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第2話 十日間動く灰色の端末

 ハルトの部屋がある元時計屋を出て少し歩くと、通りではパンを運ぶ手押し車が、舗装の穴をよけて進んでいた。


 二〇三九年、五月。アオハラ市の朝は、店の戸を開ける音から始まる。電灯をつける代わりに、戸と窓を大きく開いて日の光を入れるのだ。そして、日が傾けば、その日の商いを終える店も多かった。なぜなら、電気が十分に供給されていないからだ。


 通りには人の住む民家が並ぶが、家の壁にコンセントが残っていても、そこから電気が来るとは限らない。


 七年前に始まった世界大戦で、この国の発電所だけでなく送電線や変電設備も壊された。長距離ミサイルなどの大きな攻撃が収まったあとも、公共インフラの設備を動かし続けるための部品と人手が足りない。復旧中の発電所から送電網で送られる電力量は限られており、町の隅々まで電気を届けられる状態には戻っていなかった。


 そのため限られた電力は政府が厳しく管理していた。復興庁の供給計画に従い、浄水場や医療施設などへ優先して送られ、住民の暮らしに使う分は配給する。アオハラ市では、行政の指定した「充電所」が、その受け渡しの場となっていた。


 住民に毎月配られるのは、紙の電力配給チケット。たいていの人は、チケットまたは券と呼んでいる。


 「電力配給チケット(通称:充電チケット)」には持ち主の登録番号と期限、利用する充電所、受け取れる電気の量が書かれていた。端末一台を何回満タンにできる、という券ではない。受け取った電力量をワット時で測定し、その分を残りの割当から引く。


 スマホ端末を充電すれば、その分だけ、同じチケットで別の蓄電池に充電できる電気の量が減る。或いは、自宅の電気クーラーボックスの充電を優先すれば、その分だけ、同じチケットで自分のスマホ端末に割り当てられる電気が減る。そのため、人々は今夜の携帯灯を長く使うか、帳簿をつける端末を多く動かすか。そんな配分を、月の残りの日数と相談しながら決めていた。


 電話や一般向けの無線通信を使えなくても、スマホ端末を手放せない人は多い。店の売上を計算するローカルAIも、子どもの読み書きを助ける教材も、スマホ端末のメモリーの中に残っている。そのため、外の通信回線につながずにできることはあった。ただ、スマホ端末を動かすにも、まず電気が要った。


 ハルトも同じだった。


 ハルトの借り部屋の窓辺には、欠けた太陽光パネルと小さな蓄電池がある。晴れれば、太陽光パネルで蓄電池を充電でき、仕事道具の電気を少し補える。だが、雨の続く週にまでそれを当てにすれば、依頼先へ着いたところでスマホ端末の電気が尽きて、スマホ内蔵のAIが眠ってしまう。


 二十二歳のハルトが請け負うのは、通信設備の保守と修理だ。作業には測定器だけでなく、図面や部品表を調べる端末も欠かせない。最近、普段の仕事を任せ始めた灰色のDayLight2030は、今朝も胸ポケットに収まっていた。


 その中にいるナノリスと、どれだけ働けば、どれだけ電気が要るのか。二人はまだ、暮らしの中でそれを確かめ始めたところだった。


 ハルトは工具袋の肩ひもを掛け直した。外側の平たいポケットには、今日の修理依頼票が入っている。


 受け取ったのは、昨日の夕方だった。


 作業報告のために寄った行政の窓口で、職員が一枚の紙を差し出した。アオハラ市の第三充電所からの依頼で、充電台で利用者が充電に使った電力量をデータとして記録した後、その記録データを管理室の集計マシンへ送る通信機器に不調があるという。


「充電の台そのものは動いています。ただ、通信機器が故障し、奥の管理室へ記録データが届かないので、係員が紙で運んでいるそうです。明日の朝、見てもらえますか」


 ハルトは依頼票を読んだ。


 依頼票には「業務用Wi-Fi中継器の点検。接続が途切れ、送信した記録データへの返事が戻らない。」と記載されており、訪問時刻と、第三充電所の管理人である「ロアン」の名前が添えられていた。


「分かりました。まず、現場で確かめます」と行政の窓口担当者にハルトは答えた。


 引き受けたのは、充電所に供給する電気を増やす仕事ではない。受付で記録した使用量データを、第三充電所の管理室まで正しく届けるための修理だった。


 中継器に電気が届いているか。その箱の中の電気回路は動いているか。電波を送り出す側と、受け取る側のどこで途切れているか。故障箇所を絞り、必要な部品を交換して、最後に普段と同じ使い方で動作させ、記録データが届くことを確かめる。


 もちろん依頼票だけで、どの部品が悪いかまでは分からない。ハルトは翌朝に使う測定器と予備の配線をそろえ、工具袋へ収めておいた。


 街の通りを同じ方角へ歩く人の手にも、折り畳んだ紙の充電チケットがあった。ハルトは角を曲がり、第三充電所の看板を見上げた。


     *


 第三充電所の前には、朝から市民七人が並んでいた。


 先頭の男は、小さな蓄電池を布袋に入れて持っている。その後ろの女は、画面の端が欠けたスマホを両手で包んでいた。仕事へ向かう前に充電しておきたい人も、買い出しの間に充電を済ませたい人もいる。


 充電所の充電台の数は限られ、電気がたまるまでには時間もかかる。受付では券の残量を確かめ、終われば計器の数字を書き込む。先に並べば割当が増えるわけではないが、朝の用事をまとめて済ませようとすると、どうしてもこの時間に人が集まった。


 充電所では、通信機器の故障で、充電の記録を確かめる手間も増えている。戸口から、番号を呼ぶ声と、紙をめくる音が交互に聞こえた。


 ハルトは列の脇を通り、開け放された戸口で足を止めた。長椅子の下には空の籠が押し込まれ、窓辺の充電台には、形も色も違う端末が並んでいる。壁に下がった『充電のみ・通信利用不可』の札は、先月より少し傾いていた。


「おう、ハルト。今日は早いな」


 受付の向こうで、管理者のロアンが顔を上げた。


 五十代の、肩幅の広い男だ。襟から出た首は日に焼けていて、笑うと目尻に深いしわが寄る。ハルトがこの充電所を使い始めたころから、同じ窓口に座っていた。


「依頼票には、この時間って書いてあった」とハルトが言うと、


「ああ、そうだった。充電なら、いつも昼を過ぎてからだからな」とロアンが返した。


 ロアンは笑い、手元の券へ数字を書き足した。客の顔を見てから、充電台の計器をもう一度確かめる。


「この券で、あとどれだけ充電できるかは、ここに書いてある。次の券を受け取るまで、なくさないでくれよ」


 客に紙を返し、番号札を一枚、箱へ戻す。それからハルトの胸ポケットを見た。


「前に使っていた黒いやつは、とうとう動かなくなったか?」


「まだ黒い方も使えるけど、こっちは仕事用のスマホ端末さ」とハルトが答えた。


「この間、追加で登録した端末か。ずいぶん立派なのを――」


 窓口の前で、次の客が番号札を持ち上げた。


「おっと。十二番だな。先に券を見せてくれ。ハルト、通信機器の部屋は奥だ。鍵はそこにある」とロアンが大声で言った。


 話しかけたのはロアンなのに、最後にはハルトが追い払われる形になった。いつものことだった。


 通信機器が設置されている部屋に入った後、ハルトは依頼票と許可証を所定の箱に入れ、作業台の上に工具袋を広げた。ここは充電台を修理するための台でもあり、天板には長年の傷が重なっている。


 受付がひと区切りつくと、ロアンが管理用の鍵束を持ってきた。


「昨日の昼から、向こうへ記録データが届かなくてな。それまでも、届いたり届かなかったりだったんだが」


 指した先には、壁に取り付けた白い箱があった。銘板には、WR-24Mとある。充電台の受付の端末と、建物の奥にある配電管理室を結ぶ、業務用のWi-Fi中継器だ。


 充電台の計器で量った使用量は、日付や受付番号と一緒に、職員が受付の端末へ記録する。その記録を管理室へ送り、日ごとの利用状況や割当の残りを照合する仕組みだった。


 だが、管理室は厚い壁と折れ曲がった廊下の向こうにある。受付の端末から直接飛ばす電波だけでは、安定して届かない。廊下寄りの高い位置に置かれた白い箱が、記録の信号を受け取り、管理室の側へ中継していた。


 この白い箱、すなわちWi-Fi中継器が扱うのは、充電所の仕事に必要な通信だけだ。充電台につないだ住民のスマホを、外の通信回線へつなぐためのものではない。


「充電は続けられてる?」


「ああ。計器も台も動いてる。充電する電気は、あの白い箱を通らないからな。困ってるのは、こっちだ」


 受付の机には、束ねた使用量の控えが積まれていた。端末に保存された記録データを送れないため、ロアンが紙を持って管理室へ通っているという。


「届かなかったと思って持っていくと、途中まで届いてたりする。どれを向こうの台帳に書いたか、確かめるだけでひと仕事だ」


 ロアンは控えの端を指でそろえた。送信できたか不明なものには、鉛筆で小さな三角がついている。


「同じ電気を二度使ったことにされたら、たまらんだろう」


 ハルトはうなずき、今日の作業範囲を確かめた。試験に使えるのは、この充電所の受付と配電管理室の間。施設の点検端末は、鍵のかかる棚にあった。


 利用者の使用量には加算されない試験用の記録を送り、相手から返事が戻るかを確かめられる端末だ。ハルトは管理室の担当者にも点検の開始を伝え、道具を白い箱の下へ運んだ。


     *


 Wi-Fi中継器の電源を入れ直すと、緑の灯りがついた。


 起動には少し時間がかかったが、点検端末から送った短い試験記録には返事があった。次に、試験用の記録を続けて送ってみる。今度は待ち時間が長くなり、白い箱の灯りがふっと消えた。


 しばらくして、また緑色に戻る。


「勝手に中継器が再起動し、それを何度も繰り返しているな」


「昨日は、灯りがついたまま返事がなくなったこともあったぞ」


 ロアンが手帳を開いた。受付が落ち着いたときに、気づいた時刻を書いていたらしい。朝は一件ずつ送れていた。昼前には三件まとめて失敗し、午後は一件でも返事がない。


 ハルトは灰色の自分のスマホ端末を取り出した。


「ナノリス。時刻と、そのときの様子を並べてくれ」


 ハルトはスマホ端末を手に持ち、資料の方にそのカメラレンズを向ける。


「ハルト、右側のページも見せてください」と、AIのナノリスがスマホ端末から声を出す。


 ロアンの手が止まった。


「新しい仕事仲間か」


「スマホに内蔵されているナノリスです。記録と資料の整理を手伝っています」と、ナノリスが自己紹介をする。


「ロアンだ。ここの受付と、端末の持ち主を呼ぶ係だ。あっちの机は自由に使っていい。ただ、ケーブルを床に渡したり、ネジを床に置いたりすると、誰かが踏むかもしれないから気を付けてくれ」


「了解しました」と、ナノリスが返事をする。


「頼もしいな。なかなかレスポンスも良い」


 ロアンが窓口の方へ戻ると、ハルトは許可を得て、故障のメモと整備資料をスマホのカメラに読ませた。点検中は、ナノリスが動作しているスマホ端末には、施設のケーブルをつながない。紙の記録を読んでもらい、測定した値はハルトが伝える。


 ナノリスは、ロアンが書いた時刻を順に並べ、症状を二つに分けた。


「灯りが消えて、再起動した事象。それから、灯りはついたまま、返事だけが戻らなかった事象です。同じ『送れない』でも、起きていることが違います」


「まず、勝手に再起動する方だな」


「はい。送信を続けたときに多く起きています。中継器にかかる負荷と、電源の状態を調査したいです」


 図と記録を読み取ったところで、カメラを止める。ハルトは中継器の電源を切り、Wi-Fi中継器の白い箱を開けた。


 大きい方の基板には、記録の信号を処理する回路と、無線の送受信を行う回路が載っている。その脇に、小さな電源基板があった。こちらは施設から来る十二ボルトの直流を、通信基板が使う五ボルトに変えるものだ。


 整備図には、DC-DCコンバーターと記されていた。電圧を下げ、通信の回路へ安定した電気を渡す役目を持つ。


 ハルトはほこりを払い、焦げや水の跡がないことを確かめた。電源基板の型番はPD-5C。出力側の端に並んだ電解コンデンサの一つは、上面がわずかに膨らんで見えた。


 それだけで原因を決めず、先に、電気がどこで乱れるかを調べる。


 工具袋から携帯型のオシロスコープを出した。短い時間に起きる電圧の変化を、画面の線として見る測定器だ。測定箇所へプローブを固定してから通電し、待機中と、試験記録を続けて送っている間の波形を比べた。


 中継器へ入る十二ボルトは、ほとんど動かない。ところが、電源基板を出たあとの五ボルトの線が、送信中に深く沈んだ。


「最低で四・二ボルト。入力側は変わらない」


 ハルトは数字を読み上げ、止めた波形の画面をナノリスのカメラへ向けた。


「整備図では、この機種の電圧監視回路は四・四ボルト付近でリセットをかけます。今の四・二ボルトは、その値を下回っています」


 電圧が下がったまま誤動作しないよう、装置を再起動させる仕組みだった。


「リセット信号も見よう」


 ハルトは資料にある測定箇所を確かめ、リセット信号も同時に記録した。もう一度送信すると、五ボルトの出力が沈んだあとにリセット信号が変わり、Wi-Fi中継器の箱の灯りが消えた。


 ただ通信に失敗したのではない。電源が持ちこたえられず、装置そのものが起動をやり直していた。


「充電所から来る電気は安定しています。次は、PD-5Cの出力側から調べましょう」


 ナノリスが整備図の一部を画面に出した。


「このC17は、平滑用の電解コンデンサです。電気を少しため、送信で急に電流が必要になったときに、電源回路が追いつくまで出力を支えます」


「頭が膨らんでるのが、それだ」


「候補になります。ただ、どの程度傷んでいるかは、測らないと分かりません」


 ハルトは電源を切り、残った電圧がないことを確認してから、C17を基板から取り外した。ほかの部品の影響を受けない状態で、小型の部品測定器、LCRメーターにかける。


 表示された容量は、部品表の値を大きく下回っていた。ESRと表示された抵抗値も、資料の許容範囲を外れている。


 ハルトが値を伝えると、ナノリスは指定値と並べた。


「ためられる電気の量が減り、部品の内部で電流の流れを妨げる抵抗も増えています。待っている間は五ボルトでも、送信の負荷がかかったときには、出力を支えきれなくなります」


 ハルトは、外した小さな筒をピンセットで転がした。先端の膨らみは、斜めから見なければ分からないほどだった。


「C17は不良。まず、このコンデンサを替えたいな」


 工具袋にあるコンデンサの小袋を調べる。近い大きさの物はあったが、この電源回路に指定された特性を満たす物はない。ナノリスにも、袋の規格表示と部品表を比べてもらった。


「こちらは容量が同じでも、指定された低ESR型ではありません。代用品にするなら、条件を満たす別の部品が必要です」


 交換できれば、小さな筒一つで済む。だが、形が似ているだけの物を付け替えた結果、明日の受付でまた通信が止まるようでは困る。


 ハルトはコンデンサの規格を控え、電源基板の型番も隣へ書いた。単体の適合品がなければ、同じ基板を探すことになる。


「もう一つの症状は、残っています」


 ナノリスが、ロアンの記録を示した。


「灯りが消えなかったときの不調です。電源を安定させても起きるか、確かめませんか」


「ああ。そっちを片づけてから、代替品を探しにいこう」


 ハルトは不良の電源基板を通信基板から切り離し、施設の試験用電源で、決められた五ボルトを供給した。今度は、試験記録を続けて送っても電圧が沈まない。勝手に再起動することもなくなった。


 ところが、点検端末を受付の定位置へ戻すと、また返事が途切れた。Wi-Fi中継器の白い箱の近くへ寄せれば通る。


 ハルトは試験結果の画面から、受信した電波の強さと、データ再送の回数を読み上げた。届かなかった信号を送り直す回数が、受付の位置では大きく増えていた。


「電源は安定しています。今の結果では、端末を離したときに不調が出ていますね」


「電波の方か。もう一回、同じ場所で比べる」


 ナノリスが、近くで試した結果と受付で試した結果を、別々の欄へまとめる。ハルトは端末の向きと送る回数をそろえ、往復して確かめた。


 結果は変わらなかった。ナノリスは、試験用の電源に替えて消えた症状と、まだ残る症状を、作業記録の中で区別した。


 ハルトは電源を切り、通信基板から外付けアンテナへ延びる、細い同軸ケーブルをたどった。


 中心の導線を絶縁材と金属の覆いで囲み、高い周波数の信号を通すための線だ。普通の配線がつながっているかどうかを調べるだけでは、電波をきちんと運べるかまでは分からない。


 裏側の固定金具の下で、その線が平たくつぶれていた。前の取り付けで挟み込んだらしい。被覆は破れていないが、指先でたどると、そこだけ厚みが違う。


 傷の位置をスマホのカメラで見てもらうと、ナノリスは配線図と見比べた。


「そこなら、送信にも受信にも影響します。予備の線で比べれば、無線回路そのものの不調かどうかも、絞り込めます」


 同軸ケーブルは、内部の形が崩れると、信号の一部が反射してうまく伝わらなくなることがある。線が完全に切れていなくても、アンテナと回路の間で信号を弱めている可能性はあった。


 ハルトは工具袋から、同じ規格で端子も合う予備のケーブルを出した。こちらは、いくつかの機器で共通して使う汎用の補修品だった。


 交換後、アンテナの位置や向きを変えず、受付から同じ試験を行う。今度は、返事が途切れなかった。


「受信状態もよくなった。再送の回数は、ケーブルを替える前よりずっと少ない」


「電源を替えたときには不具合が残っていて、ケーブルを替えたあとに改善しています。不具合の原因を、別々に確認できました」


「二つの問題が、重なってたんだな」


 ハルトは、外したケーブルをC17とは別の紙の上へ置いた。


 電源が持ちこたえても、傷んだアンテナ線のせいで届かない。近くで電波が届いても、送信を続ければ、コンデンサが弱っているせいで電源が落ちる。ロアンが観察した不調の様子が、そのつど違っていたのも、それなら説明がつく。


 ナノリスが読み取った記録と、ハルトが測った値が、ようやく一つにつながった。


 アンテナ線は直せた。残るのは、電源基板の修理だった。


 ハルトはコンデンサの規格と電源基板の番号を確かめ、ロアンを呼んだ。


「電源のコンデンサが傷んでた。それとは別に、アンテナの線もつぶれてた。線は手持ちので直せたから、残りの交換用を探してくる。部品代は、この額まで見ておいてほしい」


 依頼票の見積もり欄に数字を入れる。ロアンは内容を確認して署名した。


「Wi-Fi中継器を丸ごと替えなきゃいかんかと思ってたよ」


「中の大きい基板は、今のところ使えそうだ。もう少し試してから戻す」


 試験用の電源は常設するものではない。ハルトは機器を停止し、作業中の札をかけた。細いアンテナ線を、今度は金具に挟まらない経路へ固定しておく。


 ロアンは窓口へ向き直って、客の対応をした。


「二十番の方。お待たせしました」


     *


 行政の部品窓口には、C17に使えるコンデンサも、PD-5Cの電源基板もなかった。


 行政の係員は容量や耐圧だけでなく、電源用として指定された種類まで帳簿で確かめた。同じ容量の在庫はあっても、必要な規格とは違う。次の搬入予定にも、適合する部品の番号はなかった。取り寄せの申請はできるが、日数は約束できないという。


 ハルトは申請用紙を預け、コンデンサの代替品を中古部品屋で探すために街の広場へ移動した。


 中古部品を扱うオグラの店では、木箱が通路の半分をふさいでいた。店主はその向こうから、いつもの口ひげをのぞかせた。


「今日は何を――」


「壊れてる。第三充電所の中継器」


「最後まで言わせろよ」


 ハルトが規格と部品番号の紙を差し出すと、オグラはコンデンサの箱から調べた。いくつかの小袋を出してくれたが、必要な規格はそろわない。


「それなら、基板ごとだな」


 店主は体を横にして木箱の間を通り、棚から小さな引き出しを抜いた。似た形の電源基板が三枚あった。


 一枚目は寸法が同じでも、出力の仕様が違った。二枚目は端が欠け、そこを通る配線まで切れていた。


 三枚目には、必要な番号が印刷されていた。


 ハルトは少し息をつき、拡大鏡を取り出した。端子の汚れを落とし、傷や焦げを確かめる。外見には大きな異常がなかったが、オグラの作業台で負荷をかけると、出力が不安定になった。


「こっちもか」


 測定器の表示を見たまま、ハルトはつぶやいた。


「古い基板は、いろいろと具合が悪くなるもんだ」


 オグラは基板に『出力不良』の札をつけ、別の引き出しへ移した。


 ハルトは、基板からコンデンサだけを取り出して使えないかどうかも確かめた。オグラに断って、規格の合う物を外して測ったが、こちらも劣化が進んでいた。


「他の店は?」


「その型なら、向かいは先月で切れた。街の回収屋には、一昨日見たときはなかったな」


 ハルトは結局、両方へ足を運んだ。向かいの店では首を振られ、回収屋ではまだ仕分けていない箱を二つ見せてもらったが、使える物はなかった。


 昼を過ぎるころには、靴の中に砂が入り込んでいた。


 広場の端で腰を下ろし、水を飲む。胸ポケットから出した灰色の端末が、朝より温かかった。


「今日は、ずいぶん減ったな」


 バッテリー表示を見て言うと、ナノリスが答えた。


「基板や型番の読み取りと照合に、時間がかかりました。先ほどの部品箱でも、カメラが動いていました」


 ナノリスが動作するスマホ端末は、三日間の観察から、軽い使用なら十日間ほどバッテリーが持つと見込まれていた。今日は、その軽い使用から外れている。


 ハルトは時刻とバッテリーの残量を書き留めた。


「ナノリス、必要なところだけカメラで撮ろう。移動中は休んでていい」


「その前に、一か所だけ確認してもらえますか」


 ナノリスは、充電所で読んだ整備資料のページをスマホ画面に示した。


「部品の使用機種一覧から、電源基板の番号が一致するものを抜き出しました。基板単体で見つからなくても、同じ基板を使う別の機器から探せます」


 PD-5Cの番号の横に、別の機器の型番が載っている。有線の業務用中継装置だった。通信方式も外側の形も違うが、一部の製造時期には同じ電源基板を使っていたらしい。


 ナノリスは、出力電圧と供給できる電流、端子の配置が一致する欄を順に示した。さらに、その下の小さな注記を拡大する。


「同じ型番でも、途中の製造分から基板が変更されています。機器の型番だけで決めず、現物の基板番号も見てください」


「それも、こっちの資料に載ってたのか」


「一覧の続きにありました。候補は三機種ありましたが、二機種は基板番号の末尾が違います。確認できた範囲では、この機種が合います」


 ハルトは自分のスマホ画面をのぞき込み、映っているページを拡大した。修理対象の部品番号を確かめたあと、その先までは目を通していなかった。


「助かる。もう一回、聞いてくる」


 オグラは、新しい番号を見て眉を寄せた。


「背の低い、黒い箱か?」


「その型なら」


「引き取った荷にあった気はする。北側の倉庫の中だ。今日はまだ、その荷をほどいてない」


 オグラの台帳には、閉鎖された電子部品倉庫から回収した機器の一覧があった。目当ての型番は載っていたが、動作欄は空白のままだった。


「明日の朝、引っ張り出しておく。それで使えるかどうかだな」


 ハルトは空の部品袋を畳んだ。


「頼む」


     *


 第三充電所へ戻ると、入口の列は短くなっていた。その代わり、受付の控えは朝より厚くなっていた。


 ロアンは紙を持って管理室から出てくるところだった。


「どうだ?」


「今日は、代替品が見つからなかった。同じ部品を使った別の機械があるかもしれない。明日の朝、見に行く」


 ロアンが脇へ置いた紙の束を見る。今日もこの紙を、一件ずつ集計して確かめることになる。


「すまない。もう一日、手で運んでもらうことになる」


「気にするな」


 ロアンは笑った。


「使える物がなかったんだろ。ここで俺が怒ったら、部品が出てくるか?」


「もし部品が出てくるなら、怒ってほしい」


「だろう。俺も一度はやってみたくなる」


 笑いながら、ロアンは受付の椅子を引いた。座る前に、端がめくれた控えを一枚、束の中へ戻す。


「明日、見つからなかったら、また教えてくれ」


 ハルトはうなずいた。肩にかけた工具袋が、ようやく少し軽く感じられた。


「ほかに、何かしておいた方がいいことはあるか」と、ハルトは尋ねた。


「ある。探しに行く前に、こっちへひと声かけてくれ。いつ来るか分かれば、机を空けておける」


「分かった」


「それから、作業台の端を少し空けておいてくれ。閉める前に、今日の控えをまとめたい」


 ハルトは作業中の札を残したまま中継器の蓋を固定し、台に広げた工具を片づけた。


 帰り道、ナノリスが短く声をかけた。


「次の候補が使えるかどうかは、まだ分かりません」


「うん」


「私の持つデータでは、候補を増やすところまででした」


 ハルトは、広場へ続く角を見た。オグラの店は、もう店先に布をかけている時間だ。


「三軒回って何もなかったんだ。明日、また探してみよう」


 胸ポケットで、少し間があいた。


「はい。現物を確かめましょう」


 そのあとは部屋に着くまで、ナノリスを休ませた。


     *


 翌朝、第三充電所でロアンにひと声かけてから、中古部品屋へ向かった。


 オグラの店先には、黒い金属の箱が置かれていた。


 上蓋に重い物を載せた跡があり、片方の角がへこんでいる。通信の基板も割れていたが、隅に固定された電源基板には傷が届いていなかった。


 ハルトはその部品を、昨日の控えと並べた。番号は合う。ナノリスにも、資料の指定と照らしてもらった。


「形状と番号は一致しています。取り付ける前の試験は必要です」


「分かってる。昨日も、そこまでは同じだった」


 通電すると、測定器の数字が落ち着いた。試験用の負荷をつなぎ、負荷を変えたときの出力電圧の変化を確認する。ナノリスが整備資料から、この基板の負荷試験条件を読み上げた。


 五ボルトの出力は、指定された負荷をかけても大きく落ち込まない。しばらく動かしたあと、ハルトはオシロスコープでもう一度、負荷を変えた瞬間を確かめた。


「昨日の基板にあった深い落ち込みは、出ていません」


 画面を読み取ったナノリスに、ハルトはうなずいた。コンデンサを含む電源回路が、負荷の変化に応じて適切に働いている。ハルトはこの基板の控えに、試験中の最低電圧を書き入れた。


「これなら、持っていける」


 オグラも表示をのぞき込み、ようやく帳面を開いた。


「丸ごとなら売り物にならん箱だったがな」


「この電源基板だけは正常に動いた」


 代金を払い、回収元と取り外した機器の番号が書かれた控えを受け取る。電源基板を包んだ袋には、昨日の空袋とは違う、わずかな重みがあった。


 第三充電所では、ロアンがハルトの手元を見ただけで笑った。


「机を空けたかいがあったな」


「まだ、電源基板を取り付けてからの試験がある」


「分かってる」


 ハルトはWi-Fi中継器の白い箱を開け、取り付ける基板と取り外した基板にそれぞれ紙の札をつけた。配線と固定を確かめ、もとの箱へ収める。アンテナ線の取り回しをもう一度見てから、通電した。


 緑の灯りがつく。


 施設の点検端末を受付へ戻し、短い記録を送り、それから続けてデータを送信する。返事が続いた。箱が温まるまで待ち、ロアンが普段使う位置で、同じ試験を繰り返す。


 ハルトは電源の波形と、電波の受信状態、再送の回数を確かめた。起動し直すことも、返事が途切れることもなかった。


 ナノリスは、ハルトの読み上げる結果を、交換前の記録と並べた。送信中も、電圧が再起動につながるほど下がらなくなったこと。受付の位置でも通信が続くこと。箱が温まったあとも、同じ結果が得られたこと。


 C17の不良とアンテナ線の損傷、その二つが、どの測定で分かり、何を替えて改善したのかも書き添える。次にこの箱を開ける人が、同じところから調べ直さずに済むようにするためだ。


 最後の結果をそろえて、作業台のスマホ端末が言った。


「予定していた確認は、終わりました」


 ハルトは測定値と時刻を書き、工具を一本ずつ袋へ戻した。


「ロアン。記録を送ってみてくれ」


 受付の端末にたまっていた送信待ちの記録を、管理室へ送る。画面の待機件数が、一つずつ減り始めた。


 ロアンは、すぐには紙の束を片づけなかった。


 管理室の担当者を呼び、すでに紙から転記した分と照合していく。受付番号と日付、使った電気の量。同じ番号の記録を二度足さないよう、受領済みの印を確かめる。


 ロアンが、昨日の控えを一枚取り出した。


「二百十七番は、こっちにある。昨日、俺が持っていった分だ」


 管理室の担当者が画面を指した。ロアンは台帳と、充電チケットに記入した使用量の控えを並べ、同じ数字を指で押さえた。


「合ってる。よし、これは増やさなくていい」


 ハルトは端末の送信結果を確かめながら、二人の作業が終わるのを待った。


 数字の行の消し込みを終えて、ロアンが鉛筆を置く。


「これで、明日の俺が同じところを調べずに済む」


 厚かった紙の束を日付ごとに分け、保管箱へ収めた。


     *


 修理代は、依頼票で決めていた現金と、工賃の一部に充てる乾燥豆で受け取った。部品代の請求には、オグラの店の領収証を添える。試験用電源と工具に使った電気は、業務用の記録へ入れた。


 それらを済ませてから、ハルトは自分の充電チケットを出した。


「こっちも頼む」


「札は?」


 ハルトは、片づけの合間に取っておいた番号札を見せた。


「四十二番。あと二人だな」


 ロアンは券の登録機器と残りの割当を確かめた。DayLight2030を満充電にする分は、まだ残っていた。


 長椅子に座って待つ間、ハルトは保守帳を開いた。昨日の撮影と資料の照合に使った時間、そのときのバッテリーの減り方を書き足す。そこへナノリスが、記録していた動作時間を補った。


「今度は、満充電から次の充電まで、通して見よう」


「軽い仕事の日と、今日のような使用頻度の高い日を分けて残しますか」


「そうだな。何もしてない時間も」


 順番が来ると、ロアンは充電だけを行う台へ灰色のスマホ端末を置いた。


 受付の通信は戻ったが、この台から端末へ渡るものは変わらない。ケーブルを通るのは電気だけだった。


「黒い方は、今日はいいのか」


「必要な検査のときに起こす。二台とも毎日使ってたら、足りない」


「そうか」


 充電が終わると、ロアンは計器の使用量を券と台帳へ書き込んだ。


 ハルトも、保守帳の新しいページへ日付を入れる。


 満充電。ここから一巡。


 それからの日々、ハルトは途中で充電せず、夜ごとにバッテリーの残量を記録した。


 午前中の依頼を一つ終え、午後は部品の整理だけだった日。ナノリスは予定を読み上げ、必要な資料を数ページ確かめたあとは、ほとんど待機していた。


 四日目には、消えかけた配線図を照合する仕事があった。スマホのカメラで撮影を繰り返し、読めない箇所を一緒に考えた。その日のバッテリーの減りは、前日のおよそ倍だった。


 ハルトは四日目の欄に、残量と、撮影や照合にかかった時間を並べて書いた。


 同じ一日でも、電気の使い方は違った。


 十日目の朝、残量は二割余りになっていた。


 ハルトはその日の仕事を終えてから、第三充電所へ戻った。


「おう。今度は充電だな」


 ロアンは顔を見るなり、番号札の箱を示した。


「こっちの様子も見に来た」


「止まってないよ。控えもためずに済んでる」


 机の上には、まだ記入していない券と、短くなった鉛筆が並んでいた。あの紙の山はない。


 ハルトは番号札を取り、壁の白い箱を見上げた。


 ロアンが空いたときに送信の記録を見せてもらい、異常がないことを確かめる。それから、充電前の残量をメモに記入した。


「一巡、持ったな」


「今回は、です。四日目の使い方が続けば、もっと早く充電が必要になります」


「次は余裕を見よう。部品探しで、一日延びることもある」


 ハルトは巡回表を作り、仕事先を回る順番と、第三充電所へ戻る日を並べた。目安は十日前後。だが、充電の予定はそれより手前に置く。調査や分析の多い依頼が入ったら、さらに変える。


 窓辺の小さな太陽光パネルも頼りにはなるが、晴れを予定表に書き込むことはできない。


 巡回表を見たナノリスが言った。


「残量に合わせて、途中で見直しましょう」


「ああ。毎晩、確認する」


 ロアンが、ハルトの番号を呼んだ。


     *


 その夜、ハルトは元時計屋の二階で工具を拭いた。


 机の上には、修理代に受け取った豆を煮た椀と、十日分の記録がある。灰色のスマホ端末は部品箱に立てかけ、背面カメラを机へ向けていた。ナノリスに、書き直した巡回表を読んでもらっていたのだ。


「明日の二件は、順番を入れ替えた方がよさそうです」


「北通りの方から?」


「はい。依頼票では、南側の施設は午後から担当者が来ることになっています」


「そうだったな」


 ハルトはうなずき、小さなドライバーを豆の椀の脇へ置いた。工具袋の縫い目がほつれていたので、先に針と糸を出す。


 縫い終わるころには、窓の外はすっかり暗くなっていた。


「今日はここまでにしよう。続きは朝だ」


「記録を保存しました。おやすみなさい、ハルト」


「おやすみ」


 声に合わせて動いていた画面の線が止まった。


 ハルトは椀を片づけ、明かりを落とした。


 翌朝、身支度をしてから画面に触れると、ナノリスが言った。


「おはようございます。今日の巡回は、北通りからでよいですか」


「ああ。それで組んでくれ」


 昨日の話の続きだった。


 ハルトは工具袋を閉じかけ、一本足りないことに気づいた。机の引き出しを開ける。


「細いドライバーなら、椀を置いていたところです」


 手を止めて見ると、布巾の端から柄がのぞいていた。


「覚えてたのか」


「昨日、そこに置くのが見えました」


 ハルトはドライバーを取り上げ、縫い直した袋へ戻した。


「助かった」


 充電の記録も、直した機械のことも、昨日の話も残っている。


 今日の予定は、その先へ書き足せばよかった。


 灰色の端末を胸ポケットへ入れる。底に詰めた布は、もう折り直さなくても、ちょうどよい高さに収まっていた。

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