第玖話 変性の呪い
朝餉を食べ終わると、四人は二人ずつ対面に座りながらお茶を飲む。
「そうか。そんな経緯で七星剣を手に入れたのだな」
朝餉の最中に、雪緒は秀郷に七星剣を与えられるまでの経緯を話した。そうすれば、秀郷は納得したように頷く。
「ああ。だから、俺の力を認めてくれたから晴明が俺に七星剣を貸してくれた訳じゃないんだ」
「あい分かった。が、七星剣がどの程度の力を持っているのかは知りたいところだなぁ」
納得しながらも、秀郷はうずうずした様子で晴明の顔色を伺う。
「ならぬ。貴様、その刀折られたいか?」
「おお怖い。それは御免被る」
秀郷は大袈裟に身震いしてみせるけれど、まったく怖がっている様子は無い。
そんな秀郷の様子を隣でくくっと笑いながらも、道満は視線を雪緒に向ける。
「して、雪緒。邪視の件はどうなった?」
「あっ、そうだった!」
道満に水を向けられ、雪緒はようやっと本題を思い出した。
そんな雪緒を晴明は呆れたような目で見る。
「其方……」
「し、仕方ないだろ? こっち来たらいきなりごたごたしてたんだから」
「まあまあ、良いではないか。それよりも、早う話を進めよう」
道満が間に入り、雪緒に話を促す。
雪緒はおほんと一つ咳払いをしてから話を始めた。
まなこが邪視の能力をそう強力なものではないと推察した事。過去視、透視の類はおそらく出来ず、しかし、度を超えた事が出来たとして透視が限界である事。心的外傷など、人の心の傷を視る事が出来る事。
そして、恥ずかしながら雪緒の心の傷を見られた事も話をした。
その直後、晴明の持つ扇が酷い音を上げて真っ二つに折れた。
面は常の涼しい顔。けれど、折れた扇を持つその手には青筋が浮かんでおり、晴明が激怒していると理解するのに苦労はしなかった。
一つ、溜息を吐く。
「冬、新しい物を」
「はい」
壊れた扇を冬に渡して、自身を落ち着かせるために茶を一口啜る晴明。
雪緒は晴明に恐る恐る声をかける。
「せ、晴明……手、大丈夫か?」
「ああ。大事無い」
言って、扇を折った掌を見せてくる晴明。確かに、晴明の手は綺麗なもので、傷一つついていなかった。
「それで? その者は成敗したのか?」
「せ、成敗? いや、してないけど……」
「怪異なのであろう? ならば即成敗せよ。二度と刃向かう事の出来ぬよう、徹底的に力の差を思い知らせてやるのだ。そして、人の心の傷を暴いた事を心底後悔させてやるのだ。必要とあらば十二天将を貸してやろう。どれが良い? 骨も残さず燃やすのであれば朱雀か騰蛇を貸してやろう」
「待て待て待て! 後半何を言ってるのか全く分からなかったけど、とにかく待て!」
涼しい顔で饒舌に語る晴明に慌てて待ったをかける雪緒。
涼しい顔をしているけれど、骨も残さず燃やすとか言っていた。
「そりゃあ俺も腹に据えかねるけど……さすがに、そこまではしないよ」
「甘いぞ雪緒。やられたらやり返さねば」
「だからって骨も残さず燃やすのはやり過ぎだろ……」
珍しく過激な晴明に雪緒が戦々恐々としながら言葉を返していると、珍しく真剣な眼差しで道満が言う。
「雪緒、動くなよ?」
「え?」
道満が言った直後、道満が目前まで迫る。
誰も彼も反応が遅れる中、道満は雪緒の胸に勢い良く掌底を叩き込む。
「ーーがっ!?」
肺から息が抜ける感覚を味わいながら、同時に、身体からナニカが引きずり出される感覚を覚える。
「道満!!」
晴明が柳眉を吊り上げて声を荒げるが、そんな晴明を道満は片手で制する。
神妙な面持ちの道満に、晴明は何かがあった事を悟り、隣で咳込んでいる雪緒の背中を優しく撫でる。
「何があった?」
晴明が問えば、道満は握り締めた左手を見ながら答える。
「呪いだ。それも、相当に性質の悪いものだ」
道満は握り締めた左手を握り締めながら、一つ吐き捨てる。
「……ふん、腹立たしい」
握り締めた手に更に力を込めてから手を開く。開かれた手から黒い炎が瞬いて消える。
「誰の呪いだ?」
「機を考えれば、恐らくは邪視であろうな。しかし、呪いとは別に妖に近い気配を感じた。これがなんだか分からぬ」
「怪異なのだから妖と同じ気配がしても不思議ではなかろう?」
「ああ。だが、呪い自体に妖の気配がするのはおかしい。残滓でないのが引っ掛かる……」
「呪いが怪異なのだから、呪いに妖の気配がしたとておかしな話ではなかろう?」
「そう言われればそうなのだがな……呪術師として、どこか違和感を覚えるのだ」
言って、考えるように顎に手を当てる道満。
「な、なんでも、良いけど……一言、欲しかった、な……」
咳込みながら雪緒が言うけれど、道満は思考に没頭してしまい返事をしない。
道満の細腕からは考えつかない程の勢いを持った掌底は無防備だった雪緒に大きな衝撃を与えた。
落ち着くまでに暫くの時間を要したけれど、落ち着いて話が出来るくらいには落ち着きを取り戻す事が出来た。
背中をさすってくれた晴明にお礼を言いながら、雪緒はいつの間にか座り直していた道満にたずねる。
「……それで、どんな呪いだったんだ?」
「……んむ? うむ、そうさな。変性の呪い、とでも呼ぼうかの」
考える仕種をしていた道満はようやっと雪緒の方を見て答えた。
「変性の呪い?」
「うむ。その者の性質を変える呪いだな。汝にかけられていた呪いは、人から妖に変性する呪いだな」
「人が妖に?」
「ああ。しかし、汝に合わせて言うのであれば、人から怪異へが正しいかもしれぬがの」
「人が怪異に……それって、きさらぎ駅と同じじゃないか!」
呪いの効果を理解すると、その呪いの質の悪さも理解する。それと同時に、自身が怪異になってしまう可能性があったことに背筋が凍る。
「ああ、そうさな。ただ、分からぬ事がある」
言いながら、思案する表情を見せる道満。
「分からない事って?」
「一つは、儂が思うに、邪視はそこまで強力な怪異ではない。猿夢よりは強いが、それでも一つ二つ段を上げる程度だ。猿夢のように強化されていたとしても、きさらぎ駅のように人を怪異にする程の強力な力は無いはずだ」
「主体が呪いであるからな。視て呪うという伝承からの大きな逸脱は出来ぬだろうな」
今まで雪緒が出会った怪異は、皆その能力が伝承から逸脱している。けれど、その伝承を大きく逸脱するような事は無く、その伝承に沿った強化をされている。
「それに、変性させるという行為自体にそれ相応の力を必要とする。儂が不老不死になる事も変性の一種だ。まぁ、不老不死と比べれば小さな変性ではあるが、それでも容易ではない」
不老不死という変性に大きな力が必要だからこそ、道満は幾度もその変性に失敗しているのだ。この中で、変性についての難解さを一番理解しているのは道満であろう。
「弱い怪異がそのような呪いを容易にかけられるとは思わぬ。おそらく、それは文字通り身を削る行為であろうな」
「身を削るってぇと……」
「自分を分割して呪いに乗せているという事だな。自身の存在する力を呪いに乗せて、変性の呪いの力にしておるのだ」
「なるほど」
晴明の噛み砕いた説明に、雪緒は納得する。
雪緒が納得したところで、道満は続ける。
「しかし、容易で無くとも、身を削れば出来るのであれば邪視にとっては簡単な事だ。呪いとは相手の状態を変える事だ。変性とはまた違うが、近しいものがある。要領が同じであれば、邪視にとってはそう難しい事でも無い。が、それにしても理に適わぬ」
「確かにな。自分が弱体化してまで人を怪異にしたとして、出来る怪異の程度は知れている。むしろ、邪視のみの方がより強力なはずだ」
道満の言葉に、晴明が納得を示す。
「……何か他に意図があるとか?」
「こんな無益な事を好んでする怪異もおるまい。謀があって当然だ」
「怪異も馬鹿ではない。自我を失っていた鬼主ならばともかく、自我を持っておった猿夢はしかと考えておっただろう? 邪視にもなんらかの自我があっても不思議ではない」
「しかし、その謀がなんなのか、まるで分からぬがな……。おい、秀郷。汝も黙っておらぬでなんぞ言うたらどうだ?」
道満が今まで黙ったままだった秀郷に声をかける。
声をかけられた秀郷は笑いながら言う。
「いや、俺の分野外の話だったゆえな。口を出せずにおった」
「分野外とは異な事を言う。もののふである其方の得意分野ではないか」
「いや、俺も妖とはあまり手合わせした事が無くてな。精々が将門を相手取ったくらいよな」
「まぁ、あれは妖では無いな。妖術は使うが」
「ああ。妖術で本体を分からぬように分身をされた時はたまげたが……」
「隠れ身のために自らの力を削るとも思えぬな……」
四人はうんと頭を捻る。
晴明と道満は知恵を総動員し、雪緒と秀郷は無い頭を総動員させる。
「……ふむ、一先ずこの話は持ち帰るとしよう。儂もゆるりと考えを纏めたいゆえな」
「ああ、頼む」
「うむ。それと、雪緒。これは憶測になるのだがな」
「なんだ?」
「この変性の呪い、かけられたのは汝だけでは無いやもしれぬ」
「ーーっ! それは本当か!?」
「憶測だと言うておるだろう? 儂にも分からぬよ。汝と違うて、他の者を視た訳ではないからな」
言って、落ち着いた様子でお茶を飲む道満。
道満の落ち着き払った態度を見て、雪緒は冷静にたずねる。
「……それは、一日二日でどうこうなるものか?」
「ならぬ。変性の呪い自体力が弱い。呪いを種に例えると分かりやすいかのう。種が発芽し、根付き、萌芽する。汝にかけられた呪いはまだ種の段階であった」
「そうか……」
一日二日でどうこうなる問題ではないと知り、ほっと胸を撫で下ろす雪緒。
邪視が呪いをかけたのであれば、その機会は占いの時しかない。そして、その占いには青子も加代も行っているのだ。彼女達にもし呪いがかけられているのであれば、雪緒はその呪いを解呪をしないといけない。一日二日で変性をしないのであれば、彼女達にもまだ猶予がある。その事に、雪緒は安堵したのだ。
安堵する雪緒。しかし、道満は真剣な面持ちで言う。
「安堵するのは早いぞ。汝はまだ良いが他の者はすでに七日も前から呪いをかけられている可能性がある。呪いの経過観察を出来ていないゆえ憶測でしか言えぬが、萌芽するのであればそろそろだろうな」
「それって……」
道満の言葉に絶句する。雪緒にだって分かる。道満が何を言おうとしているのか。何が起ころうとしているのか。
しかし、そんな雪緒に、道満は無慈悲に事実を叩き付ける。
「変性する。人から、怪異に」
「ーーっ!!」
雪緒は晴明に勢い良く視線を向ける。
「晴明! 今直ぐに俺を現代に戻してくれ!!」
焦燥感を募らせて言う雪緒に、しかし、晴明は静かに答える。
「ならぬ」
「なんで!?」
「今行って、其方に何が出来る? それに、道満は憶測だと言った。確証が無い内に、危険な事はさせられぬ」
「でも道満の憶測だ! 信じるに値するだろ!」
「まぁ待て雪緒。晴明は何もお前の身可愛さだけで言っているのでは無い」
気が急く雪緒に秀郷が落ち着いた様子で言う。
「今お前が先の世に戻って、それでその者達を治せはしないだろう? それに、誰に呪いがかけられているのかお前に判別が出来るか?」
「それは……」
「道満でも目を凝らして漸く見つけ出したのだ。お前では目を凝らしても無理だろうな」
「待て。目など凝らしてはおらぬ。儂は一目見た時から違和感を覚えておった。その上で隅々まで見てだなーー」
「ああ、分かった分かった。すまなかったよ。別段お前を侮る意図は無い」
邪視に張り合うように言い募ろうとした道満を、秀郷は苦笑しながら止める。
「雪緒。お前は何も対策など持ち合わせていない。であれば、此処で二人の意見を聞いてから戻った方が得策ではないのか? それに、先の世には陰陽師もいるのだろう? なら、お前よりも呪いに詳しい陰陽師に任せるのが一番良いだろうよ」
秀郷の諭すような言葉が、雪緒の中に浸透していく。
確かに、秀郷の言う通りだ。雪緒が今から戻ったとしても、呪いを受けた人達を元に戻せる保障は無い。それに、誰に呪いが付いているのかが全く分からない。道満程の天才呪術師であれば話は別だろうけれど、雪緒は天才でも呪術師でもない。
焦る気持ちを押さえ込み、雪緒は浮かしていた腰を落とす。
「……そう、だな……。声を荒げたりして悪かった、晴明」
「いや、良い。其方はそれで良いのだ。私達のように被害に達観し過ぎておる方がおかしいのだ」
晴明達は曲がりなりにも修羅場というものを幾度もくぐり抜けて来ている。そのため、被害が起きても冷静に対処が出来る。今、雪緒以外は落ち着いた様子を見せているのはそのためだ。
「其方は焦れば良い。焦る其方を、私が止めよう。それが、師である私の役目だからな」
「……ありがとう」
穏やかな、けれど、確かな意思を込めた目を雪緒に向ける晴明に、雪緒は素直に感謝の言葉を口にした。




