宏観異常現象と人間の感覚
東日本大震災のおり、俄に注目を集めた日本三代実録や方丈記などの古文書には、かつてはその信ぴょう性すら疑われていた半時(はんとき、約1時間)に及ぶ地震動や、常識はずれの巨大な津波についての記述がたくさん残されています。『日本書紀』に記された允恭地震(西暦416年頃)以降1600年にわたり文字による記録を残し続けてきたこの国。諸外国に比して国内の騒乱が比較的穏やかだったうえ、外敵による侵入・支配も限定的であったため、現存する史料の質や量は世界でも屈指のレベルを誇ります。
この事実は、とりもなおさずこの国が、世界でも指折りの地震大国で或ることの証左でしかないワケですが、残された史料の扱いがいい加減なあたりは、“昔のヒトのハナシだからあんまり信ぴょう性はないよ〜”などというコトで片付けてしまって良いものでもなく、あまり褒められた状況ではないように思われます。
貯めこむだけ貯めといて運用怠るのは我が国の国是ともいえる習わしですが、あの震災以降ようやくそうした史料のホコリをハタキ始めたキライが無きにしもあらず、中学ん時に“オレ地震予知ができる学者になりたい”などという正真正銘の中二病に罹患し、図書館で宇佐美龍夫先生や都司嘉宣先生の書いた活断層や歴史地震にまつわる“本”借りてきた挙句、さすがに“ナニこの数式、意味わかんないんですけど”状態に陥った筆者としましては、もっと予算突っ込むべきなのではとツッコミいれてる場合ですらなくね? って感じです。
こうした“公的”な記録の他に、“宏観異常現象”というオカルト的文脈で片付けられがちな“民間”の記憶が、それこそとんでもない物量で残されているという事実は、いまさら筆者が述べるまでもないことです。地面の鳴動、動物の異常行動、地下水や井戸水の変異・雲や空の具合・発光現象などなど、実に様々な形で顕れるとされる前兆。
いずれをとりましても、普段から自然を観察していないと捉えることのできない類の現象であるという事実は、日常的に半径2m程度の範囲で生きがちな今時の日本人にとって、何がしかの示唆になるのではないでしょうか?
目を開き、耳を立てて、皮膚を研ぎ澄ませて歩きまわるなんてこと、考えてみれば高校ん時の夜中の大菩薩峠(天文部の合宿で登りました)以来無いような……。
日本における近代地震学研究の端緒となった1891年(明治24年)の濃尾地震。昨年の熊本地震と同様、内陸に震源を持つ直下型の大地震であり、日本の陸域で起きた地震としては観測史上最大のM8.0を与えられておりますが、1586年に同地域で発生した天正地震は、これを上回る規模のものであった想定がなされており、伊勢・若狭・富山湾ならびに琵琶湖で津波が発生した記録も残されているとのこと。
内陸部ではそれほど大規模な地震は起きない、などというここ100年ほどの極めて限られたタイムスケール上の常識などは図書館の中に仕舞いこみ、そろそろ地下の書庫から古い史料引っ張りだす頃合いなのではないでしょうか? ただなんとなくなんですがそんな気がする、というのも立派な宏観異常現象……なワケないですけどね。




