32 一人ソファに横たわる
出掛ける予定もないシエロが見当たらず、やっとヴァルが見つけ出した時には、もう午後遅く、お茶の時間も終わったあとのことだった。
「何してんだ。こんなところで」
シエロは、扉が開け閉めされる音でそちらを見たけれど、それがヴァルだとわかるともう見るのをやめてしまった。
ただ、ソファに一人横たわり、手に持った書類に目を落としている。
「何って。仕事だよ。リナリの今後について、ご両親と連絡を取らないといけなくて……」
「じゃなくて」
ヴァルが呆れたように言う。
「なんで応接室なんかにいるんだ。普段こんな所で仕事しないだろ」
ヴァルの言う通り、シエロは、応接室に居た。
大きな暖炉、分厚いテーブル、壁には細かい絵が描かれた織物がかけてある。
シエロがいるのは、手触りが良すぎるソファの上だ。
「そういう気分だったから」
こともなげに、そう返事をする。
「理由はないって?」
そう聞いたけれど、シエロからの返事は返って来なかった。
「…………」
おかしな沈黙が降りる。
「お前、もしかして……」
ヴァルが首を傾げる。
「チュチュから逃げてる?」
「…………」
シエロが珍しく、眉をひそめた。
書類を持つ手から力が抜ける。
チュチュがシエロに告白したことは、もちろん周知の事実だ。
そういうことに疎いヴァルでさえも知っている。
何せ日常的に言っているのだから。
「困るんだよね。ああいう扱いされるの」
「……困る?」
「困るよ。僕の半分しか生きてないお子様。それも、魔術の弟子」
「……いや、魔術の弟子は関係ないだろ」
「あるよ。師弟関係で恋愛なんかして、くっついたり別れたりして、魔術どころじゃなくなったらどうなるんだよ。師匠なんて、途中で変えられるものでもないのに」
魔術師は、師匠を一度決めてしまえば、変えることはできない。
「別に、禁止されてるわけじゃない」
「少なくとも、僕らの師匠は、弟子と恋愛なんてしなかった」
シエロが、拗ねるようにそっぽを向く。
「何言ってんだ。あのじじいが俺らの誰と恋愛すんだよ」
実際、大魔術師マルーの弟子は、古今東西、ランドルフ、ヴァル、シエロの3人しかいない。
3人ともどう見ても、何百年生きているかわからない老翁と恋愛をしたがるタイプではない。
ヴァルが、ふっと息を吐いた。
「驚いたな。お前……チュチュのこと、満更でもないんだな」
「……何聞いてたんだよ。困ってるって……」
「お前、どうでもいいと思ってることで困ったりしないだろ」
「…………」
そこでつい、シエロが一瞬言葉を失ったのは、肯定と同じ意味だった。
シエロが俯く。
「本当に、なんとも思ってないんだ。14歳も下の、女の子のことなんて」
「14歳も下の……ね。大事には、思ってるんだろう?」
「もちろんだ」
俯いたシエロの金色の髪は顔を隠して、もうどんな顔をしているのか、ヴァルには見えなかった。
「初めて任された弟子なんだ。あんなに懐いてくれてて、大事じゃないわけないじゃないか」
「……なるほどな」
ヴァルが呆れた顔をした。
「お前が恋愛で悩む日が来るなんてな」
「悩んでないよ……」
シエロは、否定の言葉を小さく呟いた。
旅行好きな大魔術師は、基本的に誰も伴わない旅を好んだので、ランドルフ、ヴァル、シエロくんの3人より前に弟子を取ったことはありません。
弟子になった順番はそのまま、ランドルフ、ヴァル、シエロくんです。




