第3話:夕暮れに揺れる約束
迷宮チャレンジの熱気がまだ身体に残っていた。
笑いながらアーケードを歩くうち、汗ばんだ空気へ夏の匂いが混ざっていく。
凱は肩を回し、陽菜は記録プレートを何度も見返しながら歩いていた。
「んで、このあとどうする?」
凱が振り返る。
「お腹すいた~!」
陽菜が勢いよく手を上げた。
「だな。汗もかいたし、飯にしよう」
「賛成」
彰も頷く。
三人はアーケードを抜け、そのままファストフード店へ入った。
冷房の涼しさと油の香りが混ざり、外の熱気が少しずつ引いていく。
テーブルへ着くと、ディスプレイへ映ったメニューを三人で覗き込む。
「俺、チーズバーガーのダブル」
「じゃ、トリプルで」
凱が笑った。
「負けてられねぇ。俺もトリプル!」
彰が勢いよく言い返し、陽菜が吹き出す。
「えっ、アキ、それ食べきれるの?」
「いける!」
「お前、あとで泣くなよ」
凱が笑い、陽菜も肩を揺らした。
テーブルへ運ばれてきたバーガーは、片手じゃ収まらない厚みだった。
凱は余裕の顔で完食したが、彰は口いっぱいへ詰め込み、ソースが頬につく。
「……む、ぐっ……!」
陽菜と凱が同時に吹き出す。
「アキ、子どもみたい……!」
陽菜は笑いながらハンカチを取り出し、そのまま彰の口元へ手を伸ばした。
柔らかな布が肌へ触れる。
石鹸みたいな香りが、ふっと近づいた。
近い。
その瞬間だけ、呼吸の間を見失う。
目が合った途端、彰は手の中の紙ナプキンをくしゃりと握り直した。
「……サンキュ」
「……どーいたしまして」
陽菜は照れ隠しみたいに笑い、少しだけ顔を背ける。
彰は喉の奥で言葉を止めたまま、紙ナプキンの端を折る。
紙コップの縁を指で強く押した。
さっきまで頭の隅を占めていた訓練のことや将来への不安が、油の匂いと笑い声の中へ少しずつ溶けていった。
店を出ると、夕方の熱気がまた肌へ戻る。
「次どこ行く?」
凱が歩きながら振り返った。
「ゲームセンター!」
陽菜が即答する。
「やっぱそこか」
彰が笑い、三人はアーケードの人波を抜けて歩き出した。
やがて、テンピョン社の大型ゲームセンターが見えてくる。
ホログラムの看板が光り、入口からゲーム音が溢れていた。
凱はガンシューティングゲームで最高得点を叩き出し、陽菜はクレーンゲームへ夢中になっていた。
「……あっ」
アームがぬいぐるみを持ち上げ、そのまま落ちずに止まる。
「取れた!」
陽菜が目を輝かせた。
「お前ら、運良すぎだろ……」
彰が口元を緩める。
「集中の賜物!」
陽菜はぬいぐるみを胸へ抱え込み、そのまま胸を張った。
「それを訓練で発揮しろよ」
凱が笑い、三人の笑い声がゲーム音へ混じる。
気づけば、外の光は少し赤みを帯び始めていた。
ひと通り遊び終えた頃には、足にも心地いい重さが残っている。
それでも、足取りだけはまだ止まらない。
ゲームセンターを出ると、夕方の風が熱を少しだけ攫っていった。
商店街には長い影が足元へ伸びている。
「団子でも買ってこーぜ」
凱が言った。
「さんせい!」
陽菜はぬいぐるみを抱え直し、一歩踏み出す。
屋台から香ばしい匂いが鼻へ届いた。
三人は団子を三本包んでもらい、湯気を分けるように歩く。
「夏祭りみたいだねー」
陽菜が笑う。
「本番は来月だろ」
凱も笑い、彰はタレの光を指先でなぞった。
風鈴の音がどこかで重なり、焼き団子の香りがまだ鼻に残っている。
そのとき――
自販機の陰へしゃがみ込む小さな影が目に入った。
彰は歩みをゆるめる。
凱は周囲を一瞥し、立ち位置をずらした。
陽菜はバッグを胸へ抱え直す。
フードの奥から、尖った耳がわずかに覗く。
銀混じりのアッシュブラウンの髪に、大きなリュック、すり減った靴。
金色の瞳だけが、落ち着かないみたいに揺れていた。
膝を抱える指先には薄い擦り傷が残っている。
唇が小さく動き、また閉じた。
「大丈夫?」
陽菜がしゃがむ。
少女は顔を背け、遅れてフードのつばを指でつまんだ。
「……平気。別に」
唇がわずかに開きかける。
けれど言葉にならず、視線だけが自販機へ落ちた。
すぐ逸れて、また戻る。
小さく喉が鳴る。
凱はその視線を追い、自販機へ目を向けた。
「喉、乾いてるだろ」
ポケットから小銭を取り出し、自販機へ放り込む。
ボタンを押すと、落ちてきた冷たい水をそのまま前へ差し出した。
手首のスナップだけで軽く渡す。
「……ありがと」
ボトルを抱え込むように受け取り、こくりとうなずく。
冷たさへ触れた指先が、わずかに震えた。
彰は屋台の包みを開く。
湯気と甘じょっぱい匂いが立ちのぼった。
串先を軽く回し、タレの滴りを止める。
「団子、いる?」
少女の瞳が揺れる。
足元のつま先がわずかに浮いた。
「……みたらし!? ……ちょ、ちょっとだけ……ください!」
思わず前へ出かけた指先が、途中で止まる。
慌てたみたいに膝の前へ戻し、フードをかぶり直した。
「……べ、別に好きとかじゃないけど。……まあ、ありがと」
「どこから来たの?」
陽菜が笑う。
「こっち。……遠い。関係ないし」
大きいリュックのストラップを握る。
すり減った靴と肩を引くリュックが、やけに目についた。
彰は肩の力を抜き、財布を開いた。
千クレジット札を二枚、指でそろえ、彼女の届く高さへ差し出す。
「お金、困ってるなら」
少女は眉をひそめ、口を結ぶ。
「貸してくれるの? ……ありがと。絶対返すね」
千クレジット札を受け取り、指先をそろえて財布へしまった。
彰が小さく息を吐く。
「……名前は?」
少女は一瞬だけ視線を揺らした。
「……ヨモギ。ヨモギ・グリ……ヨモギでいい」
唇を閉じ、視線だけこちらへ向ける。
「私は陽菜。こっちは凱、こっちは彰」
陽菜が笑いながら三人を指した。
「……水と団子、ありがとう。忘れないから」
ヨモギは小さく頭を下げる。
耳がフードの中でぴくりと動いた。
立ち上がると、リュックが小さな肩を引く。
フードの陰から、金色の瞳だけが三人を見た。
「きみたち、いい人。……じゃ、行くね」
踵を返し、細い背中は夕闇へ溶けていく。
彰は串を持ち替え、タレの残る指先をズボンで拭った。
「……大丈夫かな」
陽菜が小さな背中を目で追う。
胸の前で組んだ手が、ゆっくりほどけた。
「金もないって言ってたしな」
凱が視線を路地の奥へ向ける。
足先で小石を軽く蹴った。
「でも……まあ、大丈夫そうじゃね?」
彰は串へ残ったタレの光を見つめ、親指で最後の一粒をなぞる。
角を曲がった先で、靴音だけがもう一度小さく跳ねた。




