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アウトサイダー  作者: 君島極
第二章:噛み合わない世界 | 第三節:戻る場所と、未来への誓い
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第8話:白き舞台、交わす決意

――朝/龍胆家・居間


朝の空気は、まだ冬の名残を薄く抱えていた。


吸い込むと鼻の奥が冷え、そのまま肺まで抜ける。


炊き立ての米の甘い匂いと味噌だしが重なり、畳の上にやわらかく漂っていた。


障子越しの光は斜めに差し、湯気立つ味噌汁と焼き鮭へ淡い影を落としている。


足裏には、朝の冷たさがじわりと伝わっていた。


――いつもの朝食。


いつもの家族。


笑い声はなく、箸の音だけが小さく残っていた。


湯気がゆっくり揺れる中、誰も次の言葉を急がない。


誠はすでに道着ではなく、黒いジャケットへ袖を通していた。


慣れないネクタイを少し窮屈そうに締めている。


その隣では、美咲も淡い色のブラウスにカーディガンを羽織り、髪をいつもより丁寧にまとめていた。


卒業式へ行くための格好だと、それだけで分かる。


誠が箸を置き、まっすぐ彰を見る。


「……彰。今日は、一つの区切りだ。……だが、本当の勝負は、ここからだぞ」


その低い声は、ただの訓示ではなかった。


腹の奥へ、ずしりと沈み込む。


息が一瞬だけ詰まる。


箸先がわずかに止まった。


彰は背筋を伸ばし、箸を膝の横へ揃える。


「……はい。ここから、もっと強くなります」


言葉を出したあと、喉の奥へ熱が残った。


彰はそれを押し込むように、腕の力を抜く。


美咲は湯呑を持つ手を揺らしながら微笑む。


「風邪ひかないでね」


「……ああ、大丈夫」


肩の力が抜け、重心がゆっくり落ちた。


食器を片付け、ネクタイを結び直す。


鏡の中の顔は、まだ少し硬い。


それでも、ネクタイを直す指はさっきより落ち着いていた。


玄関で靴を履くと指先が冷たい。


彰は一度、自分の両頬を軽く叩いて気合を入れた。


「じゃ、そろそろ行くね」


彰は玄関の扉へ手を掛け、外へ出た。


冬と春の境目みたいな風が頬を撫でる。


ひんやりとした空気が肺の奥まで入り込み、寝起きの身体をゆっくり目覚めさせていった。


遠くでは、小鳥の声が季節の変わり目を告げるみたいに響いている。


彰は一度だけ立ち止まり、小さく息を吐いた。


陽菜と凱。


落ちこぼれだと笑われた日々。


それでも、ここまで歩いてきた。


その全部を抱えたまま、前を向く。


怖さは、確かにある。


それでも――行くと決めたのは、自分だった。


彰は足元へ力を込め、住宅街の道を歩き出す。


靴底へ返るアスファルトの硬さが、今日という日をやけにはっきり感じさせた。


いつもの角を曲がり、陽菜の家が見えてくる。


すると、ちょうど玄関の扉が開いた。


「あっ、アキ!」


陽菜がぱっと表情を明るくする。


制服姿が、朝の光の中でいつもより少し大人びて見えた。


「おはよ」


「おはよー! えへへ、ちゃんと来たね」


「約束しただろ」


彰がそう返すと、陽菜は嬉しそうに肩を揺らした。


二人で並んで歩き始める。


春の風が制服の裾を揺らし、陽菜の髪がふわりと光を受けていた。


凱の家の前へ差しかかると、今度は門の前で凱が腕を組みながら待っている。


「おっ、ちゃんと揃ったな」


「凱くん、おはよ!」


「おはよーさん。……ほらアキ、ネクタイ曲がってねぇか見せろよ」


「うるせえ。……大丈夫だって」


凱がにやっと笑い、そのまま彰の肩を軽く叩く。


三人で顔を合わせた瞬間、自然に笑いがこぼれた。


少し前までのぎこちなさが嘘みたいに、歩幅が揃っていく。


そんな空気の中、不意に陽菜が近づいてきて、彰の袖を軽くつまんだ。


「アキ、今日ちょっとカッコいいかも。……卒業式だからかな」


「やめろって。照れるだろ」


彰が視線を逸らすと、凱が横から肩をどんっと叩く。


「ほら見ろ陽菜、こいつ褒めるとすぐ赤くなるんだからよ」


「なっ……!」


三人で声を上げて笑った。


朝の光が、制服の影をやわらかくほどいていく。


しばらく歩いたあと、凱がふと声の調子を落とした。


「なぁ、高等部行ってもさ。ちゃんと三人で並んで行こうぜ?」


その言葉に、彰は一度だけ足を止める。


「もちろんだよ」


陽菜は迷いなく頷いた。


彰は少し間を置き、それから口を開く。


「……当たり前だろ。ここまで一緒に来たんだから」


言い終えた瞬間、背筋が自然と伸びる。


陽菜は目を少し丸くして、それから嬉しそうに微笑んだ。


「うん。じゃあ……次も、三人で」


三人は視線を合わせ、そのまま歩幅を揃えて学校への坂を上っていった。


朝の光を受けた校舎が、少しずつ近づいてくる。


正門の前には、すでに多くの生徒たちが集まり始めていた。


笑い声と、写真を撮る声。


名残惜しそうに話し込む姿まで、卒業式を迎える朝の空気へ自然と混ざっている。


その流れへ溶け込むように三人も門をくぐり、講堂へ向かった。


廊下では制服の擦れる音が重なり、床を打つ靴音だけが、いつもより少し落ち着いて響いている。


講堂の扉が開いた瞬間、空気の温度がわずかに変わった。


式は静かに、厳かに進んでいく。


名前が呼ばれ、一人ずつ壇上へ上がるたび、拍手が高い天井へ幾重にも反響し、やがてゆっくり空気へ溶けていった。


磨かれた板張りには窓からの光が長く伸び、その上を制服の影が静かに揺れている。


衣擦れや足音まで、不思議なくらいはっきり耳へ残っていた。


壇上へ向かう背中は、みんな少しだけ大人びて見える。


声を震わせる者。


涙で言葉を詰まらせる者。


拍手の中へ、それぞれの三年間が静かに滲んでいた。


やがて、自分の名が呼ばれる。


彰は小さく息を吸い、一歩前へ踏み出した。


床板の硬さが、足裏へはっきり食い込む。


無数の視線が、背中へ静かに集まっていた。


その瞬間だけ、講堂のざわめきが遠くへ引いていく。


乾いた空気の中には、微かな春の匂いが残っていた。


靴底が床板を打つ音だけが、静かな講堂へ小さく響く。


彰は胸の前で掌をきゅっと寄せ、背筋を伸ばして進んだ。


拍手が耳へ届いた瞬間、足元から力が駆け上がる。


踏み込みへ、確かな重みが戻ってきた。


気づけば、背中は自然とまっすぐになっていた。


(――次は、高等部だ)


教師の挨拶。

代表の言葉。

校歌。


重なった歌声の余韻が、講堂の壁へ反響しながら耳の奥へ柔らかく残っていく。


三年分の景色が、波みたいに胸へ押し寄せてきた。


そして、ゆっくり引いていく。


最後の拍手が響く。


彰はふと窓の外へ目を向け、それから自然に保護者席の方へ視線を移した。


そこには、美咲と誠の姿がある。


美咲は目元を少し潤ませながら、それでも嬉しそうに笑っていた。


誠は腕を組んだまま静かに立っている。


けれど、その口元だけがわずかに緩んでいた。


少し離れた席では、拓也が大きく手を振っている。


その横で雪が笑い、玲奈もぱちぱちと小さく拍手を送っていた。


その光景を見た瞬間、胸の奥へ温かいものが静かに広がる。


春風が髪を揺らし、甘い土の匂いを運んできた。


少し強く吹き込んだ風で髪が額へかかり、彰は指先でそれを払う。


拍手が収まる頃には、講堂へ椅子の軋む音が少しずつ戻り始めていた。


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