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六角氏軍記~戦国乱世を生き抜きたい~  作者: タスマニア


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近傍

観音寺城 1556年9月


 

 今月の十二日、父義賢が病を得た。一向に進まない三好方との将軍足利義輝帰洛についての交渉に疲れ果てたのだろう。もともと体は弱い方であるから仕方がない。



 三好側としては、今までの大樹の行動に対する不信感が根強いのだろう。



 現に大樹が蜂起したとき松永久秀から我が家臣永原に送ってきた手紙には大樹が約束した、細川晴元を許容しないとしたためた自筆の懐紙と御内書を反故にしたことについて痛烈な批判が書かれていた。



 加えて、今の京には伊勢貞孝を始めとする将軍の直臣層が在京しており、安定した京の支配を行っている。



 彼らは、大樹を必要していないし、各種争論を居城芥川城に持ち込ませ三好長慶を頂点とする裁許体制に従わせるためには寧ろ邪魔な存在だと考えているのだろう。もし、どうしても将軍が必要になったとしても彼らは阿波公方を抱えている。



 もっとも、阿波公方を立てられると我が父や同盟者安見宗房の面子をつぶすことになるし、阿波公方は長慶を信用していないとの風聞があるのでこれは最終手段だと思われる。



 対する大樹側も、聞くところによると大樹の生母であり後見役の慶寿院が反三好方の筆頭であり、大樹の周囲を反三好の側近で囲わせ都合の良い情報だけを入れるようにしていると聞く。



 彼女にとっては、義晴の非業の死を遂げることになった直接的な原因となったかつての反乱を許すことはできないのであろう。



 現に慶寿院の姪にあたる我が正妻照を通じて将軍帰洛の為の軍を起こすように再三の要請が来ている。大樹に今の現状を伝えるにも親三好側の重臣である大館晴光や朽木稙綱らは遠ざけられているようだ。




 大樹の外戚として遠国の大名や有力者とのコネを持つ近衛家においても当主稙家は、大樹を支持しているがその嫡男近衛晴嗣が足利義晴からの偏諱である晴の字を捨て前嗣に改名し大樹のと関係を断とうとしている。



 関白が名前を変えることは前代未聞のことであり、近衛家内でも対象との関係性を巡って一悶着があることが分かる。



 奥の手として考えられる朝廷においても、大樹が長期間京から離れていることで内裏の管理や改元を怠っているとして、三好家や我が六角家を頼りにしている。



 九月五日に崩御された後奈良天皇の後を践祚することになる正親町天皇の為の即位の礼の費用を、大樹を介さず献納を求めてくるなど将軍家を完全に頼りにしていないことを行動によって表しているといってもよい。



 状況を整理すると、大樹帰洛の為の交渉は何時まで経っても纏まらないだろう。三好側は大樹を必要としていない。



 大樹側は将軍直属の僅か二、三千余りの軍勢であり先代の時に軍事支援してくれていた若狭武田家や播磨赤松家、越前朝倉家も各々の事情で将軍を助ける余裕が無いので三好方に言うことを聞かせる軍事力が無い。



 朝廷は最初から将軍家を頼りにしていないし、信用もしていない。我が父義賢の官位官職は参議ではないものの従三位左近衛大将であり、今の大樹の官位官職を越えている。



 これをひっくり返すには史実のように三好包囲網をつくって圧力をかけるしかない。これは、大樹も認識しているようである。



 代表的なのが、本願寺と朝倉家の加賀国での争いに対して朝倉家には申次の大舘晴光やその内衆富森信盛らを派遣して交渉に当たらせている。和睦を渋る朝倉家に対して、本願寺が和睦に応じなければ義景の心中に任せると申し付け、天下のために和睦せよとの御内書を発給している。



 これには本願寺側と連絡が途切れていた大樹を繋ぐために六角家の重臣永原が間を取り持ち、本願寺・朝倉両家に使者を出している。この調整での過労で父義賢は、病を得たのだろう。



 史実通りなら、大樹の帰洛まであと二年ほどかかるはずだ。帰洛までは、父義賢に虚々実々の交渉を纏めて貰わねばならない。今の間に家督継承を遅らせる言い訳を考えて置かねばならないだろう。



 1556年 11月 朽木


 和睦以来、越前より動座してきた大樹との関係は微妙なものである。六角家の家臣が代理として朽木を訪問することはあれど、六角家の一族が訪れることはなかった。此度は、申次の小笠原稙盛のを通じてこの六角忠定にお呼びがかかったのであった。



 あまり、大樹のことを好ましく思っていない私としては理由をつけて断りたかったのだが父義賢より、大樹との仲を深める一手となるということで無理やり出立させられた。



 この出立には、正妻照も連れていく。近衛家の者である彼女を連れていけば慶寿院の心情を良く出来ないかという魂胆である。



 最後に、城下の屋敷に住まわせていた虎(次郎法師のこと還俗したので虎と名乗らせている)に引き合わせた。誰が吹き込んだのか、照はうっすらと虎のことを知っていたし、虎からは早く正妻と引き合わせて欲しいとの板挟みになっていた。遂にこの板挟みに耐えられず引き合せることとなった。



 照からは新たな側妻を迎えたことは男の甲斐性として許して貰えたが、黙っていたことにおいてはかなり絞られた。当初のオドオドしていた公家のお姫様と侮っていたが流石は中世の人間。あっという間に環境に適応し、逞しく成長していた。嗚呼、恐ろしや、恐ろしや。



 「六角伊賀守よくぞこの朽木に参った。」



 「大樹からのお褒めの言葉、恐悦至極に存じます。」



 「伊賀守そう固くなるでない。余と其方は歳が近く、我が母と其方妻は叔母と姪の関係。余との関係は従姉妹に当たるのかの。つまり、余と其方は親戚関係、大いに頼りにしておるぞ。」



 「はは。」



 「此度は不運が重なり戦と相成ったが元を辿れば義満公より足利と六角は血の繋がりがある。何度も言うが余は六角家を大いに頼りにしておるし、我が父義晴と定頼のような関係を余と其方で築きたいと思うておる。」



 大樹は、何度も足利との血の繋がりや個人的な紐帯を強調してきた。直属の家臣団が分裂したことによる幕府の機能によって各地に大名との繋がりが薄れているので近辺の大名と今一度絆を深めたいのだろう。

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