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光を背負った王――神力を宿す王太子エルドウルフの戦記  作者: RE:ANNE
呼び名のない少女

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4章(3)第22話 〜空の青〜


フェギスノーラには、まだよく分からなかった。


 予算。

 帳面。

 揃えるもの。


 言葉は理解できる。

 けれど、意味は霧の向こうだ。


「予算って、なに?」


 ネレアは歩きながら答える。


「使えるお金のことです」

「姫さまが、必要だと思うものに使っていいのですよ」


 ――必要。


 フェギスノーラは、立ち止まった。

 少し考える。


 頭の中に浮かんだのは、

 城でも、街でもない。


 乾いた喉に、酸味のある甘さ。

 エルドウルフが、ふとした時に言った言葉。


『あれ、好きなんだ』

 


「……ある」


 短く言って、歩き出す。


 城下の通り。

 香草と果実の匂いが混じる一角で、足を止めた。


「これ」


 露店の女主人が、籠を覗き込む。


「シトロンかい? 今日は出来がいいよ」


 フェギスノーラは頷いた。


「ひと籠、ください」


 ネレアが一瞬、目を瞬かせる。


「姫さま、ご自身用ですか?」


 フェギスノーラは、首を振る。


「エルドウルフが」

 少し言葉を探してから、続ける。

「このジュース、好きだって言ってた……から」


 それだけだった。


 欲しい理由も、

 正しい使い道も、

 まだ分からない。


 けれど――

 胸の奥が、少しだけ温かくなった。


  これが――誰かのために使う、ということなのかもしれない。



 

 広場に差しかかると、声が弾んだ。


 追いかけっこをする子供たち。

 転びそうになって、笑って、また走る。

 小さな手が振られ、土埃がきらきらと舞う。


 フェギスノーラは足を止めた。


 今日は、近づかない。

 ただ、眺めるだけ。


「……かるい」


 ぽつりと零れる。


 楽しそう、という言葉が喉まで来て、

 でも、まだ形にならない。


「ええと……ネレア」


 助けを求めるように、名を呼ぶ。


 ネレアは、同じ景色を見ながら答えた。


「ええ。子供は可愛いですね。

 クワルノーは、周辺から若い人たちが移ってきています。

 ですから……これから、もっと増えていきますよ」


 フェギスノーラは、もう一度広場を見る。


 笑い声。

 転ぶ音。

 呼び合う声。


「……可愛い」


 今度は、少しはっきりと。


 言ってから、確認するように繰り返す。


「可愛いね」


 そう言って、にこ、と微笑んだ。

 


通りを抜けようとしたとき、前方で小さなざわめきが起きた。



広場の端、まだ舗装されていない土の上を、

一人の男の子が駆けている。


風を切るように、まっすぐ。


追いかけている子供たちの声が遠ざかるほど、

その足は軽かった。


彼女は目が離せなかった。


「……はやい」


男の子は振り返り、後ろとの差を確かめると、

得意げに笑った。


次の瞬間、

足元の石に躓いた。


身体が前に投げ出される。


転ぶ——


そう思ったところで、

彼は両手を突き、くるりと受け身を取った。


土埃が舞う。


「あっぶねーっ」


それから何事もなかったように立ち上がると、

また走り出した。


周囲の子供たちが歓声を上げる。


「レオナール! いまのすごい!」

「ずるいぞ!」


レオナールと呼ばれた少年は、

照れたように鼻の下をこすった。


膝は擦りむけている。

赤い線が見えた。


泣かない。誇らしげだった。


フェギスノーラは、その小さな傷を見つめた。


「……いたい、のに」


ネレアが静かに答える。


「慣れているのでしょう。

子供はよく転びますから」


フェギスノーラは、しばらく視線を外さなかった。


レオナールが、ふとこちらに気づく。


目が合った。


一瞬、動きが止まる。


それから、ぱっと顔を輝かせた。


大きく手を振る。


フェギスノーラは、少し遅れて手を上げた。


振り返す。


胸の奥が、また小さく揺れる。


レオナールは仲間に何かを叫ぶと、

こちらへ駆けてきた。


途中で速度を落とし、

数歩手前で立ち止まる。


息が上がっている。


「……こんにちは!」


声は思ったより大きかった。


フェギスノーラは、ほんの少し考えてから答える。


「こんにちは」


 レオナールは、じっと彼女の髪を見た。


「空みたいだ」


その言葉に、

フェギスノーラは瞬きをする。


今日、二度目だった。


「……そう?」


「うん!」


迷いのない頷き。


それから彼は、

少しだけ胸を張った。


「俺、クワルノーで一番速くなるんだ。

大人よりも」


言い切る声音だった。


ネレアが小さく微笑む。


「それは頼もしいですね」


レオナールはさらに背を伸ばした。


その膝から、血が一筋流れている。


フェギスノーラは気づいた。


指先が、わずかに動く。


——癒せる。


そう思った。


けれど。


(……ちがう)


手を下ろす。


これは、

自分が触れていい痛みではない。


彼が走った証だ。


やがて友達に呼ばれ、

レオナールは振り返る。


「またな!」


そう言って、駆けていった。


速い。


さっきよりも、さらに。


フェギスノーラは、その背を見送った。


転んでも。

痛くても。

また走る。


「……すごいね」


小さく、呟いた。


ネレアは答えない。


ただ、同じ方向を見ていた。

 

 胸の奥に、またひとつ、

 名前のない温度が残った。


レオナールは石畳の坂を、軽い足取りで登っていく。

城の白い壁が、昼の光を受けて静かに輝いていた。


胸の奥が、ふわりと温かい。


ネレアが静かに微笑んだ。


空は高く、光はまだ明るい。

新しい毎日が、ここから始まっていく。


 ◇◇◇◇◇

 

 帰り道、洋品店の前でネレアが足を緩めた。


 色とりどりの布。

 柔らかなレース。

 小さな宝石ついた淑女のドレス。


「こちらは、礼装用のドレスを扱っています。

 姫さまに、とてもお似合いになると思いますよ」


 フェギスノーラは、指先で布の端に触れ――

 次の瞬間、即座に首を振った。


「いらない」


 迷いはない。


「必要ないもの」


 ネレアは一瞬きょとんとし、それから小さく笑った。


「そうですね。では――」


「あ、でも」


 フェギスノーラが立ち止まる。


 少し考えてから、店内の奥を指さした。


 紳士服の並ぶ棚。

 丈夫そうな上着と、動きやすそうなズボン。


「服。欲しいの、ある」


「……そちら、ですか?」


「うん」


 まっすぐ頷く。


「馬。練習するの」


 一呼吸おいて、

 ネレアは驚いてから、声を抑えきれずに笑った。


「ふふ……なるほど」


 フェギスノーラは、その反応を不思議そうに見て、

 少しだけ首を傾げる。


「ネレア、可愛いね」


 今度はネレアが、言葉を失った。


 ――またひとつ、

 彼女は「人の心に触れる言葉」を、

 無自覚に手に入れていた。

更新 月曜日/木曜日 20:00


X更新情報/活動報告など発信してます

たまにイラストも

https://x.com/REANNEcreative

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