早房ツバメが話しかけてきた。早房ツバメの声というのはずいぶん楽しそうだった。早房ツバメが話しかけてきたのは、錬太郎に貸した漫画の話をするつもりだからである。ほかのクラスメートたちと違ってそれほど錬太郎を見て変化がないのは、錬太郎がうきうきしているのは自分が押し付けたマンガが面白かったからであろうとか、自分と感想を披露するというのを楽しみにしているからだろうというような考えがあったからである。

 早房ツバメに声をかけられた錬太郎は

「面白かった」

と答えた。

質問に答えるまでの間に間があった。そして、少し目が潤んでいた。しかし、はっきりとした声で答えていた。答えなくてはならないだろう。早房ツバメがあの時と同じように質問を飛ばしてきたのだから、答えなくてはおかしい。しかし、うまくはいかなかった。少しおかしかった。錬太郎にもわかるほどである。しかししょうがないのだ。錬太郎の前に自分を喜ばせてくれる事実たちが、たくさん現れてくれるからだ。抑えようと思っていても、こればかりはどうしようもなかった。




 ホームルームが始まった。チャイムがなると、先生がクラスに入ってきて、あっという間に始まった。これから朝の連絡をするためである。朝の連絡といってもほとんど時間はかからない。プリントを提出してみたり、説教があったりするくらいのものである。

 ホームルームの終わりごろ、といっていっても始まって三分ほどであった。担任の先生がこういった。

「進路調査票は、来週まで。遅れている人は早めにね」

 先生が生徒たちに呼びかけるのにあわせて、錬太郎は、かばんの中から進路調査票を取り出した。このときを待っていたのだというくらいにスムーズな動きであった。錬太郎は進路調査票というのを準備していたのである。まったく問題のない進路調査票である。問題がないのだから、進路調査票を出すのは当然であった。

 そして立ち上がって、担任の先生に自信満々に手渡した。きびきびとした動きであった。手渡すときの表情というのがあまりにも自信に満ち溢れていたので、錬太郎の表情を見た生徒たちは、よほど素晴らしい内容なのだろうと気にしているものさえいた。担任の先生は教壇に立っている。そのため、プリントを提出しようと思うと、どうしても歩いていかなくてはならない。担当の先生がいちいちとりに着てくれるのならばそれはそれでいいのかもしれないが、そういうシステムではなかった。なので錬太郎は自分で持っていかなくてはならなかった。自信満々なのは、素晴らしい内容だと思っているからではない。自分の道をまったく恐れることがなくなっているからである。馬鹿げた理由でも自分が決めたからいくのだと突き抜けられる勇気があった。それが自信として現れていた。

 錬太郎の進路調査票を受け取った先生が調査票を見た。しっかりと書かれているのか確認する動きである。担任の先生は、調査票がきれいな状態で出されるわけにはいかなかった。何せどこに向かいたいのかを教えてもらわなくては仕事にならないのだ。きっちりとかかれていなければならない。そのため、受け取ったときにはしっかりと埋められているのかを確認するようにしていた。

 ほかの生徒よりもしっかりと見たのは、あまりにも錬太郎が自信に満ちていたからである。これだけ自信満ちているのだから、何かあるだろうとそう思ったのである。

 確認をした担任の、先生がこういった。

「これでいいの?」

気が抜けているようなところがある。担任の先生はあまりにも錬太郎の書いてある理由が、ふわふわとしたものだったからである。人生のためだとか、将来のためとかではなく

「どういうものがあるのか、見てみたい」

といって書いてあるだけなのだ。自信満々でこれをもってきたのだから、おいおいという気持ちになった。気が抜けているのは、思っていたような壮大な理由ではなかったからだ。肩透かしな気分である。

 微妙な表情をした先生に、錬太郎は答えた。

「はい。これに決めました」

いい笑顔であった。まったく恥ずかしいところなどないというさわやかさがある。錬太郎は先生が自分に感じている疑問というのをよくわかっていた。よくわかっていたから、しっかりと答えたのだ。

「これでいいのだ。きっとこんなおろかな理由のために道を決めるなどというのはおかしいと、そう思っているのだろう。しかし、そんな理由だけれども自分が決めた道を選んだ理由なのだ。そしてそれでいいと自分が納得している。だからまったく問題ない」

錬太郎はそんな胸のうちを短い返事にして答えたのだ。自分はこれで大丈夫なのだと。これが間違いのない自分なのだと。

 錬太郎はそういって、席に戻っていった。担任の先生が何も言わなかったからだ。担任の先生が何もいわないというのならば、それは問題がないということである。ならば、ずっと立ちっぱなしにしているわけにはいかない。自分の席に戻り、授業を待つだけである。



 放課後になった。錬太郎は教室で時間をつぶしていた。太陽がそろそろ沈み始めている時間であった。そのため教室というのが赤く染まり始めていた。錬太郎はその教室をぼんやりとした目で、眺めていた。錬太郎は自分の席に座っているのだけれども時間をつぶせるようなものというのは何もなかった。錬太郎が時間をつぶしているのは、姉のお願いを、聞くためである。姉のお願いというのは池淵頼子を迎えに行くというお願いである。この二度目のお願いを、錬太郎は間違いなくやり遂げるつもりだった。

 そろそろ夕焼けになる。

 いろいろと暇をつぶしになるようなことを錬太郎がやってからのことである。やっとチャイムがなった。部活動の終わりが来たのだ。さっさと生徒たちに校舎から出て行けといって鐘がせかしていた。あまり学校に残っていると、先生たちに見つかってさっさと帰れとしかられるということもあるから、親切心からでもあるだろう。

 チャイムをきいた錬太郎は立ち上がった。やっとそのときがきたかという顔をしていた。自分の座っていた席がおかしくないように片付けて、さっさと歩き出した。少しも面倒くさいなどとは思っていなかった。錬太郎は池淵頼子の部活動が終わるのを待っていたのである。やっとチャイムが鳴り、そのときがきた。自分が迎えに行かなくては、彼女がどこに行くのかがわからない。姉のお願いを達成するためには終わった直後を狙うのが一番よかった。いつまでも座っているわけにはいかなかった。

 荷物を持って錬太郎は教室を出た。学生かばんを一つだけ手に持っていた。教室から出るときには、丁寧に教室の扉を閉めていた。錬太郎は美術室へと向かった。

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ