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光を背負った王――神力を宿す王太子エルドウルフの戦記  作者: RE:ANNE
神が降りた戦場

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第8話 〜王の器〜


 背後から声をかけられ、エランは手を止めて振り返った。

そこに立っていたのは、ハンサン軍の若い将軍――

ヘルドラ・サンドラ・シドー卿だった。


「王太子殿下のお気を悪くさせてしまった。

 主君に代わり、謝罪を申し上げたい」


戦場でも顔を合わせている相手だ。

形式ばった口調の奥に、個人的な悔恨が滲んでいるのがわかる。


「……エランで結構ですよ、ヘルドラ卿」


穏やかに言って、エランは軽く首を振った。


「我が主君は、軍事に関しては常に厳しい視座を持っています。

 あの口調も、悪意から出たものではありません」


「それでも――」


ヘルドラは一瞬、言葉を探すように視線を伏せた。


「殿下はお若いのに、あまりにも覚悟が重い」


その言葉に、ゴディエがわずかに眉を動かす。


「もし……次に北が崩された時」

ヘルドラは、低く続けた。

「同盟は、まだ続いているのでしょうか」


一拍の沈黙。


「殿下ならば」


エランは、淡々と口を開いた。


「北の国境を、十二キロ押し上げると申していました」


「……十二キロ?」


「アルマー渓谷まで進軍し、

 防衛に有利な地形を押さえる、と」


そこで、ほんのわずかに口角を上げる。


「――もっとも、『自分が国王だったならば』という例え話ですが」


ゴディエが、小さく咳払いをした。


ヘルドラは、床に視線を落としたまま、

しばらく黙っていた。


 


「その計略に、勝算はあるのか」


 別棟へと続く廊下に足を踏み入れたところで、

 ゴディエは歩みを緩めずに問いを投げた。

 左右にはシュバリエ兵が配置され、私語は届かない。


「内部を揺らすこと自体は、当初から想定していた。

 だが――共犯の選定は、もっと時間をかけるはずだった」


 視線だけを、わずかにエランへ向ける。


「先走ったのではないか」


 エランは立ち止まらない。

 足音の間隔すら変えず、淡々と答えた。


「三割が五割に。

 今は、六割まで上がりましたね」


 数値だけが返る。


「……理由は」


「ヘルドラ卿です」


 それだけで、ゴディエは察した。


「昨日の『鎮魂』に、居合わせていました」


 ゴディエは、ふぅっと小さく息を吐く。


「ああ……あれか」


 兵士の名を刻むあの時間。

 感傷ではなく、責任として死を記憶する行為。


「見てしまった、というわけだな」


「ええ」

 エランは、わずかに口角を上げた。

「英雄ではなく、王になる人間を」


 廊下の奥に、貴賓室の扉が見えてくる。


「――危険だぞ」

 ゴディエは、低く言った。

「覚悟を見せることと、利用されることは違う」


「承知しています」

 エランは即答した。


「ですが、見てしまった者は戻れません。

 あの場に居た人間は――例外なく」


 扉の前で、二人は同時に足を止めた。


 ゴディエは、一瞬だけ目を閉じる。


「……ならば、選別は終わったということだな」


「ええ」

 エランは静かに肯いた。

「こちらが選んだのではない。

 向こうが、踏み込んできた」


 廊下には、再び足音だけが響いた。



 

 エルドウルフは、会食から戻るなり次の呼び出しを受けた。

戦後処理に関わる追加の謁見だという。


「すぐ戻る」


そう言って立ち上がり、フェギスノーラに視線を向ける。

薄曇りの光が窓から差し込み、彼女の群青の髪を淡く白ませていた。


ほんの一瞬、言葉を選ぶような間。


「ルーソル」


名を呼ばれ、従兄弟はすぐに応じた。


「少しの間、頼む」

「もちろん」


それだけで十分だった。

エルドウルフはフェギスノーラの肩に軽く手を置き、静かに部屋を出ていく。


フーガは王都リノンへ向かう準備に入り、

アンリはいつの間にか姿を消していた。


残されたのは、フェギスノーラとルーソルだけだった。


 


フェギスノーラは窓辺に立ち、外をぼんやりと眺めていた。

雲は低く、しかし空そのものは高く、遠くまで抜けて見える。

光はあるのに温もりはなく、春先の冷たい空気が、窓越しにも伝わってくる。


「……お茶、いかがですか?」


少し間を置いて、ルーソルが声をかける。


フェギスノーラは首を振った。


「飲めない」


即答だった。


「では、お菓子は?」

 

「食べられない」


それも、同じ調子で。


ルーソルは一瞬考えてから、穏やかに笑った。


「それじゃあ……外に出ますか?」


フェギスノーラの視線が、ゆっくりこちらを向く。


「行きたい」


短いが、迷いのない返事だった。


 


上着を羽織らせ、二人は庭へ出た。

石畳はまだ冷え切っており、空気は指先にひんやりと触れる。


薄曇りの空は低く垂れ込めているのに、

見上げると、どこまでも高い。


風が吹き抜け、生垣がかすかにざわめいた。


その時だった。


ばさばさ、と羽音がした後、

狐が一匹、身を低くして生垣の奥から走り去る。


足元に、白と茶の羽が散らばっている。


小さな体が、動かずに横たわっていた。


「……コマドリですね」


ルーソルが声を落として言った。


橙色の胸元だけが、曇天の下で妙に鮮やかだった。


「可哀想に」


そう呟き、彼は膝をつく。


フェギスノーラは、じっとそれを見下ろしていた。


冷たい風が、羽を一枚、転がす。


「……可哀想、なんだ」


確認するような声音。


少し考えてから、首を傾げる。


「じゃあ……生き返らせる?」


善悪ではなく、

ただ“できること”として口にした提案だった。


ルーソルは、ゆっくりと首を振る。


「いいえ。弔ってあげましょう」


そう言って、散らばった羽をそっと集める。


フェギスノーラは、その手元を見ていた。


「……そうなんだ」


納得とも保留ともつかない言葉が、静かに落ちる。


風が高く流れていく。

庭は何事もなかったように静まり返り、

遠くで、別の鳥の影が、冷たい空気の中を横切っていった。


フェギスノーラは、もう一度だけ、コマドリを見た。


何かを覚えるように。

何かを、まだ言葉にできないま




ヘルドラは、石畳を踏みしめながら歩いていた。

会食の余韻はすでに遠く、耳に残るのは自分の足音だけだ。


戦後処理。

物資の再配分、名簿の整理、報告書。

剣を振るうよりも、よほど神経を削る仕事だった。


――昨日のことが、ふいに脳裏に浮かぶ。

 

 野営地は、戦の熱がまだ抜けきらない匂いを残していた。

 血と薬草と湿った土の混じる空気。

 負傷者のうめき声は少なくなっていたが、それは回復の兆しではなく、選別が終わった証だった。


 天幕の外。

 治療を終えた者、あるいは治療が及ばなかった者たちが、静かに横たえられている。


 その列の間を、一人の若者が歩いていた。


 黒い外套。

 鎧は着けていない。

 だが、その歩みに迷いはなかった。


 王太子――エルドウルフ。


 彼は一人ずつ、名を確かめるように腰を落とした。

 医務官が低く告げる名前を、確かに聞き取り、復唱する。


「ルトア」


 呼ばれた男は、まだ息があった。

 だが、その浅さは、時間の問題であることを物語っている。


 エルドウルフは、ためらいなくその傍に座った。

 手を取れる状態ではなかったため、負傷していない肩に、そっと触れる。


「ルトア。お前の働きで、戦を終わらせることができた」

 声は低く、しかし確かだった。

 

「よくやった。」


 男の唇が、かすかに動いた。


「あ……殿、下……」

 視線は定まらない。

「わ、たしは、王都へ……帰れ……ます、か」


 一瞬の間。


「ああ」

 即答だった。

「帰ろう。家族が待っている」


 それが叶わないことを、誰よりも承知していながら。


 エルドウルフは、嘘をつかなかった。

 未来を語っただけだ。


 その後も、彼は立ち止まらない。

 息のある者、すでに冷え始めた者。

 区別はしない。


 名を呼び、触れ、覚える。


 広場の端では、聖職者が低い祈りを捧げていた。

 祈りの声と、王太子の声が、奇妙に重なっている。


 ヘルドラは、その光景から目を離せなかった。


 若い。

 あまりにも若い。


 だが、誰よりも逃げていない。


 やがてエルドウルフは立ち上がり、名簿に視線を落とした。

 一つ一つ、確かめるように。


 その黒い外套は、いつの間にか血で濡れていた。

 だが本人は、まるで気づいていないようだった。


「……あれを、止めなくてよいのですか」


 思わず、ヘルドラは隣にいた男――エランに問いかけていた。


「心が、潰れてしまう」


 戦の責を、一人で背負わせているようにしか見えなかった。


 エランは、エルドウルフから目を離さずに答えた。


「殿下は、初陣の頃から同じことをされています」


「……毎回、ですか」


「ええ」


 それだけだった。


 慰めも、評価もない。

 事実だけ。


 その瞬間、ヘルドラは理解した。


 あれは、弔いではない。

 儀式でもない。


 ――王としての、覚悟そのものだ。


 エルドウルフは、ふいにこちらに気づいた。

 名乗るより早く、歩み寄り、手を差し出す。


「エルドウルフだ」


 細く長い指。

 だが、剣を握り続けた者の硬さがあった。


「そなたがヘルドラ卿か。武勇の噂、聞いている」


 屈託なく笑う、その顔は、

 つい先ほどまで死者の名を呼んでいた者とは思えなかった。


 ヘルドラは、その手を握り返しながら、

 心の底で、はっきりと思った。


 ――王とは。

 ――王の器とは、こういうものを言うのだ。

 

 

更新 月曜日/木曜日 20:00


X不定期発信中 

https://x.com/reannecreative?s=11&t=1yGCcDcwyLFh5hKrz0M23Q

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