第弐拾玖話 怪異、牛の首
牛女と戦いながら、仄は焦る。
予想以上に、牛女が強すぎたからでもない。いや、それも十分に焦る理由にはなりえる。しかし、それは要因であって原因ではない。
では、何故仄は焦るのか。
それは、目の前の怪異が牛女では無いかもしれない可能性が出てきたからだ。
牛の頭。女体。とるに足らない強さ。各地で様々な目撃をされている。それだけをとれば、今回の怪異は牛女に当てはまる。
しかし、この牛女だけは別だ。これは既に牛女と言っていい領域を逸脱している。いくら怪異が伝承から少しの逸脱をしていようとも、この逸脱の仕方は少しに留めていい範囲ではない。
だからこそ、仄は目の前の存在を牛女だとは思えないのだ。しかし、では目の前の存在はいったいなんなのか。それを考えるために頭を働かせるも、そんな時間をくれない程に牛女の攻撃は苛烈極まる。
六人がかりで相手をしているのに、いっこうに傷を付けられない。
見た目は弱そうなのに……!!
絶えず、剣撃、雷撃、陰陽術、妖術を駆使しているにも関わらず、その全てをいなし、かわし、少しの隙を突いて鍬を振るう。
膂力は黒曜に匹敵し、その俊敏さは小梅に匹敵する。技の器用さは無いけれど、出鱈目な速度と体勢から放たれる攻撃になんとか対応できている。けれど、攻撃が通らない。
せめて、弱点が分かればと思うけれど、その弱点を探るためには目の前の者の正体を掴まなくてはいけない。
……いったい何者なの、こいつ!!
正体が分からなければこのままジリ貧だ。悔しいけれど、陰陽師に百鬼夜行のような力の在る手勢はいない。仄だって、此処にいる面子には敵う気がしない。唯一勝てるとしたら雪緒くらいだけれど、雪緒とは培ってきた年月が違う。そうそう負けてはいられない。
ともあれ、今此処に居る面子はこの町で上位を占める精鋭と言っても過言ではないだろう。その精鋭が押されている状況は傍目に見ても絶望的で、戦っている者にしても絶望的だ。
そんな精鋭を持ってしても対処するので精一杯なこの状況。いったん退いて策を練ろうにも、目の前の相手と戦える者がいない。策を練る時間稼ぎが出来ないのだ。
であれば、今この場で策を練る他無い。戦いながらとは至難な技だけれど、それでもやるしかない。
そんな一瞬の思考の隙を突き、牛女の鍬が振るわれる。
「ーーっ」
まずい、直撃!!
咄嗟に刀を滑り込ませようとしたその時、突然思いもよらぬ方向に身体が引っ張られる。
そして、先程まで仄が居たところを、鍬が空を切って通過する。
「ぼさっとしないでください。貴女程度でも戦力が減るのは正直きついのでぇ」
鈴音がそう言いながら、仄を引っ張った方の手と逆の手から硬質的な糸を牛女に向けて放つ。
「ごめんなさい」
「謝罪は良いのでぇ、とっとと働いてください」
「分かった……」
攻撃の通らない相手に苛立っているのか、口調が刺々しい。無理からぬ事とは言え、少し苛立つ。
っと、平常心平常心……。
戦場で苛立ちや焦りは禁物だ。動きが正直になって、隙も出来やすくなる。牛女が何を考えているか分からないけれど、相手の動きをよく見て反応をしているのだろう。先読みしたような考えられた攻撃は無く、常に隙のできた相手に全力で攻撃をしている。
鬼主と同じで考える頭が無いのかもしれないけれど、それでも油断は禁物だ。
即座に冷静さを取り戻しながら、仄は味方の攻撃の間を縫って攻撃を加える。
考えながらも戦う仄。対して、雪緒は考えている余裕など全くなかった。
一撃一撃に力を込め、早く牛女を倒そうと躍起になる。早く、楸を解放したいから。一秒でも早く、楸を苦しめる要因を取り除きたいから。
しかし、その一念だけで倒せる程牛女は甘くはない。規格外の戦闘能力を誇り、猿夢で電車を片手で止めて見せたあの黒曜の攻撃を防ぎきる程だ。
あまりにも、強すぎる。
秀郷との特訓で、少しばかり打ち合いにはなれてきたけれど、それでも慣れてきた程度だ。牛女の攻撃に完璧に対応は出来ない。
出来るだけ剣で受け、攻撃に転じるための瞬間を短くしようと試みるも、相手の攻撃に対応できずに直ぐに護身剣で防壁を張ってしまう。そのため、反撃に出る瞬間がどうしても長くなってしまう。
ほんの少しの差。けれど、その差を牛女は見逃してはくれない。
苦心してようやっと手に入れた隙も、確実に対応して来る。お得意の雷撃だって喰らわない。雪緒の攻撃は、牛女には完全に効いていなかった。
どうするべきか、何をするべきなのか。考えるけれど、即座に答えはでようはずも無い。
完全に膠着状態。そんな時、一つの鋭い剣撃が煌めく。
鋭く、正確な剣撃は、牛女が僅かに見せた隙を正確に突き、そのしわがれた肌に一筋の傷を付けた。
雪緒は、その剣撃に見覚えがあった。
「時雨!!」
「御免、遅くなった」
雪緒がその名を呼べば、包帯に巻かれた時雨が申し訳なさそうに応える。
「ちょっと! まだ手当終わってないんですけど!!」
後方から、まなこが怒ったように声を上げる。
しかし、そんなまなこの声を無視して、時雨は剣を振るう。
研ぎ澄まされた剣撃は、吸い込まれるように牛女の肌に赤い線を引く。
「なるほど。まるきり喰らわぬという訳でも無いらしいな」
黒曜が納得したように頷く。
しかし、どうして時雨の刀だけ通用するのだろうか?
「思った通りだ。この刀なら通用する」
いったん退いて、時雨は確信したように刀を見る。
「その刀は?」
雪緒が問えば、少しだけ得意げに時雨は言う。
「鬼切丸。別名、髭切とも呼ばれてるね」
「なっ!? なんで貴方がそれを持ってるんですか!?」
鬼切丸という名前に反応したのは、雪緒ではなく仄の方であった。
驚く仄に、時雨は言う。
「これは僕の刀だからね。僕が持ってて当然さ」
「僕のって……その刀は数年前からずっと紛失していたのですが? まさか貴方がずっと持っていたのですか?」
「まさか。隠してただけだよ」
「どうでも良いですけどこいつを倒せるなら早く参戦してください!! 私達だけじゃ結構厳しいのですが!?」
呑気に話をする時雨に、凍花が文句を言う。
「ていうか、最初からそれ使ってくれませんかねぇ? 勿体振ってたんですかぁ?」
じろりと睨みながら鈴音が言う。牛女から目を逸らしてはいるけれど、複眼を向けているため対応が出来ている。
「これは出来れば使いたくなかったんだ。身元がばれるからね。まぁ、こうなれば仕方無いけど」
言いながら、鬼切丸を構える時雨。
「雪緒くん、この怪異は霊刀であれば攻撃が通るはずだ。いや、霊刀じゃなきゃ通らない、と言った方が正しいか」
話ながらも時雨は牛女に迫る。そして、鋭い剣撃を放つ。
「どういう事だ?」
雪緒も時雨の後に続く。
「そもそもが、この怪異は牛女じゃない」
「は!? じゃあなんだってーー危ね!」
少し注意を逸らしたところを、牛女はすかさず狙う。けれど、直ぐに護身剣で防壁を張って防ぐ。
「僕も、牛女だと思った。牛女が力を得て多少強くなった。そう思ってたんだ」
結果、見事に返り討ちにあったけどね。と苦笑気味に言う。
「それは私も思ってました。この怪異、牛女にしてはあまりにも強すぎまーー火生三昧!!」
仄も戦いながらも時雨の話に加わる。
戦いながら情報を全て伝えている余裕は無い。時雨は結果だけを伝える。
「長々話してる余裕は無いから率直に言う。この怪異は、恐らく、牛の首だ」
「ーーっ!? 牛の首ですって!?」
時雨の言葉に目に見えて驚愕を表す仄。
しかし、直ぐに冷静になり時雨からもたらされた情報を精査する。
「……確かに、そう考えれば辻褄が合うわ」
「牛の首ってなんだ?」
「恐怖のあまりに聞けば三日以内に死んでしまう怪談噺さ」
牛の首。それは、聞いてしまえば恐ろしさのあまりに三日以内に死んでしまうといった怪異。あまりの事態に、この怪談の作者は以降怪談を語る事は無かったという。そのため、今では牛の首という怪談があまりに恐ろしいという事だけしか伝わっていない。
その話には諸説在るけれど、天保三年より、数年に渡って襲った大飢饉が由来と言われている。
俗に言う「天保の大飢饉」では当時の農書に以下のように記されていた。
ーー倒れた馬にかぶりついて生肉を食い、行き倒れとなった慕いを野犬や鳥が食いちぎる。親子兄弟においては、情けもなく食料を奪い合い、畜生道にも劣るーー
天保の大飢饉とはそれほどまでの惨状であったのだ。
そんな大飢饉が続く、天保四年の晩秋の夜もふけた頃、村に異形の者が迷い込んできた。ふらふらと彷徨い歩くその身体は人であるけれど、頭部はまさしく牛のそれであった。
数人の村人がその牛頭を捕まえようとしたところ、隣村の者が松明を手に十数人現れ、鬼気迫る形相で叫ぶ。
「牛追いの祭じゃ、他言は無用」
そうして、その異形の者を捕らえて闇夜に消えて行った。
後に、その行動は大飢饉にて餓死した者を家族が食し、その罪悪感を少しでも減らすため、牛追い祭と称して、牛の頭皮を被せた者を狩ったのではないだろうかという仮説が立てられた。
その他にも、頭部の無い牛の死体などの話もあるけれど、ともあれ、飢饉、牛の頭という牛女との共通点が存在する。そして、もう一つの話では、女体も関係している。
白骨化してはいるけれど、目の前の者は確かに牛の頭をしており、考えられないくらい痩せ細っている。まるで、餓死寸前のような身体だ。
そして、手に持った鍬、飢えるなどの言葉。きらびやかとは程遠い一枚きりの薄い着物。
雪緒はいまいちピンと来ていない様子だけれど、仄は納得したように頷く。
「牛の首で間違い無いわね……ということは、霊刀が通用するのも……」
「ああ。牛の首の話は、人の負の面が関係している。そして、今回は飢えが大きく影響している。飢えた人々の怨念が形作った者、それがこの|怪異(牛の首)だ。怨念としての性質が強いのであれば霊刀で浄化出来る。まぁ、怨念じゃなくても霊刀は怪異に効くけど」
「ともかく、霊刀なら効果があるって事か?」
「そうだね。得に、今回は破敵剣じゃなくて護身剣の方がダメージは大きいはずだ。浄化はそっちの方が得意だろうからね」
雪緒には話の半分も理解できなかったけれど、ともあれ霊剣が効果有りという事は分かった。
しかし、重要なのはその霊剣を当てる事だ。雪緒はそのための技術を持ち合わせていないし、護身剣に至っては防御にばかり使っている。
雪緒の七星剣が効果的なのに、それを当てる手段を持たない。
腕の一本は覚悟するか? でも、それじゃあ晴明との約束を破る事になる……。
どうするか考える雪緒を、時雨は視線を一瞬向けて確認する。
「雪緒くんは下がってて良い。こいつの相手は僕達がするから」
「は? そんな事出来る訳無いだろ」
「いいから下がってるんだ。これは、君がしなくて良い事だ」
真剣な時雨の表情。真剣に、雪緒の事を思っての言葉。雪緒が楸を手に掛ける前に、自分が……そんな意思で、時雨は一人怪異に立ち向かった。
その気持ちは、正直凄く嬉しい。それだけ、自分の事を考えてくれている事が、嬉しい。
けれど、嬉しいだけじゃ駄目なんだ。その嬉しさに、時雨の気遣いに甘えちゃ駄目なんだ。
何より、雪緒自身が、楸をこの手で怪異から解放してあげたいと思っている。誰かにその役目を押し付けるつもりは無い。誰かにその役目を奪われるつもりは無い。誰かに、楸を終わらせるつもりは無い。
「俺がやる。これだけは、俺がやらなきゃ駄目なんだ」
「君がやる必要は無い!! 親殺しなんて業を、子供である君が背負う必要は無い!!」
珍しく、時雨が声を荒げる。聞いた事も無い程の怒声だ。
けれど、雪緒だってこればかりは曲げられない。たとえそれが親殺しだとしてもだ。
誰が任せられる? なんで押し付けられる? どうして相手に業を背負わせられる?
「……これは、誰に押し付けてもいけない事だ。俺が、俺だけが出来る事なんだ」
「僕に押し付ければ良い!! 僕は、そのために此処に居る!!」
「んな訳あるかよ!! 誰が手前の母親殺すのを友達に押し付けられる!! 少なくとも俺は、そんな事友達に頼みたくねぇんだよ!!」
それに、このままでは前に進めない。二度も楸に何も出来なかったとなれば、自分で自分を許せない。誰が許しても、二度もしくじった自分を許す事は出来ない。
「これは、俺の役目だ!! 誰にも譲るつもりは無い!!」




