#6
畳の匂いとぬれた掌と、転がって中身が零れているビール瓶。一点に集まる、動揺と軽蔑の眼差し。
…………大人達の眼差し。
「あ……」
それに気付いた途端、息が苦しくなった。何故か手まで震え出す。
「何の騒ぎだ?」
「あっ父さん、これは……」
父の狼狽えた言葉で顔をわずかに上げると、祖父と伯父が驚いた顔で佇んでいた。その後ろには、あの人の姿も。
「何だ。何で鈴鳴はびしょぬれなんだ?」
状況が分からない彼らは困り果てて顔を見合わせている。
「申し訳ない、この馬鹿が酔って錯乱して……」
「そうだったのか。まぁ仕方ないさ、ここは一旦片付けて……心配だから、鈴鳴君は別室で休んでもらおう」
伯父さんがそう言うと、和巳さんはすぐ前に出て俺のことを抱き起こした。
「じゃ、俺に任せてください。介抱は慣れてますから」
「頼むよ、和巳」
父の言葉に和巳は微笑み、鈴鳴を連れて部屋を出た。
「今回は羽目を外し過ぎだな。他にもえらく酔ってる奴がいるよ」
誰かの声が耳に入る。でも深く考えることもできず、ただ引き摺られた。やがて小さな部屋に連れられ、ドアが閉められる。何故か鍵をかける音も聞こえた。
「こーら、ちゃんと立ちな」
壁に手をつき、頭はグラグラするが何とか立位を保つ。ここは脱衣室みたいだ。隣は浴室。
「一体どういうことかな、鈴」
見ると、和巳さんは無表情で腕を組んでいた。
怒ってるわけでも、笑ってるわけでもない。こういう時の彼は、本当に感情が読めない。
「何があったの?」
「さあ……気付いたら、花瓶の水をラッパ飲みしてました」
正直に答えると、彼は困った顔で首を傾げた。
「何でそんな泥酔してんのさ。飲んだら車で帰れないだろ。今日はここに泊まるつもりだったのか?」
「いえとんでもない。俺は帰るつもりで、えー……飲まないつもりでした……」
「しょうがないな。鈴、服脱いで」
「えっ」
頭は未だ停止しているけど、さすがにその言葉は違和感を覚えた。
「ぬ、脱ぐ? 何で?」
「そのままじゃ風邪ひくからだよ。ズボン、昨日の俺以上にぬれてるよ」
和巳さんはテキパキとお風呂の準備に取り掛かり、自分の袖と裾を捲り上げる。そして俺のシャツのボタンを外し、脱がしにかかった。
待て待て。やばいんじゃないか、これ!
「和巳さん、それは俺、ひとりでできます……わ!」
慌てて彼から離れようとしたけど、足がもつれて崩れ落ちそうになる。平衡感覚もおかしくなってるみたいだ。彼に支えられ、情けないがホッとする。
「ほら、今お前をひとりで風呂に入れたら滑って頭打ちそうだし。怖いから一緒に入るよ」
「うっ……で、でも……」
どんどん服を脱がされていく。ベルトも外され、とうとう下着まで。
「……っ!!」
もう子どもじゃないのに。恥ずかしくて涙が出そうだった。この歳になって風呂に入れてもらうとか。
「鈴、足元気をつけて」
彼は服を着てるから尚さらかもしれない。シャワーを出して、温度を確認すると俺の足元からお湯をかけていった。
「ははは、お世話はお世話だけど、何か介護みたいだな」
「うぅ……」
羞恥心で死にそう。もうさすがに酔いは醒めた。
「ねぇ、俺がいない間に誰かと風呂入った?」
「え? あ、ありませんけど」
「そ。良かった」
良かった……って、どうしてだろう。もれなく童貞だと暴露してしまったようなモンだけど。
不安になって見るも、彼はまた笑顔になり、頭をシャンプーで洗ってくれた。ついでに身体も軽く洗い、タオルで優しく包まれる。
「鈴は肌白いなぁ。そこら辺の女の子より白いんじゃない?」
「そんなことありませんて」
代えの洋服まで用意してもらって、とても申し訳ない気持ちになる。
「ごめんなさい、和巳さん……俺、本当に馬鹿なことして、迷惑までかけちゃって」
謝ったら、とたんに目頭が熱くなってきた。彼の役に立てるよう意気込んでいたのに、初っ端から何やらかしてんだって感じだ。本当に情けない。
でも、彼はやっぱり優しく頭を撫でるだけだった。
「大丈夫だよ。昨日も言ったろ。いくらでも甘えて、頼っていい。俺が守るから心配すんな」
「ありがとう……ございます」
でも目元を擦ると、彼に手を掴まれた。
「強く擦っちゃダメだって、腫れちゃうから。戻ったとき、泣いてたのかって思われるぞ?」
「あ……」
自然と手の力が抜ける。
「じゃ、さっさと髪乾かして戻ろうか」
ドライヤーを用意して、和巳さんは俺の髪に当てる。その一連の流れ全部が、とても懐かしいものに思えた。
子どもの頃を思い出す。たまに彼の家に泊まった時とか、よくこうして髪を乾かしてもらった。
そして泣いた時……瞼を擦るなって怒られた。
変わってないな。俺も、彼も。
◇
和巳さんは、伯父の息子。父さんの、お兄さんの子。
祖父の長男の一人息子だ。現在会社の取締役は伯父さんだから、行く行くは彼も重役を任される可能性が高い。
ウチの家は本当に変わってる。六年前に和巳さんが留学するまでは、俺は彼をお手本にするよう父から強く言われていた。
彼に尽くし、彼を見習い、彼の為に時間を捧げる。時間ばかりではなく、身体も、心も。全てを犠牲にして、俺が愛した人だった。彼の為なら惜しまず何でもするように父から言われていた。
依存に近かったかもしれない。だから彼が留学する手前は、また別の理由で怒られていた。
『鈴鳴。いつまで和巳君に頼ってるつもりだ?』
父に言われた言葉が胸に突き刺さった。
彼はこれから自分のことで忙しくなる。いつまでも俺の傍で、優しく見守っててくれるわけじゃない。父はそう続けた。
もっともだ。現実ってのは辛いけど、どうしようもなく現実的な話だった。
とはいえ和巳さんなしで、俺はこれから何を生き甲斐にしてけば良いんだろう。
小さな時から、狭い世界の中で俺は常に二番目。優先順位の一番は和巳さんで、俺に期待する人はいなかった。年齢的なものもあると思うけど、それ以上に俺は気が弱くて人見知りで、取り柄もない。期待しようにもできなかったんだろう。
だから尚さら彼への期待が高まり、俺は誰からも好かれる彼の優しさに甘えた。
────和巳さんの幸せが俺の幸せになる。
この理念は十四年かけて刷り込まれた洗脳の集大成と言えた。




