第30話
吉井理子物語 第30話
北海道でのサヨナラ負けの傷跡を引きずったまま、マリーンシーガルズは本拠地・幕張へ戻っていた。
五月の海風はまだ冷たく、グラウンドには砂埃が舞う。サヨナラ打を浴びた理子の右腕には、重い疲労と、それ以上の「飢え」が張り付いていた。
「……たいぎぃのぉ。反省会はもうええけぇ、さっさと投げさせろや」
理子がロジンバッグを地面に叩きつけた、その時だった。
球場の正面ゲートから、異様な集団が姿を現した。
一列縦隊。軍隊のような足取り。だが、その姿は——一目で「異質」だとわかった。背中から触覚を伸ばすもの、薄い羽を震わせるもの、全身を鋭い棘で覆ったハリネズミのような者たち。
「何じゃ、ありゃあ……。サーカスか、それともバルサンでも焚きに来たんか?」
理子が呆然と呟く中、集団の先頭に立つ一人の少女が、不敵な笑みを浮かべて一歩前に出た。
「秋田から、あんたたちを『ぶっ飛ばし』に来たよ」
少女の名は、小笠原りこ。十五歳にして小笠原コンツェルンの令嬢であり、「秋田シルク・ウェブ・スピナーズ」を率いる若き指揮官だ。
「監督、あんまり威嚇しちゃダメだよ」
後ろから宥めるように声をかけたのは、兄でありコーチの理太郎。だが、十五歳の監督は聞く耳を持たない。
「理太郎、黙ってて。こいつら、負け犬の匂いがプンプンする」
りこの視線が、真っ直ぐに理子を捉えた。
「——おい。あんたがメジャー帰りの吉井理子?」
理子は飴を奥歯で噛み砕きながら、少女を睨み返した。タバコが吸いたかったが、今はそれどころではない。
「ガキが野球の練習の邪魔しにくるんじゃないわ」
一歩、前に出る。
「ぶっ飛ばすのは、わしのセリフじゃけぇ」
二人の「りこ」の間に、火花が散った。
その背後では、スピナーズのメンバーたちが、無表情に「昼食」を摂り始めていた。
プロテインと白飯、そして山盛りの桑の葉。バリバリと音を立てて葉を貪る虫の獣人たちと、黙々とレーションを咀嚼するハリネズミの一族。
「……おい、あいつら何食っとるんだ」
「桑の葉と……ネーブルオレンジ? どんな栄養管理だ」
シーガルナインが戦慄する中、理子だけはその異様な光景を、冷静に観察していた。
秋田の刺客。予測不能な跳躍を見せるアオバハゴロモの青葉、鉄壁の守備を誇るカイコガの陽川、そして百六十五キロの火の玉を投じるドクガの毒島——小笠原コンツェルンの財力と、異能の身体能力が融合した「軍隊」が、幕張に牙を剥く。
「……面白いじゃないの」
理子の指先が、微かに震えた。
恐怖ではない。未知の強敵を前にした、狂おしいまでの闘争心だった。




