電書化記念SS その頃ド緊張のエリザベス様は
このお話の電子書籍化の記念として、書籍の裏話的なSSとなります。
書籍では最後、みんなでお茶会を開きます。
そのお茶会に行く直前の、ド緊張しているエリザベス様の話です。
「お嬢様、ランドール侯爵がお迎えにいらっしゃいました」
執事のその声に、エリザベスはすぐには応えられなかった。
なぜなら、とても緊張していたから。
「……っ! こほん、わかりました。ここにお通ししてくれる?」
そうしてふうっとため息をつくと、目の前の紅茶を一口飲んだ。
紅茶は美味しい。昔から好きだった。
だけど。
私はガドウィ様の好きなお茶を、あの方とずっと一緒に飲んでいたいのだ。
そのためには今日は頑張らなければ。
そう思うたびに緊張でじっとりと汗がにじむ手を、ハンカチを握りしめて拭った。
今日で、私の運命が決まるのね。きっと。
生か、死か。
別に本当に死んでしまうわけではないけれど、それでもきっと、今日が上手くいかなければ私は生きる屍となるだろう。
そんな風にエリザベスは思い詰めているというのに。
「おう、迎えに来たぞ! 今日は頑張ろうな!」
エリザベスとは正反対に晴れ晴れとした顔のランドール侯爵が、まるで自分の家の応接室に入るような気軽な様子で入ってきた。
「エーリク……」
「なんだどうした、青い顔をして」
エーリクは、今やすっかり自分の婚約者に夢中だ。
長年片想いをしていた相手と、やっと婚約まで出来たのだから幸せなのだろう。
同じ婚約なのに、私の方は。
思わず顔をしかめてしまう。
「緊張しているのよ……。だって、今日がもし……」
「エリザベス、そこは頑張ろうぜ。みんなのためにも。俺もフロレンスも今日に賭けてんだ。お前も頑張っただろうが。じゃあ大丈夫だろ。なんとかなるよ」
そう、昔からエーリクはこういう人だった。
でも彼が今日に賭けているということもエリザベスは思い出した。
ある意味誰にとっても今日は運命の日なのだ。
「上手くいくといいのだけれど……」
ますますハンカチを強く握りしめながら、エリザベスは不安げに言った。
出来るだけのことはした。だけど。
「上手く行かせるんだよ。いや行かせようぜ。お前もガドウィ殿下にちゃんとわかって欲しいだろう? だったらいつかはガツンと言わなきゃいけなかったんだよ。ちゃんと言わないとあの鈍感王子、絶対にわからねえだろ!」
なんだかエーリクがだんだん思い出し怒りを始めてしまった。
どうやら今までの鬱憤を思い出したらしい。
たしかにガドウィ様は酷かった。
あまりにもご自分の思いに捕らわれすぎて、少々周りを見る余裕をなくしていた。
エリザベスは理解していたけれど、だからといってそんなガドウィ様の様子に傷つかないわけではない。
たくさん泣いた。
たくさん頑張った。
それを、いつかあの人はわかってくれるかしら……。
「怖いわ」
それでも、もし失敗したらという不安が頭から離れなかった。
「大丈夫だろ。勇気を出せ」
エーリクはそうは言うけれど。
「私、もっと嫌われてしまうかも。そうしたら今度こそ婚約を破棄されてしまう。あんなに頑張ってお妃教育も頑張ったのに」
「はあ? そんなことさせねえよ! それに俺とフロレンスが駆け落ちしたら、さすがにあの殿下も諦めるだろう。それに貴族たちがそんな殿下の我が儘なんて許さねえよ」
「でも心が手に入らなければ、結局は今と同じかもっと辛いじゃないの!」
思わず大きな声が出た。
お妃教育を受けるようになってからは、この幼なじみに対しても常に上品な淑女として接していたつもりだったけれど、それでもエーリクに対してはついつい気を緩めると昔の気安さが出てしまう。
「そこはお前が頑張れよ。っていうか、お前がちゃんとガドウィ様を好きだと伝えたら、ガドウィ様も少しはお前を見るだろう。もともとフロレンスだって、ただ見ていただけで殿下のあのはしゃぎようじゃねえか。お前もずっと見ていたんだって言えばいい」
「そんな勇気が出るといいのだけれど」
なにしろエリザベスは恥ずかしがり屋だった。
普段はそこまでではないのだが、なぜか好きな人の前だと恥ずかしくて、緊張して、気分がなんだかかーっとなってしまって、ついつい口調がきつくなってしまうのだ。
そのせいで、いつもガドウィ様と喧嘩になってしまう。
今日は普通にしゃべれるかしら…………とても出来そうにない。
「お前……俺たちはお前だけが頼りなんだから、そこは頑張ってくれよ。俺も協力するしカバーもするから。俺だって幼なじみのお前が、ちゃんと幸せになるところを見たいんだよ。それには今日はいいチャンスじゃないか」
エーリクは、いつも誰にでも優しい人だ。
きっと彼はその言葉通りに私をフォローしてくれるだろう。
こんな心強い幼なじみを持てて私は幸せね。
「頑張りたい。でも、きっと今日もガドウィ様はフロレンスさんにデレデレなのでしょうね……。それを覆すなんて本当に出来るのかしら」
「引きつけて引きつけて、そして最後にひっくり返すんだ。その衝撃でガドウィ様の目が覚めることを祈ろう。俺たちは出来ることはやった。あとはベストを尽くすだけだ」
珍しくエーリクもいつもよりは弱気のようだ。
「珍しいわね。絶対に成功するって言わないの? いつものように」
そう問うと。
「さすがに俺も殿下相手ではなあ。それにフロレンスだって、成り行きで婚約は了承させたが、別に俺のことを熱烈に愛しているってわけでもないからな。実はいつもあの殿下の熱意にいつほだされるかとヒヤヒヤしたまんまだ。今日だってどうなるか」
そう言ってちょっとしょんぼりするエーリクの姿を、エリザベスは初めて見た気がした。
「あらまあ、あんなに自信満々で何でも優等生なあなたのそんな姿を初めて見たわ」
エリザベスはちょっと笑った。
不安なのは自分だけではない、そう思えたら、ちょっとだけ緊張がほぐれたような気がする。
「俺だってフロレンスのことじゃなければ、失敗してもまあしょうがねえかなと思えるんだがな。さすがに好きな奴を目の前でかっさらわれるのだけは絶対に嫌なんだよ。なんだよ笑うな」
そんな風に弱気なエーリクを初めて見たわ。あなたでもフロレンスさんには弱いのね。
そう思うとつい笑顔になってしまうのは仕方がないじゃない?
「私、フロレンスさんはエーリクのことを好きだと思うわよ? そんなに心配しなくてもいいんじゃないかしら」
「お前! 他人事だと思って! 俺ははっきり言われてるんだよ。結婚なんて現実味がないって。あいつはまだ俺のところに嫁に来る覚悟が出来ていないんだよ」
そう言ってしょんぼりするエーリクを見ながら、エリザベスは思った。
この人、フロレンスさんのお家で私とエーリクが話しているときの、あのフロレンスさんの不安そうな顔を全然見ていないのね。
でもフロレンスさんは若いからいきなり結婚なんて言われて面食らっているだけで、実はエーリクのことを好きなのではないかしら?
そう思ったので。
エリザベスは提案してみることにした。
「じゃあ、ちょっと試してみる?」
「は? 何を?」
「今日のお茶会で、私とあなたがとっても仲良くいちゃいちゃするの。そうしたらフロレンスさんも焦るかもしれないわよ? どうせガドウィ様はフロレンスさんしか見ていないだろうけれど、フロレンスさんはあなたのことをいつも見ているから、少なくともそんなあなたに驚くと思うの」
そして、もしかしたら嫉妬も?
あるかも?
「ねえだろ」
「そんなのわからないじゃない。それに、そんなお芝居をしていたら、私のこの緊張も少しは楽になりそうだし」
ふふふ、とちょっといたずらっぽく笑ったエリザベスだった。
そうしたら、今日のお茶会も少しは楽しめるかもしれない。
「……嫉妬すると思うか?」
エーリクが上目遣いでエリザベスを見て、縋るように言った。
結局エーリクも、好きな人には自分を好きになって欲しいのだ。
そう考えると、この目の前の幼なじみは私の同志と言えるのね。
「私は結構自信あるわよ?」
「……乗った。よし、じゃあイチャイチャしようぜ!」
「やり過ぎるとフロレンスさんに怒られそうだから、ほどほどにね」
「ほどほどってどれくらいだ?」
「さあ? じゃあ私をフロレンスさんだと思えばいいんじゃない?」
「それって何処までやっていいんだ!?」
「……あら何処までやろうとしているのよ。私もガドウィ様の前で私があなたを好きなのだとは思われたくないから、そうね、普通にとっても仲の良い幼なじみくらいでいいんじゃない?」
「わかった! じゃあいつも通りだな!」
「……その倍くらいで」
だって、いつもの感じではいつもと一緒じゃないの。
それでもフロレンスさん的にはとっても気になるみたいだけれど。
だけれど、どうせやるならもっとしっかり。
それにエーリクが、どんな風に甘くなるのかも見てみたいしね。
ふふふ、もしも私がダメだったとしても、エーリクとフロレンスさんがそれで幸せになってくれたら、私も今日のために頑張ったかいがあったと思える。
そう考えたら、ちょっと前向きになったエリザベスだった。
「おっ、そろそろ時間だな」
エーリクが懐中時計を見て言った。
「上手くいきますように」
私は神に祈ってから立ち上がった。
差し出されたエーリクの腕に自分の腕を乗せる。
さあ、いざ決戦の場へ。
果たして私はあのつれない婚約者に、ちゃんと告白出来るのだろうか。
いや、しなければならない。
ああでもちゃんと出来るかしら……。
「ところでイチャイチャってどうやるんだ?」
……この人が立案した計画で、果たして大丈夫だろうか。
そんな不安が過ったが、それでももう引き返せないので突撃するしかないのだった。
そうして二人は、表向きフロレンス主催のお茶会に向かったのだった。
あの人もこの人も、性格や行動が大幅パワーアップで大騒ぎの大団円。
全員の笑顔しかないハッピーエンド。
電子書籍の方も、どうぞよろしくお願いいたします。