あとがき
思い込みの激しいタイプの筆者です。実生活に支障が出るほどに思い込みます。夢でときたま未来の出来事が見えてる事自体、そういうもんだと思い込んでましたし、恐らく全国でトップクラスの荒れ方をしていた中学も、そういうもんだと思い込んでナニ食わぬ顔で通ってました。自分の将来のこともこうなるだろうなぁ、って思い込んでましたし、後から概観してみると大方その通りの帰結を迎えてました。
本編を書き始めたキッカケだって、実のトコロあんまり良くは覚えてません。たしか四女産まれるにあたって車買い替えるのに、もうちょっと現金ほしいから、今までの人生(それなりにスゲーと思い込んでました)をちょいちょいいじってラノベ風味のヤツ書けば、去年の大賞とったクソつまんねえヤツよりはイケるんじゃないかな、くらいな感じでした。
書いてくうちに、やっぱこんなつまんねーヤツ誰も読まねえよ、とか、良くあるパターンじゃん、っていうかテンプレ的な何かでしかねえじゃん、とか思うようになりました。で、何故か巻末のコピペコーナーを書き始め、ネットで良く見るヤツでこの文章に合いそうなコピペを並べていくうちに、殆ど全部がオリジナルだということに気が付きました。
まぁ、コピペとかって言ってますけど、これニコ動の“タグ”にあたる類のものでして、訓練された“お前ら”世代だったら、だいたい馴染みの深い言語体系だと思われます。そもそもニコ動自体が、例え独りで見ていても、同じような世代や思想や背景を持ってる人間と、あたかも一緒にテレビを見ているような幻想に陥ることのできる、いわゆる21世紀のお茶の間的仕掛けなわけでして、筆者は無意識の内に、“文字で同じような仕掛け作れば、同じ世代の奴らがひっかかってくれるんじゃね?”くらいに思ったのかもしれません。
それからSpecial Thanksコーナー。これは1996年あたりに高校生活送った勢にとっては馴染みの深い仕掛けだと思います。いろんなイベントやった後に、なぜか学生運動の頃からそのシステムだけが受け継がれてきた“総括”を書き、その巻末に、お世話になった先生や友だちに、感謝の気持ちや、ちょっとばかし言いにくいコトをちょいちょい書くというアレです。
筆者は文化祭で後夜祭仕切るというコトをしてまして、まぁ、それはいろいろなコトがありまして、当時は殆どが手書きかワープロかという総括に、何故かPS/55note(ThinkPadの前身のラップトップ、神田の洋物の裏ビデオ屋の経理のバイトで稼いで買ったヤツ)で書き散らかしたあり得ない分量の文章と、MacintoshLCⅡ(これは母親が翻訳の仕事で使ってたヤツ)で引きまくった仕込み図面を載せた挙句に、Special Thanks書くの忘却してました。
しばらくして九実(本編で出てくる式実的な組織)から総括が発行されてきました。相変わらず放送室でオープン(急遽決まった演劇部の三島公演用のSEとかMのヤツ)いじってた筆者は、あぁそういえばそんな行事もあったね〜、などと云いながらパラパラめくって愕然としました。
みんながみんなに“ありがとー”とか“楽しかった”とか云ってるのに筆者一言も感謝してない。しかも、九実唯一の三年生だった筆者は、まさか自分あてのメッセージが一杯書かれてるなんて夢にも思わず、あ、コレ仕事じゃなくて楽しんでいいヤツだったんだ……などと後の祭り状態。
放送委員会などという“必殺仕事人”的組織に所属していた筆者は、クラスの行事や友だち付き合いとは無縁仏で、教室にいる間は昼寝デフォという没交渉野郎でして、昼休みと定時が来るまでの放課後は放送室で過ごし、定時が来てからは屋上の天文台で星見たりしてましたので、それぞれの場所にそれぞれの世界が広がり、たぶん筆者自身もそれぞれの自分を使い分けていたのだと思います。
体育祭に文化祭、球技大会やクロカン、バンド活動や演劇公演、寒稽古や遠泳合宿など、今考えてみるとありえない物量のイベントがひっきりなしに展開されるという凄まじい高校生活でしたが、お得意の思い込みでそういうもんだとタカをくくってた筆者は、あろうことかほとんど全てに参加した挙句に、経理バイトや単発の現場の稼ぎで秋葉原うろつくという(自主規制)でした。
卒業式。終わったからとっとと帰ろーって思ってた玄関ホールで、筆者はありえない状況に直面しました。下級生たちが人だかりになってやってきてスゲーでかい花束渡してくれたのです。ナニこの神展開!? 筆者ただの(自主規制)だし。
まぁ、自分のことが一番よく分かってない系の筆者だということは、なんとなくよく分かってない筆者です。これからもよくわからないと思いますが、最後までお読み頂きまして誠にありがとうございました。
※なお、雑記自体はまだまだ続きます。




