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30話、“哀”と忘れていた決心

 底無しの“悲しみ”に打ちひしがれてから、何分経っただろうか……。当然、寝てるサニー以外誰も居ない部屋内に、私を慰めてくれる人なんて居なかった。

 まさか初めに戻ってきた感情が、喜怒哀楽の“哀”だなんて。


 自らを抱いていた両腕の力を抜き、長いため息を吐きながら上がっていた肩を落とす。そのまま乾いてきた視線を天井に向け、指を鳴らし、今日の役目を終えたランプに灯っていた炎を消した。

 唯一の光源が消えれば、闇が瞬時に部屋の色を一色単に塗り替える。しばらくすると、窓から差し込む青白い月明かりが、闇の上に重なっていった。

 耳障りな無音を噛み締めた後。淡い月明かりに照らされているサニーに顔をやる。今はにへら笑いをしていなく、等間隔に静かな寝息を立てていた。


「そういえば、お前は捨て子だったな」


 サニーが居る日常が当たり前になっていたせいか、すっかりと忘れていた。


「実はな、私も捨て子だったんだ」


 意に反して口が滑り出す。もうこの口は、自分の意思で止める事は出来ない。


「神父様から聞いた話だが、私は教会の前に捨てられていたらしい。だからお前と同じく、父と母の声も、名前も顔も出身地さえも知らないんだ」


 滑る口が語るは、絵本の答え合わせ。サニーが起きていたら絶対に喋らないだろう。でも今は、耐え難い孤独感を紛らわせたいのか、何の気兼ねなく語ってしまう。


「当然、名前もあるはずが無い。だから神父様は、同じ日に拾った人間の捨て子に『ピース』という名前を。そしてピースは、私に『アカシック』という名前を付けてくれたんだ」


 『ファーストレディ』は、迫害の地に来てから、いつの間にか付いていた二つ名だ。もしピースを生き返らせ、この地を去る日が来れば、私はただの『アカシック』に戻る。


「だから、ピースは私の父親みたいな存在であり。兄のような親しい人間であり。結婚を誓った、大切な彼氏だったんだ」


 ピースの名前を言えば、心を蝕む孤独が少しばかり薄れていく。ピースの顔を思い出せば、哀がだんだんと朧気になっていく。


「私が住んでた教会は、お世辞でも良いとは言えない程に寂れてたさ。食事もそう。腹が満ちる日なぞ一日もなかった。でも、あの時は本当に楽しかったんだ」


 いくら貧しかろうとも、神父様さえ居れば、ピースが傍に居てくれさえすれば、当時の私はそれでよかった。

 ただ、二人が居ればいい。その事実が独り身だった私の心を、幸せで満たしてくれていた。

 迷える人達が教会に訪れなければ、絶えずいつも場違いな明るい笑い声が飛び交っていた。暖炉に火が灯っていなくとも、温かささえ感じる程に。


「それで、私が自分を魔女だと自覚した頃。一つの決心をしたんだ。それは、光属性の魔法や私が作った薬で、私達と同じような立場に居る人達を少しでも癒してあげて、幸せにしてあげるんだ。とな」


 光属性の魔法。一応攻撃する術はあるものの、大本の効果は治癒。癒しの魔法だ。私は闇以外の魔法を扱えるが、一番得意な魔法は光属性の魔法である。

 他の五属性は、迫害の地に来てから独学で覚えた。大体は攻撃手段だ。氷魔法で相手を凍らせ、使えそうな部位をはぎ取り。

 持ち運びが容易に出来るよう、風魔法で細かく切り刻み。火の魔法で焼き尽くし、全ての痕跡を消し。

 地面に逃げる奴は、土魔法でそのまま土葬。他の魔法が効かない場合、水魔法で顔を覆い、窒息させていた。


 この五属性の魔法も、人の為に使えるのだろうか?


 土魔法は、つい最近になって役に立った。地中に埋まっていた五十体以上のゴーレムを地上に出し、全員を救ったからな。

 風魔法もそう。重い物を運べるし、赤ん坊や子供だってあやせる。これはサニーが証明してくれた。

 火魔法は、主に家事で使える。料理を作る時には必要不可欠だし、暖炉にも灯せる。闇夜を照らす明かりにもなるんだ。貧困を極める人ほど、大いに役立ってくれるだろう。

 水魔法だって必須級だ。生きていく上で、切っても切り離せない物の一つ。水が貴重な存在の町や国もある。そこで重宝されるに違いない。

 氷魔法は……、食べ物の長期保存が出来る。今の私では、これしか思い付かない。暑い日に分厚い氷を出すのもいいかもしれないな。もう少し真面目に考えてみよう。


「お前が選んだ絵本のお陰で、私が本来するべき事を、全部思い出してしまったよ」


 本来、私がするべき事。それは、『私達と同じような立場に居る人達を、少しでも幸せにしてあげる事』。

 恵まれない人達。裕福な生活を知らない、貧困に耐え忍ぶ人達。父と母の温もりを知らず、独りでこの世を生きている人達を、少しでも幸せにしてあげたい。

 それが、孤児である私が決めた決心。ピースが死んでしまったショックで九十年以上も忘れていたが、今からでも遅くはない。


 忘れていた新たなる決心を固めた私は、青白い月明かりに染まるサニーの頬を、そっと撫でる。


「サニー。お前の母親は、この私だ。だからこそ必ず、お前を幸せにしてやるからな」


 誰の耳にも届かない決心が、薄暗い部屋内に木霊して、やがては静寂と混ざり合っていく。


 同じ捨て子としてではない。同じ道を歩んで来たからではない。同情している訳でもなく、二つ目の罪悪感に囚われたくないが為でもない。これは、私自らの意思だ。


 血の繋がりがない? 赤の他人? (えん)所縁(ゆかり)もない?


 そんなくだらないもの、私には一切関係無い。


 私は、サニーを育てたい。サニーと共に暮らしていきたい。サニーが大人になった姿を、この目でしかと見届けたい。


 “サニーを、幸せにしてやりたい”


 もちろん、ピースを生き返らせる為の魔法の開発もしていく。新薬の開発もだ。他者の命を奪わず、別の方法か何かで。

 これから攻撃魔法は、防衛をする時だけに使う。それ以外では、人助けの為に。私の魔法が役立つのであれば、率先して使おうじゃないか。

 サニーが私の元へ来てくれたから、とうの昔に忘れてしまった大切な全てを思い出せた。本当は、決して忘れてはいけない事だったが。


 そのとても大切な事を思い出させてくれたんだ。サニーに感謝をしておかねば。


「ありがとう、サニー。愛してるぞ」


 起きている時に言うのは恥ずかしいので、サニーが寝てる隙に言っておく卑怯な私。その内、サニーが起きている時にも言えればいいのだが。

 今日読んだ絵本は、大切に保管しておこう。だが、寝る前に読むのだけは避けたい。全て読んでしまうと、ピースが四回死んでしまう羽目になってしまうから。

 私は白い本を手に取り、ベッドから立ち上がる。本棚の一番高い場所に、『孤児の魔女と人間』という絵本に変わった本をしまい込んだ。


「寝るか。明日からサニーに、何をしてあげようか……」


 やりたい事が多すぎて、哀が薄れ切った頭で明日の予定を立てつつ、ベッドの中に潜り込む。勉学もいいが、そろそろ新しい景色も見せてやりたい。

 サニーはまだ三歳だ。焦らずに、毎日違った事をしていこう。そして、サニーがやりたい事があれば、それをやらせてあげればいいんだ。

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