秋山真之考
“坂の上の雲”中学生くらいの時と10年ほど前、夢中になって読みました。ただ読んでく内に、相当盛ってるよなぁ、って思う部分も見えてきました。日本陸軍が電光石火のような速さで進軍したせいで、敗走した黒鳩将軍の寝床には温もりが残されていたとか、普通に考えたらありえないですよね。
なかでもいちばん謎だったのは秋山真之の晩年です。まるでカルト宗教にはまってしまったかのような記述がされていますが、コレはある意味うがった見方なのかもしれません。
筆者に拙い執筆経験(約五ヶ月になります)から見ますと、文章ってイタコに書かされているようなもので、書いてる間はナニの為に書かされているのかが皆目検討がつかない場合が多いようです。筋書きだってめちゃくちゃですし、書いてる順番だってめちゃくちゃです。でも通して見ると意外と筋が通ってることが多くて、ココのパラグラフはこっちの章の伏線だったんだぁ、ってことに気が付きます。
そして説明のつかないコトも起きます。書いた覚えのない箇所があったり、引用だと思ってた表現がオリジナルだったりなんてことは日常茶飯事で、単なる妄想だと思って書いてたコトがそのあと現実世界で起きる事象にリンクしてたり、知るはずのないコトまで書けていたりすることもあります。
先月始まった文章『見せますが何か』(http://ncode.syosetu.com/n1379du/)は、“NGOに所属していた女性が、その活動に傾注するあまり、夫の実家との関係がうまくいかなくなり、離婚するのだけれどその時には既に妊娠していてシングルマザーになる”、というお話になると思ってたのですが、なぜか途中でその女性が自衛隊の情報機関に所属する工作員であり、NGOに所属していた事自体が偽装工作の一環だなどというめちゃくちゃな展開になってしまい、ンだよこれ? とか思ってたら金正男さんが工作員に暗殺されました。
途中でカット・インしてくるシーンでは、中国が地下資源目当てにタンザニアへの介入を企図している描写が出てきますが、調べてみるとどうやら本当に資本投下しているようです。朝霞駐屯地に“現地情報隊”なる部隊が存在していることを知ったのもだいぶ後のことです。
こうした事象についてもっとも簡潔に解くとするならば、筆者がいわゆる双極性障害の躁の状態にいる、ということになると思います。アタマが回りすぎていろいろなものの帰結が見えてしまっているんだと思います。ヒトの肩口に思考が吹き出しみたいに見えたり、ナナメ読みしただけの台本でその構造読み解くためのキーワードが全部拾えてたり、一回も見たことない現舞の音楽のキッカケわかったりってのも全部そのせいです。
まぁ、その割には洗濯物乾燥機につっこむの忘れたり、自転車駅に置き忘れ続けて駐輪機に1700円とられたり、さっき言われた仕事忘れたり、風呂で寝落ちして部屋干し忘れたりしてまして、そういうとこでバランスとってるみたいだからゴメンナサイみなさま。
秋山真之は、信頼性に欠ける手段で入手された古く僅かで不正確な情報から、敵情ならびに味方の情況(当時はコレを把握するだけで一苦労だったと思われます)を組み立て、作戦を立案していく天才だったと思われます。立案の過程ではいろいろな想定が行われ、囲碁や将棋のように遥か先まで見通していくことが求められ、それら全てにことごとく成功したから歴史に名を残したものと思われます。
おそらくは作戦立案以外の日常生活においても、あらゆる事象の帰結が見えてしまっていたと思われ、霊夢とか神通力とか天佑とか神助とか怪しげな単語で装飾されながらも根は理性の強い氏のことですから、そうした状況に対する解を宗教に求めたのでは? と愚考します。
双極性障害が国内で広く認知されるには、北杜夫氏の『どくとるマンボウ航海記』まで待たなければならず、この文章書いてる私自身も、自分にナニが起きているのか把握するまでに4ヶ月を要しました。インターネット全盛のこの時代においてコレですから、新聞とラジオしかない時代でしたら尚更やみくもにソッチ系の門叩きまくったことでしょう。
ってことで結論。秋山真之は躁鬱。筆者はただの妄想狂。




