第15話:羨望の視線
――放課後/インサイダー養成学校・中等部 教室
チャイムの余韻が消える前に、椅子が勢いよく引かれた。
足音が回り込み、笑い声が重なった。
オレンジの陽射しが埃を浮かせ、黒板消しがコトリと落ちる。
リュックのジッパーが走り、教科書を乱暴に詰め込む音が混ざった。
「なあ、あれ本物だったよな!」
「テレビよりめっちゃ迫力あった!」
「焔さん、普通にかっこよすぎだろ!」
笑い声が重なり、何人もの顔が同時に凱へ向く。
「お前の父さん、ほんとに焔さん?」
「なんで今まで言わなかったんだよ!」
「いや、別に言うタイミングなかったし……」
凱は少しだけ照れくさそうに頭をかき、肩のストラップを直した。
その空気が、しばらく教室の中心へ集まっている。
彰は机の脚へ爪先を軽く当てた。
小さく鳴った音をきっかけに、近くの視線がゆっくりこちらへ流れてくる。
「やばかったよね、焔さん」
近くの女子が興奮気味に身を乗り出す。
「“覚悟”ってとこ、めっちゃかっこよくなかった?」
「うん、すごかった……」
陽菜が小さく笑う。
「なんか、ちょっと怖かったけど」
「わかる! でもああいうの憧れるよね!」
髪を耳へかけながら、陽菜は困ったみたいに笑った。
女子たちの会話は、そのまま自然に続いていく。
通りかけた彰へ、陽菜が振り返った。
「アキー、こっちおいでよ」
彰は足を止める。
けれど、すぐには前へ出なかった。
「後で」
笑って返し、そのまま視線を外す。
凱の周りには、自然と人が集まっている。
焔の息子で、剣も強い。
真っ直ぐで、迷いがない。
さっきまで教室で向けられていた視線が、まだ頭の奥へ残っていた。
胃のあたりが細く縮む。
一歩ぶんの間が、やけに遠い。
喉の奥に乾きが残り、吸った空気が途中で散った。
(何やってんだ、俺)
脳裏をよぎるのは――凱に完敗した日。
視界が跳ね、畳の硬さだけが掌に残る。
全部、防がれた。
届かなかった。
畳へついた掌の硬さだけが、まだ消えない。
(……勝てると思ってた)
思わず口の中で「くそ……」と吐き捨てた。
ポケットの中で固めた手は、もう感触を返さない。
立ち上がった瞬間、身体の軸がわずかにずれた。
机の縁の木目だけが、妙にくっきり目に入る。
彰は無言で教室を出た。
ドアをそっと閉める。
白い蛍光灯が、急に近く見えた。
廊下の窓へ残った夕陽が、床へ細長く流れている。
まぶたの際を押さえたまま歩き続けた。
気づけば、足は訓練場の前で止まっていた。
昼間の喧噪は消え、壁際の模擬装備だけが夕陽を受けて鈍く光っている。
金属と砂の匂いが静かに残る中、靴裏で砂がしゃり、と鳴った。
「ここなら……誰にも見られない」
彰は壁際の模擬剣を握る。
実戦用ではない。
柄へ魔力を通すことで、マナリリース成功時だけ刀身の魔石が強く発光する訓練用モデルだ。
腰を沈め、柄の位置を合わせる。
足裏の重さを探り、半歩ぶんだけ後ろへ逃がした。
砂の感触が決まってから、剣先を正面へ置く。
「……はっ!」
一撃、二撃。
振り抜くたび、剣身の魔石が淡く発光し、圧力の筋だけが空気を裂いて走った。
吐き出したはずの空気が、口の内側で弾かれる。
体の内側だけが熱いのに、柄の表面だけ妙に冷たい。
(……強くなってるはずだ)
光は途中で痩せ、剣先がぶれる。
踏み込んだはずなのに、砂の上へ半拍ぶん置いていかれた。
額から落ちた汗が手の豆へ染みる。
吐くはずの息が、歯の裏で短く止まった。
わずかに抜けた力を戻すように、柄の位置をずらして支点だけを合わせ直す。
ぶれた剣先の先で、今井先生の声が引っかかった。
『腰を落とせ。剣先を揺らすな』
教室で見た構えの線だけが、遅れて手元へ戻ってくる。
(ユニオン・ブレードと、俺の流儀を合わせる……)
彰は踏み込みと同時に、模擬剣へ魔力を流した。
埋め込まれた魔石が白く発光する。
マナリリース自体は成功している。
だが、踏み込みと剣筋へ意識を向けた瞬間、今度は重心がずれた。
(くそっ……!)
身体は無意識に空手の癖を混ぜ込んでしまう。
重心や踏み込み、肩の入り。
頭では分かっているのに、全部が一つへ噛み合わない。
『守りたいものがあるから戦う』
焔さんの声が、背中をかすめた。
「はっ……! ……くそっ!」
力任せに振るたび、模擬剣の魔石だけが強く明滅する。
マナリリースは成功している。
それなのに、動きへ繋がらない。
手のひらへ痺れだけが残った。
止めた瞬間、追いつけなくなる気がした。
水筒に手が伸びる。
けれど、触れる前に戻した。
まだ振る。
夕陽の輪郭が細くなり、砂を蹴る音だけが近くなる。
剣先が跳ね、呼吸の間がばらけた。
それでも、剣は止まらなかった。
歯を食いしばり、さらに振り抜いた、その時――
踏み込みで浮いた砂が、刃の横を薄く流れた。
暮れきる前の光が、剣の縁で揺れる。
「おう、がんばってんな」
背後で声がして、彰は振り返った。
夕闇の縁に、焔。
ロングコートの裾が風に揺れ、ブーツが砂を鳴らす。
「焔さん……!?」
「教室から飛び出してったろ。気になって見に来たんだ」
近づく足音が、夜の静けさに刻まれる。
間近に立つと、体温が冷たい空気を押し返すみたいだ。
焔は顎で模擬剣を示し、彰の足幅をちらと見た。
「マナ・リリースはできてる。……だが、力任せすぎる」
「えっ……」
後半の言葉だけが、少し遅れて耳に残った。
握りに、無意識の力が入る。
焔さんは剣を見据えたまま続けた。
「力で押せば形にはなる。だがそれじゃ、剣は“暴れる”だけだ。剣は叩きつけるものじゃない――流れを導くものだ」
右肩に触れられた瞬間、重さの落ちる位置が前へずれた。
剣先の遊びが消え、足裏の一点だけが床を掴む。
呼吸が浅く途切れながらも、柄へ力を乗せる。
「吐きを長く、吸いは短く。――もう一度」
言われた通り、細く息を吐きながら肘を畳む。
すっと――暴れていた光が、まっすぐ細く伸びた。
床の砂が、一筋だけ遅れて割れる。
握りの奥へ、一本だけ芯が通った。
ずれていた足裏の重さが、ようやく同じ場所へ戻る。
「腰を落とせ」「剣先を揺らすな」
授業で聞いた言葉が、遅れて同じ位置へはまった。
「その勢いを、まっすぐ通せ。だが、勢いだけじゃ剣は味方にならない」
彰は一度、間を置く。
踏み込みの勢いを、型へ預けた。
「はっ!」
次の一撃は、前よりも確かな線を描く。
魔石の光が安定し、剣の軌跡が床の砂へ細い溝を刻んだ。
焔さんの口の端が上がる。
「そっか。いい顔になってきたな。期待してるぜ、彰」
肩を軽く叩かれる。
その温もりを背中に残したまま、彰はもう一度模擬剣を構えた。
さっきまで固かった握りをゆるめ、“流れ”だけを確かめる。
一点へ収まったところで、静かに握り直した。
あの背中は、まだ遠い。
けれど今は、さっき通った軌道だけが、はっきり身体へ残っている。
模擬剣を構え直し、親指へ力を集める。
吐く息を細く、長く。
夕陽の残る訓練場で、焔さんは黙ったまま彰を見守っていた。
伸びた影だけが、静かに足元へ重なる。
◇
――夜/インサイダー養成学校・訓練場入口
少し離れた入口の影に、陽菜が立っていた。
開ききっていない扉へそっと指をかけ、訓練場の奥を覗き込む。
冷え始めた廊下の空気の中、肩の前で重ねた手にだけ熱が残っていた。
剣が空気を裂く音が、静かな訓練場へ何度も響く。
陽菜は小さく息を吐いた。
彰は昔から、こうやって何度も前へ出る。
転んでも、悔しくても、止まらない。
(大丈夫かな、アキ……)
浮かぶのは、林でモンスターへ立ち向かった日の記憶。
震えながら、それでも前へ出た背中。
(あの日から、ずっと変わってない)
陽菜はそっと髪を耳へかけた。
(……アキは、私にとって特別だから)
足音を忍ばせたまま、その場へ静かに立ち尽くしていた。




