表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
光を背負った王――神力を宿す王太子エルドウルフの戦記  作者: RE:ANNE
祈りは糸となり、石は壁となる

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

35/35

6章1幕神のいる日常(1)第35話 〜皆の明日〜


 晩餐が終わり、卓に酒と果実水だけが残る頃、フィーラは夜の支度を済ませてサロンへ合流した。


 南館二階の大きなサロンには、いつものように三台のソファがコの字に置かれ、長卓の上には飲み物と軽い菓子が並んでいる。

 窓は少しだけ開けられ、夜風がゆるくカーテンを揺らしていた。


 フィーラは自分の席へ歩き、素直に腰を下ろす。

 その手には一冊の絵本があった。


「つづきを、読む」


 小さく宣言して、本を開く。


 ゆっくり、言葉を確かめるように読む。

 以前よりも滑らかで、迷いが少ない。


『光る星を見つけた子ぎつねは、最初、それを自分だけのものにしようとしました。

 けれど森のみんなが暗い道で困っているのを見て、丘の上へ運びました。』


 フィーラは一度だけ顔を上げる。

 誰も口を挟まない。


 また視線を落とす。


『すると星は前よりずっと明るく光って、みんなの道を照らしたのです。』


 本を閉じる。


 ゴディエが穏やかに頷いた。


「よく出来ました、姫さま。文字の理解はもう十分ですね。次からは小説にいたしましょう」

 

「むずかしい?」


「もう大丈夫でしょう。何冊か見繕ってまいります。流行りの恋物語などいかがですか」


 その瞬間、ルーソルが吹き出した。


「ゴディエが? ……いや、そこ勧めるんだ、って思って」


 ゴディエはまったく動じない。


「読むのは私ではない。妻だ。それより、ルーソルはもう少し書物を読め。文の筋も古い文も、エルドウルフに負けていただろう」


「比較対象が悪いだろ、それは」


 軽口がひとしきり落ちたところで、扉が開いた。


 湯を浴び、着替えを済ませたエルドウルフが入ってくる。

 まだわずかに湿り気を残した白金の髪を後ろへ流しながら、室内の様子をひと目で見渡した。


「何の話だ」


 ゴディエがグラスを揺らしながら答える。


「お前が、剣だけの男ではないと姫さまに申し上げていたところだ」


 エルドウルフはフィーラの隣まで来ると、ソファの背に腕を預けるようにして腰を下ろした。

 執事が静かに近づき、飲み物を差し出す。


「余計なことを」


 そう言って、彼はフィーラの手元の絵本を覗き込んだ。


 ゴディエは気にした様子もなく続ける。


「事実だ。戦場ばかり見ていると忘れがちだが、お前は頭も回る。元宮廷教師の保証付きだ。ありがたく受け取っておけ」


 フィーラは「?」と首を傾げた。


 戦場に出てからというもの、彼が見せてきたのは剣と勝利ばかりだったのだから、無理もない。


 エルドウルフはグラスを受け取り、わずかに肩をすくめる。


「戦しかしてこなかったと思われているだけだ」


「思われているというか、実際そうだろう」

 フーガが言った。


「机より鞍の上の方が似合うのは確かだしな」


「好きに言え」


 乾いたやり取りのあとに、室内の空気が少しだけやわらいだ。

 

 腹心たちは、皆エルドウルフが子どもの頃から側にいた。

 年長のエランとゴディエは学問を教え、フーガとアンリは剣と馬を叩き込み、ルーソルだけは少し年の近い学友として、ただ自然に隣へ座ってきた。

 未来の王の周囲は、幼い頃から静かに整えられていたのだ。


 杯が満たされ、会話はそのまま自然に仕事の話へ移っていく。


「明日は井戸の整備を見て回ろうと思う。

 人が増えた。水を先に見ておきたい」


 エルドウルフはそこで視線を上げた。


「ついでに、第二城壁の内外をつなぐ小運河の予定地も見たい。工事を始めるなら、運送路は早めに押さえておく。皆は?」


「第二城壁に行きます」

 エランが短く言う。

「南地区の外側の石積み、詰め直しが終わるので」


「俺もそっち」

 フーガが杯を揺らす。

「足場が外れる前に見ておきたい。そのあと、外の製鉄所予定地も回る。セシール川の砂の件、早めに形にしたいしな」

 


「中央道路は俺だ」

 アンリが肩を鳴らす。

「荷車が増えてきた。轍が深い。西回りは王都へ続く道だからな。クワルノーからモンペル村まで、今のうちに形を整えておきたい」


 

「市場の帳簿を洗い直す」

 ゴディエは落ち着いた声だった。

「夏の流入が想定より早い。人が増えるのはいいことだ。だが、増えてから決めるんじゃ遅い。店の場所も荷の出入りも、今のうちに筋を通しておく」

 


「じゃあ俺はエルドウルフと一緒に行くよ」

 ルーソルが軽く言った。

「どうせ記録役はいるし、小運河の仮標点も置いておきたいからね」

 

 そこで、フィーラも口を開いた。


「わたしも、あしたのよてい、ある」


 ほんの少しだけ胸を張る。

 順番が回ってきたと思っている顔だった。


「エランの『おくがた』のところへいくね」


 杯の動きが、ほんの一瞬だけ止まる。

 皆の視線が自然にこちらへ向いた。

 エランがゆっくりと頷いた。


「もう妻には伝えてあります。いつでもいらしてください」


 フィーラは小さく笑った。


「姉様に? 何か用事?」


 ルーソルが聞く。


 フィーラは少しだけ考えてから言った。


「ないしょ」


 嬉しそうだった。

 覚えたばかりの言葉を使う子どものように。


 サロンにはまた、静かな笑いが広がった。


 その柔らかな空気のまま、エルドウルフがふと思い出したようにエランへ視線を向ける。


「そういえば、ジュリア(エランの妻)の体調はどうなんだ。順調か?」


 テーブルに置かれた麦酒の泡が、ゆっくりと縁をなぞる。


「ええ。おかげさまで。悪阻も落ち着いたようです」


 エランは穏やかに答え、ほんのわずかに肩の力を抜いた。

 胸の奥に抱えていた安堵が、声の端ににじむ。


 その言葉に、フィーラが首を傾げた。


「……つわりって、なに?」


 問いは素直で、まっすぐだった。


「ジュリアは、お腹に子がいるんだ。悪阻は、ええと……」


 説明しかけたエルドウルフの言葉が一瞬止まる。

 その隙間を埋めるように、エランが静かに口を開いた。


「病ではありません。自然な反応です。吐き気や食事が難しくなることもありますが……もう峠は越えました」


 お腹に子供――。


 その響きが落ちた瞬間、フィーラの瞳がかすかに揺れた。

 光を受けた水面のように、静かに、それでも確かに。


 生まれる。


 その言葉に、フィーラは小さく息を吸った。


 失われる瞬間なら、数え切れないほど知っている。

 消える灯。

 途切れる声。

 終わる命。


 けれど、命がこの世界に加わる瞬間は、なぜか胸の奥を少し軽くした。


 不思議だった。

 とても、不思議だった。


「子供の名前、エルドウルフが付けてくださいね」


 不意に落ちたその一言に、エルドウルフは思わず麦酒(エール)を吹き出しそうになった。


「子の名は、父が授けるものだろう。俺の役目ではない」


 麦酒を一口流し込み、視線だけで静かに抗議する。


「未来の国王が名付け親であることは、子にとって誉れになります。奥もそれを望んでおりますので……どうか、お願いします」


 エランは冗談めかさず、落ち着いた声で言った。

 その声音には、家族を思う父の静かな誇りがあった。


 周囲も、自然に頷いている。

 誰も軽口として受け取ってはいなかった。


 エルドウルフはしばらく黙り込んだ。


 グラスの中で泡が弾ける音だけが、小さく続く。


 やがて、視線を落としたまま口を開く。


「……わかった。考える」


 短く、しかし逃げない声だった。

 


 

更新 月曜日/木曜日 20:00


X更新情報/活動報告など発信してます

たまにイラストも

https://x.com/REANNEcreative

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ