其の9
(ん? テオドア様!?)
クラウディアの口から飛び出した名を聞いた私もまた、振り返る。
そうして見たものは、私たちの方に向かって歩いてくるテオドアの姿だった。
相変わらず、綺麗な顔なんだけど、よく分からないビラビラした衣装と、やたらとツバの広い帽子を被っている彼の姿は、異彩を放っている。そんな彼に向かって、クラウディアは一目散に駆けていった。……淑女にあるまじき全力疾走だ。速い。
そのまま彼女は、ぺったりとテオドアに張り付く。そんな彼女に、テオドアが声をかけた。
「何をしているんだ?」
するとクラウディアは、怯えたような表情を作って、上目づかいに彼の顔を見上げながら、こう訴えかけた。
「リーネ様が私を怖い目で睨まれるから……」
いやいやいや。怖いのは貴女の方でしょう。そもそも、私から声をかけたわけじゃないし。
まあ、だからといって、わざわざ弁明する気も起きない。なぜなら私は彼らと仲良くなりたいわけではないのだから。
逆に言えば、情の強い面倒な女と思われるのも、この際だから悪くないかもしれない。だから私は、自分に非はないのだからと、ただ唇を引き結んだまま、まっすぐに二人を見つめた。
そんな私を見たテオドアは、
「ふーん、そうか」
と気のない相槌を打った後、こう続けた。
「こんな子に一々構う必要はないだろう?」
「……」
私という人間に対する、道端に転がる小石程度の認識が垣間見える一言だったけれど、ちょっと気になる点があった。
じっと私を見つめる瞳。思いのほか、真っ直ぐで綺麗な眼差し。
そう、テオドアがその言葉を、私の目を見ながら言ったからだ。クラウディアに対して「私ごときに構うことはない」って言っているはずなら、彼女を見ながら言うほうが普通のような気がするけど。
……いや、まあ、大した意味はないよね。
一方、テオドアが私に全く興味がないことを確信したクラウディアは、どうだ! という得意気な顔で私を一瞥し、
「そうですわね。わたくしとしたことが」
とテオドアに同調した。そして、これ見よがしに彼の腕に手を添えながら、
「ねえ、テオドア様」
と甘えた声を出す。それに応えるように、ん? といった表情でテオドアが彼女を見つめた。するとクラウディアは彼の腕に頭を軽くもたれかけながら、
「わたくし、綺麗な青い石の指輪が欲しいですわ」
と言い出した。さらに、
「エーギル家のお嬢様にも、買ってさしあげたと聞きました。ずるいですわ」
と、拗ねたような口調で重ねる。私にはよく分からない心境だけれど、そういう態度は男心を唆るのだろうか。テオドアはにこりと微笑んで、クラウディアのおねだりを快諾した。
「そんなもので良かったら、今度また買ってあげるよ」
そんなやりとりを婚約者になるかもしれない私の前で繰り広げる二人。……この時の様子を映像として記録できる道具とかがあれば、簡単に婚約の話をなしにできるのになあ。
だいたいテオドアさん。その子、今まで貴方のことを大概けなしていたんですけど。
喉元まで出かかった声を、何とか飲み込む。ほとんど初対面の私の言葉なんて、彼にとって全く信憑性のないものだろう。
なお、クラウディアは私という存在に完全に興味を失ったようで、
「では、ごきげんよう」
となおざりな挨拶だけを残して、テオドアにべったりと引っ付きながら去って行った。
その後ろ姿を見送りつつ、私は釈然としない思いを抱える。
いや、というか。
(うーん)
なんか、あの子の指に嵌めてあった指輪に違和感があるんだけど。多分、テオドアからプレゼントされたものだろうけれど。
(まさか、ね)
私は軽く首を振って、その疑念を頭の中から振り払った。