勇者の悲劇(下)
「……何を言ってるんですか? ジル君みたいな子供に勇者様が殺せるわけないじゃないですか?」
「いや、子供だから殺せたんだ。あの家の階段は大人が歩くと体重でギシギシと音がしていた。だが、ジルがあの部屋に現れたとき俺たちは誰もその足音にさえ気づかなかった。それは子供の体重だと階段が鳴らないということだ」
ジルが勇者の元を訪れたのはバーバラが勇者にお茶を差し入れたあとだ。母親であるバーバラが寝室に入ったのを確認したジルは、彼女に気づかれないように静かに階段を上ったに違いない。
「彼くらいの体重なら確かに階段は鳴らないかもしれません。でも、それでもジル君が勇者様に剣を向ける理由なんてあるわけないじゃないですか?」
「いや、あるんだ。ジルはマリーやラインと言ったかつての父親の仲間たちが悪人だと思っていた。そして、それを庇い続ける父親に不満さえ持っていた」
「いや、待ってください。そんな不満だけで子供が親を殺すなんて……」
「きっとそれだけならジルは父親を殺さなかっただろう。だが、その悪人たちを勇者が命に代えてでも助けるつもりだったら。勇者の死後、後見人を彼ら悪人に任せようとしていたら。ジルは殺してでも止めようとするのではないか」
後見人というのは、当主を失った家に次の当主にふさわしい年齢の者がいない際に当主の代わりを子供や家族の保護を行う者のことだ。本来なら親戚筋の有力者がなるのだが、血族がほかにいない勇者の家ならば外から迎えることはおかしくはない。
「後見人って……。それだと勇者様は自分が死ぬことをすでに知っていたみたいじゃないですか。自分が息子に殺されることを知っていて、そんな準備するなんておかしいです」
「勇者は自分が死ぬことは知っていた。だが、息子に殺されるとは考えていなかった。本来なら勇者は魔王の残党に殺される予定だったんだ。彼自身が王都に残党の影が村に近づいているなんて言う報告をしているのがその証拠だ」
「予定って勇者様と残党がつながっているとでもいうんですか?」
「つながっていない。ただ、勇者は自分の死を残党に殺されたことに偽装するつもりだった。だから存在しない残党の報告をした」
俺が何を言いたいのかラヴィは理解したらしく一瞬だけ硬直した。
「勇者様は自殺しようとしていたということですか?」
「そう。勇者は残党に殺されたように自分の死を偽装する気だった」
「そんなどうして? そんなことして勇者様にどんな良いことがあるというのです」
「勇者が殺されたとなれば、王国も教会も勇者の子供たちを守ろうとする。そのためには勇者に匹敵する強者が必要だ。なぜなら相手は勇者さえ倒した残党なんだから。そして、そんな腕利きはかつての勇者の仲間のほかいない。多少、問題があっても護衛のために彼らを使うだろう」
勇者は最後までマリーとラインを庇うつもりだったのだ。だが、王都では彼らを処断する決定がなされようとしていた。勇者は自分が死ぬことで彼らの処分を止めることにした。それが彼らを英雄としてしまった責任だと考えたのかもしれない。
「護衛と次の勇者を育てるために王国と教会は、マリー様とライン様が後見人になることを認めると」
「きっと勇者はその打診をするために何度も王都に手紙を送っていたんだ。駅逓局の配達員が何度も訪れたというのは間違いなくそれだ。だが、どこでかは分からないがジルはそれを知ってしまった。ジルにとって勇者は正義の味方だ。正義の味方は悪人を庇うようなことをしない」
「正義心からジル君は勇者様を殺した……。でもそれだとおかしくありませんか。聖剣が居間にあったのはなぜか。どうやってジル君は書斎に鍵をかけたのか。そして、あの血で書き残された名前の意味はなにか」
ラヴィは疑問の数だけ指をおっていった。三つのなぞのうち一つはとても簡単だ。
「簡単なことから片付けよう。どうやってジルは書斎を密室にしたか。ジルが部屋の外に出たのなら書斎の鍵をかけたのは勇者しかいない。彼は刺されたあと、ジルを部屋の外に追い出すと鍵をかけた。それが、息子の犯行だと隠すためか。それ以上の攻撃から身を守るためかは分からないけど、ジルが部屋から出て行っていることからきっと勇者とジルの間で何かしらのやり取りがあったのは間違いないと思う」
「聞いてしまうとひどくつまらない話ですね。壁抜けも遠当てでもないなんて」
「だからそれははじめからないって言ってるだろ」
ラヴィは夢を砕かれた子供のようにがっかりしたのか肩を落とした。
「次にどうして居間に聖剣があったかだ。ラヴィがもしヤバいものを隠すとしたらどこに隠す?」
「えっ? そーですね。やっぱり人目に触れない戸棚の奥とか人気のない森の中に隠すと思います」
「普通ならそうだ。でも、今回の場合は隠すほうが具合が悪かったんだ。聖剣は勇者を勇者たらしめるものだ。これがないとなればバーバラはもとよりガロンや多くの人が聖剣を探す。そうなると騒ぎが大きくなってしまう。だからジルは聖剣を居間に置いたんだ。聖剣はあるけど勇者の手元にはないと見せるように」
「どうしてそんなことを?」
「勇者を殺した凶器が聖剣だったから。書斎の中に聖剣があれば遠からず凶器は聖剣ではないかという話になる。そして、聖剣は勇者の血族しか使うことができない。つまり、ジルとルド。そして勇者の父であるガロンだけが犯人たりえる状況ができてしまう。だからジルは聖剣を書斎から運び出しても隠したり、捨てたりすることができなかった」
これをジルが一人で考えたのか。それとも勇者の入れ知恵なのかは分からない。だが、ジルの考えだとすれば、彼はずいぶんと悪知恵が働くといえる。
「では、最後に残った問題。勇者が残した二人の名前だけど、これは二つの可能性しか示せない」
「可能性ですか? ずいぶんと歯切れが悪いですね」
歯切れが悪いのは、勇者が誰を最も庇いたかったのか。ということに直結するからだ。
「それは、この名前の後ろに勇者は何かの言葉を書きたかったからだ。一つ目は「マリー、ライン、息子を頼む」だった場合。これは素直に息子の後見人を依頼するもので、読んだ人からマリーとラインは息子を託されたように見えるから犯人とは言われないだろう。次に「マリー、ライン、逃げろ」だった場合、勇者はこの二人が処断されるのを止められなかったということだ」
一つ目の場合は息子であるジルの気持ちは完全に無視されているが、仲間を守るという勇者の気持ちは最後まで貫かれたと言える。反対に自分の死を偽装できないとして二人に逃げることを進めた二つ目の場合、あの二人がジルの後見人になることはない。それどころかかつての仲間を守りたいと言っていた勇者の意思は挫かれたことになる。
どちらの場合でも家族か仲間のいずれかが否定されることになる。もしかしたら勇者は死に際にそこで悩んで先が書けなくなったのかもしれない。
「どっちでも報われないですね」
「そもそも、ジルからすればあの二人を自殺してでも守ろうとしたことが許せなかったのだろうから、どちらの言葉にしていてもジルは勇者が正義の味方じゃないと怒っただろうしね」
「正義の味方。子供らしいというべきか。素直というべきか」
「勇者が正義の味方と信じられるのは羨ましいよ」
旅を振り返って見て自分たちが正義の味方であったか。と問われると自信がない。単純に救えない命があった。命を天秤にかけて見捨てた。助けたためにさらに酷いことになったこともある。結果として魔王は倒したが、すべてが正しく清らかであったとはとても思えない。
「ずいぶんと実感がこもってますね」
「まぁね。俺たちの旅はある意味で聖剣を守る旅でもあった。聖剣を持たない勇者の血族は世界に少なからずいてそういう人たちからも襲われた。襲われてどうぞ、と剣を渡すことはできなかった。ほかの地域で救世主と呼ばれている奴らに勝ったときから俺は正義がないことを知ったよ」
聖剣がない。それだけで勇者になれない。血も成果もあるのになれない。世界で一人という存在はあまりにもひどいものだった。持たないものは欲し、持つ者は手放すことを恐れる。勇者というものは呪いに近い。
「……それは年代記に載せていいのですか?」
「俺はいいけど、君の雇用者が止めるだろう。多くの勇者の血族が剣を求めて勇者になろうとするのは結局、綺麗に装飾された結果を聞かされているからなのかもしれない」
「それは耳に痛いんですけど。私はそれを作る側ですから」
「責めてはいないよ。ただ、伝説は聞くのはいいけど、自分が同じことをやるのは最悪だってことだよ。とりあえずはもう一度ジルに会いに行こう」
気を取り直して勇者の家のほうへ向かおうとしたときだった。村の大通りのほうへ人々が走っていくのが見えた。その表情は皆、驚きと好奇心に満ちている。俺はそのうちの一人を強引に引き留めると何があったか、問いかけた。無理に止められた村人は露骨に嫌な顔をしながら答えた。
「勇者様の息子が父親の仇をとったんだ」
そう言って彼は俺の手を振りほどくとマリーやラインが宿泊していた宿のほうへ駆けていった。俺はしばらくの間、言葉を理解するのに時間がかかった。どうして、そんなことになった。と疑問を頭の中で繰り返しながらも身体は人々の向かうほうへと走り出していた。
口々に思い思いの言葉を吐き出す人々を蹴とばすようにかき分けて宿の前に飛び出すと、ジルが小柄な体に不似合いの大きな剣を握りしめている姿が見えた。剣の切っ先には大柄の男性が貫かれており片手をあげて少年に向かって口を開けていたが、剣は男の肺を貫通しているらしく空気が漏れ出る空虚な音だけが弱弱しく続いていた。
「ライン!」
俺が駆け寄るとジルは剣を引き抜いた。血が噴き出してあたりを染めるが俺はそんなことを気にせずラインを抱えようとしたが、その巨体を支えることができずに尻もちをついた。ラインは俺を見ると、一度だけうなずいて動かなくなった。
「ジル? どうしてこんなことを」
「この人たちは多くの人にひどいことをして、父さんを裏切った。勇者ならそういう悪い人を倒すべきなんです」
ジルは聖剣を俺のほうに向けると視線をラインから宿の入り口のほうへ向けた。そこには動かなくなったマリーが倒れており肩口から胸元までがばっさりと切り裂かれている。
「ジル。勇者はそういうものじゃないんだ。悪い人だから殺すというのでは……」
君だって人殺しの悪人じゃないか。そう言葉が出そうになった。だが、それをあんな子供に言えばどれほど傷つくか分からない。聖剣を持つ者が思慮なく暴れれば、こんな村を滅ぼすことは簡単だ。
「賢者ダイン。そういえばあなたも今では強欲のダインと呼ばれていましたね」
俺は手広く稼いでいるが法を犯しているわけではない。だが、そんなことジルには関係ないだろう。正しい、悪いはすべてジルの主観なのだ。気持ちだけでそれらを一方的に決めてしまうのは暴君のそれである。俺は剣を構えるジルに相対するが、聖剣にはまともに魔法が利くとは思えず背中から汗が噴き出るのを感じた。
「お兄ちゃん!」
俺とジルの間に小さな人影が割り込む。それはルドだった。急に現れた弟にジルは目を開いて驚きを露わにした。だが、その驚きは、ルドが握りしめていた小さなナイフによって絶望へと突き落とされた。見ている人々からはトン、とルドが兄であるジルにぶつかったようにしか見えなかったに違いない。
だが、現実にはルドは握っていたナイフを兄の胸元へと突き出して深々と突き刺した。
「ルド、どうし……」
聖剣が少年の手から零れ落ちる。金属の甲高い音が耳を不快にする。それ以上に人々の耳に突き刺さるのはルドの泣き声である。彼は兄にナイフを突き立てたまま泣き続けていた。それは誰かが手をつけられるようなものではなく、おさまったのは彼の母であるバーバラが呆然自失のまま連れてこられるまで続いた。
俺はなぜこんなことになってしまったのか。
飲み下せないまま宿の端まで逃れると地面に座り込んだ。
「ダイン様、よかった無事だったのですね」
声のほうを見ればラヴィが安堵の笑顔を向けていた。だが、俺にはその笑顔があまりにも眩しすぎて、顔をさげた。
「ラヴィ。君がルドを呼びに行ったのか?」
沈黙はあった。だが、それは戸惑いではなく言葉を選ぶような短い間であった。
「はい、お父さんを殺したのはジル君で、そのジル君が聖剣を持って暴れている。止められるのは君だけだよ。ルド君が勇気を多くの人に見せてあげて、と言いました」
「ナイフまで渡して?」
「ええ、丸腰では可哀そうでしたから」
いま彼女がどんな顔をしているのか俺は見たくなかった。気づく機会は前からあったのだ。
「君は子供の扱いが上手いな。もしかして子供がいたのか?」
「いませんよ。でも兄には子供がいました」
「……そのお兄さんを俺たちは殺したのか?」
「はい、一家もろとも。魔族に操られていたのが悪いと言えばそれまでかもしれませんけど」
軽い口調で言う彼女だが、その後の生活はとても軽いものでは済まなかったはずだ。
「それが教会のほうか」
「はい、そこの教会よりずっと西の方です」
「よく子供を使う気になったものだ」
「人でなしだからですよ。それに子供は好きでしょ? 正義の味方。だから彼らに言ってあげたんです。そうしたら勝手にこんなことに……。悪いことをしましたか私。正しいことをするように勧めただけなんですけどね」
正しいことはいいことだ。それが素直に言えるのは子供だけで。大人になると世の中にある正しいの数の多さに驚かされる。そして、いくつもある正しいのなかから正しいを選ぶなかでほかの正しいから自分が悪になっていることに気づかされる。
「俺も殺すかい?」
「しませんよ。あなたはこれからもっとつらい生き方をするんですから」
バーバラは自分の夫を息子に殺され、その息子ももう一人の息子に殺された。まともにルドを育てることはできないだろう。ガロンにしても孫の面倒をどれだけ見れるかは分からない。そうなればやはり、後見人が必要になるが、すすんでなりたがる者はもういないだろう。
勇者の仲間たちはことごとく死に絶え、俺しか残っていない。
王国と教会は聖剣をこのままルドに与えてはくれないだろう。その力が必要となるまで封印するという形で奪われる。そうして、長い年月がすぎたときにはどこにあるかさえ分からなくなるに違いない。
「君は?」
「私ですか? 私は年代記作家ですから書きますよ。勇者とその仲間の善行と悪行をすべて」
「なら、完成したときは持ってきてくれ。あってるか採点をしよう」
浅い笑い声がしてラヴィは去っていった。俺はまだ立ち上がれる気がせずそれを黙って見送った。