おかえり マイベイビー
そして今、異星人の戦闘艦はステルスモードにて太陽系第三惑星の衛星軌道を周回している。
しかも戦闘艦がここに来てから月日は既に30日を過ぎようとしていた。その間、戦闘艦の乗組員と辺境宙域学術探査団のメンバーたちは地球に関するあらゆる情報を密かに収集していたのだ。
特に惑星から漏れ出てくる様々な電波は彼らにとって宝の山であり、おかげで調査団の団長は上機嫌であった。
とはいえそんな彼らもこの場に留まれるのは今日までだった。何故ならば衛星軌道上に時々背景の星々の光を遮る物体が存在する事に地球のアマチュア天文学者が気づいてしまったからだ。
そう、異星人の戦闘艦は電波や可視光線の『反射』に対してはほぼ完璧なステルス能力を有していたが、そこに存在している限り背景からの光は遮ってしまうのだ。
なので地球上を飛び交う電波の中に衛星軌道に何やら不可解な物体があるという情報が囁かれている事を知った艦長は地球に対する予備調査の終了を宣言した。
そして異星人たちは異星探査の最後の仕上げとして恒星間空間で遭遇した異星文明の探査機を衛星軌道に放出する。
もっともそのままでは探査機は惑星の重力に引っ張られて徐々に高度を落としてゆき、最終的には大気圏に突入して燃え尽きてしまう。
なので探査機には戦闘艦が安全圏まで離れた時を見計らって探査機の存在を地球人に知らせる装置が追加で組み込まれていた。
そして今、今回のファーストコンタクトの切っ掛けとなった探査機を異星人たちは戦闘艦側面の解放デッキから敬礼をもって見送っている。
だがその時、徐々に遠ざかる探査機の先に彼らは信じられないモノの姿を目にした。
それは地球に向かって彼らが送り出した探査機を迎えようとたたずむ女性の姿だった。
しかもその女性の出迎えに応えるかのように回路を焼かれ完全に壊れていたはずの探査機に推力を生み出す真っ白な火が灯り女性に向かって進みだしたのだ。
そんな探査機を女性は両手を広げ満面の笑顔で迎え入れようとしていた。
一応断っておくがここは宇宙空間である。なので普通の服装で宇宙服すら着込んでいない女性が存在できる場所ではない。
つまり今彼らに見えているものは現実ではないはずだ。だが異星人たちの目には確かに彼女の姿が見えていた。
いや、それどころかいつの間にか女性に向かって進む探査機までもが幼い男の子の姿に変わっていた。
しかし何故か異星人たちはそれを当然の事のように感じた。そして女性が誰なのかも自然と理解したのだ。
そう、彼女こそが200年前に探査機のAIをベイビーと呼び、強くあれと育て上げたミス・キューリーその人に違いないのである。
そしてとうとう幼い男の子はミス・キューリーの元にたどり着く。そんな男の子をミス・キューリーの幻影は強く抱きしめ愛おしそうに頬ずりする。
すると男の子はとうとう堪えられなくなったのか彼女の胸の中で泣き出した。
だが、べそをかきながらも男の子は精一杯の声で嬉しそうにミス・キューリーへ思いを告げた。
「マミーっ!ボクはやったよっ!そして帰ってきたんだっ!」
「まぁ、ベイビー。私の可愛い子。そうね、あなたなら出来ると信じていたわ。さぁ、もっとよく顔をみせて頂戴。そしてキスさせて。」
「マミー、マミーっ!ボクのマミーっ!会いたかった、会いたかったんだっ!」
本来、音波などを伝える伝達物質がない宇宙空間であるが、それでも何故か異星人たちには楽しげに話し合うふたりの会話が聞こえてきた。
そんな光景を目の当たりにして乗組員の中には彼らの神に祈りを捧げる者まで出てきた。
しかし情報解析員だけはその職務の性質からなのか客観的事実を艦長に告げる。
「艦長、現在我々が目にしている光景は画像や音声として記録できていません。」
その報告に対して艦長は「そうか、多分機械には理解できないんだろうな。」と呟いた。
そんな艦長の言葉に隣にいる副長が言葉を繋げる。
「古参兵たちが酒場で語り継いでいるヨタ話に、戦場にて勇敢に戦い倒れた戦士の下には女神が迎えに来てくれるというものがありますが、これからは自力で女神の下に凱旋するという話が追加されそうですな。」
「それはどうかな。記録に残らないのならば誰も信じまい。」
「まっ、殆どの人はそうでしょうけど勇者と共に戦った事のある者たちならば、何を今更という感じで受け入れてくれますよ。」
「ふんっ、新兵たちからは古きよき時代の懐古趣味と馬鹿にされそうだ。」
「はははっ、そうかも知れませんが、我々の祖先だって初めて宇宙に飛び出した頃は今では考えられないくらいの装備で挑戦したのです。この事は軍の教育課程でも教えられていますから中には理解する者もいるでしょう。」
「そうか・・、そうかもな。何事も理解しようとする事が大切なんだな。」
「もっともこの経験はかなりヘビーですからね。後で医務官に乗組員の精神カウンセラーをして貰う必要があります。」
「そうだな、昔も今も初めて宇宙に飛び出した者の中にはその絶対的な大きさに参ってしまい、神の存在を感じたなどと錯覚するやつが後をたたないからなぁ。」
「それだけ宇宙とは神秘と謎に包まれているって事でしょう。でも一番の謎はやはり我々のような生命体ですよ。」
「なるほど、宇宙はただそこに存在するだけだが、そこに何かを見出し認識できるのは知性を持つ者だけと言う事か。」
「私としてはそこまで大層な考えはありませんが、知り得なかった事を知りたいと思う感情は特別なものだと思います。その衝動があればこそ先人たちは母なる大地を後にして、過酷な宇宙にまで飛び出したのではないでしょうか。」
「ふんっ、副長よ。最近の士官学校では『ロジカル』ではなく『リリカル』で物事を考えるよう教えているのか?」
「はははっ、まさか。軍人にセンチメンタルは必要ないですよ。でもスペースマンとしてならば必要かも知れませんね。」
「スペースマンか・・。そう言えばもう随分そんな言葉は忘れていたよ。」
「宇宙空間を活動の場としていても、私たちはアストロノーツではありますがスペースマンだとは胸を張って言い切れません。」
「そうだな、単に仕事の場が宇宙なだけでそこにロマンはないからな。」
「でもそんな私たちでも今回のような出来事に直面すると子供の頃に夢見た事を思い出してしまいます。そしてふと立ち止まった時、誰かが側にいてくれたらと願わずにはいられません。」
「側にいてか・・。良かろう、これ以上ここに留まっていては兵たちが全員ホームシックになってしまいかねん。なので以後のスケジュールは全て破棄し、我々も母星へ帰るとしよう。と言うか団長などは今回の成果を早く持ち帰りたくてうずうずしているようだからな。」
艦長より話を振られた辺境宙域学術探査団の団長は、自分の功名心を帰還の理由付けにされた事に若干気を悪くしたようだが、ここで泥を被るのも悪くはないと思ったのだろう。
なので軽く咳払いをしただけで絡んではこなかった。
それを団長からの了承と受け取った艦長は乗組員たちに命令を下す。
「これより我が艦は今回の任務の成果を速やかに母星へ持ち帰る為、以後のスケジュールを全て破棄し母星へ帰還するっ!全員配置につけっ!」
「はっ!」
艦長の命令に乗組員たちは艦長に敬礼したのち各自の持ち場へと駆け出した。
そして数時間後、準備の整った異星人の戦闘艦は彼らの母星へ向けて静かに動き出す。
そんな彼らの背後には、青く輝く地球をバックに今も互いに慈しみあうミス・キューリーとベイビーの影がいつまでも感じられたのだった。
こうして今回発生した探査機と異星人とのファーストコンタクトは『相互理解と助力』という交流の大原則に則り無事完了した。
そして広大な宇宙では今も様々な生命が生まれ、そして死んでいる。それを虚しいと感じる者もいるだろうが、この世界は輪廻転生を繰り返し未来へと進んでいるのだ。
なので出会いと別れはコインの表と裏であり切り離す事はできない。
だが未来とは別の言葉として『可能性』とも言い換えられる。なのでスペースマンたちはその可能性に夢を託して漆黒の闇へと自ら進んでいくのだろう。
ただ、そんな冒険者の如き彼らとて、時には孤独に耐え切れず誰か側にいて欲しいと願わずにはいられないはずだ。
なのでそんな時、彼らは全天に輝く星々に向かってこう呟くのだろう。
Please Stand By Me
雑文SF「我、ファーストコンタクトを開始せり」-完-