其の21
21
ゲラルド家の門を出てしばらく歩いた場所に、クリス王子が懇意にしている教会があって、その敷地内にささやかな庭がある。そこで私とテオドアは落ち合う約束をしていた。
先に屋敷を出たテオドアは、庭に設置された長椅子に座っており、私の姿を認めると、軽く手を挙げた。私が彼の側へ寄り隣に腰掛けると、彼は静かな声で切り出した。
「これで俺は、ゲラルド家から勘当された放蕩息子というわけだ」
自虐的な言葉だったけれど、内容の割にはすっきりした表情をしている。心から清々したのだろう。
でも、それは私も同じこと。
「私だって、ゲラルド家から婚約を断られた不名誉な娘ですよ」
義母たちが、この状況をどう判断したかは分からない。放蕩息子のテオドアにすら相手のされなかったとして、家に戻ったら嘲笑しようと考えたりするのだろうか。それとも婚約が破談となったことを不満に思うのだろうか。
しかし今となっては、どうでも良いことだ。
「もう、家にも帰りませんし」
この展開はシナリオどおりだった。テオドアは勘当されるように行動し、私は家を出る。家族にそのことを伝える役は、クリス王子が担ってくれることになっている。家に帰れなくても店主が雇ってくれることになっているので、どうにか日々の生活資金は工面できるだろう。
「正直なところ……すっきりしました」
「俺もだ」
同意したテオドアは、おどけたように首をすくめた。
「すごい顔をしていたな」
テオドアの父親の、こめかみの血管が切れそうなほど真っ赤になった顔を思い出し、二人で笑い合った。
……しばらくして少し落ち着くと、私たちの間に沈黙の時が流れる。けれど決して嫌な沈黙ではなく、穏やかで和やかな時間に感じられた。
やがて、テオドアは私の方に向き直る。改まった表情で私の瞳をひたと見つめた。
「俺は君に側にいてもらったら嬉しいけれど、それが君にとって幸せとは限らない、と今でも思うことがある」
生真面目なテオドアは、まだ、そんなふうに私の行く末を心配してくれている。でも、そろそろ私の覚悟を受け入れてほしい。
「テオドアは自己評価が低すぎです」
そしてテオドアの手に自分の手をそっと重ねた。
「私だって貴方と一緒にいられたら、とっても幸せですよ」
周りから見たら、テオドアは名家から勘当された惨めな若者で、私は公衆の面前で婚約を拒否された哀れな娘だ。
でも、繰り返すけれど、この結末は想定どおりのものだった。私たちの中で多少は感傷的なものはあるけれど、後悔するものはない。
そう、あの時のクリス王子の提案。それは、こういうものだったから。
☆
「テオドア、君も考えないわけではないと思うんだけど……官吏になってはどうだい?」
クリス王子は、落ち着いた表情で、そう提案した。しかし、すぐに、
「もちろん、その選択は良いことばかりではないよ」
と不利な部分にも触れるところが、テオドアに対して誠実であろうとするクリス王子の意図が見て取れた。
「我が国では、貴族は官吏にはなれない。だから君は、家を捨てなければいけない」
テオドアに驚いた様子はない。王子の言うとおり、彼はその事実を知っているのだろう。
そんなテオドアの反応を確認したのち、王子は続けた。
「それに、官吏は仕事上の肩書きであって身分ではないから、貴族と違って世襲はできない。でも、一代限りだからこその権限があるんだよ」
近年、王室は貴族ではなく官吏を重用する傾向にある。もちろん貴族だから駄目っていうわけじゃなくて、実力重視になっているっていうことだ。当然、貴族にだって優秀な人はいる。けれど、どうしても自分の生来の地位に甘んじて努力を怠る人が多いのが実情だ。それだけなら実害はないけれど、たちが悪い者もいて、腐敗に手を染めてしまったりする。
王子は机の上の本を一冊取り出し、テオドアの方へ押しやった。「絶対合格! 官吏登用試験実践問題集」というタイトルの本だった。
「君は昔から、数字に随分と明るかった。その時から僕は君に、常々、国庫を管理する仕事についてほしいと思っていたんだよ」
テオドアがその本を手に取って、ぱらぱらとページをめくる。しかし「申し訳ないのですが、これは、もう解き終わりました」と言って、そっと王子の方へ押し戻す。王子はちょっとだけ悲しそうな顔をしたけれど、すぐに気を取り直し、
「それで、どうかな? 君は家を捨てることができる?」
と問いかけた。
それに対し、テオドアは醒めた顔できっぱりと言い切った。
「家を捨てることに、なんの未練もありません」
その躊躇い一つない答えに、クリス王子は満足げに頷く。
「そう言うと思った」
次に、私の方に視線を向けた。
「君はどうする?」
王子が私の決意を問いただす。けれど、私の心だって決まっている。
「私も……テオドアと同じ気持ちです」
義母と義妹はもちろんのことだけど、父にも、もう何も期待できなかった。父は、新しい家族を優先した。もう、あの家に私の居場所はない。……いや、認めたくなかっただけで、とっくの昔から、あの家は、私なしで回っていたのだ。そして、それはテオドアの家も同じことだろう。
だから私たちは、彼らと別れて生きて行くと決めた。
私とテオドアは見つめ合う。心が通い合っているのをじんわりと感じていると……クリス王子が、ゴホンゴホンとわざとらしく咳払いをして割り込んできた。
「自分たちの世界に入り込んでいるところ、申し訳ないんだけど……どちらにしても、君たちが家に残りたいと言っても阻止するつもりだったけどね」
王子はおどけた口調で言葉を継ぐ。
「だって、どうせ未来はないだろう? ゲラルド家は、近いうちに破綻するし、ラシュレー家は……盗みを指示したうえに、取り分を山分けしたとの情報がある。そのうち手に入れた偽札を嬉々として使って足がつくと思うよ」
残っても何も良いことないだろう。王家もその内、二家の内情を探るつもりだし、とクリス王子はそう続けて軽く首をすくめた。
だが、すぐに気を取り直したように微笑んだ。
「家を捨てるという君たちの賢明な判断を祝福するよ。僕にできることなら、何でも手伝おう」
そんなクリス王子の頼もしい後ろ盾もあって、私たちは、決して後戻りはせず前へと進んで行くと互いに誓ったのだった。
☆
外が冷えてきたので、私たちは教会の中に入ることにした。
誰もいない礼拝堂は厳かな空気で満たされていた。月明かりに照らされたステンドグラスが美しい。
そんな中、テオドアは私の前に跪き、手を取った。そしてうやうやしく甲に口づけた後、少し緊張した面持ちで、こう告げた。
「リーネ。どうか俺と結婚してください」
なんだか物語の騎士様みたいなプロポーズに、私は少し照れ臭くなって、ちょっとだけ突っ込んでしまった。
「ひとっ飛びに結婚なんですね」
するとテオドアは大真面目な表情で応じる。
「いや、婚約は断固拒否してしまったし」
そして「困ったな」と、そんな顔をするテオドアに、私の頬から笑みがこぼれた。好きだなって、心から思えた。
「そうですね。じゃあ結婚するしかないですね」
そう答えると、たちまちテオドアの表情が綻んだ。心から嬉しくてたまらない。そんな笑顔を見て、私は自分の選択が間違いではないことを確信する。
立ち上がったテオドアが、私の体をそっと抱きしめる。家族から与えられなかったぬくもり。それが今、ここにある。
偽りで埋め尽くされた家族を失った私は、これから新しい夫……本当の家族と共に生きていく。
End




