第拾話 解呪、そして稽古
「して、晴明。雪緒にも出来る解呪の方法はあるのか?」
道満がたずねれば、晴明は常の表情に戻って答える。
「ある」
「え、あるのか?」
「ああ。最初から私が教えておけば良かったな。其方の持つ七星剣の護身剣の方の力を使え。身を護るのがその剣の能力だ。護る対象に区別は無く、弾き、浄化する対象にまた区別も無い。怪異だろうが呪いだろうが護身剣でどうとでもなる」
護身剣は身を護る剣。相手が実態であろうが概念であろうが、力を発揮すれば身を護る事が出来る。
「じゃあ、なんで俺は呪いをかけられたんだ?」
猿夢の時に、猿夢に眠らされた。あの時、道満の呪い返しが発動していたので、あれは確かに呪いだったはずだ。
「それは其方が十全に力を発揮できていないからだ。十全に力を発揮できれば、護身剣も破敵剣も受動的ではなく能動的に力を発揮できる。邪視の呪いを弾けなかったのはそのためだ」
雪緒は現段階で七星剣の力をおよそ三割程しか扱えていない。使えてはいるが、使い手になれてはいない。
彼の安倍晴明が鍛造した七星剣の力だ。雷撃や守護防壁程度でおさまる力ではない。
「まぁ、今は良い。今大事なのは、護身剣であれば呪いを弾けるということだ。雪緒、其方は猿夢で護身剣で範囲的に防壁を張ったのであったな」
「ああ」
猿夢の時、青子と加代を護るために護身剣を地面に突き刺した。そして、範囲的に防壁を張って二人を守っていた。
「であれば、その要領で対象者を囲むように防壁を張れ。誰でもない私の造った剣だ。気付きにくい呪いではあるが、所詮はその程度だ。その程度の呪いを散らすなど造作も無い」
「え、じゃあ俺って道満に殴られなくても良かったんじゃ……」
「たわけ。未知の呪いであるのであれば、儂が解呪した方が良いに決まっておろう。この中で一番腕が立つのは誰だ? 儂であろう?」
「業腹だが、道満の言う通りだな。道満であればどんな呪いであろうと多様な手段で解呪出来る。私はある意味力業だからな」
「七星剣も似たようなものだな。散らす事は出来ても取り出す事は出来まい? 儂は取り出し、その上で呪いを燃やしたのだ。呪いの対象者に十分配慮した丁寧なやり方だ」
「人に掌底を叩き込んでおいて丁寧とな」
はははと快活に笑う秀郷。喰らった本人としてはまったく笑い事ではない威力だったので、是非とも秀郷にも同じものを喰らってもらいたいと思う雪緒。
「ともあれ、七星剣があればどうにかなるんだな?」
「ああ。しかし、それは種であればの話だ。発芽や根付きの場合でも、そこそこの時間を要するであろうが、完全に萌芽しては二、三日はかかるだろうな」
「でも治るんだよな?」
「ああ。とは言え、実際にやってみなくては分からぬ。それに、時間経過で治す事が難しくなるはずだ。ともすれば、治らぬという事も有り得るぞ。そこは覚悟をしておけ」
「……分かった」
処置の方法も、対処方法も分かった。七星剣の力がただ護るだけではないという事も理解した。
しかし、一つだけまだ分からない事がある。
「でも、どうやって呪いにかけられた人を見付ければ良いんだ?」
そう、呪いにかけられた人と、そうでない人の見分け方だ。雪緒は自分が呪いにかけられているという事にすら気付かなかったのだ。自分の状態にも気付けない雪緒が、他の誰かの状態に気付けるとの思えない。
「百々眼鬼に頼めば良い。儂程ではないにしろ、奴も眼が良い。凝らせばよう見えるだろう」
「分かった」
つまり、雪緒単体では見分けがつかないという事だ。不便だし、不甲斐無い限りだが、今はそれで納得するしかない。
「しかし雪緒、油断するでないぞ? 邪視には何か裏があるはずだ。十分、気をつけよ」
「分かってる。元々、弱っちい俺が油断できる訳も無いしな」
それに、油断して良い事など一つも無い。油断大敵は常に心中に留めている。
そんな雪緒を見て、秀郷が晴明に言う。
「なあ晴明」
「なんだ?」
「手合わせは諦めたが、一つ雪緒に稽古を付けても良いか?」
「何? 其方が?」
「ああ。雪緒が強くなれば、お前も安心だろう?」
「むぅ……」
秀郷の言葉に、晴明は考え込むように唸る。
唸る晴明を余所に、秀郷は笑顔で雪緒に言う。
「なあ、雪緒もそう思うだろう?」
「まぁ、俺も強くなれる分には嬉しいな」
自分が強くなれれば、今まで以上に誰かを護れる。それに、雪緒自身薄々感じてきていた。
今まで、雪緒一人で怪異を解決出来てはいない。きさらぎ駅も猿夢も時雨や百鬼夜行の力を借りている。それに、雪緒が不甲斐無いばかりに、皆に負担を強いている事も理解している。
雪緒は此処に来て自分の力不足を感じつつあった。
「俺がもっと強くなれば、皆を危険にさらすような事も減る。なら、俺の答えは一つだけだよ」
「おお、流石は男の子だ! その意気や良し! 晴明、お前もなんぞ悩んでおらんで素直に頷け! ここは師として、弟子の成長を見守るところだぞ?」
秀郷が快活に笑いながら言う。
秀郷の言葉に、晴明は難しそうな顔をしながらも、しかし、難色を示しているような様子は無い。
「……確かに、剣の腕であれば私よりも其方の方が適任、だな……」
「ああ! 剣だけではなく、弓も教えよう! 多少なりでも雪緒が強くなるのであれば、平安で待つお前も少しは落ち着けるだろう?」
「そう、だが……」
頷きながら、晴明は雪緒を見る。
やがて、一つ溜息を吐いてから頷く。
「……分かった。では、其方に頼もう」
「応! そうこなくてはな! では直ぐにでも始めるぞ! 晴明、木刀はあるか?」
「物置にあったはずだ。冬、取ってきてくれ」
「はい」
冬が頷き、物置に向かう。
「では俺達は外に出るとしよう。晴明、庭を借りるぞ」
「ああ。だが、畑を荒らすなよ」
「分かっておる。そら、雪緒。行くぞ」
「分かった」
雪緒は縁側に置いてある草履に履き替えて外に出る。秀郷は玄関で草履に履き替えてから庭に出る。
外に出た二人に、冬が木刀を渡す。雪緒が二振り、秀郷が一振りだ。
雪緒は手渡された木刀を見るけれど、何の変哲も無い木刀だ。けれど、変哲が無いだけにこの木刀が直撃でもすればただでは済まない事は分かる。
木刀を見る雪緒の心境を理解したのか、晴明が言う。
「安心しろ。当てもせぬし、当たりもせぬよ。仮に当たったとしても、それは秀郷の修練不足だ。気にする事は無い」
「言ってくれる。だが、晴明の言う通りだ。俺の心配などせず好きに打ち込んで来い。無論、俺は寸止めする」
余裕の表情で言う秀郷。しかし、人に対して剣を振るった事の無い雪緒には木刀とは言え当たれば怪我ではすまないような物を人に向けて振るうのには抵抗がある。
「仕方ない。では、俺から行くぞ」
言った直後、秀郷が自然な動作で迫る。自然な動作過ぎて、雪緒は秀郷が攻撃を仕掛けて来たという事実に、一瞬だけ判断が遅れた。
「ーーっ!!」
秀郷が両の手で持った木刀が振り下ろされる。
雪緒は、反応が遅れたものの秀郷の剣を間一髪で受け止める。
木と木で打ち付け合う高い音が響く。
「ぐっ……!!」
「反応は良し! 流石に二つと山を越えただけはあるな! が!!」
瞬間、鍔競り合っていた木刀を引っ込め、即座に次を打ち込んで来る秀郷。
しかし、雪緒はそれに対応が出来ない。
脇腹直撃寸前で、秀郷が木刀を止める。
打ち込まれると思った雪緒の体中に冷や汗が流れる。
「次に対応するには些か力み過ぎだ。それでは今のように簡単に打ち込まれるぞ?」
「くっ……」
秀郷の言葉に、雪緒は悔しげに呻く。
勝てるとは元より思ってない。けれど、怪異を二度にわたって倒しているという自負が雪緒にはあった。そのため、勝てなくともそれなりに撃ち合えると思っていた。
が、その認識は甘かった。
縁側でお茶を飲みながら、晴明が雪緒に言う。
「雪緒。其方が今まで相対してきた怪異は凡そ人とはつかぬ者ばかりだ。だから、其方は人と戦う事を元より考えていないのだろう」
きさらぎ駅では鬼主と戦い、猿夢では小人や異形の小人、そして地を這う電車や空飛ぶ電車と戦ってきた。
「其方はその全てを倒してきた。しかし、其方の戦いぶりは、己の技ではなく七星剣の能力に頼っているところが多い」
今まで戦ってきた中で、雪緒は七星剣の圧倒的な力を頼りに力付くで戦ってきた。そして、きさらぎ駅も猿夢も力付くで倒す事が出来た。
「一般人であった其方が怪異を倒すという事は並大抵の事ではない。其方の功績を否定するつもりもまた無い。どうあれ、倒したのは其方だ。他の誰でもない」
今まで力付くだった。だからこそ、雪緒にはまだ技量が無い。
下手な素振りで怪異を斬ってきた。下手な突きで怪異を刺してきた。しかし、それがまかり通ったのは一重に七星剣のお陰だ。
「しかし、怪異は刻一刻と強くなる。中には人の形をする怪異も出てくるやもしれぬ。そう考えれば、丁度良かったな、雪緒。秀郷はなーー」
だから、雪緒は技を身につけなくてはいけない。強大な怪異に立ち向かうためには、きっと七星剣の力だけでは追い付けない場面が出て来る。
「ーーこの平安で人の姿をしている者の中で最も強い者の一人だ」
秀郷が瞳に強い意思を燈して笑った。
息を乱し、雪緒は庭に仰向けに倒れ込む。
体中汗だくで、正直息をするのもしんどい。
「はは、大した奴だ。まさかあれから一休みもせずに打ち込んで来るとはな」
笑いながら、秀郷が木刀を肩に担ぐ。
笑っている秀郷も汗はかいているけれど、雪緒程ではない。健康的に運動した程度の汗の量。秀郷にとって、雪緒との打ち合いは準備運動程度のものでしかなかったのだ。
当たり前だ。秀郷は恐らく幼少の砌から剣の修練を積んできたのだろう。対して、雪緒が剣を握りはじめたのはつい最近の事だ。元より、勝てる見込みも、対等に打ち合える見込みも無かった。
しかし、それにしたって一太刀もあびせられないのは悔しい。
「秀、郷さん……強過ぎ……」
「ははは! まあな!」
雪緒が息も絶え絶えに言えば、秀郷は快活に笑った。
あれから、雪緒はがむしゃらに秀郷に打ち込んで行ったけれど、まったく歯が立たなかった。
間近で秀郷の戦いぶりを見ていて分かったけれど、秀郷の剣は美しい。ぶれる事無く、綺麗に木刀が軌跡を描くのだ。何より、思い切りがよく、迷いが無い。
何処を斬れば良いと悩む事無く振り下ろされる剣は、素早く正確無比。そして何より、強いのだ。
思えば、時雨にしても百鬼夜行の面々にしても己の武力を行使するのに迷いが無い。
時雨と秀郷の剣は違うけれど、一太刀一太刀に迷いが無い事に関して言えばまったく同じである。
いや、それにしたって強すぎだ……。平安最強の一角であると晴明が言うのも納得だ。
「秀郷さん、駄目出しして……」
「ああ良いぞ。まず、剣に迷いを乗せるな。それだけで相手にとっては良い隙だ。俺程にならなくとも、剣を習った者ならそこを逃さず突いてくる。まぁ、こればかりは慣れが必要な部分もある。慣れるまで剣を振るうしかないな」
秀郷とは違い、雪緒はまだ何処を斬れば良いかなど分からない。 そのため、振る度に迷いが生じる。
「怪異と戦ってる時には迷いなんて無かったんだけどな……」
「それだけ必死だったという事だろうな。まさに無我夢中。俺もあるぞ、そういう経験。というか、将門と戦っている時なんぞ、正に無我夢中よ。彼奴、七人に分身するもんだからなぁ……それはもう無我夢中に切り付けたわ」
こうっこうっ! と素振りをしながら言う秀郷。
若干茶化して言っている秀郷に、しかし、雪緒は笑うでも無く意外そうな顔をした。
「意外だ……秀郷さんでも無我夢中になったりするんだ……」
「おう。考える余裕など無い程切羽詰まってたさ」
笑みを浮かべて言うけれど、戦場では決して笑い事ではないだろう。
秀郷が強いという事は、雪緒でも何となく分かる。時雨や黒曜にも感じた、明確な強者の覇気を感じるからだ。
そんな秀郷が無我夢中にならなくてはいけなかった相手。平将門。いったいどれ程強い相手だったのか。
「話を戻すか。雪緒、お前の強みはなんだと思う?」
「俺の強み? ……なんだろう」
秀郷に問われ、雪緒は思考を切り替える。
自分の強み。恐らく、精神的なものではないのだろう。それに、七星剣の事でもない。秀郷と違うところをあげるとしたならば……。
「刀が二本有るとこ、かな?」
「その通りだ。武器が二つ有るのであれば、その分手数が増える。まぁ、一太刀一太刀が素早い剣士も居るが……今は良いだろう。刀が二本もあれば、相手よりも格段に手数が増える。それだけで、だいぶ優位に立てる」
「優位に立てる……?」
言いながら、寝っ転がっている自分と秀郷へと視線を往復させる。
「ははは! 素人が刀二本使ったくらいで俺から優位を取れると思うなよ? お前が手数を増やすのならば、俺も手数を増やせば良いだけの話だ」
簡単に言うけれど、両腕で一本と両腕で二本では繰り出せる速度が圧倒的に違う。より素早く、より正確に相手の攻撃を捌かなくてはいけない。今の雪緒には到底無理な話だ。
「お前は手数で相手よりも優位に立てる。相手の攻撃を正確に捌き、素早く反撃するのだ。お前が七星剣を使うのなら、それが一番確かな戦い方だ」
「……分かった」
頷きながら、雪緒は起き上がる。
「当面の課題は体力作りと身体作りだな。それと、素振りだ。剣を振る感覚に慣れろ」
「分かった。ありがとう、秀久さん」
「なんの。俺も楽しかったぞ。次は七星剣を持った状態で戦いたいものだが……」
言いながら晴明を見る秀郷。
言わずもがな、晴明は眉間に皺を寄せている。
秀郷は苦笑を浮かべながら肩を竦める。
「お前の師匠が許してはくれまい。暫くは木刀で我慢するとしよう」
「暫くなど無い。永久にそれで我慢をしろ」
「手厳しい」
言いながら、雪緒を見て苦笑する秀郷。つられて、雪緒も苦笑を浮かべた。雪緒の場合は、秀郷も懲りないな、という意味だけれど。