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 後編 朝になる前に、恋をする


前編をお読みいただき、ありがとうございます。


午前三時だけ営業する小さな食堂「夜食処 三日月」。


そこに集まった人々は、温かい夜食を囲みながら、少しずつ自分の本音と向き合い始めました。


夜勤帰りの看護師・美琴。


売れない俳優・蓮。


配達員の新。


孤独な作家・白鳥。


離婚した会社員・涼介。


そして、彼らを静かに迎える店主・灯司。


後編では、それぞれの人生が少しずつ動き出します。


夢を諦めかけていた者、家族との距離に悩む者、自分の孤独に慣れてしまった者。


そして、午前三時の食堂で芽生えた小さな恋も、朝が近づくようにゆっくりと形になっていきます。


どうぞ最後まで、夜食の湯気とともにお楽しみください。



翌日の昼。


佐伯美琴は、少しだけ落ち着かない気持ちで、「夜食処 三日月」の前に立っていた。


いつもなら暖簾が出ていない時間。


看板の灯りも消えていて、午前三時のあの柔らかな雰囲気とは違い、昼間の路地は少し現実的に見えた。


夜の底でだけ存在しているように思えた食堂が、太陽の下では古びた小さな店としてそこにある。


美琴は白いコートの袖を握りしめ、深く息を吸った。


昨日、自分は確かに言った。


「今度、午前三時じゃない時間に、会えませんか」


そして店主の月島灯司は、少し困ったように笑いながらも、頷いてくれた。


「明日の昼、仕込み前なら空いてる」


その言葉だけで、美琴は夜勤明けの疲れも忘れてしまうほど嬉しかった。


けれど、いざ昼間の店の前に立ってみると、急に恥ずかしくなる。


午前三時なら、疲れているから。


夜勤明けだから。


夜食を食べに来ただけだから。


そんな言い訳ができた。


でも昼間に来るということは、もう言い訳ができない。


ただ、会いに来たのだ。


美琴は小さく息を吐き、扉を軽く叩いた。


しばらくして、中から足音が聞こえた。


扉が開き、灯司が顔を出す。


いつもの白い調理着。


けれど、午前三時に見る彼とは少し違って見えた。


昼の光の中にいる灯司は、思っていたよりも普通で、思っていたよりも優しい顔をしていた。


「来たのか」


「来ますって言いました」


「本当に来るとは思わなかった」


「ひどいですね」


「悪い」


灯司はそう言って、店の中へ美琴を招いた。


昼間の三日月は、夜よりも少し明るかった。


カウンターの木目も、壁の献立札の端が少し欠けていることも、古い時計の文字盤がわずかに黄ばんでいることも、よく見える。


調理場には大きな鍋が並び、まな板の上には人参、大根、じゃがいも、玉ねぎが置かれていた。


「仕込み中ですか」


「ああ。今日は肉じゃがと豚汁と、鯖の味噌煮」


「もう名前だけでお腹が空きます」


「昼飯は食ったか」


「まだです」


「じゃあ、食っていけ」


「でも、お店の準備中じゃ……」


「まかないだ」


灯司は短くそう言い、調理場へ戻った。


美琴はいつものカウンターの端に座る。


午前三時と同じ席。


けれど、今日は胸の鼓動がいつもより少し速かった。


しばらくすると、灯司が定食を出してくれた。


生姜焼き定食だった。


薄切りの豚肉に、生姜の香りがしっかり絡んでいる。


玉ねぎは甘く、たれは白いご飯に合う濃さ。


横には千切りキャベツ、ポテトサラダ、味噌汁。


美琴は箸を持つ前から、もう負けた気がした。


「いただきます」


まず、生姜焼きを一口。


熱々の豚肉から、生姜と醤油の香りがふわっと広がった。


噛むほどに脂の甘みが出て、すぐにご飯が欲しくなる。


美琴は白いご飯を口に運び、思わず目を閉じた。


「……ずるいです」


「何が」


「こんなの、好きになります」


言った瞬間、美琴は自分の言葉に気づいて固まった。


灯司も、調理場の向こうで動きを止める。


店内に、鍋の煮える音だけが響いた。


美琴は顔を赤くし、慌てて言い直そうとした。


「違います、料理の話で、いや、料理だけじゃなくて、でも今のは、その……」


「佐伯さん」


灯司が静かに名前を呼んだ。


美琴は箸を置いた。


「はい」


「俺は、恋愛が上手くない」


「見れば分かります」


「即答だな」


「すみません」


「いや、その通りだ」


灯司は少しだけ苦笑した。


「店をやって、飯を作って、人の話を聞くことはできる。でも、自分のことになると途端に鈍くなる」


美琴は黙って聞いていた。


「それでもいいなら、また昼に来ればいい」


美琴の胸が、ゆっくり熱くなった。


「それは、会ってくれるって意味ですか」


「そうだ」


「午前三時以外にも?」


「ああ」


「夜食じゃなくても?」


「飯は作る」


「私が、ただ会いに来ても?」


灯司は少し照れたように視線を逸らした。


「その時も、茶くらい出す」


美琴は笑った。


涙が出そうになるくらい、嬉しかった。


その日から、美琴は時々、昼間の三日月に顔を出すようになった。


夜勤明けに眠る前。


休日の午後。


病院で嫌なことがあった日。


嬉しいことがあった日。


灯司は、いつも何かを作ってくれた。


梅しそおにぎり。


鶏雑炊。


焼きそば。


オムライス。


冷やし中華。


クリームシチュー。


料理の名前が増えるたびに、二人の距離も少しずつ近づいていった。


けれど、変化は二人だけに起きたわけではなかった。


午前三時十五分。


ある夜、間宮蓮が店に飛び込んできた。


黒いパーカーの前を開けたまま、息を切らし、右手にスマートフォンを握りしめている。


「受かりました!」


店内にいた全員が顔を上げた。


美琴は味噌汁の椀を持ったまま、目を丸くする。


配達員の朝倉新は、豚汁をすすりかけて止まった。


作家の白鳥一夜は、ナポリタンに粉チーズをかけようとしていた手を止める。


離婚した会社員の久瀬涼介は、カレーのスプーンを置いた。


蓮は目を潤ませながら、声を弾ませた。


「ドラマです! 深夜ドラマの脇役ですけど、台詞あります! ちゃんと名前のある役です!」


「すごいじゃないですか!」


美琴が思わず拍手する。


新も続けて手を叩いた。


「蓮さん、やりましたね!」


白鳥も珍しく穏やかに微笑んだ。


「名前のある役は、大きな一歩です」


涼介も頷く。


「祝いだな」


蓮は照れくさそうに笑いながら、カウンターに座った。


「灯司さん、今日の俺に必要なものをください」


灯司は少し考えるふりをしたあと、静かに言った。


「カツ丼だな」


「勝つ丼……!」


「ベタだが、こういう日はベタでいい」


灯司は手際よく豚カツを揚げた。


油の中で衣がぱちぱちと音を立てる。


揚げたてのカツを切り、甘辛い出汁で玉ねぎと一緒に軽く煮る。


そこへ溶き卵を回し入れ、半熟のまま火を止めた。


熱々のご飯の上にのせ、三つ葉を添える。


湯気の立つカツ丼は、見ているだけで力が湧いてくるようだった。


蓮は丼を両手で受け取り、深々と頭を下げた。


「いただきます」


一口食べた瞬間、蓮の目から涙が落ちた。


「うまい……」


誰も笑わなかった。


蓮は何度も頷きながら、カツ丼を食べ続けた。


「俺、ずっと怖かったんです。周りは少しずつ売れていくのに、自分だけ何も変わらなくて。年齢だけ増えて、夢だけが古くなっていく気がして」


美琴は静かに聞いていた。


蓮は涙を拭いながら続ける。


「でも、今日だけは思いました。諦めなくてよかったって」


灯司は水を出しながら言った。


「腹が減るうちは、まだ終わってない」


蓮は笑った。


「それ、前にも言いましたよね」


「大事なことは何度でも言う」


「じゃあ、俺も何度でも食べます」


その言葉に、店内が柔らかく笑った。


朝倉新にも変化があった。


彼は配達の仕事を続けながら、昼間に調理師学校へ通うことを決めた。


その話を打ち明けた夜、新はいつもより少し緊張していた。


「俺、人に怒られながら飯を運ぶのも、悪くないって思ってたんです。だって、誰かの腹を満たす仕事ではあるから」


「立派な仕事ですよ」


美琴が言うと、新は照れくさそうに笑った。


「でも、ここで灯司さんの飯を食べてたら、思ったんです。いつか、自分で作ったものを誰かに届けたいって」


灯司は何も言わず、焼きおにぎり茶漬けを作り始めた。


醤油を塗ったおにぎりを、網の上でじっくり焼く。


表面がこんがり色づき、香ばしい匂いが広がったところで、椀に入れる。


そこへ熱い出汁を注ぎ、刻み海苔、白ごま、少しのわさびを添えた。


新はそれを受け取り、ゆっくり一口食べた。


焼きおにぎりの香ばしさが出汁にほどけ、米の甘みと醤油の香りが口いっぱいに広がる。


「……こういうの、作れるようになりたいです」


灯司は静かに言った。


「作れるようになる」


新は顔を上げた。


「本当ですか」


「焦げ目のつけ方から教えてやる」


「いいんですか?」


「午前三時に来られるならな」


新は大きく頷いた。


「来ます。絶対来ます」


それから新は、配達終わりに三日月へ来て、少しずつ料理を教わるようになった。


包丁の持ち方。


出汁の取り方。


米の研ぎ方。


味噌汁の火を止めるタイミング。


ひとつ覚えるたびに、新の顔つきは少しずつ変わっていった。


白鳥一夜もまた、変わり始めていた。


孤独な作家だった彼は、三日月を舞台にした小説を書き始めた。


題名は『午前三時の食卓』。


そこに登場する人物は、どこか三日月の客たちに似ていた。


けれど白鳥は、決してそのまま書こうとはしなかった。


「人の人生を盗むつもりはありません」


ある夜、白鳥はナポリタンを食べながらそう言った。


「ただ、ここで見た湯気や、聞こえた笑い声や、誰かが泣くのを我慢している空気を書きたいんです」


蓮がにやりと笑った。


「白鳥さん、最近ちょっと格好つけますよね」


「作家ですから」


「前から作家でしょう」


「最近、少しだけ人間に戻ったんです」


その言葉に、みんなが笑った。


白鳥も、ほんの少しだけ笑った。


美琴はその横顔を見て思った。


この店には、特別な魔法があるわけではない。


ただ、温かいものを食べて、誰かの声を聞いて、自分の言葉を少しだけ外へ出す。


それだけで人は、こんなにも変わることがある。


久瀬涼介は、息子と月に一度食事をするようになった。


最初はファミレス。


次はラーメン屋。


その次は回転寿司。


そしてある夜、涼介は三日月に来て、静かに言った。


「息子を、いつかここに連れてきてもいいですか」


灯司は鍋をかき混ぜながら答えた。


「午前三時に起きていられるならな」


涼介は笑った。


「まだ高校生です。多分、起きてます」


「なら連れてこい」


「ありがとうございます」


その日のカレーは、いつもより少し甘かった。


玉ねぎがよく溶けていて、牛すじはほろほろだった。


涼介は一口食べるたびに、少しずつ表情を和らげていく。


「離婚した時、僕はもう父親失格だと思っていました」


誰も口を挟まなかった。


「でも、息子と飯を食べていると、親子って、全部やり直せるわけじゃないけど、また始めることはできるんだなって思いました」


灯司は静かに水を足した。


「また飯を食えばいい」


「はい」


「一回じゃなくて、何度でも」


涼介は頷いた。


「そうします」


ある雨の夜。


珍しく、三日月に全員がそろった。


美琴、蓮、新、白鳥、涼介。


そして店主の灯司。


外では強い雨が降っていた。


路地の石畳が濡れ、看板の灯りが雨粒に揺れている。


午前三時の食堂は、いつもより少しだけ賑やかだった。


「今日は寒いな」


灯司はそう言って、大きな土鍋を出した。


蓮が目を輝かせる。


「えっ、鍋ですか?」


「特別だ」


鍋の中には、鶏団子、白菜、長ねぎ、きのこ、豆腐、春菊。


透明な出汁の中で、具材がゆっくり煮えていく。


鶏の旨みと野菜の甘みが溶け出し、湯気が店いっぱいに広がった。


みんなで鍋を囲んだ。


蓮は鶏団子を三つも取ろうとして、新に笑われた。


新は白菜を丁寧に取り分け、美琴の器にも少し入れてくれた。


白鳥は春菊について妙に文学的なことを語り始め、涼介は豆腐を崩して少し落ち込んだ。


灯司はそれを見ながら、静かに具材を足していく。


まるで、全員の人生が少し足りなくならないように。


「鍋っていいですね」


美琴が言った。


「どうしてですか」


白鳥が聞く。


「一人でも食べられるけど、みんなで食べると、味が変わる気がします」


「名言ですね。使っていいですか」


「駄目です」


「残念です」


蓮が笑う。


「白鳥さん、すぐ書こうとする」


「作家なので」


「便利な言葉ですね、それ」


鍋の締めは雑炊だった。


ご飯を入れ、卵を回し入れ、刻みねぎを散らす。


湯気の向こうで、みんなが無言になった。


おいしいものを食べる時、人は少しだけ素直になる。


蓮がぽつりと言った。


「俺、ここがあってよかったです」


新が頷く。


「俺もです。ここがなかったら、料理をやりたいなんて思わなかったかもしれません」


白鳥は雑炊を見つめながら言った。


「この店がなかったら、私は今より少し嫌な大人になっていた気がします」


涼介も続けた。


「僕は、ここで飯を食べながら、自分を責めるのを少しやめられました」


美琴は、灯司を見た。


灯司は何も言わず、皆の器に少しずつ雑炊を足している。


その姿を見ていると、胸の奥にあった言葉が、自然にこぼれた。


「私は、ここで恋をしました」


全員が一瞬、静かになった。


蓮が箸を落とした。


新がむせた。


白鳥が眼鏡を直した。


涼介が気まずそうに水を飲んだ。


灯司だけが、耳まで赤くなっていた。


「佐伯さん」


「言っちゃいました」


「みんなの前でか」


「はい」


「なぜ」


「鍋がおいしかったので」


「理由になってない」


美琴は笑った。


「でも、本当です」


灯司は困ったように眉を下げた。


それから、ゆっくりと言った。


「俺もだ」


今度こそ、店の空気が完全に止まった。


蓮が小さく叫んだ。


「言った! 灯司さんが言った!」


新が拍手した。


白鳥は即座にノートを開こうとして、美琴に止められた。


涼介は静かに笑っていた。


美琴は灯司を見つめたまま、何も言えなくなった。


灯司は照れくさそうに雑炊をよそい、美琴の前に置いた。


「冷める前に食べろ」


「……はい」


美琴は雑炊を一口食べた。


鶏の出汁と卵の優しさが、胸いっぱいに広がる。


泣きそうになるほど温かかった。


それから数週間後。


三日月の看板の横に、小さな貼り紙が増えた。


「昼の仕込み時間、たまに開いています」


常連たちは、それを見てにやにやした。


蓮はドラマの撮影前に立ち寄るようになった。


台詞の練習をしながら、灯司の作ったおにぎりを食べる。


「灯司さん、俺、今日の撮影で泣く芝居なんです」


「泣けそうか」


「カツ丼思い出したら泣ける気がします」


「役で泣け」


「はい」


新は調理の練習に来るようになった。


最初は米を研ぐだけでも緊張していたが、少しずつ味噌汁を任されるようになった。


「灯司さん、味見お願いします」


「少し薄い」


「味噌足します」


「火を止めてからな」


「はい」


白鳥は原稿の相談をしに来た。


「この店主、少し無口すぎますかね」


「俺に聞くな」


「モデルは灯司さんではありません」


「なら、なおさら俺に聞くな」


涼介は、ついに息子を連れてきた。


午前三時ではなく、特別に少し早い時間だった。


高校生の息子は最初、気まずそうにしていた。


けれど、灯司の作ったハンバーグ定食を食べると、表情が変わった。


「うまい」


その一言で、涼介は泣きそうな顔になった。


「また来るか?」


涼介が恐る恐る聞くと、息子は少し照れながら頷いた。


「父さんがおごるなら」


涼介は笑った。


「何度でもおごる」


そして美琴は、以前より少しだけ自然に、灯司の隣に立つようになった。


料理を手伝うわけではない。


ただ、皿を並べたり、お茶を出したり、時々味見をしたりする。


常連たちは、それを見て何も言わなかった。


言わなくても分かることがある。


午前三時。


今日も三日月の暖簾が揺れる。


街が眠り、誰かが疲れ、誰かが迷い、誰かが泣きたくなる時間。


その小さな食堂には、湯気の立つ夜食がある。


焼き鮭の香り。


豚汁の温もり。


ナポリタンの甘酸っぱさ。


カレーの深いコク。


だし巻き卵の優しさ。


そして、言葉にしきれない恋の気配。


閉店後。


時計の針は午前五時を少し過ぎていた。


客たちは帰り、店内には美琴と灯司だけが残っている。


外では、雨が上がっていた。


路地の向こうに、朝の気配が淡く滲んでいる。


美琴はカウンター越しに言った。


「灯司さん」


「何だ」


「今日のまかない、何ですか」


「おにぎり」


「具は?」


「鮭と梅」


「最高です」


灯司は炊きたてのご飯を手に取り、塩を少しつけて握った。


形は少し不器用だけれど、しっかり温かい。


美琴はそれを受け取り、両手で包んだ。


「私、思うんです」


「何を」


「人生って、すごく大きな決断で変わることもあるけど、本当はこういう小さな夜食で少しずつ変わるのかもしれないって」


灯司は少し考えた。


「腹が満たされると、人は明日のことを考えられる」


「はい」


「明日のことを考えられるなら、まだ大丈夫だ」


美琴は頷いた。


そして、温かいおにぎりを一口食べた。


鮭の塩気とご飯の甘みが、朝になる前の体に優しく広がっていく。


外では、夜が少しずつ薄くなっていた。


もうすぐ朝が来る。


けれど、三日月に集まる人々は知っている。


午前三時は、終わりの時間ではない。


誰かの人生が、もう一度始まる時間なのだ。


美琴はおにぎりを食べ終えると、灯司を見た。


「また来てもいいですか」


灯司は、少し呆れたように笑った。


「今さら聞くことか」


「聞きたいんです」


「何度でも来ればいい」


「午前三時でも?」


「ああ」


「昼でも?」


「ああ」


「ただ会いたいだけでも?」


灯司は少しだけ間を置いてから、静かに言った。


「その時は、俺も待ってる」


美琴は笑った。


それは、夜勤明けの看護師の笑顔ではなく、恋をしている一人の女性の笑顔だった。


朝の光が、三日月の小さな窓から差し込む。


調理場の鍋も、カウンターの椅子も、古い献立札も、すべてが淡く照らされていく。


夜食処 三日月。


午前三時だけ開くはずだったその食堂は、いつの間にか、誰かの人生を温める場所になっていた。


そしてその真ん中で、灯司と美琴の恋もまた、湯気のように静かに、確かに、温かく立ちのぼっていた。



ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。


後編では、「夜食処 三日月」に集まる人々が、食事を通して少しずつ前を向いていく姿を描きました。


蓮は俳優として小さな一歩を踏み出し、新は料理を学ぶ夢を見つけ、白鳥は孤独の中から新しい物語を書き始め、涼介は息子との時間を取り戻そうとします。


そして、美琴と灯司の関係も、午前三時の食堂から昼間の時間へと少しずつ広がっていきました。


大きな奇跡ではなく、温かい味噌汁や、焼きおにぎり、カツ丼、雑炊のような、何気ない夜食が人の心をほどいていく。


そんな物語になっていれば嬉しいです。


人生に疲れた夜、誰かの作った温かいご飯があるだけで、もう少し明日を頑張れる。


この作品が、そんな小さな灯りのように読者の皆さまの心に残れば幸いです。


ご感想や評価をいただけると、とても励みになります。


最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。 

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