THE MAN
14/12/A.D.1916、長く掘られた塹壕に、約1万の兵士が静かに待機していた。彼らは土壁に背中を押し当て、サンパチを両手に抱え、ヘルメットを深く被り、白いもやをその鼻、口から吐き出すばかりである。ところどころから啜り泣く声が聞こえ、その静寂の異様さをより引き立てていた。
「寒い...」
ある男が、兵士がとつぜん静寂を突き破り、そう、呟いた。しかし、答えるものは誰もいない。啜り泣く声もいつの間にか消えていた。その男は、浮いていた。この場に似つかわしくない、そんな雰囲気だ。
「なぁ、寒いよな。なぁ?」
彼は隣の兵士に呼びかけたが、兵士は鬱陶しそうにし、さらに目深にヘルメットを押さえつけた。しかし、彼は懲りない。なぁ、なぁと兵士に呼びかけ続ける。終いには、兵士を揺すり、叩き、ヘルメットを持ち上げ始めた。そうして、兵士の堪忍袋の尾が切れた。
「鬱陶しぃんだよこのやろうッ!!」
勢いよく立ち上がってそう叫んだが、すぐに青ざめた顔に変わって座り込み、頭を抱え肩を震わせた。思い出したのだ、ここが戦場であると、命がすぐに奪われると。一方、男とはというと、反対側に座る兵士に懲りずに話しかけていた。
「俺、独身でよ、親ももう死んでて家族ゼロだぜ?しかも2000フランの借金がある!ま、戦争のおかげでチャラ同然だけどな。」
無論、この発言にいい気をする者は、古今東西どこを見ても男以外にはいない。しかし、咎める者もその場には存在しなかったのはご理解いただきたい。この状態は、いわば極限。生死の境を彷徨うようなもの。そんな中、自分以外の人間に意識を割く余裕などあるわけがないということは、体験したことがない読者にも理解はできるだろう。
そのような重苦しい空気の中、突然、男は笑った。大きく口をあけ、声も大きく、高らかに。それはもう異常だった。異様ななかで、一際異常だった。周囲の兵士には、最早怒りではなく恐怖が湧いていた。なぜ、笑えるんだ。なぜ、怖がっていないんだ。なぜ...この状況で我を保っていられるんだ...!そう、思っていたのだ。なおも、男は笑い続ける。ついには立ち上がり、腰に手を当て、空を仰ぎながら笑い始めた。敵陣はすぐそこ、見える距離。撃とうと思えばいつでもスナイプできる状況。兵士の1人が思った。奴のような人間が、案外ここでは生き残れるのではないだろうか、自分みたいな臆病者には死の道しかないのではないだろうか...と。
そしてその半刻後、敵方からラッパの音が聞こえた。その瞬間、まるで機械が如く、兵士たちは同時にサンパチを構えた。
「あれ、ベルトが引っかかるな...」
男だけはゆっくりと構え、狙い始めた。その間、すでに戦闘は始まっており、地面に倒れた死骸が、ミルフィーユの一層目を形作り始めていた。そんな中、男は静かに狙いを済ませる。左手を台座の代わりにし、肩当てを右肩にぴたりとつけて、向かってくる敵兵に銃口を向ける。
「ナム」
カチリと引き金を引いた。右肩に強い衝撃が加わるとともに、敵兵はその場に崩れ落ちた。
なんかいつもと書き方が違うのは、純文学にしようとしたからです。




