悲劇 一
花飾錬太郎は目を覚ました。一気にまぶたが開いた。程よい刺激があったのだ。太陽の光が部屋に差し込んできていた。そして、下の階から家族の動いている音が聞こえてきていた。
錬太郎の部屋の机の上には、漫画が積み重なっていた。漫画の単行本だ。そこそこに分厚いものが、何冊も重なっていた。表紙に書かれている名前を見ると、すべて同じ作品であった。一巻から最終巻の十巻までつみあがっている。律儀なことで同じ面を向くようにつまれていて、背表紙がきれいにそろって並んでいた。これは花飾錬太郎の友人早房ツバメ画家してくれたものである。錬太郎はこの漫画を先日押し付けられたのである。しかし、見ないわけにも行かなかったので、持ち帰ってすぐに読みはじめた。しかしこれが面白く、一気に読み上げてしまった。そして読み終わったものを机の上に積み上げたのである。
彼は飛び起きた。百九十センチメートル近い鍛えられた体のばねを使ってそれこそ飛ぶようにベッドから飛び出した。急いで、高校に向かう準備をしなければならないからである。錬太郎は枕元においてある時計を見てしまったのだ。時計の針はいつも目を覚まさなくてはならない時間よりもずっと遅い時間を指していた。学校に遅れるということはないけれども、余裕を持って行動するには怪しい時間だった。
そしてすぐに、服を着替えた。気取ったやり方ではない。とりあえず身につければいいというような服の着替え方だった。眠るために身に着けていたシャツを脱ぎ、ベッドの上に放り出す。トランクス一丁になれば、ハンガーにかけた学生服を手に取る。まず長袖のシャツを着て、ボタンをしっかりと上まで留める。そして長ズボンをはいて、ベルトを締める。これから花飾錬太郎は高校に向かわなくてはならないのだ。学生をやっているものなら学校が休みでないというのなら学校に行かなくてはならない。そして学校に向かうというのなら、制服でなければならないだろう。制服を着ていなければ、学校の入り口あたりではじかれるのだから。それが、高校のルールだった。
学生服に着替えた錬太郎はかばんの用意をした。手馴れたものだった。かばんの中身をいったん取り出して、本日の授業内容にあった教科書とノートを用意する。もっていかなくてはならないプリントというのを確認して、たとえば進路調査票のようなものを確認する。細かいもの、文房具だとかを確認して、さっさと用事を済ませてしまう。手ぶらで学校に行くというのもあこがれるものだが、勉強というのをやるときにはいろいろと準備が必要である。学校の机の中に勉強道具を置いておけるというところもあるだろうが、残念なことに錬太郎の通う学校ではそういうことをすると面倒くさい反省文を欠かされるのでできない。そのため、毎日重たい教科書だとかを持っていくことになる。錬太郎のような無駄に筋肉のついている学生には特に問題はないだろう。
着替えた彼は、部屋から出て行った。少しあわてているようだった。しかし忘れ物はなかっただろうかというような調子で、思い返すくらいの余裕を見せていた。余裕を持って行動することはできなかったけれども、出遅れているというような時間帯ではないのだ。しかし、ゆったりしていると間違いなく遅れるのは事実なので、さっさと出て行った。
廊下を急いで歩いた。いつもよりも大またで歩いていた。時間的な余裕がないという事実が、大またで歩かせている。おそらく遅れることはないだろうけれども普段どおりの行動ができないということ自体が、一種のプレッシャーになっている。そのため、なんとなく急がなくてはならないのだというような気持ちになった。
そして、階段を下りていった。ここも少し早かった。階段を非常にリズミカルに下りていった。ここまでくると、急ぐこと自体が楽しくなっているというか、勢いに任せているようなところがある。頭ではそこまで急ぐ必要はないというのがわかるのだが、勢いが出ているからその勢いでやってしまえばいいというような感覚である。そうやって階段を下りていくとリビングが見えてくる。
扉を開けると、家族が出迎えてくれた。まず母が朝の挨拶をしてくれた。それに続いて父親、その次に姉である。三人はほとんど同時に挨拶をしてきた。なので、微妙に重なっているように聞こえて、不思議なハーモニーがあった。このようなことになったのは錬太郎がずいぶんうるさく降りてきたからというのがある。錬太郎の体というのはでかい。そして身長と筋肉のために重たい。その結果勢いを出して歩くとドタドタという音がする。その音を聞いて家族は
「おきてきたな」
というように思うのである。当然、階段を下りてくるときの音も聞こえているわけで、入ってくるタイミングもはっきりとわかるのだ。
錬太郎は挨拶を返した。ほんの少しだけ普段よりも声が大きかった。ほとんど同時に家族から朝の挨拶を受けたのが、結構驚きであったのだ。そして、自分がなんとなく後れてしまっている血負うのも心の中にあるので、それがどうも組み合わさって、普段と同じ行いにならなかった。
テレビがニュースを流していた。テレビから流れてくるニュースというのは特にたいしたものではなかった。天気予報だとか、芸能人が問題を起こしたとか、面白い番組をやりますよというような宣伝だったりした。面白いといっても誰もが面白いと思うようなものではなく、オカルト的な番組であった。大昔には幻の大陸があったのだとか、アポロ計画で月にいった宇宙飛行士がとんでもないものを見つけただとか。そういう話であった。こういうことをやるのもテレビ局が生き残っていくために必要なことなのだろう。
父が席を立った。静かにいすを引いて
「そろそろいくよ」
といった。テレビの時間を見てみると、そろそろ出社しなければならない時間だった。時々真面目に出社するのがいやになることもある。しかしそんなことをすると面倒くさいことばかりがおきるのだ。それは学生も会社員も代わらない。
立ち上がる、父はかばんを手に取った。立ち上がってからの一連の動作というのは非常に滑らかだった。子供たちが生まれてくる前から、繰り返してきた動作である。うまくやろうと思わなくとも、だんだんと洗練されていく。
そして玄関に向けて歩き始めた。今朝の錬太郎のような大またで歩くようなことはしていない。無理せず普通に歩くいていった。日常なのだ。いつもと変わらない日常であるから、特に変わった行動をとることがない。これから、玄関を出て行ってそして会社に向かう。
母が、父の背中を追いかけていった。イスから立ち上がって、これもまた決まったことだというような滑らかな動きで後についていった。毎日繰り返している行動であるから、そもそも無理なところが少しもないように見える。母は父を送り出すために玄関までついていくのである。
姉が言ってらっしゃいといった。姉は父のほうを見ていなかった。テレビを見ながら、父に声をかけた。いい加減な感じの挨拶になっているけれどもしょうがないことでもある。何せ毎日続いていることだから、いつもいつも一生懸命に声を出すというのはつらい。そもそも朝っぱらから、決戦に向かうような勢いで挨拶をする必要などないのだ。
錬太郎が姉に続いた。錬太郎は少し大きな声で
「いってらっしゃい」
といった。普段なら、姉と同じくらいにいい加減な声を出す。しかし、今日は少しだけ錬太郎は違っていた。寝坊気味に起きてきて頭が微妙に混乱しているのだ。そのため、いつもと少し違った大きさで挨拶をしてしまった。しかし恥ずかしいことではない。
父が二人の声に応じた。
「おう、いってくる」
と答えた父は少し錬太郎を見て驚いているようだった。しかしこの応じ方というのも、いつもどおりのやり方であった。子供たちが送り出してくれたから、それに自分も応じる。それだけである。少し驚いていたのは、錬太郎の声が大きかったからである。いつもと少し違った息子の挨拶に少しだけあわてたのである。
リビングから父と母の姿が消えた。父がリビングの扉を開いて、リビングから出て行く。そしてその後を母が追いかけていく。そして扉を母が閉める。これもまたいつもとおなじ。こうして父は会社に向かう。母は見送りである。
父と母がリビングから消えてからすぐ、姉が錬太郎にお願いをした。
「つれてきてほしい人がいるの」
ずいぶんと真剣な表情をしていた。そして声の調子というのにもずいぶん力が入っていた。姉は錬太郎にこういった。
「私の後輩の池淵頼子って知ってるでしょ? 何か悩んでるみたいだからって、姫百合ちゃんからお願いされてね。私が呼んでもきてくれるかわからないから、れんちゃんがつれてきてよ。少しくらいならお礼も考えてるから」
錬太郎は表情を変えた。ものすごく面倒くさそうな顔をした。なぜならばこの池淵頼子という名前に聞き覚えがあったからである。この池淵頼子というのは錬太郎の姉、花飾晶子の部活動の後輩である。錬太郎も何度か顔を合わせたことがある。顔見知りであるというのだから楽に話が進みそうなところだが、そうでもないのだ。というのが池淵頼子を連れてくるという話になると一学年上の池淵頼子のクラスに直接顔を出すか。もしくは頼子が部活動をしているところに出向かなくてはならない。当然だが、どちらも面倒である。下級生がひとつ上の学年に向かうということ自体が面倒であるし、そもそも女性を呼び出すというのがよくない。また、部活動に顔を出すというのもこれもまた面倒で、何せ姉がかつて所属していた部活動というのが美術部で、いかにも男くさい錬太郎のようなのが姿を現すと調和を乱すことになる。
錬太郎が、断った。特に悩むようなところはなかった。
「いやだよ。別の人にやってもらってよ。鬼島先輩にでもつれてきてもらえばいいじゃん。うちの場所知ってんでしょ?」
錬太郎よりも適任者がいるというのが、すぐに思い当たったのだ。錬太郎の姉にお願いをしてくるようなのだから、それこそ自分でつれてくればいい。いちいち錬太郎がつれてくるということ自体が、非効率的な感じがある。
姉が食い下がってきた。
「だめよ。れんちゃんじゃなきゃ。鬼島ならもう試したのよ。でもだめだった」
母が戻ってきた。父を送り出してきて、それでさっさと戻ってきたのである。
母が、どうしたのと聞いた。錬太郎の姉、晶子の様子というのが真剣で、子供たちの様子というのが少しばかりとげとげしくなっていたのを察したのである。母にしてみれば、このような揉め事が起きてしまうのはあまりよろしいことではない。できるのならば解決してやりたいと思うのは親心である。
姉が事情を説明した。
「れんちゃんに後輩をつれてきてもらおうかと思ってね。たぶん、れんちゃんなら大丈夫だと思うから。なんとなくだけど」
非常に落ち着いた説明だった。これは姉が母を味方につけようとした行動である。姉は錬太郎の性格をよく知っている。そのため自分のお願いを聞きたくはないけれどもきかなくてはならないというところまで見抜いていた。そこにもしも母が、お願いをしてきたらどうなるか。間違いなく一気に傾くだろう。とそのような予想を立てて、冷静に状況を説明したのだ。
錬太郎がいやそうな顔をした。ものすごく面倒くさそうなことになったという顔をしている。姉が母に状況を説明した時点で、母の目がきらりと光ったのを見たのである。このとき錬太郎はしょうがないなという気持ちになっていた。そもそもお願いを聞きたくないというのも確固たる理由があってのことでもない。それこそ、調和を乱すとか、世間の目を向けられるのがいやだなというような理由だった。むしろ錬太郎は何か問題があるというのなら助けてやりたいという気持ちがあるのだ。そんなところで、姉が母を味方にしてしまえば当然母は錬太郎にこういうだろう。
「きいてあげなさい」
と。そうなってしまえば、自分の中のふわふわとした断る理由など、引っ込めてしまう。それもいやな気持ちがするというよりも、よしやってやるぞというような気持ちさえわいてくる。しかしそうなると、面倒が襲い掛かってくるのが間違いなくなる。それを錬太郎は姉が母に説明をしたところで受け入れたのだ。
少し考えてから母が、きいてあげなさいといった。ちょっとお風呂のセンでも抜いてきてくれというような調子であった。女の子一人連れてくるくらいのことなのに何が難しいのかというような感じしかなかった。そもそも錬太郎には断る強い理由がないのはお見通しである。誰の味方をするのかなどというのは明白だった。
錬太郎はまた少し表情を変えた。面倒くさいなどという顔をしてはいない。真面目な顔をしていた。強く断ろうとしているのではない。お願いを聞くからこそ思い当たった問題について姉に断っておこうとしたのである。どうしようもない問題が発生したときには、錬太郎は池淵頼子を連れてこれなくなる可能性がある。錬太郎はまず面倒くさいというよりは、その可能性を思いついたからまず断っておかないと後でまた面倒が起きると判断したのだ。
そして姉に答えを出した。
「わかった。でも、だめだといわれたらそれ以上はできないからね」
ここは絶対に譲らないという声の調子だった。錬太郎が表情を変えた理由と同じである。錬太郎はただの高校生である。警察官だとか、公権力の人間ではない。そのためお願いをされたところで、つれてきてほしいとお願いされた人、池淵頼子を無理やり連れてくることはできないのだ。はっきりと断られたら、錬太郎にできるのは、
「そうですか」
といって受け入れることくらいのことである。それ以上のことをしたら、錬太郎がしょっ引かれる。
姉はうなずいた。微笑んでいた。そして錬太郎にこういった。
「ありがとう、れんちゃん。しっかりやってくれたら、夏休みにいいところに連れて行ってあげるわ」
お願いを聞いてくれる自分の弟に対するお礼の気持ちがあるのだ。
しかしお礼を受け取ることになるだろう練太郎の表情は微妙だった。お願いは聞いてもいいけれど、変なものなら受け取らないぞというようなのが、微妙な表情になって現れていた。何せ御礼をするといって話題に出てきたのが、どこかに連れて行くという話なのだ。錬太郎の頭に浮かんだのは、荷物もちだろうということ。錬太郎は体が大きく力もあるから、そういう旅行に連れて行くにはかなり便利だった。だから連れて行くというのと夏休みというので、錬太郎は十分予想がついたのだ。自分が荷物運びに使われる未来というのが。。
錬太郎は学校へ向かった。学校への道のりというのは楽しいもの、見物するような気持ちになるものというのはない。そもそもこの町自体が面白みがない。変わったところをあえてあげれば、町の中心に小高い丘があり、その近くに錬太郎の通う高校がある。その小高い丘に展望台がある。その展望台から町を眺めることができる。しかし、景色を見て面白いということもないのでほとんど人はいない。錬太郎は目を覚ますときこそあせっていはいたけれども、それ以外は特にあせるということはなかった。何せいつも余裕を持って行動をしていたからである。しかし学校に行かなくてはならないというのは間違いないことである。だから、普段よりもくつろぐ時間を短くして、学校に向かった。
三十分ほどで、錬太郎は教室に到着していた。高校についた錬太郎はさっさと靴を履き替えた。そして廊下を歩いて、階段を上って自分の教室の扉を開けた。学校に到着すればもちろん受けるのは授業である。遊びに来ているわけではないとまでは錬太郎も思ってはいない。しかし、学校にきたからには、一応教室におさまっておかなくては気まりが悪い。
錬太郎は教室に入ると挨拶をした。
「おはよう」
非常にやる気のない挨拶だった。誰に向けての挨拶ということでもない。とりあえず朝の早い時間からクラスに来ているクラスメイトに対して声をかけているくらいの調子であった。特に意味のある行動ではない。一応礼儀としてやっておくとか、入ってきたのだから挨拶くらいのことはしておいたほうがいいだろうという、雰囲気の問題である。なんとなくやっておいたほうがいいだろう。そういう気持ちで錬太郎は挨拶をした。
錬太郎が教室に入ってきたときにはすでに錬太郎の友達早房ツバメが席に座っていた。ほかの高校生と比べるとかなり身長が高い錬太郎だが、その錬太郎と比べてみても早房ツバメというのは遜色がない。そして、部活動の関係で体を鍛えているのでがっしりとしていて重たそうに見えた。錬太郎もそれなりに早くクラスに到着していたけれども、早房ツバメがこれほど早かったのは、やはり朝の部活動をしていたからである。短く刈りそろえられた髪の毛をタオルで雑に拭いていた。
ほかのクラスメイトが挨拶を返してくれるのに混じりながら早房ツバメが錬太郎に挨拶をした。
「おう、おはようさん」
なんともぶっきらぼうな挨拶であった。礼儀正しい挨拶の仕方ではない。しかし友達の間でする挨拶ならば、これでいいだろうという気安い感じであった。そもそも友達通しであまり礼儀正しいというのも変な感じがする。それに、ずっと昔から二人の挨拶というのはこんなものだから、それでいいだろうという気が早房ツバメにはあるのだ。
錬太郎がかばんを自分の席においたとき、早房ツバメが質問をしてきた。
「どうだった、おもしろかったろ?」
先ほどの挨拶のときとは違っていてずいぶん、楽しそうに話しかけてきた。それはそのはずで、錬太郎に貸した早房ツバメの漫画というのは早房が最近気に入っている漫画なのだ。漫画自体を気に入っているというだけならいいのだけれども、早房ツバメはこの気に入っている漫画について、話をしたいという気持ちを持っていた。しかし残念なことに早房が気に入っている漫画というのを、ほかに知っている人というのが非常に少なかった。なので早房は気心の知れている錬太郎に漫画を押し付けて、よんでみてくれといって頼んだのだ。それが昨日のことである。自分が面白いと思っているものというのには誰かに共感してもらいたいと思うのは、誰でも同じなのだ。
自分の席に座って落ち着いたとき、錬太郎は感想を話して聞かせた。
「おもしろかった。あれは面白かったよ。特に、あのおっさん。ものすごかったな。
ナラシンハだっけ? 最後の無双ぶりは半端じゃなかったよな。感動して泣いちゃった」
錬太郎もまた、早房ツバメと同じようなきらきらと目を輝かせながら話をした。錬太郎は早房ツバメに押し付けられた漫画というのを呼んで、とんでもなく面白い漫画であるといって感動していたのだ。それこそいつもどおりの朝を迎えられないくらいに、読み込んでしまうくらいには。そして、当然この感動を分かち合いたいという気持ちが錬太郎にわいてきていた。そんなところに話をしたいと思っていた早房がきて話を振ってくれたものだから、すぐに話し始めたのである。
二人はそれから漫画について熱く語り合った。話をしている間にクラスメイトが続々とクラスに集合していたけれども気にならない様子で白熱していた。というのも本当に読んだ漫画というのが面白く話したいという気持ちがお互いにある。しかもお互いに小さなころからの付き合いがあるから、話をするのも慣れている。会話のキャッチボールをするというのも熱意がいるけれど、二人とも熱意があり、しかもお互いにお互いの癖というのを知っているから話題を落とさない。そのため話がよく進むのだ。これが、少しの知り間とかならこのようにはいかなかっただろう。




