第参拾話 決着、牛の首
「あら、ばれてしまいましたか」
雪緒達の様子を少し離れたところから観察する謎の人物。
「まぁ、少し考えれば分かる事ですしね」
時雨に牛頭の怪異の正体がばれてしまった事に対して、そこまでの驚きを見せない。
そも、牛頭が関係している怪異というのはさして多くも無い。その中で、無類の強さを誇る怪異ともなれば、更に絞り込みは容易だ。
「しかし、それが分かったところで勝てますか? 相手は牛の首ですよ?」
牛の首は怖い話しとして有名だけれど、その実態は語られてはいない。憶測、元ネタ等々語られてはいるけれど、それが牛の首という話である確証は無い。
牛の首は詳細が語られないからこそ強い。物語を語られず、語られてきたからこそ強いのだ。
恐怖の本質を表に出さず、内包してきた。牛の首には正体の分からない恐さがあるのだ。その恐さが聞いた者の想像力を掻き立て、人の未知なるモノへの恐怖を糧にしている怪異なのだ。
未知を恐れるのは人の本質。その本質を糧にする怪異だからこそ、牛の首は恐ろしいまでに強い。たとえ時雨が霊刀を持ち出し、雪緒の霊剣があったとしても、そうそう敵う相手ではない。
「まぁ、結末は見えていますけれど」
ぱたりと、帳簿を閉じる。
「貴方の勝ちです。雪緒さん。ええ、貴方の勝ちですとも。私が敵う道理がございません」
挑発的な言葉から一変、突然に自分の負けを認める。
見事なまでの手の平返し。傍らに聞いている者がいれば、あまりの綺麗な手の平返しに呆けた顔をするか、困惑して真意を聞き出そうとするに違いない。
しかし、この場にはただ一人。その者の真意を尋ねる者などいやしない。
「全ては決まった道筋。ええ、私が導きます。この後に待ち構える最高の終着まで、この私が、絶対に……」
熱の篭った言葉を吐き、次の瞬間にはその者の姿は消えていた。
吐いた言葉の熱も、夜の冷たさに溶けて消えた。
〇 〇 〇
雪緒は七星剣を無我夢中で振るう。
牛の首は未知という人の恐怖の本質を糧にする怪異だけれど、未知には想像がつきものだ。語られないからこそ強さを発揮する牛の首にも、憶測と同じように想像される。
そして、今回の牛の首は、大飢饉にあった村人達の話が元になっているという想像を根源に形を成している。
そこを唯一突ける弱点が浄化作用のある霊剣霊刀なのだけれど、これがまた当たらなければ意味が無い。
小梅達が必死になって隙を作ってくれるけれど、雪緒にその隙を利用する程の技量は無く、よしんば上手く隙を突けたとしても、馬鹿みたいに研ぎ澄まされた導体視力で対応してくる。
牛の首の強さは圧倒的で、この場に居る誰一人として一対一の戦闘では勝つ事ができないだろう事は、戦っている本人達が十分に理解していた。そして、誰か一人でも欠けたら、それだけで牛の首に勝つのが難しくなることも、十分に理解していた。
だと言うのに。
「雪緒くん下がれ! こいつは僕達に任せるんだ!!」
時雨は、雪緒に下がれと言う。雪緒一人下がっただけでも大幅な戦力低下になることは時雨もよく理解している。それを理解した上で、時雨は雪緒に下がれと言うのだ。
「誰が下がるか! これは、これだけは、俺がしなくちゃいけない事だ!!」
「いや、これだけは君がする必要が無い事だ! 君はこんな業を背負わなくて良いんだ!」
「その業をお前におっつける気だってさらさらねぇって言ってんだろ!!」
二人は言い合いをしながらも、牛の首に立ち向かう。
なにか牛の首を倒す手立ては無いかと戦いながら思考を巡らせるも、これといった答えは見当たらず、ただ無我夢中に剣を振るう。
どんな些細な事でも良い。なにか、なにか無いか。牛の首攻略の糸口になる何かが……!!
「ほんっとに……出鱈目に強い……!! これと渡り合えるの冬様くらいじゃないんですか!?」
「本当にねぇ。ちょーっと、わたし達には荷が重いというかぁ……」
「言うておる場合か! 主殿の七星剣が頼りなのだ! 我等は主殿のために隙を作ることに尽力するのみだ!」
「とは言ってもぉ、主様への弾幕が薄いのはちょーっと不公平というかぁ。わたしももう少し楽したいというかぁ」
「腑抜けた事を抜かすな! お前はこれが終わったら死ぬまで扱いてくれる!」
「酷いですぅ。それを言うなら小梅様だって出し惜しみしているじゃないですかぁ」
「あれは駄目だ! 主殿に幻滅される!」
「言ってる場合ですか! 此処で死んだら幻滅も何も無いですよ!?」
「む、むぅ~~!!」
言い合いながらも小器用に戦う三人。
小梅の言うあれがなんだか分からないけれど、悩む小梅に雪緒は言う。
「小梅、使いたくないなら使うな! お前が本当に駄目だと思った時のために取っておけ!」
「あ、主殿……!」
「主様! そんな事言ってる場合じゃありませんよ!?」
「小梅が使いたくないというのなら、使わなくていい! 使う使わないは小梅に任せる! お前達はただ全力で牛の首と戦え!」
小梅が使うのを躊躇うものだというのであれば、雪緒は使わなくて良いと思う。そんな事を言っている場合ではない事は重々承知しているけれど、無理矢理使わせて小梅との関係が悪化しても嫌なのだ。この戦いに勝てば良いという話ではないのだ。
それに、三人の会話で少しだけ気になるところを見つけ出す事も出来た。
鈴音の言った、雪緒にだけ弾幕が薄いという言葉。
確かに、牛女が雪緒に攻撃する回数は他の者に比べて余りにも少ない。雪緒が未熟ゆえに相対するのは簡単だと思っているのだとしたらそれまでなのだが、雪緒はともかくとして、雪緒の使用する七星剣は牛の首にとっても脅威になりうるはずだ。
そして、気になるのは一番最初の邂逅の時。牛の首は一瞬で雪緒の目の前までやって来た。その時点で雪緒は無防備。にも関わらず、牛の首は黒曜が雪緒を逃がし、攻撃をしかけるまで手を出す事はしなかった。
……分かっている、希望的観測だ。自分のそうであったら良いという願望だ。なんの根拠だって無い。
「けど、賭けるしかないか」
もちろん、晴明と道満の言葉を忘れた訳ではない。
駄目だと一瞬でも思ったら止める。普通に戦って勝つ道を選ぶ。
けど、このまま普通に戦ったところでジリ貧だ。だったら、気を衒ってでも勝ちに行くべきだ。
「全員合図したら牛の首から離れてくれ!」
「何をする気だ、主」
「一か八かの此処一番の大勝負だよ」
黒曜にそう返し、雪緒は機を見計らう。
皆が攻撃を仕掛け、牛の首が何もしない俺に一瞬だけ意識を向けたその瞬間ーー
「今!!」
ーー雪緒は走り出し、他の者は牛の首から離れる。
「そうはさせない!!」
が、時雨が雪緒の前に立ちはだかる。
「悪いけど、力ずくでもーーっ!?」
立ちはだかる時雨に、黒曜が手加減無しの一撃を放つ。
時雨はそれを間一髪で防ぐも、雪緒の走る進路上から大きく外されてしまう。
「待て雪緒くん!! くっ、邪魔をするな!!」
「お前こそ、主の邪魔をするな」
「お前達こそ、何故雪緒くんを止めない!! 母殺しなんて、子供が背負うものじゃないだろう!!」
「主が覚悟を決めた事だ。俺達はただ主の意向に従う」
「従うだけが忠義か?! そんなの何も考えていないのと同じだ!!」
「いや、考えたさ。俺も、主も。その結果が今だ。お前も主の式鬼なら、主の意を汲み取れ」
「悪いけど僕は雪緒くんの友人なんだ! 友人に茨の道を進ませる訳にはいかないんだよ!! 分かったらそこを……退け!!」
時雨は本気で黒曜に切りかかる。邪魔立てするなら動けなくなるまで切り刻むつもりだということは、時雨の表情を見れば分かる。
それほどまで雪緒の事を思っていてくれる事を、雪緒は素直に嬉しいと思う。嗚呼、良い友達を持ったと、素直に思う。
けど、時雨が良い友達だからこそ、友人の母親を殺すだなんて業を背負わせたくない。大切な人だからこそ、自分にとって大変な事を、押し付けたくない。
思えば、猿夢の時もそうだったのだろうと、今になって思う。
猿夢には人の意識があった。そして、見た目も人のそれだった。だからこそ、時雨は雪緒に手を出させなかったのだろう。人と同じ見た目の者を、人の名残がある者を殺せば、雪緒が思い悩む事は分かっていたから。
ありがとう。それと、ごめん。そんな大変な事を、お前に押し付けちまって。
雪緒は心中で時雨に詫びる。
黒曜に切りかかる時雨を横目に、雪緒は牛の首目掛けて走る。
「ーーっ!! 雪緒くん止まれ!! 君がやる必要は無い!! 僕に任せるんだ雪緒くん!!」
時雨が必死に叫ぶ。かつて、こんなに叫ぶ時雨を見た事があっただろうか? こんなに感情を剥き出しにした時雨を、見た事があっただろうか?
……ははっ。お前でも、そんなふうに叫んだりするんだな。
場違いながら、そんな事を思う。
けれど、止まらない。止まってはいけない。迫る雪緒を見ても、牛の首は何も反応を示さないのだから。
ああ、やっぱりそうか。そうだったんだな。
走り続ける雪緒を見て、時雨が歯噛みする。
「ーーーーっ!! 雪緒ッ!!」
そして、初めて雪緒を呼び捨てる。
……友達同士なら、俺はくん付けが無い方が好きだぜ、時雨。
そんな事を思いながら、雪緒は七星剣をーーーー捨てる。
「ーーなっ!?」
「主殿!?」
その突然の行動には、仄や小梅も驚きを隠せない。
何か算段があるとは分かっているものの、よもや剣を捨てるとは思っていなかったから。
けど、これで良いのだ。これで、雪緒から完全に脅威は無くなったのだから。
しかし、防衛本能はあるのだろう。牛の首は迫り来る雪緒を迎撃しようと鍬を振りかぶりーー
「母さん!!」
ーー振りかぶったまま、その腕を制止させた。
……やっぱり、そうだったんだ……。
泣きそうになりながら、雪緒は牛の首まで迫りーー力強く牛の首を抱きしめた。
牛の首が雪緒を自発的に攻撃しなかった理由。それは至って簡単な理由だ。
それは、牛の首の元になったのが他の誰でもない、雪緒の母親である道明寺楸だったからだ。
牛の首は餓えていた。飢餓に苦しんでいた。
道明寺楸は餓えていた。置き去りにしてしまった家族を求めていた。
方向は違えど同じ餓え。そんな餓えを共有するからこそ、怪異となってもある程度の自我が残っていた。そのある程度の自我が、雪緒への攻撃を躊躇わせた。
危険な賭け。あるか分からない楸の自我を当てにした無謀な賭けだ。しかし、結果は伴った。楸は雪緒の声に答えて、振り上げた鍬を止めてくれた。
千載一遇の好機。この好機は、逃せない。
けれど、躊躇い、楸に言いたかった言葉がの数々が溢れ返る。
「ーーっ」
それを必死に押さえ込み、雪緒は必要な事だけを言う。
「…………ありがとう、母さん。それと、ごめん」
お礼を言い、直後、護身剣を呼び戻して即座に牛の首の腹に突き刺す。
「ーーっ! う、がぁ……」
「う、ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああっ!!」
叫び、牛の首の呻き声を掻き消す。
母親の苦しむ声など聞きたくはない。苦しませているだなんて思いたくない。手の感触なんてなくなれば良いのに。この胸の奥から溢れる身を溶かす想いもなくなれば良いのに。
牛の首が雪緒の身体を掴んで引きはがそうとする。しかし、護身剣が内側から浄化しているために、身体に満足に力が入らないのか、雪緒の身体を掴む力は弱く、手は何度も雪緒の身体の上を滑る。
自分の手の中で弱っていくのが辛くて、雪緒は手の感覚が無くなるまで護身剣を握り締める。
終われ。終われ終われ終われ終われ終われ終われ終われ終われ!!
早く終わってくれ。頼む。頼むから、早く……!!
そんな思いと裏腹に、牛の首は最後の最後までもがき続ける。
が、それも悪足掻きだ。次第に四肢から力が抜け、最後には雪緒にもたれ掛かるようにしなければ立っていられない程になった。
そして、最後の最後の瞬間。雪緒が終わりを確信したその時、牛の頭蓋の中から、声が聞こえてきた。
「……ありがとう、雪緒。愛してるよ……」
「ーーっ」
声が聞こえてきた直後、牛の首が完全に力を失い、地面に倒れる。倒れた衝撃で牛の頭蓋が割れ、中から雪緒の見知った楸の顔が現れる。
満足そうな顔で眠る楸を見て、雪緒は目から自然と涙が溢れる。
もう動く事は無い。もう声を出す事は無い。もう笑顔を見せてくれる事は無い。
雪緒は泣きながら無惨な姿に変わり果てた楸を抱きしめる。
「…………母さん…………っ」
雪緒は涙が枯れるまで、楸の亡骸が消えてなくなるまで、ずっと、ずっと楸を抱きしめ続けた。
二度も母親を失った雪緒に、誰も声をかけられなかった。