作家
きっと長い年月かけて下積みして自分の文体とか表現とかを編み出して、それで文学賞とかとってようやくデビューしてなるものだと思ってました。
だいたいからしてこれまでロクに文章書いたこともないワタシが、いちおう読むに耐える(らしい)小説(的な何か)二週間で書いたそもそものきっかけは、ありがちな退職勧告でした。
四女が生まれます報告の際に“そんな仕事のジャマにしかならねえものなんで作るんだよ”と叱責された挙句“今後面倒見る気もないし辞めたければ勝手に辞めろ”と云われたワタシは、なんか別の職を探さねばと思いたち、なぜか“これまでの人生(それなりにイケてると思ってました)ちょいちょいいじって文章書いてみよう、始まりは高校ぐらいで……”などと考えました。
昨年10月のある日、何年かぶりに訪れた母校(建物自体は残っているのですが、区立の中高一貫校に移譲され、今ではまったく別の学校だったりします)のまわりで数葉の写真を撮っておりましたら、突然アタマの中が文字まみれであることに気がつきました。
よく“文章がおりてくる”などという表現がされがちですが、この時は“アタマの中のこれまでよく見えてなかった(というかあまり見たくなかった)黒いエリアが実は全部文字でできていたことに気がついた”などというわけのわからない表現になります。
このエリア、普段は話す相手が焦燥していたり心に悩みを抱えていたりするとその会話とともに黒っぽいものが入り込んできて大きく膨れ上がってワタシ自身の思考を圧倒するなどというとても不便なエリアでして、そんなことやってたら社会人としてやっていけないのでなるべく隅っこに追いやろうとしていたけど果たせず的な人生を送ってまいりました。
ようやく使い方がわかった(用法が正しいかどうかはアレですが……)このエリアですが、最初はそこから溢れかえる映像と心情と文字の洪水にまたしても圧倒されておりました。ただ、普段から思い込みの激しいワタシですので、この時も“へぇ〜、文章書くのってこんななんだぁ”などとタカをくくって傍観してました。
最初はメモ用紙やスマホで下書きしてましたけど、それもまどろっこしくなってきて直接.docxに打ちまくってました。総ページ数が200頁超えた辺りからスクロールが辛くなってきて、ふと総文字数見ると13万文字になってました。
いちおう“章”ごとに書いていたのですが、その順番もめちゃくちゃでして、なんでこんなシーンが出てくるんだろう? って思ってると何日か後にそこに繋がる章がでてきたり、わけわからないと思ってた記述が後で出てくる展開の伏線になってたり。
登場人物だってホントに勝手にいろいろやってくれるので、続きが気になって仕方がありませんでした。けど、書けたものを読み返すとホントにありきたりなつまらないハナシで、あぁこの展開はあの文章から持ってきたヤツだなぁ、などと思ってその小説(とか文集とかいろいろ)見てみるとそんな部分自体がなかったりする始末。
ちょっと特別なイベント(大規模停電とか火球の出現とか)が起きると、その日のうちにそれを使った章が出てきて、ナンの苦もなく話が連なっていったりしてました。しかもその日の前に書いてた章にすでに伏線が用意してあるなどというわけわからない状態……。
で、ある程度できあがってくると今度は編集係(?)が出てきて、句読点の場所や単語の並び方・ルビの文字数なんかを事細かに修正してリズムを整えていってくれました。わりに便利でした。
上記一式がおわり、できあがったらしき文章を見渡してみると、一体全体コレ誰が書いたんだよ感満載でした。しかも大して長くないと思ってたのに、四六判で294頁などという長編になっておりましてびっくり。ところどころ書いた覚えのない部分まであったりしてホントに怯えるレベル。
作家さん。そんなに会ったこともないし、お話したこともないし、なったこともないけれど、出版社から本が出て書店に並ぶということは一応そういうこと、なんでしょうか? まぁそんなワケでいま二つほど実感のわかないワタシの一人称はこれからも“筆者”です。




